2.二万対三の戦い 世界は白く埋まっていた。 もともと砂漠は白に近い色を持つ。だが、その場所は黄土に近い白ではなく、全くの白で彩られていた。 昆虫とも鉱物ともとれぬ異形の姿に、スクメギの砂漠は覆い尽くされている。 その数、およそ二万。 「リヴェ爺。ほんっとーに三人で何とかなるんだろうな。ジェンダの奴は役にたたねーけど、イル姉は呼びに行った方が良かったんじゃねぇのか? 『ピュア』は獣機の動きを阻害しねえんだろ」 その光景を遠くに眺めながら、少年は傍らの老爺に遠慮のない悪態を吐いた。 「なに。イルシャナ様の手を煩わす間も無かろうて」 しゅるしゅるという蛇族特有の呼気を吐きながら、分厚いローブを被った老爺は静かに嗤うのみ。もともと感情表現の薄い蛇族だからか、戦前の緊張は全く見られない。 「……ホントか?」 「無論」 少年はため息を一つ吐くと、スクメギを救うべく集まった勇者達を見回した。 隅っこでおどおどしている少女が一人。 現役を引退して久しい老魔術師が一人。 攻撃魔法を大して使えない少年が一人。 「ガキと年寄りばっかじゃねえか……死ぬのは嫌だぜ、まだ若いのに」 「キッドくん……私」 そこでようやく少女が口を開いた。 「アクアは俺より身長低いだろ!」 「ひどぉい……」 キッドくんよりお姉ちゃんなのにぃ、と口の中だけでもごもごと呟き、アクア。 「頃合いじゃの。キッド、この戦、汝のイメージにかかっておるぞ」 老爺に言われ、キッドは正面を見据えた。 白い影はもう間近に迫っている。魔法戦であれば、そろそろ射程圏内に入るであろう所だ。 「あーもう、分かったよ。やりゃいーんだろ、やりゃ!」 苛立たしげにそう答え、少年は袖口から小さな石ころを取り出した。キッドの手の中で彼の魔力を吸い、小さな紫電をまとい始めたそれは、雷の属性を持つティア・ハート。 「咲け!」 その薄紫の貴石が、少年の手の中で姿を変えた。 まさしく華が咲くかのように。内に灯る光を強く強く輝かせ、ティア・ハートはその純粋なる姿を現していく。 水晶の花弁が優雅に咲き、あふれ出す力が少年の思うままの姿を象っていく。 「オーバーイメージ! 『大きな古時計』ッ!」 そしてキッドの新たなる力が、完成した。 まさにその同刻。 「情けない」 黒いコートをひるがえし、仮面のそいつは女の声であからさまな落胆の声を上げた。 黒いブーツがかつかつと黒大理石の床に鳴り、そいつが一歩一歩歩みを進めている事を回廊全体に誇示している。 「獣機も祖霊使いもいないの? ここには」 ほんの少し前まで、このスクメギには想像を絶する猛者が集っていたと聞く。獣機、祖霊使い、そしてその一線を越えた者達さえも。 そんな彼らこそが、天より現れた『白き箱船』を食い止めたのではなかったのか。 「ファーストや始祖も居ないし」 だが、『白き箱船』に至るまで、障害となるほどの相手は誰一人としていなかった。誰もいない白き箱船で悠々と目的を達し、後は戻るだけである。 「王宮にでも行った方が良かったかしら」 ぼやきつつも腕を一振り。 瞬間、白い何かが飛翔した。キラキラと薄日を浴びて輝くそれは網となって大きく爆ぜ広がり、女を止めようとした兵士達に絡み付く。 「それと……」 よく見れば、女の指先からは細い糸が伸びていた。糸の反対側は、微妙な張りをもって結界となった銀糸の網に繋がっている。 「ハート・ブレイカーに、ティア・ハートは通用しなくてよ」 指先をくいとひねれば、糸は見かけ通りの脆さでぷつりと切れる。その刹那、網に絡まれた兵士達の武器が次々と『爆発した』。 傭兵とはいえティア・ハートを持つ一流の冒険者達だ。そんな彼らの持つティア・ハートが、女の『何か』を受けた瞬間砕け散り、内に秘めた力を炸裂させていく。 鮮血が舞う中さらなる銀網を放ち、遅れてやってきた警備兵も縛り付ける。 「……あら」 そんな中、女は足を止めた。 「こんなものか……」 辺りに流れた冷たい声に、キッドは思わず両手で耳を覆い隠していた。 「爺……さん。あんま、喋らないでくれよ」 「修行が足りぬの、キッド」 フードで視線を隠したまま、蛇族の老爺は静かに嗤う。 いや、そこに立つのは老爺ではなかった。 幽鬼の如くすいと立つ、若き魔術師の姿がそこにある。キッドの新たな力によって刻を巻き戻された、老爺だった男の姿だ。 「あ……ああ……悪い」 視線を合わせぬままで答えるキッドにいつもの威勢の良さはない。まさに蛇に睨まれた蛙の如く、リヴェーダの存在に完全に圧されている。 「さて。残り半分ほどか」 そう呟く遙か向こうには、氷の墓標が並んでいた。 「バースト」 アクアの力で凍り付いたそれを僅か一言で端から打ち砕き、さらに杖をかざす。燃え上がる三匹の蛇から成る異形の杖は、ティア・ハーツを埋め込んだ杖ではない。それ自身がティア・ハーツから生み出されたオーバーイメージ『三聖頌』の姿。 「……無茶苦茶だな、あんたら」 「祖霊使いの力にティア・ハーツの力が加われば、こうなる!」 氷片と化した同胞を踏み越え、魔物の群れは迫り来る。その中央に今度は灼熱の太陽が生まれ出た。一瞬後にはには天地を繋ぐ大竜巻が現れて、灼き尽くされた魔物の群れを塵へと返していく。 老いて熟成された業に壮年の力が加わった今、老爺の攻めに容赦はない。 「危ねえっ!」 その蛇が次の構えを見せた瞬間、正面に跳躍した魔物が姿を現す。 杖をかざしたままで無防備なリヴェーダに、右の大バサミをかざし……。 そのまま、動きを止める。 「儂の前に立つとは、何と愚かな……」 クエイク。 蛇の視線に睨まれたまま、愚かな魔物は大地の顎に粉々に打ち砕かれた。 「美味しそうな子がいるのね」 それは、年端もいかない幼い娘。 白と黒、左右で色の違う腕を十字に組み合わせ、女の不可解な攻撃を正面から受け止めたのだ。 「ウシャス……」 背にした男を護る為に。 「お前、何で」 男は知っていた。銀糸に絡め取られた少女がもう戦えない体だということを。先の戦いで受けた深い傷が、彼女から無敵の力を奪い去ったのだ。 「マスターと共に戦うのが……私の、役目ですから」 白い粘りに動きを縛されたまま、少女は背中の主へ静かに答える。 「あなたは、誰?」 そして、正面の敵へ凛とした問い掛けを放つ。 「あら。貴女は分かっているでしょうに」 女はくすくすと笑い、白糸に縛られた少女のおとがいを軽く持ち上げた。 「貴女たち紛い物の、オリジナルよ」 そのまま引き寄せ、娘の薄い唇を長い舌で舐め上げる。動けず、避けられず、嫌悪に震えるだけの唇をゆっくりと舐めねぶり、蹂躙していく。 どす。 その女の体が鈍い衝撃で揺れ、傾いで……。 どさりと、大理石の床に崩れ落ちた。 |