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1.妹からの手紙

『親愛なるイルシャナ姉様へ
 お久しぶりです。戦いの疲れは、少しは癒えたでしょうか? ココの王都は今頃、暑くなっていると聞きましたが、お加減を悪くされていませんか?

 あの戦いから、三ヶ月が経ちました。いまのところ、グルーヴェは順調に復興を続けています……』

 柔らかい風の吹くテラス。大理石の廊下を打つぱたぱたという足音に、イルシャナは手紙を読んでいた手を止めた。
「イルシャナ様!」
 紙の束から視線を上げれば、そこにいるのは……。
「どうしたの、ムディア。その格好」
 服も髪も埃まみれ。ずっと走っていたのか、息もすっかり上がっている。
「またミンミですよ。ほとぼりが冷めたと思ったら……まったくもう!」
 ミンミに関しては、半月ほど前からぽつぽつと出現報告が入っていた。もっとも、グルヴェアにいた時のように破壊を撒き散らすわけでもなく、些細なイタズラだとか、高い所に昇っていただとかの他愛ないものではあったが。
 とはいえ、ご近所の皆さんに迷惑を掛けている事には変わりない。相手が魔道士という事で、警邏に駆り出されるムディアとしてみればたまったものではない。
「シーラのロイヤルガードを駆り出すわけにも、いかないしね」
 ムディアとしては、プリンセスガードを駆り出すのも勘弁して欲しいのだが。
「そもそも、ラレスやクレアは市井出身じゃないですか……」
 ロイヤルガードのクレアに至っては、いまだに街のゴンドラ乗りとの兼業だ。近くで事件があったなら、手伝いくらいはして欲しいと言いたくなる。
「二人とも、時間転移の後だから無理はさせられないでしょう」
 余談になるが、桜海の兄妹もクレアも、シーラの命でグルーヴェに向かったロイヤルガードの一員だ。
 一時は全滅と言われた彼女達だったが、強大な転移魔法に巻き込まれていただけらしく、最終的には無事帰還の報が伝えられていた。
 ただ、未知の魔法でどういった後遺症が残るか分からないため、ここしばらくは前線に出ることを自粛させられている。

 そんな事を話していると、廊下の向こうから呑気な声。
「あー。いたいたー。おーい、ムディアー」
「……何? マチタタ」
 嫌な予感を分かりやすく顔に出して、走ってきたネコ族の娘に向き直る。
「シューパーガール、出たってさ。ミンミと戦ってるって」
 その報告に、ムディアは分かりやすくキレた。
「あいつらぁっ! っていうか、あの子グルーヴェの復興に残ってたんじゃないのっ!?」
 三ヶ月前、グルヴェアで会った時はそう言っていたはずだ。正義を求める人達のために、力になるのだと。
 特に興味はなかったから、適当に流していたのだが……。
「里帰りって言ってたよ?」
「さ……っ!」
 その言葉に、絶句する。
「どこに、里帰りする正義の味方がいるのよ!」
 頭に来すぎて、マチタタがどこからその情報を手に入れたかまで考えが回らないらしい。
「行ってきます! イルシャナ様、姫様への報告、お願いします!」
「はいはい」
 大股で歩き去っていくムディアに、イルシャナは苦笑を隠せない。
「行ってらっしゃーい」
「あんたも来るのっ!」
 ひらひらと手を振ろうとしたマチタタの首根っこを引っ掴み、今度こそムディアはその場を立ち去った。


 入れ替わりに来たのは、白服の青年だった。
「……どうしたんだ。ムディアの奴」
「ああ、クワトロ様」
 今度は手紙から目を上げることもなく、イルシャナはその名を呟く。
「……ここじゃアルドでいい」
 クワトロはグルーヴェで戦っていた時の仮の名だ。ココ王家での彼は、アルド王子であり、シーラ女王の夫である。
 もちろん今は、黒衣も黒い眼鏡も掛けていない。ココ王家の一員として恥ずかしくない、整えられた服をまとっている。
「で、何ですかクワトロ様」
「お前わざとやってるだろ」
 そのぼやきを聞き流し、イルシャナは手紙から目を離さない。
「ラピスの件、リヴェーダから報告来てないか?」
 三ヶ月前の戦いで、彼女は片腕を失った。グルーヴェで応急処置を施した後、スクメギの工廠に送ったのだが……彼の元には以降の報告がいまだ届いていない。
「ええ。エノク本国に一度戻して、本格的な修復に入るそうです」
 ラピスはエノクで発掘された獣機で、グルヴェアやココの様式とは少し異なる。応急処置ならリヴェーダやレヴィー候でも何とかなるが、失ったものは何せ片腕だ。本格的な修復になると、やはり工廠での作業が必要になる。
「そうか……」
 ココの獣機封印政策を支持するエノクのことだ。ラピスも修理が完了した段階で、封印処置が取られる可能性も高い。
 視線を隠せるクワトロの黒眼鏡を、少しだけ惜しく思う。
「無理させるからですよ。獣機だって、女の子なんですから」
 それを誤魔化すように、イルシャナの皮肉に軽く笑ってみせる。
「そんなだからアリス様に認めてもらえないんですよ」
「……ほっとけ」


