田舎道を、がたがたとバスが走っていく。 かなり年代物のバスだ。時代から取り残されたような、旧式の型。 舗装もされていない道を、砂埃を巻き上げながらバスは走っていく。 ふと、甲高い音が響いた。 バス停である。 バス停も、田舎道と型遅れのバスに相応しい古いものだった。金属柱が半ば朽ちかけた標識に、ペンキのはげた長いベンチ。屋根もボロボロで、何とか雨をしのげる程度でしかないだろう。 客は若い男が一人。コートの襟に顔を埋めるようにして、ベンチに腰を下ろしている。 ドアが開く。 「お客さん、乗るの?」 そんな男に、年老いた運転手は声をかけた。声にやや警戒の色が混じっているのは、この路線を使うのが男の顔見知りばかりだからだろう。 「いや」 知らない男は短く答えた。 「人を、待ってるから」 「そうか」 運転手の言葉と同時にぷしゅ、という音を響いて、ドアが閉まる。 軽く砂埃を巻き上げて走り出すバスを、男はコートの襟に顔を埋めるようにして、静かに見送っていた。 第26話 『千年にわたる悪夢に、最後の一幕を』 ぎし、という軋んだ音がして、ベンチがわずかに歪んだ。 「兄さん、旅行かね?」 問われた言葉に、男は埋めたコートの襟からちらりと視線を動かした。 老人と、子供が一人。ベンチに腰を下ろしたのは老人の方だ。 「人待ちッス」 興味なさげに視線を前に戻すと、正面には子供が立っていた。 伸ばした手に握られているのは、あめ玉が一つ。 「いる?」 「……ども」 ポケットから手を抜き、小さな手には触れずにそっと手を伸ばす。ぽとりと落ちたあめ玉を、男は壊れ物でも触れるように軽く握りしめた。 「人待ち……? こんな田舎でか?」 「ここで約束したんで」 あめ玉を口に放り込み、男はそれ以上は語らない。 「……そうか」 だから、老人もそれ以上は問わなかった。 「こいつのこれ、怪我っスか?」 ふと、少年が口を開いた。 子供に額に真横に走る、大きな傷痕が気になったらしい。 「ああ。前に、例の事故でな……。儂もちょうど現場に居合わせてな……この有様だ」 老人が軽く左手を上げると、そこには手首がなかった。 「まあ、無事でいられただけ、マシだがの……」 「そうですか……」 それだけ言い、少年は再び沈黙。 しばし無言の時間が流れ、やがてバスがやってくる。ドアが開くといつもの老人の運転手が顔を見せ、「乗るの?」と聞いてきた。 「じゃ、儂らはこれで。孫を帝都まで送って行かねばならんのでな」 「うぃっす」 老人と孫を乗せ、がたがたとバスは走り出す。 少年はポケットに手を入れ、コートの襟に首を埋めたまま、無言でそれを見送っていた。 そこは、見渡す限りの白に染まっていた。 しんしんと降り積もる雪の中、少年はベンチに腰を下ろしている。コートや頭の上には白いものが層になっていたが、気にする様子もない。 ふと、積もる雪の感覚が途切れ、顔を上げた。 「風邪ひかない?」 傘を差し掛けているのは一人の少女だった。どこからやってきたのか、田舎には全くそぐわない、真っ白な服に身を包んでいる。 「……丈夫だから」 「そ」 そうは言いながら、少女はぱたぱたと少年に積もった雪を払ってやった。ついでに古びたベンチの雪も少し払い、ちょこんと腰を下ろす。 それ以上の言葉はない。少年がちらりと横を見ると、少女は黙って自分の手を見つめていた。かなり恨めしそうに手の平を見つめているあたり、よっぽど冷たかったのか、ベンチのささくれでも刺さったらしい。 「台場の迎えか?」 「違うわよ」 少年の問いに返ってきたのは、ぶっきらぼうな言葉。機嫌が悪そうなのは少年のせいか、手の平のせいかまでは判断が付かなかったが。 「それに、あなたが待ってるのはアタシらじゃないっしょ」 再び立ち上がり、ミニスカートの尻のあたりを軽く押さえる少女。どうやらそちらの方もぐっしょりと濡れてしまったらしい。 不機嫌そうな少女を見もせず、少年はコートの中から呟いた。 「……そうだな」 やがてバスがゆっくりとやって来て、白い服に身を包んだ少女を取り込んで、再び去っていく……。 ぎし、という軋んだ音がして、ベンチがわずかに歪んだ。 「兄さん、旅行かね?」 問われた言葉に、男は埋めたコートの襟からちらりと視線を動かした。 老人と、子供が一人。