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 そっと伸ばされたてのひらが、蒼という異様な色を持った肌に触れた。
 戦いの間は痛みも、温度すら感じぬ蒼き肌に、その感触だけはしっかりと伝わってくる。

 すがるでもなく、愛撫するでもなく。触れる少女のてのひらは、文字通り、ただ、触れるのみ。
 柔らかく、ひんやりとした感触。
 血の流れすら静という名の通りなのか、少女の手の平は明らかに温度が低い。だが、戦いの後、煮えたぎった血を駆けめぐらせている戦士からすれば、その冷たさも心地良さに変わる。てのひらの冷たさが体中に染み渡り、沸騰する血液を徐々に冷ましていく。
 そして、蒼き戦士はごく自然に少女の前に跪き、戦の装いを解いた。

 まるで神に懺悔し終えた狂戦士のように。


テラダイバーリキオウ
第06話
『鞠那静の極めて平穏な一日』


 終業のチャイムが鳴り終わると、学校はにわかに喧噪に包まれた。
 次の授業の準備を始めねばならない授業間のそれとは明らかに違う、開放感にあふれた喧噪。ある者はクラブ活動に向かい、またある者は家に帰るためにカバンを取る。
 もちろん、家に帰った後は塾などであらたな緊張に縛られるわけだが……放課後のこの一瞬だけは、ほとんどの者が浮ついた開放感に浸っていた。
「なぁ」
 そんな中、また別種の緊張感を持った声が、力王に投げられた。
「んー?」
 緊張感などまるでない声が、返事をする。
「鞠那って、何者なんだ?」
「……はぁ?」
 呆れたような相槌に、ハルは言葉を続けた。
「だってアレだろ? テラダイバーになったお前を元に戻したりするしさ。最初に俺達がリキオウの所に行ったのだって、あいつに着いて行っただけだしよ」
「そうなのか?」
「……そういえば、そうだな」
 そう。あの日、行方不明になった力王を探していたハル達3人は、ふと出逢った静の先導で力王の戻ってきたクレーターに辿り着いたのだ。
 当然ながら事情を知らない力王に、セイキチが手短に話して聞かせる。ハルでは話が長くなりがちだから、こうはいかない。
「そいや俺達、鞠那の事は何も知らんな」
 力王とハル、そしてミナとセイキチの4人はもともと仲が良かったのだが、鞠那静とはほとんど付き合いがない。彼女が4人とつるむようになったのは力王がテラダイバーに変化するようになってからだ。
「だからよ。今日、あいつの実態調査をしようと思うんだが……」
「趣味悪いわねぇ……」
 男二人に代わって苦笑を返した隣席のミナに、ハル。
「あ、ミナ。お前ら女子の間じゃどうなん? 鞠那って」
 ハルの男子間での情報網は広いが、女子の間ではさほどでもない。女子の事情は、女子に聞くのが一番早いというワケだ。
「別に。嫌われてるワケじゃないけど、誰とも仲が良いわけじゃない……って感じかな」
「じゃ、お前も行かない? 気になるっしょ」
「勘弁。なんか熱があるみたいだし、もう帰るわ」
 そう言われてみれば、ミナの顔は心持ち赤い。足取りも微妙にふらついているように見える。
 机の上にあるカバンを取ろうとして……別の腕が伸びた。
「送っていこうか?」
 セイキチだ。彼は実家が医者だけあって、病気や怪我にはことさら神経を使う。ミナやハルはおろか、丈夫で滅多に病気にならない力王も、何度か世話になっている。
「……いいの?」
 赤い顔のミナの前に、もう一本腕が伸びた。
 剣道のせいでがっしりしているセイキチの腕よりさらに太い腕。
「セイキチんち、逆だろ? 俺が家が近いから、俺が送ってく……」
 その瞬間、伸びかけた力王の腕が止まった。
「……痛ぅ……」
 踏まれたのだ。足を。
「あんたは鞠那さんでも追っかけてりゃいいの」
 短くそう言うと、赤い顔のミナはセイキチと教室を出て行ってしまった。
「……何なんだよ、オイ……」
「バカだろ……お前」
 何一つ理解していないふうの力王に、ハルは小さくため息をついた。


