「二人とも」 覚えているのは、穏やかな声。 「今日あったことは、絶対に誰にも言ってはいけないよ?」 優しい声に言われたのは、そんな言葉。 「分かりました」 言の葉自体は覚えている。けれど、言ってはいけない事が何だったのかは覚えていない。 ……でも、それでいいのだろう。誰にも言えないなら、忘れてしまっても構わないはずだ。 「はい!」 繋いだ柔らかい手をぎゅっと握りしめたまま、アタシは強く答える。 握ったこの手を離さないように。初めて会った時から、ずっと一緒にいたい、と思っていたのだから。 「よし。みんな、良い子だ」 声の主の表情は、逆光になっていてよく分からなかった。ただ、頭を撫でてくれた大きな手の感触だけは、今でもしっかりと覚えている。 「ならあとは、伯父さんに任せておいで」 そう。この人のお陰で、今のアタシと今の『彼女』は、今でもこの場所にいるのだから。 Excite NaTS "Second Stage" 獣甲ビーファイター #1 決戦のシーレア高原(ココ王都編) 1.予感 月光が、水の都を静かに照らし出していた。 天上の蒼い灯は頂点を過ぎ、朝日が昇るまであと数刻の時を残すだけとなっている。いかに王都が眠らない街といえど、夜の住人達が灯りを落とし、暁の住人達が目を覚ますまでのこの時間だけは、束の間の微睡みに沈んでいるはずだった。 だが、この日だけは違っていた。 この日だけは、酒場から宿屋、通りの屋台に至るまで、眠気など微塵も感じさせない喧噪に満ちたまま。しかも夜の住人達だけではない、いまだ眠りの世界にいるはずの者達までが、彼らと杯を共にしているではないか。 「俺ァよぉ。今度の王女様は、シーラ様よりアリス様がいいと思ってたんだがなあ」 酒の残っていないジョッキを片手にそう言ったのは、大通りの屋台にいた酔客の一人だった。 「そうかぁ? 俺はアリシア様は、今まで通りの活躍をしてくれた方が嬉しいけどなぁ」 シーラ王女が女王として、後に控えてくれていた方がありがたいねェ。 そう続けたのは、赤ら顔をした冴えないラッセの中年男。 「まあ、シーラ様にせよ、アリス様にせよ、ハズレの女王にはならんだろうよ」 「だなぁ。明日の戴冠式も、きっと上手くいくだろうさ」 そう。 明日はココ王国の新女王の戴冠式。この王国の未来を決める、ココ最大の『お祭り』なのだ。 「これからのココ王国の発展を祈ってー!」 どこかの席から、そんな銅鑼声が響き渡った。 声の主が誰なのか確かめる事もなく、酔漢と中年男は揃ってジョッキを天へとかざす。 「かんぱーい!」 かんぱーい。 その叫びを、石畳を穿つ鉄の音がかき消していく。 「な、なんだなんだ!?」 闇夜を切り裂く轟音の群れに、酔漢は慌てて屋台の外へと飛び出した。 「ココ王国の……魔法分隊か?」 酔いなどとうに吹き飛んでいる。それに夜目の効く男の目には、闇の中へ走り去る馬達に描かれた紋章もはっきりと映っていた。 「魔法分隊? また、こんな時に何事だ?」 王国の近衛兵を兼ねる魔法分隊は、本来なら明日の戴冠式の準備で大忙しのはずだ。それがこんな時間に慌てて出動しているというのは……。 「……別に、大した用事ではありませんわ」 無意識に放った中年の呟きに、答える声があった。男の声ではない。澄んだ、少女の声だ。 「ムディアちゃんか。こんな時間に……何かあったのか?」 「シーレアの方で、魔物の群れが少々発生しまして。アリス様や我々が出るほどの相手ではありません故、魔法分隊の出撃ということに」 そう言う間にも、重装の馬車がムディア達の傍を駆け抜けていく。だが、説明さえ受ければ、先程感じたような威圧感は感じない。 「そっか。アリス姫やアンタらガードが出ないなら、そう大した相手じゃあないな」 アリスとそのプリンセスガードと言えば、王都周辺の脅威を一手に払ってきたココ王国屈指の英雄だ。 そんな彼女達が出る必要のない相手となれば、本当に大した事のない相手なのだろう。 「……とはいえ、こんな忙しい時期に大変だねぇ、連中も、アンタも」 「魔物は、こちらの都合など考えてはくれませんから」 ムディアと呼ばれたプリンセスガードの娘はそう言われ、小さくため息を吐くのだった。 ○ 同刻。 「シェティス。こっち、積み込み終わったぞ!」 出撃前の喧噪をかいくぐり、そいつは声を張り上げた。 まだ若さの残る少年だ。やや細身の体格は、周囲で支度をしている牛族の騎士達のせいでさらに小柄に見えてしまう。 だが、話の相手はさらに細身の影だった。 「ご苦労。なら、ロゥは最終便でハイリガードやシスカと一緒に出てくれ。私もそれに乗る」 「おう!」 少女、なのである。 長い銀髪を夜風になびかせて出撃の指揮を執る娘。それだけ見れば、見目麗しい少女だけで構成されたアリスのプリンセスガードの一員と言っても、疑う者はいないだろう。 だが、彼女はプリンセスガードの一員ではなかった。