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読者参加型プライベート・リアクション
ユノス=クラウディア
第0話 Ignition Key(その2)



 「おお………」
 青年は、小さな感嘆の声を上げた。
 ぱらり
 そしてページを一枚めくり、文献の続きに目を通す。小さな文字でびっしりと埋め
られた羊皮紙が何百枚も綴じられている分厚い本なのだが、青年は異様なほどのハイ
ペースで読み進んでいた。
 「ふむふむ……。やはり、僕の仮説は間違っていませんでしたね……」
 そして、また一枚。
 一枚あたり、僅か数秒。青年はそれ程にこの本へと意識を集中させているのだろう。
 だが、それゆえに気が付かなかった。
 辺りにうっすらと漂い始めた殺気に。
 「なるほど……。そう言うことですか…」
 ぽんぽん…
 誰かが、青年の肩をそっと叩いた。
 しかし、青年は全く気付かない。
 「間違いなくこの近くに伝説の『霧の大地』は……」
 ぽんぽんぽん……
 また、叩かれる。
 そこへ至ってようやく気付いたようだ。しかし、青年は叩かれた辺りを軽く払うだ
けで、それ以上のリアクションは起こさない。
 ぽんぽんぽんぽん……
 「なあ、兄ちゃん……」
 さらに、叩かれる。しかも今度はドスの効いた声まで付いていた。ちょっとそのス
ジのヒトっぽい。
 「さっきから何ですか? 図書館というのは静かに本を読むところでしょう?」
 さすがの青年も振り返り、声をかけてきた巨漢の男…そのスジのヒトなどではなく、
この街の図書館の管理人だ…に向かってそう返事を返す。
 その瞬間。
 「なら、静かにしてもらえないあんたは出てってもらおうかね!」
 ぽいっ
 青年は抱えていた本ごと、図書館の外へ放り出されていた。


 「やれやれ…。またやってしまったみたいですねぇ」
 青年は苦笑しながら、街の市場通りをのんびりと歩いていた。
 無論、青年にも図書館を放り出された原因の自覚はある。だが、本当に無意識にやっ
てしまうその癖だけは、気を付けるからといってどうにもなるものでもなかった。本
人も出来るだけ気を付けてはいるのだが、一度集中するとついやってしまうのだ。
 「フォル先生。今日もまた放り出されたんですかい?」
 「ええ。僕としても努力はしてるんですが…」
 そう声をかけてきた果物屋の親父に苦笑しながら、青年…フォルこと、フォリント
…はそう返す。
 「まあ、あんまり気にしないで下せえや。先生のアレも、最近はこの街の名物なん
ですから」
 貴族出身の伝承学者であるフォルがこのユノス=クラウディアの街に来てから、ほ
ぼ半年が経つ。その間、図書館に行って追い出されなかった日は無いと言って良かっ
た。ついでに言えば、図書館に行かなかった日も一日としてない。
 そういうワケでフォルは図書館の司書には大層迷惑がられていたが…意外にも、そ
れ以外の街の人からの受けは良かった。どう見ても貴族に見えないボケ気味の昼行灯
な風体と、嫌味にならない程度の浮き世離れした性格が幸いしたのだろう。
 「そうそう。今日はおいしいリンゴが入ってるんですけどね…。どうです? お一
つ」
 「へぇ。それじゃ、一つ貰おうかな……」
 果物屋の親父はフォルから買物袋を受け取ると、目の前に積まれているリンゴの山
から美味しそうな所を適当に見繕って袋の中へ次々と放り込み始めた。一つのハズな
のに、やけに量が多い。
 「そいや先生、聞きましたか? 『歩くプレートメイル』の噂」
 趣味なのだろう。親父は割とありがちな世間話を始める。巷の話題に疎いフォルは
ほとんど聴くだけだったが、もともと聞き上手な彼のこと、親父の話も別に苦痛では
なかった。
 「3mはあるような巨大なフル=プレートが、深夜に街中をうろうろするってアレ
かい? 出てくる時には霧が出てくるんだよね、確か」
 2、3日前あたりからだろうか、フォルの陣取っている宿でも持ちきりになってい
る噂だ。そこまでの噂になっているから、さすがのフォルの耳にも入る。
 「へぇ。中には人が入ってないとか、本当はサーカスから逃げた猿じゃないかとか、
美人な猛獣使いの姉ちゃんが捕まってるとか、いやいや姉ちゃんは猛獣使いじゃなく
って美少女剣士だとか、色々訳の分かんない噂が立ってますがね。見た連中の話じゃ、
頭がなくなっても平気で動くって言うじゃないですか」
 親父は本気で怪しげな噂の例を上げながら、リンゴを袋に次々と放り込んでいく。
一体いくつ入れるつもりなのだろう。
 「頭が取れたって…本当なのかな? 別にディルハムじゃあるまいし…」
 「ディルハム? 何スか、それ」
 フォルの出してきた聞いた事のない固有名詞に、親父は眉をひそめる。
 「この辺りのものすごく古い伝承に出てくる鋼鉄の兵士の名前でね。鎧に魔法とは
違う力で魂を与える事によって生み出す事の出来る不死身の存在…っていうんだけど
……」
 フォルはリンゴを一つだけ入れてもらったハズなのに妙に重たくなった買物袋を受
け取りながら、そう答えた。



