12.第二次ラーゼニア会戦 「それでは、行ってくるわ」 レヴィーの城門では、少女が出発の言葉を告げていた。 送り出すのは正装をまとった老人ただ一人。急な帰宅に急な出発が続けばこんなものだろう。見送られる側も、あっさりしたものだ。 「お気を付けて。グレシア、お嬢様の事、頼みますぞ」 送り出される側に立つのは少女の隣にもう一人。メイド服をまとった娘がいる。 「……ま、努力するわ」 浮かべる表情は苦笑ひとつ。頼まれはするが、何とかできる保証はあまり、ない。 主が彼女一人で何とかできる性格ならば、アークウィパスになど行かないだろう。 これから戦場となる事が分かっているような場所へ。 「必ずあのバカを連れて帰ってくるから。行くわよ、グレシア」 「はいはい」 その言葉と共に娘達の姿がかき消え、代わりに現れるのは見上げるほどの巨大甲冑だ。 音もなく開かれた翼が、轟音を残して空へと舞い上がる。 残された執事は、長いため息をひとつ。 「レヴィー・マーキス。貴殿が居て下されば……お嬢様達も、戦場になど行かずに済んだのでしょうか」 言っても詮無き事と知りながら、男はそう呟かずにはいられないのだった。 それから、数日の後。 「邪魔をする」 白亜の小屋に入ってきたのは、長い銀髪の少女だった。 声を掛けた先には三人の娘がいる。うちの二人は思い思いにくつろいでいる様子だったが、残る一人は……。 「ベネンチーナ。イーファの様子は、どうだ?」 「相変わらずさ」 部屋の隅にうずくまったまま、微動だにしない。 「……そうか。少しは元気になっていれば、と思ったのだがな」 イーファがこの状態になって既に三週間。ちょくちょく顔を出し、シェティスも声を掛けているのだが、元気になる気配もない。 家族と慕っていた娘を自分の所為で失う羽目になったのだ。そんな少女を無理に引きずり出すわけにもいかず、こうして消極的な態度を取る事になっていたのだが……。 「何か、良い匂いするねぇ。パイ?」 二人でそんな事を話していると、三人目の娘が寄ってきて、シェティスの持っているバスケットに顔を近付ける。 「卵が手に入ったから焼いてみた。確か、イーファの好物だったはずだから」 焼き上がってすぐに持ってきたのだろう。バスケットの中身はまだほんのりと湯気が立ち上っている。 「……王都の本隊が来たんだね」 静かなベネの言葉に、シェティスは黙って頷く。 「ここは裏手だから、正面から連中が来る分には平気だと思うが……。鍵も開けておくから、状況が悪くなったら勝手に逃げてくれよ」 相手は恐らく万を超える。その中には王国中から集められた獣機や魔術師もいるだろう。 いかに革命派が獣甲使いを擁していても、万能ではない。数で押し切られるだろう事は火を見るより明らかだ。 この小屋は本陣よりも裏手にあるから、本陣が陥とされてから動いても間に合うとは思うが……。 「そうするよ。あ、その鍵もらえるかい? 前に、開けといたはずの鍵を掛け直したバカがいるんでね」 「ぶー」 ちらりと送られた視線に、パイを片手に頬を膨らませるシグ。 「って、速攻食ってんじゃないよこの子わっ!」 「きゃー。ベネがあたしのパイ取ったー!」 「お前のじゃないっ! イーファんだ!」 「それから」 思い詰めたようなシェティスの言葉に、パイ一切れを巡って取っ組み合っていた少女達はぴたりと動きを止めた。 「こんな事を言える立場ではないが……」 銀髪の娘はしばらく言い淀んでいたが、意を決したように言葉を紡ぐ。 「イーファを、頼む」 そう言ったきり、続く言葉はない。 「ああ。だから、あんたも死ぬんじゃないよ」 答えるベネは笑みひとつ。 もっとも、取っ組み合ったままの姿勢では、今一つ様にならなかったのだが。 そこから半里の距離を置き、グルーヴェ軍の本隊は陣を敷いていた。 総兵力三万。保有する獣機は百五十騎。グルヴェア全土で稼働中している獣機の約半分に相当する、大兵力だ。 「イシェ。敵の様子は?」 その大陣営の中心で、男は悠然と呟いた。 