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読者参加型プライベート・リアクション
ユノス=クラウディア
第4話 越えるもの・残るもの(その9)



Act7:閉ざされた世界の中で

「ご主人さまぁ。星が綺麗だねぇ……」
 満天の星空を見上げ、ルゥは嬉しそうな声を上げた。
 伝説の地……霧の大地。
 そこは、神の住む聖域などではなかった。煉瓦に似た素材で作られた立派な建物が
幅広い道なりに規則正しく並んでいるだけの、割とどこにでもあるありきたりの街だ
ったのだ。違いと言えば、ディルハムの大きさに対応して道幅が広めになっている事
と、ディルハムの体内を巡っているような鋼鉄の管がいたる所に張り巡らされている
……中は蒸気や熱湯が流れているのだそうだ……くらいのもの。
「どうかしたの? ご主人さまぁ?」
「あ、ええ……」
 ユノスの顔を覗き込み、小さく首を傾げるルゥ。
「星が……きれいだなって思って。この街でこんな綺麗な星が見られるなんて、思っ
ても見なかったから……」
 いつもなら、街中が深い霧……ディルハムや機獣達が排出する蒸気に覆われて、こ
んな綺麗な星空など見えないのだ。
 だが、何が起こったのか、ディルハム達は一騎残らず街から姿を消していた。街に
残っていた老人達の話では、数日前から突然に姿を消したのだという。
 普段ならどこにでもいるはずのディルハムが辺りに全く見えないのは何となく不気
味であったが、まあ、いないからこそこんな綺麗な星空が見えるわけで……などと、
ユノスは複雑な感慨に浸ってしまう。
「ご主人さまってばぁ!」
「え、ああ……。ごめんね、ルゥ……」
 と、ユノスの言葉が止まった。
 辺りにうっすらと立ちこめ始める、霧。
 ディルハムの蒸気動力機関から排出される大量の蒸気が、満天の星空に薄いヴェー
ルを投げ掛けていく。
「ルゥちゃん。誰か呼んできて頂戴!」
 霧の濃い方を鋭く見遣り、ユノスは背後のルゥへと短く声を掛ける。ディルハムが
いない事を警戒し、辺りにはユノス達のように誰かが歩哨に立っているはずだ。
「あ、うん!」
 そのルゥが煉瓦の建物の角に消えて、少しして。
 ユノスの見据える霧の向こうに、巨大な影がゆっくりと姿を現す。
「姫……お逢いしとうございました」
 その声に。
「その声は……シュケル? シュケルなのね!」
 ユノスは、長年の友人に再会したかのような喜びの笑顔を浮かべた。


「お前達はここに残ろうとか、そういう事は全く思わんのか?」
 グラスに入ったアルコールを軽く口に運び、カイラは向かいの老人達に声を掛けた。
 霧の大地に残っているのは、ユノス達3人だけではない。彼女達以外にも数十人の
非戦闘員……要するに、老人達が残っているのだ。
「思わぬよ……。もう、あのバベジに抗する術は残されておらぬ故にな……」
 酒の入ったグラスをあおり、老人の一人が呟く。
 霧の大地の酒はワインなどではなく、アルコールに適当な成分を加えた合成酒だっ
た。シークなどは一口口にしただけで顔をしかめ、そのままどこかへ行ってしまった
ものだ。
「逃げるしかない……」
 老人の一人が、その言葉に力無き反論を返す。
「じゃが、既に逃げられもせぬ……。バベジの瞳は、我らを常に見つめておる……」
「革命を起こした若い者は全て見付けられ、処刑されおった……。我ら老いぼれに残
された術は、もうない……」
 常に監視されている……という事なのだろうか。しかし、どこにもそれらしい気配
はないし、カイラにとっては見つめられているという感覚すらない。だが、革命を企
てた者達が全て捕まっている事を考えると、あながち冗談ではないのだろう。
「マナトが残っているだろう。お前達がそう言う態度で、良いと思っているのか?」
 既に老人達の事はマナトもナイラも気にしていない様子だった。マナトに至っては
「彼らは既に生きながら死んでいるのだ……」などとまで言いのけていたのだ。
「あ奴一人で何が出来る……。確かにナイラと共にバベジの隙を突いていたようでは
あるが、それでもたかが一人や二人で……」
「長老殿が、羨ましいの……」
 『長老』と呼ばれる老人達の長のような人物が数週間前に息を引き取った頃から、
この老人達はこのように無気力な状態に陥ってしまったという。
「チッ……。話にならんな」
 だが、年寄り相手では殴るわけにもいかない。
 カイラは呆れたように吐き捨てると、そのままその部屋を後にした。