『ドラウンやシェティス、それからレヴィー・マーキスの件は、結局不問になりました。政務も軍部も人手不足ですし、何より……』

 グルーヴェの辺境。北部タイネスに隣接する、山脈の地下深く。
 掘り進められた坑道に、男の慌てた声が響き渡る。
「グルヴェア軍が来たぞっ!」
 叫ぶ男の口元は、人の形をしていなかった。ビーワナにある、発達した牙や犬歯でもない。
 ギチギチと鳴るそれは、甲虫の顎の形。
 赤の後継者である。
「な、なんでここがっ!」
 入口にいた複眼の男も声を上げるが、彼が非常口を開けるよりも早く、一人の女が押し込んでくる。
「はいはい、大人しくする!」
 豹の耳に片目を眼帯で覆った女は、フェアベルケンのビーワナ種。赤の後継者の対極に位置する、青の力を受け継ぐものだ。
「な……なんだ……? お前ら」
 それに続くのは、銀髪の少女と、二メートルを超える片腕の巨漢。
「グルーヴェ王家の者だ。赤の後継者に、退去勧告を出しに来た」
「退去……戦う気まんまんで、何を言うか!」
 片目の女は革鎧だけの軽装だが、残る二人は銀色の甲冑と血色の大鎧をまとった完全な戦闘態勢だ。
「交渉が決裂したら危ないからね。保険ってやつさ」
 対する赤の後継者達は、辺境の一部隊、二十人ほどの集まりに過ぎない。装備も物資も乏しく、まともな戦いになれば勝ち目はないだろう。
「それに、俺達にどこへ行けと?」
 呟いたのは、この一団の長らしい六本腕の老人だった。
 行く場所がないからこそ、彼らはこんな地下組織に甘んじているのだ。殺す気がないなら、どこに行けというのか。
「ここより、きっと良いところさ」
 豹族の女は薄く笑うと、胸元から一枚の羊皮紙を取り出してみせる。
「ちなみに、あんたらのボス……レッド・リアのロード・シェルウォードからされた依頼なんだがね」
 ひらひらと振られる羊皮に、老人は四つある目を見開いた。そこに押された印章は、間違いなく後継者達に伝わる印の最高位。赤の箱船の長だけが描くことを許された物だったからだ。
 もし偽造されたものなら、レッド・リアの中枢かそこに近い誰かが青に下ったことになるし、正しく作られたものなら信頼するに値するだろう。
 そもそも、この拠点が見つかった時点で、彼らに選択肢はないのだ。
「……話を、聞こうじゃないか」
 六つの肩を力なく落とし、老爺は静かにそう答えるのだった。


『ロゥ達は冒険者に戻りました。
 ウォードが赤の泉を止めてくれたので、当面の危険はなくなったのですが……。
 しばらくはグルーヴェのあちこちを回って、雅華達の手伝いや、トラブルの解決に協力してくれるそうです……』

