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11.クロス・オーバー

 日が、落ちた。
「……そう」
 ほのかな月明かりの中、スクメギにはうっすらと湯煙がたなびいている。
「私と似ているわね、貴女は」
 ぱしゃり、と暖かい湯をもてあそびつつ、イルシャナは柔らかく呟いた。
「そうなのですか?」
 広い露天風呂、隣り合って湯につかるのは、グルーヴェの第一王女だ。
 初めて浸かる温かい湯に最初はおっかなびっくりだったオルタだが、ものの五分もすればすっかり警戒はなくなっていた。
 砂漠ばかりのスクメギではあるが、近くに温泉の沸く場所があるらしい。そこから、イルシャナ自ら湯を分けてもらってきたのだという。
「私がこの力に目覚めたのも、いきなりだったから。何も教えられないままに、ね」
 人ではない存在だと知って傷つきもしたし、悩みもした。しかし今では、その力を理解し、使いこなす術を身に付けつつある。
「そう……ですか」
「でも、貴方の方が何倍も辛いわね」
 軍部に革命派、そして後継者と、オルタのまわりは敵だらけ。しかも、手に入れた力はイルシャナのように味方となってくれる力ではなく、忌むべき赤の力なのだ。
「オルタ・リング。心を許せる味方を作りなさい。ソカロや、コーシェのような部下を、一人でも多く」
 はい。
 オルタはそう呟き、傍らの少女の肩にことりと頭を寄せかけた。
「イルシャナ様は、おられるのですか?」
 だが、少女は答えない。
「イルシャナ様?」
 不思議そうに問い掛けるオルタに、イルシャナははぁとため息を吐く。
「オルタ……格下の者に、敬語は止めた方がいいわ。敬語が抜けないなら、せめてイルシャナと呼んで」
 筆頭であるココ王家がうるさく言わないせいか、ココの貴族が公式の場以外で敬語を使う事はあまりない。イルシャナもその一人だが、他国にその常識が通用するかは疑わしい所だった。
 いずれにせよ、グルヴェア王族ともあろう者が他国の貴族を様付けで呼ぶのは問題があるだろう。
「そう……ね」
 言われてそれもそうだと思い、オルタは言葉を選びながら問い直す。
「イルシャナは、いるの? そういう人が」
「ええ。みんなココや、遠くに出掛けているけれど。私が困った時は、力になってくれるわ」
 彼女達がいたからこそ、イルシャナはこうして生きていられるのだ。さらに言えば、フェアベルケンの命運を賭けた戦いも、皆がいたからこそ無事に生き抜く事が出来た。
「ああ、もちろん、ウシャスもその一人よ」
 脱衣所の入口に控えている少女に笑いかければ、ぼんやりと立っていた少女もふわりと微笑みを返してくれる。
「でも、一番助けになってくれたのは……」


「エミュ・フーリュイ?」
 出された名を、ソカロは口に出してみた。
「ええ。かつてスクエア・メギストス様の側近として創られた、偉大なパートナーですわ」
 半ば廃墟と化したスクメギの柱に腰掛け、メティシスはその名を愛おしそうに呼ぶ。
 古代の記憶を受け継ぐ不死鳥族のビーワナ。
 メティシスやイルシャナと同年代の冒険者だが、今はさる任務で北方のセルジーラにいるのだという。シーラ直属のロイヤルガードの一員として。
「私とも仲良くしてくれて……。古代では、赤を呼ぶ時の相談にも乗ってくれたのですよ」
「……へ?」
 言われ、ソカロは首を傾げる。
「メティシス。獣機……スクエア・メギストス達が創られたのは、戦争末期では?」
 獣機が造られたのは、数百年に及ぶ赤との戦いが泥沼化した戦争末期だと聞いた。
「そうですわよ? それが?」
「でも、側近のエミュ・フーリュイは戦前から……?」
 魂を生物から鋼に移したという獣機の本質からすれば、イルシャナが獣機開発以前から生きていた事自体はありえない話でもないが……。
「ソカロ様。おっしゃる事が、良く分からないのですが……」
「???」
 不思議そうな顔をするメティシスに、ソカロは言葉を続けられない。
 だが、青年のその思考も、唐突な衝撃に中断を余儀なくされる。
「何だっ!?」
 地震ではなかった。強いて言えば獣機が急発進する時の揺れ方に近いが、こんな静かな夜にそんな出撃をする獣機などいるはずがない。
「ソカロ様! あれ!」
 メティシスの指先を追えば、天を真っ二つに裂いて上昇する灰色の軌跡が見えた。
「アノニィか……?」
「ソカロ様! メティシス!」
 ソカロがそう思った瞬間、遺跡の奥からその少年自身が駆けてくる。
「僕のグレイ=ドールが……っ!」


