それはまさしく悪夢であった。 放たれた拳が迫ってくる。 力を集めた防護壁も、鉄壁を誇る装甲板も、そいつの前では意味など持たない。ただ歪み、ひしゃげ、砕け散るのみ。 護るためではなく、破壊されるためだけに、そこにある。 拳が迫る。 放つのは、赤い瞳の持ち主。 狂気と破壊、憎悪の持ち主。 己と相手の間に立ちふさがる全てを砕き、ねじ伏せ、己を滅ぼさんと、ただ迫ってくる。 破壊。 力なき守りが消え、迫る拳に全てが砕け散りそうになった刹那。 目が覚めた。 寝間着に触れれば、したたるほどの汗にぐっしょりと濡れている。 「……嫌な、夢」 闇の中、そいつはぽつりと、そう呟いた。 第10話 『繊丸 白きテラダイバーの狂気』 「ハルー。3人で帰りにゲーセン、どうだ?」 特に中身のないカバンを取りつつ、力王はハルに声をかけた。 「悪い。今日は用事あんだよ」 だが、その言葉を前にして返ってきたのは、少年にしては珍しい謝罪。 普段なら面白いゲームが出たとか可愛い店員がいるとか何とかで、向こうから力王を強制連行するような奴だというのに……。 「何だ? 最近付き合い悪いぞ」 ミナのように間近に迫った文化祭の実行委員を引き受けたとは聞かないし、セイキチのように部活に入ったとも聞いていない。これほど騒がしい奴が部活に入れば、どこからか情報は伝わってくるはずだ。 そういえば、昼飯に誘った時もハルは応じてくれなかった。 その時はミナも忙しく、セイキチと二人でわびしく昼食を済ませたのだったが……。 「悪い」 じゃな、とだけ残し、ハルはいずこかへと姿を消す。 「ハルの野郎……彼女でも出来たんかな」 「あり得ない事じゃないな……」 ぽつりとそう呟き、力王とセイキチは教室を後にした。 ギシギシときしむ階段を上ると、今にも崩れそうな古びた廊下とボロい扉の列がある。8列ある扉の一番奥、それが力王の部屋だった。 結局ハル抜きでゲーセンに行く気にもなれず、力王の部屋で今日出た雑誌でも読もう、という事になったのだ。暇はあっても金のない学生だから、そうそう遣ってばかりもいられない。 「ありゃ?」 ドアノブに手をかけると、がちゃりと扉が開いた。 「……不用心だな」 「おかしいなぁ……」 一応、出る時にかけたはずだ。もっとも盗られる物など何もないから、空き巣が入った所で別に困りはしないが……。 用心しながら扉を開け、中の様子をうかがう。 いた。 空き巣よりもっとタチの悪い奴が。 「ちょっと黙ってろな、セイキチ」 小声で合図を取り、セイキチが頷き、一歩下がったのを見て……。 バタンとドアを開けると、力王は勢いよく叫んだ。 「繊丸! テメ、人の留守中に何やってんだ!」 叩き付けられた声に、中の人物は平然と笑顔を返した。 「おや、兄さん。お帰りなさい」 繊細といえる細身のラインに、穏やかな声。品良く仕立てられた服装の上にあるのは、ごく自然な笑顔だ。 力王と完全に対称をなす少年の名は……台場繊丸。 「台場の連中はナニか? 空き巣のやり方でも教えてんのか?」 「まさか。管理人さんに話したら、合い鍵を貸してくれましたよ」 御曹司と呼ぶに相応しい実弟にトゲのある言葉を吐きながら、力王はあたりを見回す。 「詐欺師になれるよ。テメェは……」 中古のテレビ。粗大ゴミから拾ってきたようなちゃぶ台。散らばったマンガ本と、街指定のゴミ袋に無造作に突っ込まれたカップラーメンの空。 家を出る前と変わりのない光景だ。……多分。 「全く、台場の嫡男ともあろう方が何て言葉遣いを……」 一つだけあるボロいタンスの中を確認している実兄に、繊丸は苦笑する。 「俺はあの家とは関係ないって前に言ったろうが」 タンスの中身も変わりなし。当座の生活資金が入っている封筒も、ちゃんとある。 