「……んっ」 白いベッドの上で少女は顔をしかめ、身をよじった。 「……鞠那さん」 源河冬絵は濡らしたハンカチで額の汗を拭き、水を含んで重くなったそれを脇の洗面器で洗って絞る。一瞬どうするか迷ったが、胸元まで開いたブラウスの襟元にも手を入れ、汗に濡れた胸元も拭いてやる事にした。 拭かれて気持ち良かったのか、静の荒い呼吸が少しだけ落ち着く。 「……ふぅ」 一息ついて、ミナも小さくため息。 空が曇り始めた頃から、自分も頭が痛くなっていた。耳障りな音を聞かされているような感覚がさっきからずっと続いている。 音の源は上の方。屋上から。 「何やってるのよ……早く決着つけなさいよ、力王」 再び苦しみ始めた静の額を拭いてやりながら、少女は小さくそう呟いた。 「私に、挑むか?」 「問われるまでもねぇっ!」 スタートダッシュに、屋上の一角が砕け散った。 一瞬で相手の懐に飛び込み、渦巻く拳を叩き付ける。鈍い手応えと共に旋風の衝撃が飛び散り、柔らかいコンクリートを粉々に打ち砕く。 「……ちっ!」 受け止められ、捕まれそうになった拳を振り解き、再び間合を取るために跳躍。着地の衝撃に雨どいと窓が砕け散り、校舎を水と光の粒で包み込む。 「こんなものか」 一連の動作の間、ライメイは一歩も動いていなかった。ただリキオウの拳を受け止めるため、腕を少しばかり動かしただけだ。 「まだまだぁっ!」 再び踏み込み、接敵し、拳の連打。敵の動く気配を感じ、今度はさらに踏み込んだ。距離がなければ相手の攻撃を逆に封じる事が出来るからだ。 「……ッ!」 応じるライメイの腕は雷を帯び、紫電を撒き散らして空を薙ぐ。避けた雷撃がリキオウの横を抜け、給水塔を打ち砕いた。超高温の雷撃に塔内の水が瞬時に沸騰し、 爆裂する。 「な……何なんだよ、あの野郎」 立ちこめる水蒸気で失われた視界の中、リキオウは正面に拳を突き込んだ。だが、ライメイのいるはずのその空間を拳はむなしくすり抜ける。 気配を探ろうにも相手の気配が強すぎ、位置の特定をする事が出来ない。 「所詮は破壊神か……」 「……なんだと?」 ようやく霧が晴れ……。 ライメイは空の上にあり、静かにこちらを見下ろしている。 「分からぬなら良い。全てを知らぬまま、息絶えよ」 わずかに嘆息し、黄金のギガダイバーがついに自ら動いた。 通常より長い右腕をゆっくりと天にかざし、拳を握り込む。内側の器官から小さなスパークが生まれ、それに呼応して曇天から雷が放たれる。 右腕に無数の雷が絡み付き、渦動し、伸び上がり、雷の渦はやがて長大な槍へと姿を変えていく。 リキオウは本能でそれが何かを悟った。 「……ストライカーだと!?」 力の大きさはリキオウやセンマルのストライカーに並ぶ。気配こそギガダイバーだが、強さは間違いなくテラダイバーと互角。 そして、質も互角。 「ライトニング・ストライカーという」 構えた槍から無数の雷光がほとばしり、リキオウを打ち据えた。ダメージこそ無いが、全方位に放たれた雷光は収束し、一瞬のうちに雷の槍とリキオウとをつなぐ道へと姿を変える。 「来るがいい。この学園ごと滅ぼされたくなければな」 動作は一瞬。 限りなく光速に近い一撃を避ける術はない。 輝きの道を一瞬で駆け抜けた光の槍は、リキオウを貫き……爆発的な電気エネルギーを炸裂させた。 「苦戦していますね、兄さんは……」 校舎の一角を巻き込んだ爆発を見上げ、繊丸は静かに呟いた。 避難して誰もいなくなった中庭。力を失い、人の姿に戻った少年は、体を半ば埋もれさせるようにして力なく横たわっている。 「ですが、繊丸様」 傍らに控える日美佳も静かに頷くと、そっと少年の腕を取ってひざまずき、少年の耳元に囁きかけた。 