「やれやれ……びっくりさせて……。あんま、心配させんじゃないぞ」
 シュナイトはほぅ……と一息つくと、ユノスの隣に腰を下ろす。
 眼帯の青年がルゥに呼ばれて駆けつけた時には、既にディルハムの姿はどこにも見
あたらなかったのだ。居たのは、嬉しそうな笑みを浮かべているユノスただ一人。
「心配……してくださったんですか?」
「…当たり前だろ。仲間を心配しない奴がどこにいる……」
 霧の方も既に晴れている。汗ばんだ額に優しく吹き付ける夜風も、見上げた所にあ
る夜空も、呆れるほどに澄み渡っていた。
「私、シュナイトさんに嫌われてると思ってたから……」
 その言葉に、何となくバツの悪そうな笑みを浮かべるシュナイト。
「長い黒髪の女にはちょいと因縁があって……な。それ以来、どうも長い黒髪の女の
人ってが苦手なんだ。別にユノスちゃんだけが特別に嫌いってワケじゃないぜ」
 そいつは、桁違いの力を持った邪悪な女魔術師だった。見事なまでの長い黒髪を揺
らして笑うその姿を思い出したのか、シュナイトは心持ち渋い表情を浮かべ……眼帯
に覆われた右目に、そっと指を寄せる。
 右の瞳が眼帯に覆われているのは、そのためなのだ。
「そうなんですか……」
「大将! 辺りにゃそれらしい影はねえぜ!」
 そんな取り留めもない事を話していると、辺りに偵察に出ていたレリエルが戻って
きた。今は彼の活動時間である夜だから、機嫌の方は良い部類に入っている。
「ま、ンな事は今はどうでもいいや。ルゥちゃん達も心配してるだろうから、早く戻
るとしよう」
 シュナイトはひょいと立ち上がると、座っているユノスの方に優しく手を伸ばした。


「ふぅ……」
 掌に収まるほどの小さな瓶を星の光にかざし、ラーミィは小さくため息をついた。
 小瓶の中には黄緑色のクスリの包みが二包み、納められている。ヴァートを爆発的
に増加させ、魔法力を極限まで高める事の出来るクスリだ。
 しかし、それには一つの副作用があった。
 フォルに鑑定して貰った話では、強くなりすぎたヴァートを精神がフォローしきれ
ず、精神が暴走状態に陥ってしまうと言うのだ。早い話が、毎回この間氷の大地亭で
起こったような暴走騒ぎが、クスリを使う度に起こってしまうのである。
「アズマ君とはもう絶対使わないって約束したけど……」
 暴走はしてしまうが、それ以上の副作用は無いという話だ。少なくとも、今持って
いる量を使った程度では。
「いざとなったら……」
 広い部屋の向こう側で眠っている少年をちらりと見遣り、ラーミィは静かにそう呟
いていた。
 【そうですか……。姫様にはお会いできたのですね?】
 巨大な広間に、穏やかな声が響き渡る。
「は。陛下の予想通り、我らを滅ぼすと言っておられました」
 その場所では、ディルハムの長……シュケルですら、小さく見えてしまう。3mを
越えるほどの大きさを誇る、ディルハムの巨体ですら。
【そうですか……】
 穏やかだが、荘厳さを感じさせる声。パイプオルガンのごときその声のおかげで、
広間はまるで教会の聖堂のようなイメージを見る者に抱かせる事だろう。
「陛下……」
 僅かに曇ったその声に、シュケルは心配そうな声を掛ける。
【いえ……それで良いのです。私達……いや、私が姫様達に迷惑を掛けるわけにはい
きませんからね……】
 男とも女ともつかぬその声に、悲壮感や大袈裟な決意の色は見られない。さもそれ
が当たり前……と言ったふうに、静かに……そして穏やかに言葉を紡ぐのみ。
【しかし、私がここに出て来られるのもこれで最後でしょう。段々とシステムの浸食
が激しくなっています。出来れば、ディルハム達のコントロールは譲りたくはありま
せんでしたが……貴方のコントロールを切り離して、姫様達の革命が成功できる手助
けをすれば……私の処理能力は限界です】
 体の中を巣くう『奴』の存在に気付いたのは、ほんの少し前の事。しかし、気付い
た時は既に遅く、革命軍の生き残りであるマナトとナイラ……そして、巫女である姫
に自分の監視の抜け穴を教え、『奴』への記憶を誤魔化すのが精一杯だった。
 だが、それももう限界だ。
「陛下! 私の事など! 僅かでも…自らのお体を……」
【シュケル。貴方は何かやりたい事があるのでしょう? 私が止まればあなた達ディ
ルハムも止まってしまいます。が、せめてそれまでの間だけでも……貴方は自分のし
たい事を成し遂げるのです】
 バベジのその言葉にシュケルの鋼鉄の脳裏をよぎったのは……一人の、少年の姿。
【それが、私に長年仕えてくれた貴方への、せめてもの…】
 霧の大地中に張り巡らされた監視機構を片っ端から停止させ、自分の中に残ってい
る監視記録を全て抹消させていく。これで、マナトや侵入者達の動きは『奴』には全
く掴めなくなってしまうはずだ。
 これが、自分を愛してくれた人達に出来る、最後の事。
【シュケル。貴方の忠誠に、心よりの感謝を……】
「陛下……」
 そして……
【……ちっ……。奴め、監視システムを全て破壊しおったな……ログも消えておるか
……忌々しい……】
 神聖なる聖堂は、覇王の居城と化した。
第5話へと続く
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