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Foreign x Foreign
(後編)
[2012/12/27]



 ゆっくりと髪を滑るのは、小ぶりな櫛。
 それを操るのは、へらりと微笑む小柄な男。
「ああ。やっぱりキューティクル、ひどい事になってますねぇ」
 そうぼやく割には、男の手は一度として少女の髪を引っかける事はない。所々ほつれ、枝毛になり、乱れているはずのボサボサの髪なのに……。
「何か文句あるの? おじさん」
「いえ。ただ、勿体ないなぁ……と思うだけでして」
 男の手つきは驚くほどに滑らかだ。
 高校に通うようになってからは、近所の散髪屋から美容室などに行く事も増えた少女だったが、どこの美容室の手つきよりも優しく、少女の頭に痛みはおろか、一切の引っかかる感覚も伝えはしない。
「でも、何で今から自殺するのにこんな事やってんだろ、あたし……」
 そうだ。
 そもそも、このビルの上には飛び降りるつもりでやってきたはずなのに。
 何故、知らない男に穏やかな風の中、こうして髪を整えられているのか。
「死化粧って言葉があるでしょう」
「それって死んだ後にするんじゃないの?」
「女の子なんだから、死ぬ前だって可愛くなくちゃいけません。……違いますか?」
 男の提げていた小ぶりな鞄の中には、幾つもの化粧道具が詰め込まれていた。
 それが、男の商売道具なのだという。
 商売道具……というか、売って回るための商品なのだと。
「どーでもいいよ……」
 飛び降りの現場は、一度だけ見た事がある。
 砕け、飛び散り、真ん中の人だった物体は、もはや何かも分からない物体に成り果てていた。
 少女もすぐにそうなるのなら……こんな事に何の意味があるのか。
「おじさんにとっては、大事な事です」
 鞄の中から小さな瓶を取りだして、慣れた手つきで手に馴染ませる。撫でるように頭を滑っていくそれは……少女にとって、初めての感触だった。
「ふぁ……っ!?」
「痛かったですか?」
「いや……頭撫でられたのとか、初めてで……」
 少女には、かつて弟と妹が一人ずついた。けれど少女はもっぱら弟たちの頭を撫でる側であって、彼女の両親は彼女の頭を撫でてくれた事など一度もなかったのだ。
 そしてその両親も、今は別れて音沙汰もない。
 父親に付いていった弟や妹も、今は何をしているのやら。
「お母さんはお元気なんですか?」
「さあね」
 もう三ヶ月は会っていないだろうか。時折家に帰っているらしき気配はあったが、今はどこの男の家に転がり込んでいるのか、見当も付かない。
「おや、この手は……」
 ふと掛けられたその声に、少女は思わず思考を元へと引き戻す。
「ちょっ。見ないでよ!」
 もう初夏だというのに厚手のセーターの袖口から覗くのは、幾つもの躊躇い傷。周りに見られないように、無理に着ていたセーターで誤魔化していたのに……。
「大丈夫ですよ。こうすれば……」
 だがそんな手元に、男の手がそっと伸び。
「…………え」
 男の小さめの手がそっと撫でれば、手首のそれは拭い去られたように消えていた。
「ちょっ。おじさん、今どうやったの!? 魔法?」
「まさか」
 目を見張る少女に男は控えめに微笑むと、鞄の中から小さな箱を一つ、取り出してみせる。
「コンシーラ。知りません?」
 少女も年頃の女の子だ。その位は知っている。
「え……こんな綺麗になるの!?」
 けれど、母親が目の下の隈を隠すのに使うそれを幾ら塗っても、少女の傷は消えるどころか余計に目立ちすらしていたのに……。
「一応、プロですから」
「美容師?」
「……営業です」 
 浮かべるのは、やはり自信なさげな笑顔。
「それに、髪だってほら」
 呟き、傷の消えた手に長い髪を取らせてやる。
「…………嘘。なんで……」
 艶やかに指の間から滑り落ちるそれは……もう何ヶ月も前に、少女が失ったはずのものだった。
「ちゃんと手入れすれば、もっと綺麗になりますよ。今はまあ、色々と誤魔化してるだけですけど」
「え、おじさん、魔法使い!?」
「営業ですってば」
「まさか……死神の?」
 前に読んだ漫画に、そんな人物が出てきた気がする。
 死ぬ前に一つだけ願いを叶えるというそいつは、確か死神会社の『営業担当』という肩書きを持っていたはず。
 もっともその死神は美形の青年で、目の前にいるような冴えない男ではなかったけれど。
「……ただの化粧品メーカーですよ。名刺、いります?」
 だが、確かに男が慣れた様子で胸ポケットから取り出した名刺は、あの世どころか地元の住所が書いてあるものだった。
 もっともその化粧品メーカーは、少女の知らないメーカーだったけれど。
「ああ、知らない顔ですねえ」
「うん。でもこれ、すごくない?」
 傷は消える、髪には艶が戻る。母親の高価な化粧品もいくつも使った事のある少女だが、ここまで効果の出る化粧品など見た事がない。
 むしろここまで効果のある品が無名という事の方が信じられなかった。
「まさか、凄く高いとか……?」
「そうでもないんですけど……」
 そう言いながら男の口にした値段は、確かに言うほど高くなかった。決して安いわけではないが、先程ほどの効果があればお金を出す者は少なくないだろう。