「……ごめんなさいね。オルタ」
 頬を寄せて甘える少女の肩を、イルシャナはゆっくりと抱き寄せ、そう呟いた。
「剣を突きつけた事ですか?」
「それもだけれど」
「気にしてませんから。私が同じ立場でも、そうしたと思いますし」
 何せ、赤の後継者の女王候補なのだ。警戒されるのは当たり前。こうして同じ風呂に入れるなど、閉鎖的なグルーヴェでは有り得ない事だ。
 だがイルシャナは、そうじゃなくて、と苦笑。
「ここにシーラかアリスが居れば、もう少しいい話を聞けたのに、と思ってね」
 さっきの話もアリスの受け売りなのよ、とくすりと笑う。
「シーラ様とアリス様、ですか」
 今はどちらも王都にいる。グルーヴェの王族が訪ねてきたのだから、本来であれば彼女達が相対するのが筋なのだろうが……。
 貴人を転移魔法で呼びつけるわけにもいかないし、かといってオルタも王都まで行ける余裕があるわけではない。
「いえ。それは、グルーヴェが平和になってから、ゆっくりと聞かせてもらうことにします」
 出来れば、もう一度この場所で。
 微笑むオルタに、イルシャナも穏やかな笑みを浮かべるのだった。
「そうね。私もシーラも、その日を楽しみにしているわ」


 浴場に巡らされた板塀の向こう。
 二人の話を聞きながら、ネコ族の二人組はほぅとため息を吐いていた。
「会談は無事に済んだみたいね。ちょっと意外な展開だったけど、寄った甲斐があったわ」
「へー」
 穏やかな言葉に、気のない返事。
「もう、まだ気にしているの? マチタタ」
「だってムディア、任務が終わるまで帰らないって言ってたじゃない。なのに一人で姫様に会いに行っちゃうんだもん。ズルイよ」
 ココ王城で顔を合わせてから、マチタタはずっとこの調子なのだ。ムディアが情報収集で王都へ戻った事に、よほど気を悪くしているらしい。
「必要だから帰ったまでよ」
 マチタタはアリスの寝所に一晩居座っていたようだが、ムディアは中間報告を行っただけで、その後アリスとは顔も合わせていない。
「二人とも!」
 二人でそんな事を話していると、下の方から男の声がした。
「あー、ソカロ。ここ、だんしきんせいだよー」
 浴場は少し高台に置かれている。ソカロがいくら長身とはいえ、高台と板塀に隔てられた女湯を覗くのは不可能だ。
「そんな事言ってる場合じゃないっ!」
 そう叫び、長身の青年は躊躇無く駆け出した。
 高台を作る石垣を蹴り、一息に板塀へ。
「敵が来るっ!」
 ソカロが叫んだその瞬間、天を衝く衝撃が辺りを突き抜けた。
「きゃああっ!」
 巨大な影が宙を駆け、夜の闇を白く切り裂き、板塀を吹き飛ばして飛翔する。
 昼間、ソカロ達をスクメギまで連れてきた、灰色の獣機だ。
「ちっ、弾かれるか」
 ムディアも自らの鎖を放ち、相手を近寄らせまいとするが、もともと彼女の鎖は対人戦武器の性格が強い。止まっていればまだしも、高速で動いている機体を捕らえる事は難しい。
 その上パワー勝負に持ち込まれては、敵うべくもなかった。
「イルシャナさまっ! 僕のグレイ=ドールが敵に……っ!」
「遅いよ! アノニィ、メティシス!」
 慌てて駆けてくる少年と少女を一喝し、マチタタもソカロに続いて武器を構える。
 アノニィ達を追い、数名の黒甲冑が姿を見せたからだ。
「ムディアは姫様達を! ここは俺達が!」
「仕方あるまい。分かった!」
 ムディアは鎖を引き戻し、イルシャナのもとへと駆け寄ろうとするが……。
「……必要ないわ」
 オルタを庇いつつ、スクメギの女主人は天を駆ける灰色の獣機を見上げたまま。
 いつの間にまとったのか、二人の裸身は薄手のローブで隠されている。
「ソカロ・バルバレスコ。貴方は昼間、私達の超獣甲を不完全な技術だと言ったわね」
「何を、こんな時に……!」
 湯殿は完全に灰色の獣機の射程だ。ムディアの鎖は通じなかったし、マチタタの攻撃は届かない。ソカロに至っては、ティア・ハートすら持っていなかった。
 十メートルの巨人という単純で圧倒的な力の前に抗える力は、今の彼らにない。
「確かに私達は紛い物だわ。青が特機を作れなくなった後、涙の宝石から作られた代用品」
 イルシャナの言葉に、ソカロは昼間語られた話を思い出す。
「だから、それが……」
「見せてあげると言っているのよ。紛い物の私達が、どうやってオリジナルを倒したか……ウシャス、超獣甲!」
 そして、獣機王はそばに控えていた少女の名を呼んだ。
「Yes. My Queen」
 ウシャスから放たれた黄色い柔らかな光がイルシャナを包み込み、やがて二人は一つに重なり合う。
 獣機でありながら、獣機をまとう。それが、獣機の支配者としてイルシャナに与えられた力。
「ムディア。クロスオーバー・イメージ、任せて良いわね?」
「承知」
 皇帝黄玉の装甲に身を包んだイルシャナは、右手に鋳込まれた巨大な戦杭をゆっくりと構えた。
 その動作をフォローするように、湯殿の中から飛び出した水の鎖がイルシャナの肢体に絡み付いていく。
「見ていなさい。本当の超獣甲の使い方を」


 そのはるか上空。
「ふむ……これが、白の特機か」
 悪くない。
 それが、黒甲冑の男の第一印象だった。
 灰色の巨大歩兵は男の意志に応じ、自在な動きをしてくれる。構造もフォルミカ達が本来使っていた機体に近いらしい。性能の全てが、青の『紛い物』をはるかに上回っている。
 コルベットから姿を消したオルタを追ってみれば、意外な拾い物だった。
「レッド・リアが復活するまではヴァーミリオンではなく、これを使うのも手だな」
 白の箱船に残された機体は少ないだろうが、さしずめ一機持ち帰れば十分だろう。
 彼らの母船が蘇れば、他の箱船の特機や紛い物ごときに頼る必要は、無くなるのだから。
「手始めに、この街を滅ぼして……オルタ・リングを取り戻す!」
 それを反撃ののろしとするのも一興。
 だが。
 その野望がかなえられる事は、無かった。
 目の前に現れた小さな影。
「な……ッ!」
 回避行動を取ろうにも、機体が動かない。
 大気から現れた銀の鎖に囚われ、身動きが取れなくなっているのだ。
 先程弾き飛ばした鎖とは、段違いの力。
「……貫きなさい」
 イルシャナの右腕が輝き……。


「く……ッ。つよ、過ぎるっ!」
 鎖を通して流れ込んでくる圧倒的な力に、地上のムディアは歯を食いしばっていた。
 上空数百メートルの高みでは、イルシャナがウシャスの力を解放して戦っているはず。
 そこで生まれる余分な力をムディアのオーバーイメージとして形作っているのだが、ほんのわずかな力のはずなのに、ムディアにとっては体が砕かれそうなほどの負荷となっている。
 広い湯殿の水全てを操ってもなお余る、桁外れの力。
「ムディアさん!」
 強い負荷に血が滲みはじめたムディアの手に、柔らかな手が重ね合わされた。
「オルタ様……」
 薄絹をまとった、オルタ・リングだ。湯殿の中央、水の鎖を制御するムディアの傍らに、そっと立つ。
「私も、力を……」
 柔らかな手は弱く、儚い。ティア・ハーツの使い方はおろか、戦い方すら知らぬだろう、細い手だ。
「ありがとうございます」
 けれど、それだけでも十分な強さがあった。
 湯殿の水が大きく渦巻き、さらなる鎖を生み出して天を駆け登る。形作る力と、制御する意志が揃えば、苦しい事など何もない。
「行け!」
「イルシャナっ!」
 黄金に輝く鎖を伝い、少女の叫びが木霊する。
「ギルチック・バンカー!」
 黄金色の鎖をまとう影の放つ一撃が、灰色の巨人を打ち貫き。
 空中に、大きな爆光を咲かせるのだった。


 次の日。
「ここまでしか送れなくて、ごめんなさいね。オルタ様」
「いえ。こちらこそ、突然押しかけてご迷惑をお掛けしました。イルシャナ」
 見送りのイルシャナに、オルタは小さく一礼した。はにかむ少女の頬は、わずかに紅く染まっている。
 場所は既にグルーヴェとの国境。先日の戦いでアノニィのグレイ=ドールが失われてしまったため、一同は獣機王であるイルシャナ自身によって送られていた。
 イルシャナが進めないここからは徒歩、目的地はアークウィパスとなる。
「ソカロ・バルバレスコ。皆も、オルタ様の事を頼むわね」
 オルタの旅の伴となる三人も、それぞれの言葉で承諾を返す。
「それじゃ、本当に気を付けてね」
 そう言ったイルシャナの背中に広がるのは、純白の大きな翼。それをひと打ちして軽く宙へ舞い上がり、イルシャナは思い出したようにソカロに向けて手を伸ばした。
 ソカロからも伸ばされた手を執って身を寄せ、青年の耳元に小さな唇を近付ける。
「ソカロ。もし、私が皆の前に立ち塞がるような事があったら……」
「……何!?」
 これを使って、躊躇無く討ちなさい。
 イルシャナは確かにそう言った。
 ソカロだけに聞こえる声で。
「ちょっとおい! そりゃどういう意味だ! それにこりゃ何だ!」
 叫んだ時には、少女の姿は既に無い。
「それは貴方の物です!」
 天を打つ白い翼、空の彼方から聞こえてくるのは、答えにならないそんな言葉だけ。
 ソカロの手にあるのは、翠青の宝珠。
 忘れようはずもない。それはかつて、ソカロがロイヤルガードを抜けた時に返上したはずのティア・ハート。
 彼のサーベルに納まるべき、風の魔石だ。
「俺達が来るのは全部お見通しかよ! 畜生、だから王族って奴らは!」
 叫ぶソカロの問い掛けは、蒼穹に消えた獣機王に届く事はない。


 はるかな空の高み。
「マックスハートにクロスオーバー。自らの喉を突く剣を与えますか……。恨まれますな、閣下」
 灰色の獣機の手の上で、蛇族の老爺は静かに呟いた。
 白い箱船に残されていた、別のグレイ=ドールである。こんな状況だ。いかに無敵の獣機王とはいえ、イルシャナ一人を国境まで行かせるわけがない。
「仕方ないわ。このまま行けば、私と彼らは戦う事になるのだから。私は、あの子達を殺したくないもの」
 だが、そうしなければフェアベルケンは滅びの時を迎えてしまうだろう。
 それだけは絶対に避けねばならない。
 そして、彼らが歴史の贄となる事も。
「トーカ様は何と?」
「宮廷占い師は貴方でしょうに」
 苦笑する老爺に、イルシャナの表情は静かなもの。
「……希望はどこにでもある、そうよ。だから私はこの瞬間の最善を尽くすの」
 そして、白い翼の運命の子は、蒼い空に詩を謳う。

−王は炎を伴と成し 后は風を従える−
−王は貫抜き 后は太刀斬り−
−無塵と化した荒野を往くは−
−其れ 王の中の王のみ……−

「大戦の最中に生まれた私は、ただ王の中の王に従うだけ。アリス達には、見習って欲しくないわね……」
 もっとも、彼女はそんな運命なんて歯牙にも掛けないでしょうけれど。
 偉大なる獣機の王は、静かにそう笑うだけ。



続劇
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