頭の両側に伸びる大きな平たい角は、鹿族のビーワナである事を。軍服に下がる紋章は、将軍の地位にある事を示している。 「歩兵・騎兵はアークウィパスの外郭に布陣している様子。獣機も同じく最前線に」 「後で出してくると思ったが……何かあるな」 後に控える青年の言葉に、訝しげな表情をしてみせる。 敵軍を指揮するのは、かつては共に戦った戦友だ。指揮の癖も知り尽くしている。 絶対に正面から来るはずがないと思っていたが、意外にも正面から迎え撃つ気らしい。 「まあ、いいだろう。アルジオーペ、王党派から鹵獲したヴァーミリオンは使えるのだろうな?」 「はい。レヴィー・マーキスによって、調整済みですわ。配置も完了しています」 こちらの問いに答えたのは、軍師の席に控えた妖艶な美女だった。 グルーヴェ軍の陣地に置かれている獣機の大半は同型のギリューだが、最前衛には赤い装甲を持つ細身の獣機が数騎並んでいる。 先日の王党派との戦いで回収していた王党派の主力獣機、ヴァーミリオンだ。 「なら、連中の挑発に乗ってやろうではないか。総員、出撃!」 一方、半里の距離を隔てたアークウィパス陣営。 「動き出しましたか……」 伝令の報告に、有翼獅子の青年は静かにそう呟いた。 「間違いなく本命だよ。先遣隊がフェーラジンカの紋章を確認した」 こちらの軍師も美女である。もっとも眼帯と黒い軍服をまとった乱暴な物言いは、軍部派軍師の妖艶とした雰囲気とはほど遠い、対照的な様相を呈していたが。 「皆の配置は?」 「シェティス隊、クワトロ隊、他も配置完了してるよ。いつでも行ける」 「なら、我々もさっさと出ましょうか。アークウィパス本体を危険にさらすのは得策ではないでしょうから」 何しろ相手は空前の規模を持つ大部隊だ。獣機も兵士も精鋭を揃えたつもりではあるが、数に押されてはそれほど保つとも思えない。 その上、相手にはレベル3という切り札がある。 「予定通り、かね?」 立ち上がった青年に、天幕の隅にわだかまっていた闇が言葉を掛けた。 黒外套の青年と、それに寄り添うように腰を下ろす黒髪の少女だ。 「はい。クロウザ殿。手筈通りでお願いします」 「承知した」 ばさり、と一際大きく闇が舞い、それが消えた時には、クロウザの姿も、ジークの姿も消えているのだった。 アークウィパスに向かう街道を、駆け抜ける影があった。 馬車だ。 もともとアークウィパスは辺境の地である。その上、大規模な行軍があった直後となれば、通る者など誰もいないはず。 そんな空いた街道を、四人乗りの古い馬車は全速力で駆けている。 「もう始まってるかな」 ガタガタどころかギシギシと軋みを上げる馬車の上、呑気に呟いたのは一行の中で一番小柄な少女だった。 少女どころか子供と言っても通じるだろう。さらに場違いなのは、砂の多いこの地にはそぐわないひらひらの侍従服……いわゆるメイド服を着ている所だ。 「さあ。出来れば、負ける前には合流したいけどね」 答えたのは、対照的な装いをした少女だった。 ゆったりとした露出の少ない服をまとい、腰には短剣を差している。グルーヴェに住まう砂漠の民と言っても通じる格好だ。 「それにしてもオルタ様、良かったの? この先は危ないよ?」 答えたのは、板張りの席に着いていた三人目の少女だった。 「構いません。フェーラジンカもジークベルトも、互いに戦うべきではな……」 そこまで言って、オルタは口をつぐむ。 どうやら、揺れる馬車に舌を噛んだらしい。 「ソカロ、ちょっと」 「ひえ、ほひひなならふ」 口元を押さえつつも、舌を噛んだオルタは御者に声を掛けようとするマチタタを止めた。時間は一刻を争う。馬車の速度を速める事こそあれ、遅くする事などあってはならないのだ。 だが、御者席に座る男からの反応はない。 「もう、ソカロってば」 「ん? ああ……どうした?」 何度か声を掛けて、ようやく青年はこちらを振り向いた。 「大丈夫? しっかりしてよ、全く」 「ああ。大丈夫だ、気にしないでくれ」 少女達の言葉も上の空といった様子で、ソカロは馬車をさらに加速させる。 |