それどころか、ココ王国の兵士でも、流れの冒険者でさえなかった。 あろうことか、隣国グルーヴェの将校なのである。 「シェティス卿。到着した早々……こんな事になって、御免なさい」 「イルシャナ殿……」 現れたドレス姿の娘に、シェティスは小さく声をもらした。 本当ならば、シェティスやロゥは、イルシャナの客人なのだ。特にシェティスは、国の垣根を越えて協力してくれた者達の代表として招かれた、いわば賓客である。 それが、王都に着いた早々、戦の支度に駆り出されている。 「慌ただしいのは慣れていますし……」 それに、と銀髪の少女は続けた。 「戦力が足りないのであれば、戦える者が手伝うのは当たり前でしょう?」 そう。それこそが、賓客であるはずのシェティスが出撃の支度をしている理由だった。 戴冠式を行う王宮を手空きにするわけにはいかない。さりとて、シーレア高原に出現した魔物の群れは今までにない規模。 ならばと、シェティスは助力を申し出たのだ。 「助かります。本当に」 本来なら先陣を切って戦うべき獣機王は、かつての敵だった娘へ静かに頭を下げた。 「先輩っ!」 頭を上げたイルシャナの耳に飛び込んできたのは、そんな元気の良い声だった。 「二人とも、どうした?」 シェティスと同じグルーヴェの軍服に身を包んだ二人の少女は、どちらもシェティスより随分と幼く見えた。胸に付いた階級章は、士官候補生を示す星の無いもの。 「イーファ・レヴィー候補生、メルディア・レヴィー候補生の件でお願いがあって参りました!」 開口一番そう言ったのは、二人組の中で快活そうな方。薄紫の髪を柔らかく結った娘だ。 イーファとメルディアは、もともとトゥーナッカイ大将の本隊に属する士官候補生だった。だが先日の戦いで本隊が壊滅してしまい、それからはシェティスの指揮下に入っている。 「貴官のシーレアへの同行は許可しない」 そんな少女の申し出を、シェティスはあっさりと却下した。 「う……でも、どうしてメルディアは!」 メルディアはシェティスに同行してシーレアへ行くのだという。二人とも残るならともかく、片方だけそれでは納得がいかない。 「貴官の三式は大破しているだろう。スクメギのメルディア機は、シーレアで合流する」 彼女達に支給された獣機は、グルーヴェ王国制式獣機である三式ギリュー。どちらも先日の決戦に参戦したが、前衛仕様のイーファ機は破損が酷く、修復の目処が立っていないのだ。 「じゃあ、獣機があれば?」 「スクメギの獣機は、契約していない貴官には使えんだろう」 スクメギの獣機は意志を持ち、自ら主を選ぶ。相性さえ合えば戦闘中の契約さえ可能だが、そんな奇跡に期待出来るほどの余裕は今の彼女達にはない。 「うう……」 「ほら、イーファ」 シェティスに言われて沈んでいるイーファに、一緒に談判に来た少女がそっと声を掛けた。静かな表情、気遣うようにそっと手を取り……。 「ワタクシの言ったとおりでしょう? これからは、あまりワタクシやドゥルシラに迷惑を掛けないようにね」 「あうー」 さらりと告げられた言葉に、イーファはさらに首を落とす。 「シェティス。後はお前らだけだぞ」 そこにロゥがやってきた。いつまで経っても来ないシェティス達に、いい加減しびれを切らしたらしい。 「ああ、すまん。今行く」 だが、そんなロゥの背中にイーファはキッと強い視線を叩き付けた。 「あんな山猿は良いのに……理不尽だわ!」 「なんだとぅ! このガキ!」 「アンタだって新兵のくせに!」 「経験じゃテメーなんかより遙かに上だっ!」 「なによぅ!」 「イーファ・レヴィー候補生っ!」 「は、はいっ!」 連なる言葉の応酬は、シェティスの凛とした声によって断ち切られた。 「メルディア候補生。イーファの任務は?」 突如もたらされた静寂の中、銀髪の指揮官は相棒を押さえている士官候補生の少女に問い掛ける。 「は。イーファ候補生の任務は、副長の代理として、シーラ陛下に謁見、謝辞を賜る事であります」 士官候補生とはいえ、彼女達の出身であるレヴィー家は貴族の家柄だ。幹部不在のスクメギ方面軍では、貴重な宮廷経験者なのである。 貴族出身の彼女の手が空いていたのは、それはそれで運の良いことだったのだ。 「そうだ。イーファ候補生、復唱は?」 「イ……イーファ候補生は、副長の代理としてシーラ陛下に謁見、謝辞を賜ります」 「結構」 呆然とするイーファを残したまま、メルディアはシェティスのほうへ歩き出す。彼女のもとに少女達……実家から連れてきた傍仕えの使用人らしい……が辿り着いたのを見て、シェティスもその場を後にする。 「……イルシャナ殿。済みませんが、彼女達の事、宜しくお願いします」 「ええ。確かに、お引き受けしました」 そんな光景を苦笑気味に眺めながら、イルシャナはロゥを追うシェティスを見送るのだった。 「メ……メルディアの、ばかぁっ!」 |