4.激闘 青と赤 ようやく落ち着きを取り戻した会場に、厳かな声が響き渡った。 半刻ほど前までは戴冠式の会場だったこの場所も、練り上げられた段取りによって一転、さらなる祝いの席に姿を変えていた。 結婚式場、である。 今日はココ王国の第一姫であるシーラが戴冠すると同時、友好関係にある大国エノクから夫を得る日なのだ。 だが、そんな席だというのに、辺りの雰囲気はどこか重々しかった。 無理もない。先程あれだけ重圧的な戴冠式を見せられては、次の式に期待しろという方がどうかしていた。 丁寧に飾り付けられた装飾が空しく風にそよぎ、主役の一人である新郎は場の中央に所在なさげに立っている。 「では、新婦」 どこからともなくため息が漏れ……。 次の瞬間、その全てはどよめきに変わった。 白。 皓。 しろい。 純白の清楚なドレスに身を包んだ、美しい花嫁が姿を見せたからだ。 誰もが疑った。誰もが信じなかった。 先程、あれだけ闇に包まれていた娘が、今は文字通り、光の中にある。 深紅のヴァージンロードをしずしずと花婿のもとへ歩み寄り、優雅に一礼。 騎士服に飾られたエノク王子が、ゆっくりとレースのヴェールを取り上げて……。 列席した国民達に見せた晴れやかな笑顔は、黒の女王の渾名を一瞬でかき消すほどに、可憐な白だった。 「そろそろ、式も始まった頃ですか……」 ムディアは静かに、路地裏の空を見上げた。 「申し訳ありませんが、そこは通行止めです」 ひゅんと空気を裂き、細いロープが宙を舞う。 腰に巻いてあった捕縛用のロープなのだろう。だが、その撃ち出す速さは視認出来ぬほど迅く、鋭い。 「……あら」 路地の空。鈍い音と共に何もない空間へロープが絡み付き、重厚な手応えが伝わってきた。 「普通の刺客、というわけでは無いようですね」 ぱらぱらとはがれ落ちる幻を見ながら、ムディアは静かに呟く。 黒い仮面を付けた女だ。途中で暑くなったのか、はたまた隠す必要が無くなったからか、黒いコートは腰に結びつけている。 「そう?」 別に幻を使う刺客など珍しくない。穏行の魔法や薬の種類は多いし、自らの体色を変えるカメレオン族のビーワナもいる。 だが……。 「普通の刺客であれば、腕は六本も要らないでしょうから」 ロープが捉えたのは腕のうちの一つだけ。残る五本は、いまだ自由なまま。 「まあ、そうは違いないわね」 自由な手で短剣を引き抜き、絡み付いたロープに斬りつける六本腕の美女・アルジオーペ。 が、ただのロープであるはずのそれは、ナイフの刃を通さぬどころか、斬撃の瞬間にぽきりとナイフの刃を折り取ったではないか。 「只のロープで、こんな事をするとお思いですか?」 ムディアの手にあるは、青く輝く星の石。巡るティア・ハートの力を加えてぐいと引けば、少女の力に数倍する力が加わり、六本腕の女を階上から地面へと引きずり落とす。 「なるほど、ね」 だが、アルジオーペが大地に叩き付けられる事は無かった。 「……糸?」 中空に浮かび、余裕の表情でこちらを見下ろしている。いつ張ったのか、路地裏へ縦横に巡らせた銀糸の結界に、その身を委ねているのだ。 「私達の前じゃあ、少し詰めが甘かったわねぇ」 ロープを支え巡る水流もアルジオーペの手の前にあっさりと砕け散った。それこそ、引き剥がされる幻の如く。 力を失えば所詮はただの荒縄。折れたナイフでも十分に断ち切れる。 「それにね、本当の捕縛というのは……」 仮面の下で薄く笑うと、アルジオーペは貴石の力砕く手のひらを、すいと横へ。 「ん!?」 赤の聖痕。粘り着く銀の蜘蛛糸がムディアの動きを絡め取り……。 「こうするのよ。お嬢さん?」 次の瞬間、ムディアの目の前に舞い降りた美女の腕が、彼女のティア・ハートをあっさりと割り砕いていた。 炸裂が、連鎖する。 「……詰まらないね。こんなもの?」 触れれば砕け、砕かれれば内なる力が暴走し、押さえられぬまま炸裂する。 「貴様ァっ!」 仮面の少年は素手だというのに、振りかぶられた剣にも動じない。それどころか、ティア・ハートの風をまとった剣に向かい、無造作に腕を伸ばすのみ。 「なっ!」 がつ、という鈍い音が響き、黒いコートが裁ち切られた。かき消された風をはらんだ、黒いコートだけが。 「お前……なんだ、それ」 切られたコートの下。 少年の手を手甲のように覆う巨大な貝殻を目にし、男は呆然と呟く。 男とてティア・ハートを使う一角の冒険者だ。数多くの怪異を目にしてきたが、そんな奇怪な姿をしたビーワナを見た事はなかった。 「何、呼ばわりしないでくれないか?」 ウォードは小柄な体で男の懐へ踏み込み、鋭い肘を叩き込んだ。鎧に等しい重厚な貝殻の衝撃に、ごきりと鈍い音が響き……。 「これでも、僕の聖痕なのだから」 男の胸元で、制御を失った疾風が炸裂した。 