「……はぁ」 穏やかな弟も、台場の御曹司ともあろう者のあまりにしみったれた姿に、思わずため息が出た。 「お父様が、戻ってきても良いとおっしゃっていましたが……その様子だと、返事は聞くまでもありませんね」 「たりめーだ。さっさ帰れ。あんな家、お前が好きにしたらいいだろうが」 「僕の体が弱いのを知らない兄さんじゃないでしょう?」 その言葉に、今まで黙って場を見守っていたセイキチがわずかに顔を上げる。実家が医者で自らもそれを志望するだけに、気になったのだろう。 「知るか。それこそ、台場の資本力で何とかすりゃいい話……」 荒い言葉をまたもや返しかけ、力王の口が止まった。 「……どうしました?」 普段なら自分の言いたい事を途中で止めるような兄ではない。だからこそ台場の実家とは相容れず、出奔するハメになったのだから。 「帰れつったら、帰れ。弱けりゃ、セイキチにでも送ってもらえ」 「おいおい、俺に振るか……」 途端に頑なになった兄に、繊丸は苦笑。何の心境の変化があったのかは分からないが、いずれにしても帰る気はないらしいと悟ったらしい。 「はぁ。外に車を待たせてあるから構いませんよ。お父様はラストチャンスだとおっしゃっていましたが……いいですね?」 「くどい。さっさと帰れ」 「何があっても知りませんからね。それじゃ」 ため息と苦笑を残し、弟はその場を去っていった。 やがて、大型車の大排気のエンジン音がかかり、遠ざかっていく。 「おいおい……弟にああまで言う事もないだろうが」 その音が聞こえなくなってから、セイキチはさすがに口を開いた。いくら兄弟仲が悪いといっても限度がある。少なくとも、一人っ子のセイキチにはそう思えた。 だが、一方の力王は厳しい表情を崩さない。 「来やがったんだ。しょうがねえだろ」 その一言で、全てを理解した。 「……来たのか?」 「ああ。ちっと出てくるわ。適当にやって、飽きたら帰ってくれ」 手早く私服に着替え、ポケットの鍵をちゃぶ台の上に放り投げる。あたりを見回して誰もいないのを確認すると、崩れかけた窓を乗り越えた。 「鍵は?」 「いらね。どうせ盗られるもんなんてねえし」 言い残し、そのまま落下。 ダイブという叫びが聞こえた次の瞬間、足元から蒼い戦士が流星のように天に駆け上っていった。 舞い降りた先にいたのは、蛇に似た異形だった。 白く長い毛とその隙間から覗く巨大な口は、先日の叫びのギガダイバーを思い起こさせる。長く巨大な体は、15mはあるだろうか。 5mの高みから鎌首をもたげ、赤い目でこちらを睨み据えている。 構えを取るこちらに気付くや、ゆっくりとした動きで首を天に向け……。振り下ろすようにしならせ、 −ヤァァァァァァァアァァァァァァァァァッ!− 吼えた。 「な……ッ!」 防御の姿勢を取る間もなく。 リキオウの体が激しく揺さぶられ、足元のアスファルトが粉々に砕け散った。その威力は先日の白い巨獣の比ではない。 「く……ぅ……っ!」 ……衝撃波が収まった時。リキオウは体をぐらりと傾がせ、思わず片膝を着いていた。 全身の血液が沸騰したような感触に全身の力が抜けたようだ。 その様子を見るや、大蛇は再び咆吼の構え。 だが、流石に今度はリキオウにも防御の構えを取る間があった。 ムリヤリに力を込め、構え、集中し、衝撃波に叩き付けるように拳を突き出して防護壁を生み出す。 咆吼。 −ヤァァァァァァァアァァァァァァァァァッ!− 無駄だった。 「がぁぁっ……っ!」 前面からの衝撃波は防げても、左右や背後から反射する音は防ぎようがない。ひるんだ瞬間に防護が失われ、直撃。 再び全身がかっと燃え上がり、リキオウはその場に崩れ落ちた。 しゅうしゅうと威嚇の声を上げる大蛇のギガダイバーは、こちらに近寄る気配もない。 「畜生……遊んでやがる……」 怒りを胸に、ゆっくりと身を起す。 