七年越しのマイマイ探検隊

 また自転車の出番です!

「あっこの間の写真! てぬき!」
 有効活用と言ってくれたまえ!!


 とまあニチアサもほどほどにしてやってきたのは防府駅。


 今日は地元有志の方によって『マイマイ新子ミニ探検隊』が開かれるというお話があったので、参加してきたのでした。
 本来の探検隊は片渕監督が直接ガイドを務めてくださるのですが、今日はさすがに有志の方だけなのでミニ扱い(……っていう定義だったはず)。探検隊、マイマイ新子封切り当時は何度か開催されたイベントだったんですが、当時の僕は土日仕事だったので一度も参加できなかったんですよね……。
 もちろん地元なので有名どころのポイントは個人でも巡ったことがあるのですが(最近のものはこちら) 、やっぱり本場の探検隊にも参加してみたいよなぁ、今なら土日でもどんとこいで参加で着るもんなぁと、七年越しでやりたかった事をやってきたわけです。

 今回の参加者は、発起人であるガイドの方と助手さん、参加者は五名という小編成。
 ただ、小編成で自転車というフットワークの軽い編成でしたので、移動は極めて快適でした。やっぱり防府市街地のうろうろは自転車最強。
 駅前の説明があった後、作中にも出てくる山口銀行(今は天神ピアというホールになっています)周辺へと移動。
 ここから北上して、ひとまず防府天満宮へ。
 大分寂しくなった、バーカリフォルニア跡。
 春風楼から防府市街を望みつつ……。
 壁に掛かるのは、往事の、まだ埋め立てや干拓がされる前の防府の様子。
 酒垂山に紫雲たなびき、浦に光が差し……という、防府天満宮の縁起。
 春風楼はもともと五重塔として建て始めた建築物を楼閣に転用したものなので、その名残も。
 楫取夫妻のこぼれ話など、防府天満宮にまつわる話を聞きながら、天満宮を後にする一行なのでした。
 とか書いてたけど、よく見たら天満宮本体の写真撮ってないな……(普通に忘れました)。
 天満宮を降りた後、まずは松崎小学校へ。
 新子ちゃんの通学路をたどっていった先にあるのは……。
 作中にも出てきた、階段脇の謎の四角いもの。
 これ、松崎小学校のOB情報だと、アヒル小屋だった場所だそうで。
 作中にも出てくるカーブ。
 からの、昨日も来たハンモック。
 一度は撤去されて倉庫に眠っていたハンモックを今回あわせで再び設置してくださったのも、今回の主催の榛名さんだったりします。
 そこからぐるっと迂回して北上すると、新子ちゃんと貴伊子ちゃんがじゃんけん遊びをする佐波神社に。
 佐波神社方面から望んだ、ハンモックのある森。
 佐波神社からさらに東進すれば毛利庭園があるのですが、そのさらに東に向かって山の手に向かうと、三角池があります。
 防空壕探検に向かったときの、すぐそばにあった池ですね。
※なお、三角池は私有地にあるため、立ち入りには許可が必要です(今回は主催の方が許可を取ってくださっています)
「國衙……広すぎるよ……」
 三角池から下ったところにある周防国衙跡(東北隅)の公園にて。
 奥に植わっているのは発掘調査のされた柱の位置を示すものですが、監督はこれを見て発掘現場から建物が復元されていくシーンを思いついたのだそう。
 東北隅まで巡ったところで、早めのお昼。
 近くのファミレスということで、ガストへ。
 ミニ探検隊の後半戦は、ガストの脇の道を北上してすぐのところから。
 新子ちゃんや貴伊子ちゃんたちがポン菓子を食べていたお堂からスタートです。
 このあたりのタンポポは、黄色い。
 そして国衙跡へ。
 おや……?
 これも今回のイベント合わせで再現された、お墓。
 昭和30年当時は辺り一面麦畑だった道も、今は住宅地に。
 ちなみにここは、単車と原動機付き自転車が言い合いをしていた三叉路。
 新子ちゃんの家だったあたりもありますが、そのあたりは市街地なのでやっぱり自粛の方向で。
「そんとなバタバタじゃいけるかい!」