 少女は、瞳を開いた。
 「ここは………?」
 辺りを見回しても、その光景に全く見覚えがない。
 分かった事は、ここが室内である事と、今自分はベッドの中に入っている…という
事くらいだ。
 少女はベッドから半身を起こし、あたりを不安げに見回す。 しばらくすると、部
屋の扉の向こうから誰かの足音が聞こえてきた。さらに少しすると、その扉がばたん
と開く。
 入ってきたのは、一人の女性。
 「おや? 気が付いたんだね。あんた、5日も寝てたんだよ」
 女性はそう声を掛けてくる。二十代半ばだろうか。快活そうな印象を与える女性で
はある………が、もちろん少女の知った顔ではない。
 「あ、あの…あなたは、誰…ですか? それに、ここは………?」
 当然といえば当然の質問だろう。その少女の質問に、女性は明るい笑顔で答える。
 「あたしはクローネ。そしてここは『氷の大地亭』。あたしのやってる、この街で
一番の宿屋だよ」


 「という事は、クローネ様が私を……?」
 少女は小さな声でそう言うと、血色の良くなった頬へ色白な手をそっと添えた。さ
すがに照れているらしく、心なしか顔が赤い。
 「行き倒れなんてそうさいさいあるもんじゃないけど…。ま、そう気にする事ない
よ。もう2、3日寝れば体調も戻るだろうし…ゆっくりしていきな」
 クローネはそう言って笑った。
 そう。少女は街に到着した時点で力尽きたのか、速攻で行き倒れてしまったのだ。
その少女を拾って助けたのが、『氷の大地亭』の主である、クローネ。
 「いえ……。助けていただいて、ありがとうございました…」
 話を聞きおわった少女はそう言うと、深々と頭を下げる。しかし、顔を上げた時の
少女の表情は、そこはかとなく憂いが入っていた。
 「? 何かまだ心配事でも?」
 クローネはそう問い掛けながら、換気の為に窓を開ける。外に見えるのは、『ユノ
ス=クラウディアへようこそ』とでかでかと書かれている、街役場の立てた歓迎の看
板だ。典型的なお役所仕事と言った所だろうか、お世辞にもセンスの良いものではな
い。
 「あの……」
 言いにくい事なのか、少女は下を向いたまま。だが、ようやく決心したのか、顔を
上げ、口を開く。
 「お金が……無いんです」



 「おや?」
 宿に帰ってきたフォルは、ふと足を止めた。
 上の階から笑い声が聞こえてくる。ここの女将である、クローネの声だろう。
 「何だか賑やかですねぇ」
 フォルは妙に重い袋を抱えたまま、階上へと上がっていった。



