-Back-

[5/9 PM17:15 帝都外縁南 某住宅地]
 狭い森に、快音が響き渡った。
 宙を舞う木板を真っ二つに叩き割る、快いと形容するに相応しい打音が。
 誰かが持っているとか、何らかの支えのされている板であればともかく、宙を舞う木の
板である。普通に殴れば単に吹っ飛ばす事しかできないそれを真っ二つに割るというのは、
並大抵の技量ではない。
「ふぅ」
 だが、それを行ったのは1人の女の子であった。
 名を、緒方雛子。東条学園攻科……文字通り、『攻技』を司る戦闘学科……の3年生で
ある。
 首に巻かれたタオルで汗を拭って一息つくと、近くに置かれた大きめのバッグからス
ポーツドリンクを取り出す。このへん、普通のスポーツ少女と何ら変わるところではない。
「まあ、ぼちぼちかな……」
 彼女の基準から言えば、宙を舞う板を叩き割る離れ業も『ぼちぼち』でしかないようだ。
もっとも実際彼女ほどの腕を持ってしても、戦闘学科である東条学園攻科では中の上程度
の成績でしかないのだから、当然といえば当然といえるだろう。
「さて、もうちょっとやろっと」
 バッグから半ば顔を覗かせる携帯電話の時計で休憩時間を確認し、散らばった板きれを
拾い上げる。
 と、その手が止まった。
「?」
 雛子の耳に届いたのは、人の声。
 神社の裏手の森だから人の声がきこえるのは当たり前だ。普通なら雛子も気にするもの
ではない。
 気にしたのは、それが知っている人物の声だったからだ。
 村雨音印。
 同じクラスの、攻科生徒。飄々とした雰囲気をもった少年で、特に仲が悪いというわけ
ではないのだが……色々あって、これまで何度かぶつかった記憶がある。
「遙香もあんなヤツのどこがいいんだか……」
 ぽつりと呟いて、落ちかけた携帯を取った。
 音印は先日、雛子の友人の一人、伊月遙香に告白されたばかりだ。雛子としてはあんな
飄々としたヤツのどこが良いのかは分からないのだが、まあその辺は好みというやつなの
だろう。別に彼女が気にすることではない。
 ……だが。
「明日遊べますか……って、遙香から?」
 小さな液晶ディスプレイに受信表示されているのは、その遙香からのメールだった。送
信時間はほんの2分ほど前。てっきり音印と話しているのが遙香だろうと思っていただけ
に、意外な相手だ。
「じゃ、音印と話してるのは……」
 気配を殺して神社の方に移動する雛子。
 そこにいたのは音印と……
 彼と腕を組んでいる、見たこともない少女の姿だった。