ベンチに腰を下ろしたのは老人の方だ。 「人待ちッス」 興味なさげに視線を前に戻すと、正面には子供が立っていた。 伸ばした手に握られているのは、あめ玉が一つ。 「おにーちゃん、暑くない?」 「……丈夫だから。あと、あめ玉サンキュな」 ポケットから手を抜き、小さな手には触れずにそっと手を伸ばす。ぽとりと落ちたあめ玉を、男は壊れ物でも触れるように軽く握りしめた。 「人待ち……? こんな田舎でか?」 「昔、ここで約束したんで……」 あめ玉を口に放り込み、男はそれ以上は語らない。 「……そうか」 だから、老人もそれ以上は問わなかった。 しばし無言の時間が流れ、やがてバスがやってくる。ドアが開くと若い運転手が顔を見せ、「や、こんにちわ」と笑顔で聞いてきた。新人だが、路線バスの常連の顔はもう覚えているらしい。 「じゃ、儂らはこれで。もう新学期とかで、孫を帝都まで送って行かねばならんのでな」 「うぃっす」 バスのステップに足をかけた所で、老人はふと足を止めた。 「そうだ。兄さん、前に会った事無かったかな?」 「……まさか」 顔を埋めたコートの奥。静かに笑う少年に、老人もシワだらけの顔を軽くゆがめた。 「そうだよな。すまん、儂の気のせいだったらしい」 帽子と軽く上げて挨拶すれば、額に真横に走る傷痕が露わになる。多分、例の事故で付いた傷だろう……と少年は見当を付けた。 老人と孫を乗せ、がたがたとバスは走り出す。 少年はポケットに手を入れ、コートの襟に首を埋めたまま、無言でそれを見送っていた。 「よぅ」 かけられた声に、少年はコートの襟の隙間からのろのろと顔を上げた。 「……遅せぇぞ」 そこにある見知った顔に気付き、穏やかに笑いかける。 「まだ待ってるなんて思うか? 普通。もう行ってるかと思ったぜ」 そう言ったのは小柄な少年。へらりと笑う無責任な声もいつもと同じ。全く変わらない。 「あいつらも待ってる。ぼちぼち行くとしよう」 水と柄杓の入った桶を軽く掲げ、真面目そうな少年も静かに笑う。軽く応じ、コートの少年も立ち上がった。コートの少年の方が頭一つ分高いから、周囲は少年を見上げる格好になる。 「ってアンタ、手ぶらなの? だったらコレ持ってよ」 「悪ぃ。とりあえず、待ってただけなんでよ」 軽く手を伸ばし、少女の持っていた菊の花束が入っている袋を受け取った。半ば押し付けられた格好だが、コートの少年にも不満はないらしい。 「ん?」 ふと、気配。 見下ろせば、そこには長い黒髪の少女が一人、寄り添うように立っていた。視線が重なっても、互いに口を開かない。 「ほら。心配してたんだから、何か言ってあげなさいよ」 「だなー」 「そうだぞ」 無言の少女に次々と投げかけられた援護に少年も苦笑。 空いた手で少女の手をそっと取り、軽く握りしめる。 「……遅くなった。悪い」 「……うん」 短い言葉に少女は無言で腕を絡めてきた。太い腕をきゅ、と抱きしめると、少年の方を見上げ、静かに微笑んだ。真面目そうな少年にしがみついている少女のような華やかさはないが、幸せそうな、可憐そのものの笑み。 初めて見る少女の心からの笑顔と腕に伝わってくる柔らかい感触に、さすがの少年も動きを止めた。 「熱いねぇ」 「……うっせーよ」 小柄な少年の冷やかしに軽く返すと、流石に恥ずかしかったのか少年は少女をそっと振り解く。 「悪い。それ、ちょっと恥ずかしすぎ」 代わりに少女の肩に触れ、軽く抱き寄せた。 「こっちなら、いいけど」 「……うん」 少年の厚い胸板にことりと頭を寄せ、静かに答える。 「バスは……ないか。じゃ、歩きかな」 花束の袋を軽く上げてボロボロの路線表を確かめると、コートの少年はそう呟いた。 もうコートの襟に顔を埋めてはいない。背筋を伸ばし、巨漢と言っていい長身で少女を支えるように、立っている。 「おう」 「ああ」 「そーね」 「……ええ」 各々が答え、少年達は歩き出した。 まっすぐ続く道を、どこまでも、どこまでも。 日が昇っていく。 光の中、夏の風が颯と吹けば、腐った金属のパイプが軋み、崩れ、落ちた。 もうはるか昔に廃線となったバス停の跡だ。崩れ落ちようとも、顧みる者は誰もいない。 朝日が差し、大地に転がったバス停の標識を照らし出す。 その場所の、名前は……。 |