 「見てみい、最新型じゃけえのう!」

 そんな新子ちゃんの家や国衙エリアを少し下ると、例の水門。
 そこからぐるっと回ると、何の変哲もない田んぼにぶつかるんですが……。
 ここが、作中で発掘作業の行われていた場所だそうです。どうやら国司クラスの貴人の邸宅だったのも本当だとか。
 当時は(実際にあったこと重視の片淵監督には珍しく)まだ国衙の発掘作業は行われていなかったそうですが、ロケハン中に監督がここで体験したエピソードを元にしているそう。
 作中で新子ちゃんたちと話をする発掘作業のおじさんも、その方がモデルになっているそうで……。
 でー。
 なっているそうで……という話を僕たちが聞いているところに自転車でふらっと通りかかったのが、モデル当人の吉瀬勝康氏だったのでした。
 どうやら仕込みではなく完全に偶然だったそうで(吉瀬氏は「この辺にいないかなー」と思っていらしたそうですが、ルートは聞いていなかった様子)、そのあたりの貴人の邸宅に関する詳しいお話を聞かせてもらうことができました。
 さらに南下して線路を越えて、国衙の東南隅へ。
 からの、勝間神社(跡)。
「ざぶ~ん、ざぶ~ん」のところ。
 現在は堤防が大型化してこんな感じですが、昭和三十年頃は堤防も高架もなく、ずっと先まで麦畑。
 さらに言えば、その千年前は海。
 少し西に行って、天満宮の御旅所へ。
 この辺りが、菅原道真公が太宰府に流刑になる途中で防府に上陸したであろう場所……すなわち、当時海だった場所というわけで。
 作中で明言こそないものの、もしかしたらこの辺りで清原元輔が和歌を詠んだのかも?
 
 御旅所から南下して新地あたりをぐるっと見て回った後……。
 いよいよ貴伊子ちゃんの家のある、鐘紡町周辺へ。
 ここは、序盤で帰り道についてきた新子ちゃんに、貴伊子ちゃんがぽつりと呟くシーンの舞台。
 画面奥に伸びる歩道はもともとカネボウの引き込み線の線路だったそうで、踏切はちょうど横断歩道のあたりに相当します。
 ここでなんと、再び吉瀬勝康氏が合流!!
 一行に差し入れをくださいました。

 どうもありがとうございました!!
 というかいちいち乗ってくるものが格好良すぎる……。
 吉瀬氏と別れた一行は、いよいよ旧カネボウの構内へ。

※なお、該当エリアの立ち入りには許可が必要です(今回は主催の方が許可を取ってくださっています)。個人での聖地巡りの際は立ち入らないように。
 
 今はカネボウがいろいろな事情があってフェンスが出来ていますが、昭和三十年時点ではそんなことはなく。
 右奥の駐車場あたりに、マーケットがあったそうです。
 あのモニュメント。
 例のブランコ跡。
 家の並びを、外ではなく内部から。
 一般社員は画面奥にある集合住宅、一定の地位まで上がると戸建てに住めるようになるシステムらしく、東京から医師としてわざわざ招聘された貴伊子ちゃんのお父さんは相当な扱いをされていたようです。
 特別に許可をもらって入場した社宅エリアから防府駅前に戻った後、防府唯一のこの世界の片隅にスポット……『大和が敵機にパパラッチされた場所(飛行機雲の直後のあれ)』を見に行って、本日の探検隊は解散となりました。
 解散した後、家に帰るついでに昭和館やうめてらすに向かうという方を案内。
 こっちはマイマイ新子関連の写真などが置いてある休憩所(入場無料)。
 こっちが昭和館本体。
 氷を放り込む冷蔵庫!!
 ちなみに前に出てきたバタバタや最新型も、ここで展示してあるものです(写真撮影は自由)。
 当時……と思ったけど、テレビが新子ちゃんたちの所に来るのはもうちょっと後かも。
 久しぶりに来ましたけど、おもしろいものがたくさんありますね……!
 とまあ、そんなこんなで突発的に参加させていただいたミニ探検隊でした。
 僕も作中で分かりやすい所は回っていましたが、やっぱり詳しい方に案内していただいて回るとひと味もふた味も違いますね。
 マイマイ新子を見ていない方はここに並んだ写真を見ても「いや、こんなのただの田舎町のどこにでもある写真じゃん……何がそんなにすごいの」としか感じないと思うのですが(僕もそれが当たり前だと思います)、それを県外からでも足を運ぶ価値のあるキラキラしたものにしてしまう……というのが、創作物の力であり、千年の魔法なのかな……と思ったりするのでありました。
 最後に改めまして。
 主催となり、各所にも見学許可を取ってくださって、一日案内をしてくださった榛名さん、助手さん。
 貴人の邸宅跡の解説や、差し入れをしてくださった吉瀬館長。
 何より、この素敵な物語を作ってくださった高樹のぶ子先生、片渕須直監督。
 一緒に探検隊を巡ってくださった皆様。
 本当に、ありがとうございました!!
 また機会があったら、お会いいたしましょう!

●スーパー片渕監督週間

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