「な……何よこれっ!」 その時だった。 少女が冒険者ギルドに、足を踏み入れたのは。 「いーなーいー」 観光客で賑わう店を後にして、流石のルティカも疲れ気味の声を上げた。 「というか、無理だろう。この人混みで」 ソカロが見渡す限り、街道も店内も人人人の人だかり。長身の彼でも、人の頭しか見えない。 「んー。まあ、見れば一発なんだけどねぇ」 そんな中で人ひとりを見つけようと言うのだから、どだい無理な話ではあるのだ。 しかもその相手を知るのはマチタタ一人。さらに言えば、相手の特徴は中背で黒服黒眼鏡……眼鏡はソカロもしているし、黒服など何処にでもいる。 要するに、見つかる可能性はゼロに等しい。 「ラピスは分かんないの?」 そう言えば誰も聞いていなかった事を思い出し、ルティカは今まで一言も喋らなかった娘にそう問うてみる。 「……あっち」 「なにーっ!」 ラピスがすいと指差したのは、いま結婚式真っ只中のココ王城……。 その王城では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。 「おい、こっちは立ち入り禁止だぞ!」 差し出された槍に、美女は不思議そうな顔をして見せた。 結婚式の会場である劇場は、王宮の反対側にある。国を挙げたお祭りとはいえ、民間人の王宮への立ち入りは許されていない。 「……そうなの?」 蝶の翅を付けた美女は小首を傾げると、きらきらと陽光を弾く翅を少し動かして見せた。 「当たり前……だろ……ぅ……」 槍を持った腕が震え、門番の男達の目が泳ぎ出す。焦点を一瞬失い…… 「……あ、あれ? オレ……」 全く変わらぬ光景のはずなのに、男達は不思議そうに首を傾げてみせた。 「あの女、どこ行った……?」 「先輩、逃げたんじゃないですか?」 「バカ。とりあえず、中の連中に知らせとけ!」 誰もが手を伸ばせば届く位置に、蝶の女は立っている。そのはずなのに、彼らの挙動は女を見失った様子そのままだ。 「が……ぐっ!」 その男達の様子が、突如豹変した。 「い……きがっ!」 橋の上に跪き、喉をかきむしり始めたのだ。周囲はのどかなココの街、もちろん呼吸が出来なくなる原因などありはしない。 さらに異様なのが、周囲の様子だった。 門番達がのたうち回っているというのに、見物人一つ現れないのだ。近寄る者がいないのはともかく、遠巻きに眺める者すらもいない。 それぞれが祭の日常を楽しむ中、門番達だけが地獄の苦しみに悶えている。 そんな門番達をその場に残したまま、美女はひょうひょうと歩き出し……。 「そうは、いかないよ」 聞こえぬほどの囁きと共に、びゅうと風が吹きぬけた。魔力を含んだ聖なる風は美女の放った鱗粉を吹き飛ばし、幻の粒子を、毒性の風をかき消していく。 「お……お前っ!」 呪縛から解き放たれた門番が立ち上がり、今度こそ蝶の美女を取り囲んだ。 「赤の後継者……だね」 「ええ」 槍の林に囲まれつつも、美女は少女の問いに静かに答えた。 「ありがと。コーシェ」 「ううん。私は、アシュが教えてくれたようにしただけだから」 美女が対するのは男達ではなく、二人の子供。一人はフードで頭を覆い、一人は額に角を持ち。そして、彼女達を守るように前に立つ、白い猫が一匹。 「お姉さまもアンジェもリカリカも手が離せないなら、ボクたちががんばらないとね」 「ひ、姫様!?」 そう。トーカ・ナ・コーココ。 王都はおろか、王宮にさえ滅多に姿を見せぬ一角獣の姫君。門番の彼らでさえ、王宮に仕えて長い者でも数えるほどしか目にしていない。 「お、お前達! ガードでも武官でも誰でも良いから、とにかく誰かに知らせて来いっ!」 その王家の至宝が今、王城の、敵の目の前にある。 「……一応、貴女の命も標的なのですけれどね。トーカ姫様」 蝶の翅がはためき、今度は周囲に見えるほどの密度を持つ『何か』が女の周囲を覆い始める。 「帰ってくれない、かな? ボク達は、貴女を攻撃する気はないから」 だが、再び風が舞い、女の鱗粉を完全に吹き払った。ティア・ハートやそこらの魔術ではない。赤の後継者の強烈な力さえ浄化・無力化する、凄まじく高等な魔法術式だ。 蝶の力は相手に通じず、二人の力は圧倒的すぎて防御以外に使えない。 「帰らない、と言えば?」 千日手の状況を覆すには、異能ではない力を使うしかなかった。女は腰の鞭に手を掛け……。 「そこまでだっ!」 鋭い声が、辺りに響きわたった。 「……どなたかしら?」 見上げれば、城門の上に影がある。 「我が祖国を蹂躙しようとする輩に……」 黒いサングラス、黒いコート、黒い髪。 逆光と併せ、輝きの中で全てが黒の中にある。 「名乗る名など、無いッ!」 男はそう叫び、鋭く天空に身を躍らせた。 |