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16.冒険者の務め
 戦いの一夜が明けたばかりでも、ガディアの朝は変わらない。港は早朝の漁から戻った船でごった返し、バザールは朝食の材料を買いに来た客で賑わっている。
 そしてそれは、冒険者達の寝床となる酒場兼宿屋でも変わらない。
「うぅ……頭痛い……」
「あら。ミスティさん、二日酔いですの?」
 カウンターに力なくつっぷしているミスティに、忍は小声で声を掛けてみせる。
「はい、おみずー」
「あたしが酔うわけないじゃない。……ありがと」
 ナナから受け取ったコップの水を勢いよくあおり、道具屋の主はようやくひと息。
「酔っ払いはみんなそう言うのよ」
「違うんだってば。ダイチの歌がね……」
 そう。
 宴会の余興でトップバッターに躍り出た少年は、マハエの制止も空しく、自慢の喉を披露してくれたのだが……。
 その一撃は、いまだミスティの頭の奥にずきずきと鈍い痛みを残したまま。
「……っていうか、なんであんた達平気なのよ」
 確か、アシュヴィンと忍、そしてナナはあの場にいたはずだ。それなのに、三人とも平然と酒場の仕事をこなしている。
 歴戦の冒険者達でさえ悶絶するアレを聴いてダメージがなかったとは、とても思えないが……。
「慣れてますから」
「元・執事デスカラ」
「忍はともかくアシュヴィンのは説明になってないわよ……」
 痛む頭を押さえつつ、ミスティが突っ込みをやめる事は無い。
「……おみず、のむ?」
「……あんたの答えは期待してなかったからいいわ。もう一杯ちょうだい」
 そして、首を傾げるナナにもう一杯水をねだった彼女の前にカナンが置いたのは、朝食の乗ったプレートだ。
「……カニ、飽きたんだけど」
 目の前のそれは、個人的にいま一番食べたくない食材だったのだが……分かっているクセにあえて出してくるカナンが、そこはかとなく腹立たしい。
「昼はターニャの店にしようかしら……」
「ターニャのとこも、カニフェスタだって言ってたけどね」
 昨晩、ナナ探しを手伝ってもらった時にターニャ自身から聞いた話だから間違いない。
「……ってちょっと! アルジェントはカニじゃないじゃない!」
 店主代理の言葉にふと周りを見れば、アルジェントの皿だけ他の皿と違うものが載っていた。
 カニはおらず、炒めた野菜とサラダだけが載っているではないか。
「あの子が肉がダメなの、知ってるでしょ」
 確かに昨日の宴会でも、アルジェントはカニを食べていなかった。その時は怪我人の治療に疲れて食欲がないくらいに思っていたが、よく考えれば普段からアルジェントはその手の物を口にしていない。
「……で、そっちの二人は難しい顔して何やってるの」
 どうしてもカニは食べたくないらしい。ミスティが次に視線をやったのは、近くの席で何やら書類をまとめている男達だった。
「カニの片付けが終わったって連絡が来たんで、まとめてたんですが……」
 片付けと言えば冒険者の仕事のようにも思えるが、れっきとしたギルドの仕事だ。甲殻やハサミは骨細工師に卸されるし、肉は食用として漁師ギルドが扱う事になる。
 処理一つで価値が決まる繊細な作業は、冒険者には任せられない職人達の役目なのだった。
「結局今年は何匹倒したんだ? すげえ多かったけど」
「……四十三匹だ」
「よんじゅうさんびきぃ!? よく生きて帰れたな……」
 カイルの知る限り、今までの最高記録は八年前の二十五匹だったはず。いきなりの四十越えは、快挙を通り越して背筋が冷たくなるほどだ。
「運が良かったのかねぇ……」
 何やら『月の大樹』には幸運を招くカーバンクルが来ているというし、その加護でもあったのかもしれない。
「観測隊の報告じゃ、沖に戻っていったカニの数と何匹か合わないみたいなんですけどね」
 湾の沖合には、フクロウ族の獣人や探知魔法の術者達が観測班として配備されていた。彼等の報告では、もう数匹は戦果があってもいいという事なのだが。
「……」
 ジョージのその言葉に、マハエたちガディアに長くいる冒険者達が視線を向けたのが、カウンターで朝から迎え酒をしていた少女だったのは……ある意味仕方のない事だろう。
「何匹かはあの腹ぺこ龍が食ったとして……」
 カイルの言葉に、モモが何か言いたそうに視線を送るが……もちろんカイルは知らぬフリだ。
「残りは……」
「私ではアリマセンヨ?」
 カイルの言外の問いを穏やかに否定したのは、カウンターで皿を洗っていたアシュヴィンである。
「あ、アシュヴィンさんのはカウントしてます」
「……食べたのか? やっぱり」
「イエ。一匹ほど、丁寧に解体させていただきマシタ」
 その時のカニは、既に昨日の宴会で一同の腹の中に消えていた。さらに言えばその残りは、先程ミスティ達に出された皿にも載っていたりする。
「ま、いいじゃんか。カニの生き残りは浜にはいないんだし、大記録なんだろ?」
「……だな。ジョージ、報告はとりあえずこれでやっとこう。追加で調査が必要なら、またギルドが言ってくるだろ」
 冒険者に依頼された仕事は、カニを倒すまで。その先をどうするかを決めるのは彼等ではなく、依頼した側なのだ。