 こんこん
 クローネと少女のいる部屋に、ノックの音が響く。
 「? 誰だい」
 浮かんだ涙をエプロンの裾で拭い、クローネが応対に出た。木製のドアをほんの少
しだけ開き、客が何者かを確かめる。
 「何だ。フォルさんか」
 そこにいたのは、細身で長身の少しだらしない格好をした男…フォリント。
 「いえ、何だか面白いことでもあったのかと思いまして…。あとこれ、リンゴです。
何だか沢山売ってもらったもので…お裾分けにでも」
 フォルは愛想の良い笑みをへらっと浮かべると、リンゴの入った袋を提げて見せる。
さすがのフォルもリンゴの数が多い事に気付いていたらしい。
 「それは悪かったね。それじゃ、あとで酒場の方で何か美味しいものでも作るよ」
 笑顔でリンゴの大量に入った袋を受け取るクローネ。お裾分けのはずなのに袋ごと
受け取るクローネと、それを全く不思議に思わないフォル。多少問題がある気がしな
いでもないが………まあいいだろう。
 「? この本は?」
 クローネは覗いた袋の中から一冊の本を取り出す。何だか良く分からないが、妙に
分厚い本だ。
 それを見た瞬間、フォルの表情がさすがに変わった。
 「ああ、その本はこっちに。図書館から借りてきた大切な研究資料でして……。
『霧の大地』に関わる、重要なね」
 クローネから本を受け取ると、フォルは大事そうにそれを抱える。リンゴや袋はど
うでもよくても、研究資料はどうでもよくないらしい。まさに研究者の鏡といえよう。
 「『霧の大地』!?」
 「!?」
 奥から突然聞こえてきた声に、驚くクローネとフォル。
 「あ、あの……すいません」
 声を上げたのは、奥のベッドにいた少女だった。よっぽど動揺したのか、ベッドサ
イドに置いてあった十キロはあろうかというサイドテーブルなんぞひっくり返してい
る。
 「? お嬢さん、『霧の大地』の事を知っておられるのですか?」
 フォルの問い掛けに、少女は首をぶんぶんと横に振った。怪しすぎる上に、あから
さますぎだ。知らない振りをするのなら、もう少しさり気なく知らないふりすればい
いのに…とクローネあたりは思ったが、流石に口には出さなかった。
 「そうですか……」
 少女の返答に、フォルは残念そうにそう答える。しつこく付きまとわない辺りが、
さらに研究者の鏡と言えるだろう。なかなか偉い。
 「と、クローネさん。こちらの方は? 例の行き倒れの方ですか?」
 フォルの問いに、クローネは首を縦に振った。行き倒れと聞いて、少女は頬を赤ら
める。フォルはそこら辺のデリカシーには思いっきり欠けていた。研究一筋の学者バ
カらしい事はらしいが、ぜんぜん偉くない。
 「そうだよ。それで、今日からここで手伝ってもらう事になったんだ。ね」
 クローネはそう言って少女に微笑み掛ける。別に泊まっていた間の代金のカタに働
いてもらおうというわけではない。経営が苦しいわけでもないし、クローネは別に代
金など要らないといったのだが、少女の方が納得しなかったのだ。
 「はぁ。で、お名前は?」
 一瞬、クローネの動きが止まった。
 「ああ、そういえば、あんた、名前は何て言うんだい?」
 クローネ自身がその事を聞いていなかったのだ。
 「名前?」
 そして、少女の動きも止まる。
 少女はしばらく焦るように視線を泳がせていたが、やがて……答えた。
 「ユノス……。そう、ユノス=クラウディアです」
 今度はクローネの動きとフォリントの動きが、同時に止まる。
 ユノス=クラウディア。
 それは、この街の名前。
 そして、少女…ユノスの部屋の窓から見える看板に書いてあった文字も、ユノス=
クラウディア。
 バレバレの偽名であった。
第1話に続く
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