自分が負けたら、この街は奴に破壊される。鋼鉄のサソリに戦いを任せる気などさらさらない。 負けるわけにはいかなかった。 2度の衝撃波で軋む体を気合で従わせ、強引に拳を構える。 「野郎……」 強い想いに、拳の周りの空気が動いた。 「……いける!?」 念じる。集中する。 残された全ての力を振り絞り、右の拳に注ぎ込んだ。 風が生まれる。 護るため、目の前に立ちふさがる全てを打ち砕く力を持った、必殺の風が。 強い想いに支えられているが故か。圧倒的な力を秘めた破壊の風はリキオウを振り回す事もなく。静かに、けれど力強く従っている。 右腕を引き、悠然と構えた。 「行くぞ……」 対する大蛇も咆吼の構え。 向かうこちらも必殺の構え。 −ヤァァァァァァァアァァァァァァァァァッ!− 「テラ……ストライカァァァァァァァァッ!」 咆吼と咆吼が。守りの衝撃と破壊の衝撃が。 重なり、ぶつかり合い。 ……砕け散り。 崩れ落ちたのは、蒼きテラダイバーだった。 「嘘……だろ……」 その場に倒れ込んだまま、リキオウは呆然と呟いた。 破壊の拳、鉄壁の防御、そして必殺のストライカー。 苦戦した時はあった。拳が、防御が通用しない敵もいた。 だが、その度に逆転してきた。無敵の再生能力が崩れた体を立ち上がらせてくれた。必殺のストライカーが、全てを打ち砕いてくれた。 それが、通用しない。 三度の衝撃波の直撃で、常人ならざる鋼の体も言う事を聞かなかった。 その時だ。 大排気のエンジン音が聞こえ、止まり。 開く、ドアの音。 動かぬ体をムリヤリに動かし、音の源を見る。 「あンの……馬鹿っ」 繊丸がいた。 正面に蛇の異形を見据え、あくまでも穏やかな表情で。 対する蛇は鎌首をもたげ……。 「畜生がぁっ!」 叫びと同時、弾かれたように体が動いた。不死身の再生能力が働いたか、それとも無意識の行動か、そんな事は一切関係なく。 爆発的なダッシュで大蛇と繊丸の間に割り込み、一瞬で拳を構える。 大蛇の咆吼にぶつけるよう、無我夢中で拳を突き込んだ。 「がぁぁっ!」 砕かれるアスファルトの音に、リキオウの無言の悲鳴が重なった。幸い、リキオウを要とした扇状の空間……繊丸とリムジンを護る範囲……だけは衝撃波による破壊を免れている。 だが。 「甘いよ、兄さん」 崩れ落ちた蒼いテラダイバーに掛けられたのは、無感情な声だった。 「繊……丸?」 半ば呆然としたまま、異形の兄は弟の冷淡な表情を見上げる。 己の正体を見抜かれた事よりも、その表情に呆然と。 「……兄さん」 対する弟は、異形の兄を静かに見下ろした。 否。 哀れみの籠もった目で蔑み、見下した。 「こんな雑魚に手こずるようじゃ……」 ゆっくりと伸ばされた少年の華奢な腕。 それに絡み付くように伸びる、細い帯状の『何か』。 純白のそれは、絡み付き、筒状となり、やがて砲身の姿を成していく。 「繊丸? お前……?」 正面に立つ叫びの大蛇も目の前の相手が何者か悟ったか、咆吼の構えを取る。 衝撃より先に、雷の如き鋭い貫通音が響いた。 そして響くのは、破壊力を持たぬ、死を目前とした叫び。 「僕が殺す意味がないじゃない」 純然たる断末魔を残し。頭部を貫かれ、打ち砕かれて、5mの巨体が轟音と共に崩れ落ちた。 その前に立つのは細身の御曹司ではなく。 左右に長い砲身を従わせた、白き、人型のすがた。 テラダイバー・センマル。 誰に示されるでもなく、リキオウはその名を知った。 センマル。 テラダイバーの名を冠し、『ストライカー』を操る純白の破壊神は、今までのあらゆる敵を超える力を持っていた。 鉄壁の防護壁を砕く狂気。 不死身の再生の及ばぬ力。 破壊さえねじ伏せる破壊。 全てを圧倒する破壊と狂気は、リキオウの『護る決意』を凌駕する。 そして……。 次回 テラダイバーリキオウ 第11話『リキオウの死』 |