「次に逆らえば、貴男の命は……」 取られた赤い腕に、力はない。ライメイの攻撃で砕かれたそれは、日美佳のなすがままだ。 「……分かっていますよ」 軽く引かれ、埋まった体が引き上げられた。 固さを失った腕がロープのように張られ、数分前までは白かったシャツの袖をさらなる赤に染めていく。 「ですが、見物場所を変えるくらいは、手伝ってくれるのでしょう?」 一歩踏み出す事に襲いかかってくる全身を引き裂くような激痛にも、眉一つ動かす事はない。 歪みかける目を開いたまま、上層の激突を見守り続ける。 「兄上……黒きテラダイバーの真価を見せて下さいよ。今、ここでね……」 「きゃぁっ!」 過電流が流れ、片っ端から砕け散った蛍光灯にミナは悲鳴を上げた。だが、とっさに眠る静に覆い被さり、降ってくる破片から彼女の体を守り抜く。 リキオウが戦い始めてから、大地震のような衝撃が間断なく襲いかかってきていた。ガラス窓はおろか、耐震金具の付いた薬品棚も倒れている。ガラス瓶がなかったのか、薬瓶が割れていないのはせめてもの救いだったが……。 衝撃の度にぱらぱらと小さな何かが崩れ落ちてくるこの校舎も、いつまで持つか分からない。 保険医は逃げてしまったのか、誰が来る気配もなかった。 「どうしよう……。何でこんな時にいないのよぉ……セイキチぃ」 ミナ一人では静を運び出す事が出来ない。動かすだけなら何とかなるが、途中で何かあればどうにもならないだろう。 頼りになる医師見習いの少年を思い出し、ぽつりと呟く。 「もう、やだぁ」 再び校舎が揺れ、ミナは半泣きで静を抱きかかえた。 半壊した校舎の上、影はゆっくりと立ち上がった。 「く……そぉっ!」 腹からこぼれ落ちる鮮血を手で押さえつけ、無理矢理に止血。憎悪すらこもった視線で上空のライメイをにらみつける。 既に力王達が戦っていた学生校舎は3階と屋上部分が半ば砕かれ、原形を留めていない。リキオウが立っているのも3階建てだった校舎の2階である。 机と椅子の残骸を蹴り、立ち上がる。 ふと、爆発音が響いた。 「……何っ!」 見下ろせば、舞い上がる砂煙の中に白い巨大な影が一つ。 白く長い毛に覆われたそいつがいる場所は……。 静とミナのいる保健室だ。 「ライメイ! テメェ……っ!」 何の迷いもなくライメイに背を向け、走り出す。 「敵に背を向けるか……」 「今はテメェに構ってる暇はねぇっ!」 ライメイから放たれた雷光を片手で弾き返し、2階から跳躍。保健室の前に着地し、そこに現れた白いギガダイバーに拳を叩き付けた。 「そこから離れろ!」 長い毛を掴み、保健室に半身を埋めた叫びのギガダイバーを引きずり出す。甲高い叫びが響き渡り、その衝撃でリキオウの損傷箇所から鮮血が吹き出るが、そんな事は気にもならない。 ただ、中の二人の少女を守る事だけが頭を支配し、そのためだけに体を動かした。 ちらりと中を一瞥。静は無事だ。ミナは逃げたのか姿が見えないが、少なくともこの場で怪我をしたり、死んだりしてはいないらしい。 「ライメイ……正面から来るのかと思えば……くそっ!」 豪風が巻き、怒りと共に拳を叩き込む。破壊を伴った風が白いギガダイバーの長い毛を巻き込み、断裂し、風を突き破って貫いた破壊の拳が長い毛に覆われた本体を打ち砕く。 わずか一撃。 断末魔の叫びと共に、叫びのギガダイバーは風の中に散った。 「なら、どうするね? テラダイバーよ」 「……壊す。徹底的にな」 静かな問いに再び跳び、リキオウは戦場へと舞い戻る。 最後の戦いへと。 風のうなりと断末魔にかき消され、その叫びは誰の耳にも届かなかった。 ただ二人をのぞいて。 