 『月の大樹』に白衣の青年が戻ってきたのは、太陽も天頂を過ぎた頃の事だった。
「お帰りなさい、ヒューゴさん。カニ、ありますわよ?」
「いえ、その前に……」
 青年は忍の言葉を遮り、静かにカウンターに腰を下ろす。
 それだけで、その場にいたメンバーには十分だった。
「……駄目じゃったか」
 皆がカニと戦っている間、ずっと琥珀の容態を見守り続けていたのだろう。頷く青年の表情には、疲労の色が濃い。
「……なあ、あたしが帰ってくる前に、何か話は聞けたのか?」
 コウの問いにも、ヒューゴは無言で首を振るだけだ。
 結局琥珀は森からの帰りに倒れたきり、一度も目覚める事はなかった。幸いなのは、一度も苦しむ素振りを見せず、眠るように逝った事くらいか。
「……くそっ!」
 短い苛立ちの声と共に、カウンターを蹴りつける。
 コウが琥珀に何か聞こうとしていたのは、あのとき森に居合わせたヒューゴもフィーヱも知っていた。それが何かは分からないが……恐らくようやく見つかった手がかりが、はるか手の届かない所に行ってしまったのだ。その落胆は、想像に難くない。
「どうする、ディス」
「どうも何も、里に還すべきであろ。ここからなら、ザルツかの」
 ザルツは、街の北にあるルードの集落だ。先日の森よりもさらに北だが、街道を使えばそう遠い距離ではない。
「なあ。こんな時に聞くのも何なんだがよ……ルードって、死んだらどうなるんだ?」
 律も旅を始めてしばらく経つが、ルードの死に立ち会うのは初めてだ。もともと古代人である事もあり、ルードについては知らない事の方が多かった。
「ワシ等の体はワシ等の物であって、ワシ等の物ではない」
「……禅問答かよ」
 代わりにヒューゴに視線を送れば、白衣の男はルード達の方をちらりと一瞥し、言葉を選ぶかのようにゆっくりと口を開く。
「……解体されて、新しく生まれるルードの部品として再利用されるという事ですよ」
 選んだ割には凄まじくストレートな説明だったが、ディスもフィーヱも何も言わないという事は、ヒューゴの言葉は正しいのだろう。
「え、そんなのって……いいの?」
「あたしらはあんたらと違って子孫が残せるワケじゃないからね。あたしのこの体だって、あたしの前は誰かの手や足だったはずさ」
 ルードは、生きたレガシィそのものだ。体の部品は古代の遺跡から見つかるとはいえ、その発掘頻度は年を追うごとに減っているし、パーツの新造も現在の技術では不可能に近い。
 稼動を停止したルードをいちいち埋葬していては、ルードの数は減る一方だ。それに、動いているルードが怪我をすれば交換や補修の部品も必要になる。
 故に、使命を終えたルードの体は、彼女達なりの円環の中で新たな使命を得る事になるのだ。
「シノ、依頼の手続きを頼む。正確な報酬は里で琥珀の遺言を確認してからになるが……前金だけなら、あれの所持金で支払えるであろ」
 さしたる寝床も必要とせず、自身で食料調達も出来るルードが金を稼ぐのは、なにも装備を整えるためだけではない。自身が旅の半ばで倒れた後、円環に戻るための保険となるからだ。
 それが旅の世に身を置くルード達の不文律であり、またそれがあるからこそ、彼女達は旅を続けていられる。
「分かりました。その依頼も出しておきますね」
 そして、死したルードを再び円環に戻す手伝いをするのも、また冒険者の務めの一つなのだ。


続劇

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