 静は、歩いていた。
 ごく普通に歩いているはずなのに、足音はほとんどない。その名の通り、足音まで静寂を守っているかのように。
 ふと歩みを止め、静かに振り向いた。
 腰まである艶やかな黒髪が流れ、感情をほとんど出さない漆黒の瞳が、広くもない路地の向こうをじっと見据える。
 通りには何もない。
 ……沈黙。
 静は振り向くのをやめ、再び無言で歩き出した。


「……何だアイツは。忍者か」
 ポリバケツの陰に隠れ、ハルは上げそうになった声を必死に堪えた。
「わかんね。何なんだろうな」
 一方の力王は電信柱の陰に隠れていた。壁に体を押し付けてはいるものの、体格の良さが邪魔してあまり効果はなさそうに見える。
 鞠那静の追跡は困難を極めた。
 小柄な上、足音も気配もほとんどないため、人混みにいればすぐに見失いそうになる。かといって人気のない道では、今のように振り返ってくる。
 普通の女の子なら、視線を感じればちょくちょく振り返るのは当たり前だろうが……静の場合は少し違う。
 タイミングが絶妙なのだ。
 それはハルと力王が会話を交わそうとする瞬間だったり、片方が通りの看板に気を取られた一瞬だったりする。一度や二度ならともかく、八度振り返った全てがそんなタイミングであれば、狙っていると思いたくもなる。
「と、また見失う」
 住宅地は道が入り組んでいるから、一つ角を曲がられるとすぐ見失ってしまう。一応静の家の住所は学生名簿で控えてあるが、このあたりの地理に疎い二人では辿り着けないかも知れない。
 出来るだけ音を立てないようにこっそり走り、静が曲がった路地の向こうを確認する。
「……いない!?」
 そこには誰もいなかった。
 直線にして100mほど。まだ静の家までは距離があるはずだし、曲がるような角もない。
「……どうしたの?」
 ぽそりと声が掛けられたのは、二人の背後からだった。


「はぁ……」
 畳敷きの小振りな部屋に正座し、小さな身体をさらに縮こまらせて、ハルは心底居心地悪そうにため息をついた。
 いわゆる、お茶室というヤツだ。成り行きで鞠那静の家に招かれ、最初に通されたのが離れだという小さなこの和室。茶室に招かれたのも初めてなら、離れなどいう金持ちしか持たないような建物を見たのも初めてだった。
「何だよ、ハル。ちったぁ落ち着け」
 一方の力王は恐縮した様子もない。ハルの隣で正座しているのは同じだが、こちらは余裕の態度で悠然と構えている。
 いいよなぁ……お前はお坊ちゃんで、とハルは余裕の力王を見ながらそう思ったが、言うとまた殴られそうだったのでやめた。
「……どうぞ」
 着物に着替えた静に点てられた抹茶も、力王は無造作に取り、慣れた手つきで口へと運んでいる。一方のハルは、おっかなびっくりで力王の真似をして口に運び、あまりの苦さに顔をしかめるだけだ。
 空になった碗をしげしげと眺めている力王を見て、自分も真似して茶碗を眺めてみる。……全然分からない。ただ、茶碗も何とかいう高いモノなんだろうなぁ……などと考えるだけで、気持ちが沈んでくる事は分かった。
「何の、御用ですか?」
 ふと、静が口を開いた。
 一分の隙もない着物姿だ。清楚で落ち着いた雰囲気を持つ黒髪の少女には、いつものセーラー服よりもこちらの方がよっぽど似合って見える。
 そのぶん、彼女の持つ近寄りがたさなども増していたが……。
「何か……って言ってもな……」
 そんな少女に静かに問われ、ハルは言葉に詰まった。まさか本当の事を言うわけにもいくまい。
 その時、茶席の外から老婆の声が掛けられた。
「お嬢様。お客様がお越しですが」


 茶室に通された客を見て、力王は声を荒げかけた。
「せ……っ!」
 叫ぶまで至らなかったのは、茶室という場所柄を考えただけだ。ここがコンビニや学校の教室なら、間違いなく叫んでいた。
「繊丸……おまえ、何でここに」
 台場繊丸。
 力王の弟だ。
 一分の隙もない和装をまとった長身の青年は、素人のハルですら分かる完璧な動作で茶室の末席に腰を下ろした。それに応じ、静も無言で茶を点て始める。
「鞠那は台場の分家ですよ? 近くの親戚の家に顔を出すくらい、別に珍しくはないと思いますが……」
 一礼して、出された抹茶を静かに飲み干す繊丸。力王など足元にも及ばない、作法にかなった美しい動きだ。
「今日は鞠那の叔父様に用がありましてね。用が済んだので、静さんにも挨拶をしておこうと思っただけですよ。お気遣いなく」
「誰がテメェなんぞに気を遣うか」
 既に力王の方は正座すらしておらず、畳の上にどっかりとあぐらを組んでいる。ことさら無礼に振る舞い、繊丸に張り合っているかのようだ。
「では、失礼ですが、僕はこれで退席します。静さんも、あまりご無理をなさいませんよう」
 はい、と小さく答える静に穏やかな笑みを一つ投げると、繊丸は一礼し、緊迫した空気をはらんだその席を後にした。