「……静さん」 折れていない左腕で汗で前髪の張り付いた額にそっと触れ、繊丸は静かに呟いた。血みどろの姿だが、触れる指だけは血に染まっていない。 「繊丸様」 日美佳が濡れたタオルを持ってきたのに気付き、その場を半歩離れる。 少女の呼吸は浅い。時々くぐもった喘ぎ声を漏らすあたり、相当に苦しいのだろう。 「兄さんは……最後の選択をしましたよ」 鋼と鋼がぶつかるような重く鈍い音が響き渡り、学生校舎から少し離れたこの棟を揺らす。 最後にして、最初の戦いが始まった合図だ。 「それでも、貴女はあの人に付いていくつもりですか……?」 むなしく響くその音を、繊丸は妙に寂しげに感じていた。 「それが貴様の選択か。リキオウ」 拳と拳がぶつかり合い、衝撃があたりを揺らす。 「ワケ分かんねぇ事言ってんじゃねえよ! 知るか、そんなもん!」 怒りのこもるリキオウの拳は、既にライメイに負ける事はなかった。痛覚を凌駕した意志は、雷の衝撃すらも受け付けない。 純然たる怒りと力が、最強のギガダイバーを徐々に押し込んでいく。 「俺は……奴らを守る為に戦うだけだっ!」 渦巻く疾風が黒く染まり、漆黒の拳を包み込む。 「その拳で何を砕いたか……言ってみろ」 黄金の腕が吼え、大気に眠る雷の粒子を励起し、収束させていく。 「『敵』だ! そして、お前が最後の敵だと聞いた!」 叫びと共に生まれるのは、漆黒のテラ・ストライカー。 「そうか」 沈黙と共に生まれるのは、黄金のライトニング・ストライカー。 「私で終わりに出来るのなら、どれだけ良い事か……」 雷の炸裂音に包まれ、金色のギガダイバーの言葉は少年には届かない。 それでも、男は拳を構えた。 「……まあいい。それを貴様が望むのならばな」 「ゴチャゴチャ言うなよ……。着けようぜ、決着をな!」 どちらが望むも正面からの激突。避ける気など、毛頭無い。 互いに加速。一人は地を駆け、一人は空を舞い。 力の拳を振りかぶり、目の前の敵を打ち砕くべく叩き付ける。 刹那。 黄金の拳がわずかに揺れ、半瞬だけずれた。 「なっ!」 「いっけぇぇぇぇぇっ!」 黒と金。二つの破壊が正面からぶつかり合い、やがて漆黒の輝きがあたりを包み込んでいく……。 「……繊丸、様?」 そう呟き、日美佳はゆっくりと振り向いた。 そこにいるのは、白いテラダイバー。 構えたままのリニアガンは、いまだパチパチと閃光を放っている。 「……裏切り、ましたか」 血に染まった手を伸ばし、少年にそっと触れた。 「兄さんが選択した以上、僕も選ばなければなりませんので、ね」 純白の頬に真っ赤なラインが刻まれ、それが進むに従って純白の体がもとの肌色へと戻っていく。 白きテラダイバーの放ったリニアガンは二発。 一発は日美佳を貫き、もう一発はライメイの拳を打った。 「……でも、どうして」 とさりと軽い音を立てて美女の体が崩れ落ちる頃には、白の狂戦士はもとの少年の姿へと戻っていた。 「一応、僕にも再生能力はあるんですよ。貴女ほどではないにせよ……ね」 その顔に浮かぶのは、いつもと変わらぬ穏やかな笑み。軽く上げた右腕は、既に折れも砕けもしていない。 全てが終わった戦場で、少年は静の細い体を抱き上げた。 「後は好きにさせてもらいますよ、兄さんのようにね」 二つの生と、二つの死。 それが生まれた保健室も、黒の光が覆い隠して……。 エイカク シラヌイ ヤマイ フユエ ヒミカ ヨシナダ ミツルギ カザナ ……ライメイ 世界を混沌に落とし込む9体のギガダイバーは消え去った。 戻ってくる。 待ち続ける。 それは、彼の求めるものか。 次回 テラダイバーリキオウ 第26話『千年にわたる悪夢に、最後の一幕を』 |