番外編 −雛子と遙香のドキドキ☆ 大捜査戦線(ちょっと嘘)−
[5/9 PM17:35 帝都外縁南 某住宅地]  それから、ほんの20分。 「雛先輩!」  神社の参道をぱたぱたと掛けてきたのは、雛子に携帯で呼び出された遙香だった。よっ ぽど急いで来たのだろう。息は上がっており、さりげに膝もすりむけていたりする。 「ほらちょっと、静かにする!」  灯籠の所で待っていた雛子にそう言われ、僅かにトーンを落として言い直す。 「先輩……」  さらに、意志を固めるように一拍の、間。 「音印先輩がフタマタって、どういうことです?」 「あたしだって信じられないわよ」  森に向かって歩き始めた雛子は即答だった。 「でも、さっき知らない女の子と腕組んで、森の方に入ってったんだから……」  彼女の知っている範囲では、音印の浮いた噂というのは聞いた覚えがない。そのおかげ で、その辺の男のように硬派を装っているというわけではなく、関心そのものが希薄な印 象すらあったのだ。  どちらにせよ、彼が遙香と付き合うことになった話を聞いたときにはそれだけで意外と 思ったもの。  と。 「て、ちょっとあなた!」  二人の間をしれっと抜けていく女性を、雛子は慌てて呼び止めた。 「ん?」 「あなた、森の中に何の用事!?」  相当な剣幕でまくし立てる雛子に臆する様子もなく、女性。 「中に人が住んでんだけど、その差し入れ……なんだけど」  女性と言うが、歳はそれほど二人と変わらないか、少し上くらいだろう。さっぱりとし たショートカットに白系でまとめた服。洗い晒したジーンズだけが、衣装やアクセサリの 中で唯一の青を彩っている。  そして、手には鍋。  もしかしたら……学生結婚した主婦という線もありえる。勘だが。  その雛子の勘を微妙に察したのか、今まで黙っていた遙香が口を開いた。 「えと、その人って村雨音印って言いません?」 「なんだ。音印君の友達?」  ねいんくん。  女性の妙に慣れたその呼び方に、遙香の身体が僅かに堅くなる。  コノヒトハ、ネインセンパイノコトヲシッテイル。 −でも、さっき知らない女の子と腕組んで、森の方に入ってったんだから……−  それと同時に、少女の頭の中を雛子の言葉がよぎる。  けれど。  引き下がるわけにはいかない。  だから、遙香は静かに口を開いた。 「音印先輩の……彼女です」
[5/9 PM17:40 帝都外縁南 某住宅地] 「あー。そう言うことかぁ」  境内のベンチに腰を下ろし、カナンと名乗った女性はけらけらと笑った。本人の弁では 20はとうに越えているらしいが、その笑みだけを見れば、大学生どころか遙香達と同級 と言っても全く違和感はない。 「心配しなくてもいいって。あたし、音印君の彼女なんかじゃないから」  よっぽどツボにはまったらしい。目尻に浮かんだ涙を拭いながら、女性。目にかかった 前髪を掻き上げ、ようやく笑っていたのをやめる。 「じゃ、何で差し入れなんか?」 「あの子のおにーさんから頼まれててね。たまには面倒見てやってくれ、って」  カナンはその兄の彼女……というか、助手のような仕事をしているのだという。そのオー ナーが単身で海外に出掛けているので、カナンは暇なのだ。 「お兄さんがいるんですか? 音印先輩って」  音印に兄がいるなど、遙香にも雛子にも初耳だった。  もっとも、音印の私生活は謎が多い。というか、多すぎた。家の位置はもとより、家族 構成に至るまで知っている者はごく僅かだ。自分で自分の事を語る事もないし、聞かれて もただ単に笑っているか、そのままふらりと姿を消してしまう。一説によれば、東条学園 でも有数の能力者で構成された二大諜報機関『報道部』や『忍術部』でも、彼の尾行をす るのは至難の業だという。音印の穏行の成績は、それほど優秀なものではないというのに ……。  そんな謎に包まれた私生活を知っているのは、確かに家族くらいのものだろう。 「ホントのおにーさんじゃないんだけどね。みたいなもの、ってのがいるのよ。黒逸ハル キってんだけど……知らない?」 「ハルキ? あの探偵の?」  黒逸ハルキといえば、帝都でも屈指の探偵の名前だ。つい先日も箱根連続殺人事件を解 決した探偵として新聞にその名が載っていた。ただ、その時は帝都連続猟奇殺人事件とウェ ルド・パシフィックの飛行機墜落事件という大きなニュースがあったから、それ程大きな スペースではなかったけれど。 「そ」  そこまで言うと、カナンは傍らに置いておいた鍋を取り上げ、よいしょ、と立ち上がっ た。蓋をしてあるとはいえ、あまり長く置いておくと中身も冷めてしまう。 「じゃ、さっき腕を組んで歩いてたのは? それもハルキさんの助手ですか?」  カナンの後を追う、二人。 「ああ、あれはエイムっていってね。一緒に育った妹みたいなもんよ。腕組もうがほっぺ ちゅーしようが、恋愛感情はこれっぽっちもないから、大丈夫」 「そんなもんなんだ……」  そんなこんなでしばらく歩くと、目の前に高い岩壁が見えてきた。位置的には、神社の 本宮がある山の麓に当たるはずだ。確かにこんな誰も来ないような所に住んでいれば、気 付かれないのも無理はない。  そこに、音印はいた。 「あ、音印せん……ぱい?」 「あ、遙香ちゃん。どしたの?」  音印の名を呼びかけてそのまま動きを止めてしまった遙香に、名を呼ばれ掛けた少年は 動かしていた手を止め、首を傾げた。例によってCDのイヤホンは耳に突っ込まれたまま だ。  相変わらず凍っている遙香を見かね、雛子が口を開いた。 「音印君。そのでかいの……何? 多分、遙香ちゃん、それ見て凍ってるんだと思うよ」 「? ああ、これ?」  さも当然というふうに、音印は目の前の物体……ビニールシートと土に半ば覆われた、 2mはありそうな巨大な『顔』……をぱしぱしと叩く。カナンの方も何の違和感もなく、 例の鍋を遙香ほどもありそうな巨大な手の平の上に置いている。 「これは、『玖式』。見ての通り、巨大ロボットだよ」  遙香達は、音印の謎に包まれた私生活をまた一つ、知った気がした。
続劇



-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai