10.混迷する戦線 「うわぁ、ホントにやってるねぇ」 はるか上空から眼下を見下ろし、街娘はのんきな声を上げた。 ひらひらしたワンピースに厚底のブーツ。ココの王都でも歩いていそうなそのスタイルは、黒羽根の怪獣機と黒外套の怪青年の組み合わせに並べて置くにはあまりにミスマッチ。 しかし、それが少女のスタイルだ。本人も全く気にしていない。 「アイディの情報収集、流石というべきか」 リーグルー商会のツテで情報を集め、革命派の動きを見定めたのは……この場にいないネコ族の少女だった。 彼女は今、遠く離れたレヴィーの地にあるはずだ。 「ミーニャは、攻め手側の将に用があったのだったな、確か」 「うん。手伝ってもらって、悪いねぇ」 ミーニャが間違えて売ってしまった雷のティア・ハートの回収である。それを取り返さないことには、ミーニャはココに帰れない。 仮に帰れたとしても、命の危険が危なかった。 「これも縁だ。気にするな」 いつもならここで黒羽根の獣機の嘆息が入る所だったが、今日は珍しくそれがない。 「……クロウザ様。麒天の反応が」 代わりに、静かな報告が来た。 「ほぅ。こちらにも収穫があったようだ」 「へぇ。良かったねー」 うむ、と短く答え、クロウザは獣機の行く手を大地に向ける。 「では、まず貴公の用件から片付けようか」 加速を強めた漆黒の翼は、一路、アークウィパスの最大の激戦区めがけて飛翔を開始した。 アークウィパス内郭、城門前へと。 石造りの牢屋の半分が、わずか一太刀で吹き飛ばされていた。 「アンタがハイリガード達を呼んだんだな……」 砕けた牢と残った牢の境目に立つのは、各所に装甲の埋め込まれた外套をまとう少年だ。 「赤兎!」 真横に構えた重矛は、少年の丈をはるかに越える剛剣を受け止めたまま。 本来なら牢屋全てを一撃で吹き飛ばす斬撃だったのだ。その強烈な破壊を、矛の一打で完全に止めている。 「そうだ」 剛剣を横薙ぎに支え、赤い仮面の男は静かに呟いた。それが、ロゥのどの言葉に対する答えなのかは分からなかったが。 こちらもまとうのは鬼神を模した重装の甲冑。 超獣甲の名を持つ、人外の力。 「……イーファ」 深紅の鬼神を正面に見据えたまま。純白に包まれた少年は、背後の少女の名を呼んだ。 「ここに駐留してる部隊で、俺とベネ以外に超獣甲出来る奴は何人いる?」 問われ、イーファは獣機の中で一瞬思考。 「超獣甲が出来るほどの人なら、コルベットの攻略に加わってるわよ……って、まさか!」 すなわち、この場に獣甲使いに対抗できる戦力は、ないという事だ。 「少なくとも、革命派にはもう一人いるぞ」 銀色の髪をなびかせた、銀翼の騎士の姿を思い出す。 赤兎が居るということは、恐らく彼女もここにいる。 「……ここ、任せていい?」 「ああ。そっちは任せた」 超獣甲を使えないイーファが、超獣甲を使うシェティス相手にどこまで出来るかは分からない。しかし、ベネがいない以上、この場で頼りになるのは彼女だけだ。 「キミも、その赤いのやっつけなさいヨ!」 残っていた牢屋の半分を飛翔の衝撃で吹き飛ばし、イーファは天へと駆け上がる。 「お喋りは済んだか?」 その衝撃にも微動だにせず。 疾風の中、深紅の鬼神は静かに問い掛けた。 「ああ。待たせたな……ドラウン!」 純白の騎士も逆巻く風に外套をはためかせ、疾走を開始する。 縦横に戦場を駆けながら、ベネは相方に叫んだ。 「シグ! あと何騎!」 視界に映る獣機は二体。しかし、それが敵陣の残る全てかどうかは記憶にない。 「いま八騎倒したから、残り、二騎だよっ!」 「上等!」 こちらの増援は恐らくないだろう。外郭の奥に入り込んだ敵の迎撃に向かったと、通信があったからだ。 だから、この場の獣機は本当にベネとシグだけで倒さねばならない。 残りは二体。 その数を、削られた記憶に再び刻み直す。 ちらりと視線を周囲に巡らせば、まだ味方の部隊は敵歩兵達ともみ合っている。残る獣機が並の相手なら、味方が無事なまま決着が付けられるはずだ。 「残り二体なら、一気に行くよ! 限定解除!」 それに弾みを付けるべく、ベネは一枚目の切り札を切る。 「はーい。カウンタ、180から始めるよー」 心に響く声に合わせるよう、双剣の片方が黒く輝き、黒い炎が吹き出した。 三分間だけの力で連続使用も出来ないが、最低限の負担で数倍の攻撃力を持つことが出来る。 「おうっ!」 加速と共に二式ギリューに突っ込み、気付いた相手の振り下ろす長剣をステップ一つで回避する。懐に入ってしまえば、巨大な獣機など隙だらけだ。 黒炎の刃を装甲の間を叩き込み、一気に両断。非常識な力だが、獣機と同等の力を持つ超獣甲だからこそ出来る芸当だ。 「あと、一騎!」 味方は健在。 崩れ落ちる二式ギリューを省みる様子もなく、ベネンチーナは最後の一騎に疾走を開始する。 アークウィパス内郭に続く城門前には、もうもうと砂煙が立ち込めていた。 凶兆を感じ、とっさに隊を下げたのが幸いだった。ジーク率いる本隊で今の爆裂に巻き込まれた者はいないらしい。 「な……何ですか、今のは」 だが、煙の中には『何か』の気配がある。相手の正体が分からない以上、近寄りようがない。 城門に取り付いた革命派に対する時間稼ぎなのか、それとも本当の秘密兵器なのか……。 「ラピスが獣機だと言っている。俺が引き受けよう」 そう思った所に、クワトロが進み出た。既に全身鎧を模した獣甲をまとっており、完全な臨戦態勢にある。 「獣機ですか……」 アークウィパスに残っている獣機は、先程シェティス達の所に出撃した分で全てと思っていたが……どうやら残りがあったらしい。 もっとも、疑似契約された二式が数騎残っていた所で、ジーク達にはさして脅威にはならないのだが。 「まあ、やってくれるっていうんだし、いいんじゃないの?」 「ええ。私達は先を急ぎましょう」 謎の砂煙をクワトロに任せ、ジーク達は迷宮へ引き返した。正門が戦場になるなら、回り込んで他の門に取り付いた方が早い。 「あいやまたれい!」 その時だ。 「……誰ですか、貴女は」 強い声で、ジーク達を呼び止める者がいたのは。 「バカな……」 黒煙を曳いて落ちていく二式ギリューの姿に、イノシシの男は呆然と呟いた。 「たかが一騎だぞ!?」 そう。相手はたった一騎。 それも、正規軍にも所属できないような駆り手のはずなのに。アークウィパスに駐留する獣機隊の指揮官を任せられた自分などとは、格の違う相手のはずなのに。 アークウィパスの本部から出撃した獣機隊一中隊十騎のうち九騎までもが、既に地に墜とされている。 「たかが……ッ!」 気付いた時には、銀翼の獣機は既に眼前。突撃戦を得意とする男の反応速度でさえ、獣機の繰り出す槍の軌道さえ見えなかった。 「相手の力量も測れぬ輩が、何を偉そうに!」 だが、九騎の獣機を端から墜とした神速の一撃は、指揮官の二式には届かなかった。 「……先輩」 受け止められていたのだ。 二騎のギリューの間に飛び込んだ、見知らぬ獣機の槍によって。 「な、何者だ、貴様!」 「グルーヴェ王国獣機師団所属、イーファ・レヴィー候補生! ここは引き受けます!」 「あ、ありがたい! 任せたぞッ!」 怒鳴り返された名乗りに気を許したのか、イノシシの男はあっさりとその場を離脱した。しかも逃げた方向はアークウィパス内郭ではなく、外の方向である。 敵前逃亡も良い所だったが、イーファもシェティスも、初めからそんな男に興味を持っていない。 「……久しいわね、イーファ」 イーファに最後に会ったのはラーゼニアの戦いだったろうか。あの時初めて乗ったはずのドゥルシラも、今では随分と動きが良くなっている。 「何度か連絡は取ろうと思ったんですが……」 ロゥから聞いた革命派の連絡先も、既に使えなくなっていた。個人的なツテを使って心当たりも当たってみたが、そちらからもシェティスには繋がらなかった。 「……止めた方が良いわ。軍に所属する貴女が自分達と繋がりを持てば、反逆罪と言われてしまう」 そう言われ、イーファは言葉を詰まらせる。 「……こちらに戻る気は、ないんですね」 それは、決別の言葉だった。 「ええ。戻れるとも思っていないし、貴女にこちら側に来て欲しいとも、思わない」 メルディアやロゥを前にしても、彼女は同じ事を言うのだろうか。 それとも、別の道を示すのだろうか。 「……ならば」 いずれにせよ、シェティスはイーファに選んだ道を告げたのだ。同じ道が選べない以上、イーファも覚悟を決めるしかない。 「ワタシは、先輩を止めさせてもらいます。グルーヴェの軍人として」 ゆらり、ドゥルシラの姿が歪み、その内より鎧をまとった少女の姿が現れ出でる。 超獣甲。 彼女の手に入れた、新たなる覚悟の形。 「ええ、来なさい。イーファ・レヴィー」 対するシェティスも銀翼の甲冑を現し、細槍を斜めに構えた。 イーファの覚悟を、受け止める為に。 「革命派のリーダー、ジークベルト殿とお見受けします」 ジーク達の一団の正面に立ったのはグルーヴェの正規兵ではなく、ごく普通の街娘だった。 「君は?」 戦場にそぐわぬその姿に、ジークは何となくだが見覚えがあった。確か、前に王都に行った時に、見た記憶がある。 「リーグルー商会の者です」 「ああ。思い出した!」 雷のティア・ハートを持っていた娘だ。辺境のグルーヴェでは滅多に見ない貴重な魔石を、ジークはあの店で手に入れたのである。 「実は、その雷のティア・ハートに手違いがありまして……買い戻させてもらえませんか?」 正直、こんな戦場の真っ只中に来てまでする話ではない。だが逆に言えば、それだけ急を要する用件という事なのだろう。 「理由は分かったけど、もうしばらく使わせてもらえないかな」 その言葉と共にジークは横へと飛翔。振り向きざまに左手をかざせば、その中には紫電を放つ小さな魔石がある。 「神鳴れ……」 わずか前までジークがいた位置では、五人の兵士が長剣を突き立てていた。どうやら、迷宮の壁の上を移動してきたらしい。 無論、兵士もミーニャも既にその場から飛び退いている。 「ミョルニルっ!」 「オーバーイメージ!?」 叫びに応じてジークの手の中に現れたのは、雷をまとう長杖だった。ハンマーを模したそれを敵兵に向けて構えれば、次の瞬間には雷光が舞い、五人の兵士を一瞬にして打ち倒している。 「というわけで、私は狙われていてね。用件が済んだら、必ず返すと約束しよう」 確かにオーバーイメージまで使うとなれば、特定の属性を持ったティア・ハートでなければ効果がない。 新たに壁の上を走ってきた兵士に向けてハンマーを構えれば、今度は雷光の代わりに爆裂が兵士達を吹き飛ばす。 「……いいじゃない。踏み倒しちゃえば」 それを放ったのはジークではなかった。 「ボンバーミンミ!?」 ミーニャの仇敵。炎の魔術師だ。 「ジーク。このお嬢さんはあたしが相手したげるから、貴方は門のほう破っちゃいなさい」 「それは、貸し一つという事ですか?」 ミンミには既に相当の貸しを作っている。彼女曰く「後でまとめて返してもらう予定があるから」とのことだが、何せ相手はフェアベルケン屈指の凶状持ちだ。 その『まとめて』がどのくらいの規模になるのか、ジークでさえ予想も付かない。 「私用だから、それはなくてもいいわ」 珍しいミンミの物言いに首を傾げるが、少女達の間には何かの因縁でもあるのだろう。 「そのアミュレットだけ持っていって。それを追跡して転移するから」 小さな腕輪をジークにひょいと放り投げ、軽く手を振る。 「じゃ、お任せします」 先程のミンミの言葉に従い、ジーク達はミーニャを置いてさらに走り出した。 乱暴に振り回されるグレイブを続けざまに避け、追撃で来た横殴りの一閃をさらにジャンプで避ける。 「こいつ……ッ!」 一見メチャクチャに見える攻撃をする相手に、ベネは思い切り攻めあぐねていた。 最後のギリューだ。こいつを倒せば、城門前にいる革命派の獣機部隊は壊滅するというのに。 ベネが近寄ろうとすれば、騎体を大きく動かして近寄ることを許さない。獣機の視点で見れば大振りで隙だらけの動きだが、歩兵サイズで見れば獣機など高速で動くだけで十分凶器なのだ。もちろん、獣機と同じパワーを持つ超獣甲にとっても同じ事。 かといってシグを獣機サイズに戻せば、防御一辺倒の隙のない……そして、超獣甲にとっては隙だらけの……動きで、今度も近寄ることを許さない。 