 正直に言えば、少女も欲しい。
「え、それ無茶苦茶売れるでしょ」
 ここまで効果があってその値段なら、売れない理由が分からない。男はさして営業トークは上手くないようだったが、これほどの品なら黙っていても勝手に売れるはずだ。
「それがクレームばっかりでね……」
「クレーム……? アレルギーとか?」
 その問いにも、男は静かに首を横に振る。
「何故か、おじさんが塗らないとこんなに効果出ないんですよ。毎日、最初に塗ったように綺麗にならないから返品させろって電話が、山のようにねえ」
 先程のような効果が出るのは男が塗った時のみ。
 塗り方にコツがクセがあるわけでもなし、塗り方の指導や講習会などもしてみたものの、誰一人として男のような効果を出せる者はいなかったのだ。
「おじさん、うさんくさいでしょ?」
「それはまあ……ね」
 技能を生かして独立しようと思った事もないわけではないが、そういったコネやノウハウがあるはずも……そして何より度胸もなく、結局ズルズルと営業職を続けていたのだが……。
「そんな感じでもう疲れてですね。おじさんも、実はそこから飛び降りようと思ってたんですが……」
「そうなの!?」
「そしたらあなたが来てですね」
 止められては面倒だと思わず隠れてみれば、後から来た少女も同じようにフェンスを越えて、足を揃えて飛び降りようとしているではないか。
「ただおじさん、どうしてもあなたのその汚い髪が気になって……。職業柄ですかねぇ、メイクもしてませんでしたし、ついね」
 へらりと浮かべた笑顔に、力は無い。
 それは既に、生きる事を諦めた者の笑顔なのだと……同じ表情を浮かべていた少女は、ようやく気が付いた。
「何で死ぬの?」
「今から死のうとしてた人に聞かれるとは思いませんでしたよ」
「だっておじさん、すごいじゃん! あたしみたいなのでもこんなにして……。絶対才能あるって!」
「それを言ったら、あなたの方が。まだ学生でしょう?」
 些細なミスで大学を中退し、そのままズルズルと生きてきただけの男だ。ふとした弾みで営業職などに拾われてはみたものの、細々と暮すどころかクレームの嵐に巻き込まれて、気付いてみればこんな所に経っている。
「あたしなんてダメだもん。悪目立ちしてさ、もう誰も相手してくんないの」
 少女がどうしてこうなったのか。
 どこがターニングポイントだったのかも、もはや思い出せはしなかった。
 親が離婚した時か。
 手首にナイフを当てた時か。
 その後、次々と友達が離れていった時か。
 それとも……それとも…………。
「でも、あなたはおじさんの声を聞いてくれた」
「…………まあ、死ぬ前にさ。ちょっとくらい話、したいじゃん?」
 へらりと浮かべた微笑みは、男のそれと同じ物。
「あたしのケータイ、こんなだし」
 呟き、ポーチから出した携帯は、既に画面はひび割れていた。差し出されたそれをよく見れば、どうやら電源ももう入らなくなっているようだった。
 確かにこれでは、死ぬ前に誰かと話す事も出来ない。
「気持ち、分かります。おじさんもそうだったのかも」
 最後に話が出来て。
 少しだけでも認めてもらえて、良かったと思う。
「じゃ、一緒に飛び降りましょうか」
「えっ」
「ホントは貴女に生き残って欲しくて、声を掛けたんですが……」
 まあ、一緒というのも悪くない。
 それもこんな、男を少しでも気に掛けてくれる女の子と一緒なら。
「いやいやいや。あたしはともかく、おじさんは飛び降りたらダメだよ。もったいないじゃん!」
 男には技術がある。この技術をこのままビルの外から放り出すなんて、少女から見ればまさに世界の損失だ。
「あなたこそ、生き残った方がいい。世界はあなたが思うより、もっともっと広いんですから」
 少女には若さがある。
 そして世界は、少女が知るよりはるかに広い。少女の暮す学校や社会といったコミュニティなど、微々たるものだと笑えるほどに。
 それを知らぬままむざむざビルの外へと放り捨てるなど、男から見ればまさに宝の無駄使いだった。
「なら……」
 呟く言葉に、男は耳を疑った。
「あたしがおじさんを死なせない」
「は?」
「世界はもっと広いんでしょ?」
 少女の問いに、男は頷く。
 確かに男はそう言った。
 世界は、広いと。
「ならその広い世界に、おじさんも一緒に連れていく」
 浮かべた笑みは、力ないそれではない。
「そんだけ化粧の腕があるんだもん。口べたなのはあたしがフォローしたげるからさ!」
 立ち上がり、手を取る。
 引っ張ったのは、フェンスの向こう側へではない。
「よし決まりはい決まり。じゃ、行くよ」
 鉄製のドア。
 元の世界へ、狭く小さな世界へと至る、下のフロアへと向かう入口だ。
「どこへ!?」
「とりあえず、その腕がアピール出来る所なら、どこでも!」

 それが、二人の始まり。
 後に世界の歴史に名を残す女優と、その傍らに立ち続けたメイク係の物語。
 けれど二人の英雄の物語が語られるのは、もう少しだけ、先の話。



お題:ねー新井しーな、じさつするつもりの長女と笑顔が儚い営業マンのどちらかが、誰かのヒーローになるまでの話書いてー。

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