 繊丸が去った後の空気は、はっきり言って最悪だった。
「なぁ……」
 ハルが口を開いても、返事はどこからもない。
 静はいつも通り超然と黙ったまま。力王もふてくされて、機嫌悪そうに座っている。
 自分がストレスに弱ければ、この場の空気だけで命に関わるな……とハルは本気で思った、その時。
「……来ました」
 ぽつりと、静が口を開いた。
「……来た?」
 次の瞬間、力王も弾かれたように立ち上がる。
「『敵』か!」
 裸足のまま外に飛び出すと、周囲を見回す。
 古めかしい白壁に囲まれた鞠那邸の庭は、水を打ったような静寂に包まれている。もちろん外から眺めようとする者など誰もいない。
 いける。
「……ダイブ!」
 叫ぶと同時、跳躍。
 庭に気を遣ってか、最初の踏み込みは軽い。ただ、その踏み込みでも3mほどの白壁を飛び越えるには十分だ。危なげなく着地し、矢のように駆け出す時には、既に蒼い巨人に姿を転変させている。
 本能が導くまま、蒼いテラダイバーは疾走を開始した。


「……あー」
 小飼春人は取り残されたまま、呆然と呟いた。
「……えと」
 女の子は苦手ではない。むしろ好きと言っていい。それに自慢ではないが、話し上手な彼は女の子に結構人気があるのだ。
 だが、その場だけは困っていた。
 ……間が持たない。
「行ってください」
「え?」
 和装の少女がぽつりと言った言葉に、ハルは耳を疑った。
「行く処があるのでしょう? 台場君には伝えておきますから」
 少女の変化のない表情からは、考えを読み取る事などとても出来ない。全てを見通しているような静かな視線に、わずかに足が退いた。
「……あ、ああ。悪い」
 そして、ハルも鞠那邸を後に走り出した。


 近いな。
 ブロック塀の並ぶ街を駆けながら、リキオウはぼんやりとそう思った。
 2度目の変身以降、己の意識をだいぶ保てるようになっている。意志ひとつでパワーを調整できるから、走る時もスピードをうまく調節する事が出来た。
 『敵』のいる方向を感じるまま、たばこ屋の角を曲がり、馴染みの商店街を跳躍でやりすごし、直線道路でスピードを上げる。
 近い。
 リキオウの住んでいるアパートは、ここからならすぐ近く。という事は、風邪で早く帰ったミナのコンビニも近いということになる。
(ミナとセイキチが近所か……)
 目をつり上げた赤い顔が脳裏をよぎった。
 剣道着を身につけた、精悍な友人の顔が浮かぶ。
 護らなければ。
 単純にそう思い、意識を集中させる。
(この感じだと、ヤツは公園か……?)
 直感のまま、今度は力強い踏み込みで大跳躍。両腕を広げて滞空時間を調整しながら、家の並ぶ住宅街を見下ろす。
 ……いた。
 目指す公園のど真ん中に、長い毛に包まれた巨大な姿がある。
 鋼鉄のサソリはまだ来ていないようだ。
「……一気に決着をつけてやる」
 この高度から直接蹴りを叩き込めば、一撃で倒す事も出来るだろう。
 リキオウは戦闘態勢を整えると、鋭い降下を開始した。



−次回予告−

 それが放つのは叫び。
 拒絶、畏敬……そして、恐怖。
 全てを退ける叫びのギガダイバー。
 断絶の叫び。無敵の拳すら通じない鉄壁の守りを攻略する術はあるのか?

 そして、現れた意外な男とは?

 今こそ放てストライカー! 全てを打ち砕く暴君の一撃を!

 次回 テラダイバーリキオウ
 第07話『必殺技を会得せよ! 発動テラストライカー』
続劇
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