「男らしくないよ! アンタ!」 技量自体は拙いが、時間を稼ぐ戦い方を熟知している相手だ。これほど陽動作戦に向いた使い手もそうはいないだろう。 「これも仕事だしねぇ。悪く思わないでおくれよ」 つい叫んだベネの言葉に、意外にも返事が来た。 「女……!?」 女の声だ。それも、若い。さすがにベネよりは上だが、それでも二十代くらいだろう。 それが先日のラーゼニアで一瞬まみえた相手だったなど、ベネは覚えてもいない。 「悪いかい?」 「別に」 女のその言葉に、豹族の美女は薄く笑った。 「隙さえ見せてくれりゃ、男でも女でも、ね」 問答に気を取られて動きを止めた相手に、燃えさかる黒刃が鋭く襲いかかる。 直撃しさえすれば、超獣甲の力は獣機と同じ。黒い炎はやすやすと獣機の装甲の薄い箇所を切り裂き、鋼の巨人を物言わぬ瓦礫へと変える。 「ラス…………」 た、と大地を踏み、短くも激しい戦いの終了を告げようとした所で。 「ベ、ベネぇ……」 「な……」 ベネンチーナは知るのだった。 相手の女が隙を見せたのは、時間を稼ぐ必要がなくなったからだと。 「残念」 彼女の眼前にあるのは倒れた敵獣機の群れと。 打ち倒された、味方兵の群れ。 白い風が大きな弧を描き、横殴りに渦巻いた。 「ドラウン! そうまでして、何故戦う!」 回転と加速を叩き込まれた重矛は触れたもの全てを砕き、大剣を構える深紅へと殺到する。 「……問いに答える必要はない」 だが、辺りの岩を触れた端から塵と化す斬撃も、鬼神には通じなかった。 鈍い衝撃音一つ残して、正面から受け止められてしまう。 「ロゥ!」 少女の悲鳴に反応し、一撃が止まった瞬間に後へ跳躍。目の前の巨漢と力勝負をする気など、少年にも最初からない。 「赤を倒す為というなら、相手が違うだろ!」 ひと飛びで間合を開け、接地したと同時に前へと加速する。 今度は打突。 点の攻撃は大剣では止めづらいはずだが、この巨漢は間違いなく正面から受け止めてくるだろう。その動きを起点に、打突を回転斬に切り替えれば、巨漢に一太刀食らわせられる。 「何っ!?」 だが。 巨漢は、その打突をあっさりと避けた。 フェイントの起点を失った突撃はそのまま空を切り、巨漢からさらに離れた位置で停止。 「この子達、何も知らないのねぇ」 ロゥの背中に浴びせかけられたのは、少女の嘲笑だ。 「何だと?」 その声に、少年の外套の動きが少し鈍った。 声の主が誰か、よく知っていたからだ。 「この病んだ国はねぇ、どこをつついても膿が出て来ちゃうの」 「だから戦うっていうのか! 後継者でもない奴らと片っ端から!」 議会も軍部も関係無しに。 いずこかに潜むであろう『標的』をいぶり出す、ただそのためだけに。 「後継者? そんな物は関係ない」 男は少年の問いの全てを肯定した。 「我は、戦う。それだけだ」 たった一言で。 「それで良いの!? 姉様!」 「その先に私の敵がいるのなら、ね」 そして、少女も少女の問い全てを肯定した。 「そんなんだから……シェティスも悲しむんだろうがっ!」 激昂と共に再びの突撃。受け止められる事を求めて放たれた一撃はかわされてバランスを失い、ロゥの体を白い白亜の要塞に強く打ち付けさせる。 「……ときに貴公」 怒りの表情で立ち上がるロゥに、赤兎は静かに問うた。 「ドラウンやシェティスなど……戦の最中に、なぜそんな名を言うておる?」 あまりに自然な問いに、緩慢だった少年の動きが完全に停止した。 「……」 少年の口が声なき言葉を数語呟き、構えた重矛が両手からこぼれ落ちた。がらりと空虚な音が響き渡り、空手となった獣甲使いはゆらゆらと力なく身を起こす。 「そこまで堕ちたか……」 刹那。 少年の姿が、消えた。 「むっ!?」 鬼神の反応速度すら超えた動き。少年の白い外套は、気付いた時には既に巨漢の懐にある。 有効射程のはるか内、零距離の間合に、巨大すぎる大剣は武器の意味を成さない。 「お前らの名前だろうが……」 防御などまるでない男の腹に、ロゥは白く燃え上がる両手を全力で叩き込んだ。 「莫迦野郎ッ!」 絶叫と共に発動した白い爆光が、白亜の宮殿を呑み込んでいく。 |