「ここは交渉成立……っと」
 そう呟くと、ロゥはテーブルに広げたグルーヴェの地図に木炭で丸印を描き込んだ。
「次はどこだ? ベネ」
 木炭を紙に包み直してポケットに放り込むと、お茶を片手に資料を眺めているベネに問い掛ける。
「東の泉が止まってるのは確認したっけ?」
「三日前にしてる。ボルドワの二つセットになったやつだろ?」
 グルーヴェ全土に点在する赤の泉は、赤の箱船からの指令で全て止められていた。ウォードの、ちょっとした心遣いである。
「なら北だね。ちょっと大きい集落になるみたいだ」
 レッド・リアから提供された組織の資料によれば、百人単位の集まりになるらしい。部隊としての体裁も整っており、ロゥとベネだけでは何かあった時に苦戦する可能性が高い。
「ごはん来たよー。とりあえず食べようよー。あたし、お腹減っちゃったー」
 シグの言葉に店の奥を見れば、厨房から料理が運ばれてきていた。作戦会議は後にして、四人は少し遅めの昼食にすることに。
「誰か応援を呼ぶかい?」
「そうだなぁ……。ハイリガード。近くに誰かいるか?」
 獣機は、味方の位置を把握する力を持つ。連絡を取ることも出来るから、近くに味方がいれば応援を頼むことも難しくない。
「ちょっと待ってね」
 パスタを飲み込み、ハイリガードは瞳を閉じて意識を集中。
「えー! 何であたしに聞かないのー?」
 話の中に一度も名前が出てこなかったもう一人の獣機が上げるのは、非難の声。
「お前、アテにならないもん」
 今のハイリガードと同じ仕事を頼んだとき、一日と一刻を間違えて大変な目にあったのは……つい先日の話だ。
「ひどっ! ベネ、ロゥがひどいこと言う!」
 涙目で相棒にすがりつくシグだが、肉を切り分けていた相棒が呟くのはたったひと言。
「……間違ってるのかい?」
「ちょっとシグ、うるさい……」
「みゅぅ……」
 こちらもひと言でシグを黙らせておいて、ハイリガードは再び意識を集中させる。
 カースロットとシスカは三日の距離。
 ドゥルシラとグレシアは、一週間はかかる。
 オルタ・リングは王城にいるので論外。
 残るは……。
「……げ」
 短く呟いたその時、一同に掛けられたのは穏やかな声だった。
「あ、お兄ちゃーん」
 コーシェの猫、徒歩五秒の距離。
「おう、コーシェ」
 戦棍を背負った青年に連れられて、フードの少女がぱたぱたと駆けてくる。
「どうしたんだい? イシェとコーシェは、もっと東側の担当だったろ?」
「うん。お仕事早く片付いたから、お兄ちゃん達を手伝おうと思って。ネコさんに聞いてみたの」
 コーシェの足元、小さな猫が誇らしげににゃあと鳴く。
 はにかみながら微笑む少女に、ロゥも笑顔で……
「そっか、ありががががががががが」
 笑う口元が、容赦なく引っ張られた。
「何よ! お兄ちゃんとか言われてニヤニヤしちゃって!」
「ががががが! がががっっががががががが!」
 一片の加減もないハイリガードの引きっぷりに、ロゥはまともな言葉を喋れない。悲鳴を上げたいようだがそれすらも歪められ、聞き取ることは不可能だ。
 ベネがニヤニヤと笑い、イシェは肩をすくめる中、コーシェは小さく首を傾げる。
「? リッちゃんも、お兄ちゃんって呼びたいの?」
「ちっ! ち、ちが……っ!」
 慌てたハイリガードは、手をブンブンと振り回し。
 その先端で口元を掴まれていたロゥの悲鳴は、可聴領域をあっさりと越えた。
「っていうか何よ! リッちゃんって!」
「エミュちゃんから教えてもらったんだけど……そう呼んじゃ、ダメ?」
 問い掛けるコーシェの表情には、ひとかけらの邪気もない。そんな彼女に意地悪をするのは、いくらなんでも八つ当たりが過ぎる。
「う……。好きに、しなさいよ」
 仕方なしにロゥから手を離し、ぷいとそっぽを向いてしまうハイリガード。
「うん! ありがとね、リッちゃん!」
 満面の笑みを向けられては、それ以上文句を言うことも出来ない。
「大人気だな、ロゥ」
 イシェはそう言いながら、ロゥの隣に腰を下ろす。もちろん、ロゥとの間に一人分の隙間を空けることは忘れない。
「……あんまり嬉しかねえけどな」
 引っ張られた頬がまだ痛いらしい。ぼやきながらその辺りをさすっていると、ロゥとイシェの間にコーシェがちょこんと納まりに来た。
 ロゥを見上げて、にっこりと笑う。
「何よ。こんな可愛い子にお兄ちゃーんって呼ばれてデレデレしてるくせに」
 それが面白くないのか、ハイリガードはそっぽを向いたまま。
「あ、こういうの知ってるよ! ヤキモチ、っていうんだよねー? ベネ」
「おお、たまには当たってる事言うじゃないか」
 ニヤニヤ笑いの止まらないベネの言葉に、少女はがたんと席を立ち上がる。
「だっ! 誰がこんなっ! こんなっ!」
「がががががががあがっがががががあがあがが」
 今度はさすっていなかった方の頬を引っ張られ、再びロゥの悲鳴は可聴領域を越えた。
「じゃあ、フタマタ?」
 小さな暴君がシグの言葉に動きを止めた隙を突き、ロゥは慌てて頬の軛を解き放つ。
「い、言わねえっ! 俺はフリーだっ!」
 必死にフォローするが。
「なにそれっ! どういう意味よロゥっ!」
「がががががあがっがががががあがあ」
 あっさりとハイリガードに捕らえられ、三度可聴領域を越えるロゥの悲鳴。
「あーあ。ロゥもとうとうそっちの方向にねぇ」
 種族の違いで、未だにロゥの悲鳴が聞こえるのだろう。腹を抱えて笑うベネは、コーシェにイタズラっぽく微笑みかける。
「コーシェぇ。お兄ちゃんと二人っきりの時は、気をつけなさいねー?」
「ふにゃ?」
「ちょっ! テメ、何吹き込んでっ! がああっ!」
 昼食前のささやかな戦いは、もう少し終わりそうになかった。



続劇
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