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[5/16 PM20:25 帝都外縁北 病院の廊下]
 淡いベージュに塗られた壁に、ぱたぱたという小走りな足音が響き渡った。
「廊下は……」
 病院の廊下はお静かに。そんな注意をしようとして口をつぐんだ看護婦さんに、軽快な
足音の主は明るい返事を投げ返す。
「あ、ごめんなさい」
 地下の売店で買ってきた花束の向こうにある顔は、遙香だった。
 晴れの日のような爽やかな少女の問いかけに対する看護婦の答えは僅かに曇ったもの。
「……今度から、気を付けてね」
「はい」
 だが、少女の返事に曇りはない。淀んだ雲を押し流す、爽やかな風の返答。
「……早く、よくなるといいわね」
 村雨音印が雅人と霙の手で『機関』直属のこの病院に担ぎ込まれたのは、昨日の夜遅く。
 内臓破裂に粉砕骨折、打撲や裂傷の数は数えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらい。正直生き
ているのが不思議とさえ言える状況だったが、強靱な回復力……この場合は復元力と呼ぶ
べきか……を与えられた戦闘生物であるためか、『命に別状はない』という判断が下され
ていた。
 ただ、構造の分からない人工生物であるため薬も使えず、とにかく安静に寝かせて置く
しかないという状態でもあったのだが……。
「ええ。でも、多分大丈夫ですよ。音印先輩の事だし、きっと……」
 きっといつもの飄々とした雰囲気で、挨拶の一つもしてくれる。
 後は何の問題もなくいつも通りの生活へ戻って、それでおしまい。自分は東条の平凡な
女子高生として。音印はただのCD好きなのんびり屋の少年として。
 もう彼の乗っていた巨大ロボットはこの世にないのだから。
「それじゃ、失礼します」
 その勢いのまま軽く一礼し、音印のいる病室へと駆けていく少女。
「ふぅ……」
 元気良く走っていく背中を見送り、看護婦はため息をついた。その様子を見た同僚の看
護婦が、小声で声を掛けてくる。
「あの子? 例の……」
「ええ……。あんなに元気でいい子なのに……何であんな子と……」
 別に音印が人工生物だからこんな事を言っているわけではない。能力者の多い外縁では
多少の再生能力など珍しくもないし、音印より異常な体質を持つ輩などもゴロゴロいる。
 これでも勤続10年の彼女からすれば、人工生物だからどうした、と言った所だ。
「そうね……」
 軽くため息をつき、同僚も頷く。
「目が覚めたら、とりあえず一発殴っとかないとダメね。あの子は……」


[5/16 PM21:02 帝都外縁北 病院の一室]
 レースのカーテンに遮られた部屋に、小さな声が流れた。
 蛍光灯の光の下、床に伸びる影は一つ。ベッドの傍らで静かに椅子に腰を下ろした少女
の姿。面会時間はとうに過ぎている上、付き添いは禁止されている病院なのだが、今日だ
けは医者も看護婦も彼女に口を出すことはしなかった。
「音印先輩……」
 そっと手を伸ばし、包帯とギプスに覆われた手に添える。指先の骨まで砕けているため、
手を握ることすら出来ないのだ。
「こないだのシングル……新しいの買いましたから。ちゃんと」
 彼女が音印の無事を聞いて最初にしたことは、CDショップに行くことだった。彼が気
にしていたマキシを買い直し、それからこの病院にやってきたのだ。
「だから……」
 少年からの返事はない。
 規則正しいリズムで呼吸を繰り返し、生命活動に異常がないことを示しているのみだ。
 生命維持装置などの余分な機械も一切なく、あるのは栄養剤の点滴が2つ繋がれている
だけ。包帯だらけの少年にこの外装品だけ見れば、そう大した怪我ではなさそうにも見え
る。
「早く、起きてくださいよぉ……」
 だからこそ、少女は泣いた。


[5/16 PM21:15 帝都外縁北 病院 庭]
 遙香が声を殺して泣いている窓の外。病院を包むように植えられた木の上に、一人の青
年が立っていた。
 闇に紛れた黒いコートは所々が千切れ、内の背広にもいくつか血の痕が滲んでいる。
 その彼に向けて、淡々と声が放たれた。
「彼が目覚める前に叩こうと思ったのですが……甘かったようですね」
「そうそう毎回、上手くいくはずがなかろう」
 男は静かに腕を組んだまま、どこからとも知れぬ声に向けてそう答える。
 霙堂での会議の後、音印の見舞いにと顔を出した病院での予期せぬ遭遇戦。ほんの数瞬
の前までその刺客と命を削る戦いを演じていたというのに……荒い息一つつかず、眉一つ
動かさぬ。
 男の名は、そう。
 巌守穿九郎。
「はは……彼に関しては、我々は手を引かせて貰いますよ。昨晩の冷気使いのお姉さんと
いい、あなた方といい、いくら僕でも分が悪すぎる……」
 それに、と間を置き。
「あの枕元のお嬢さんを泣かせっぱなし、というのも後味が悪いですからね……」
 苦笑。
 ほとんど同時に気配が消え、新たな気配が穿九郎の立つ木の下に現れる。
「……逃げたの?」
 気配が口にしたのはそんな一言だった。
 気配の正体は少女。意外にも雛子である。音印というより付き添っているはずの遥香を
気にしてこうしてやってきたのだ。もちろん、地理に不案内な穿九郎に頼まれてというの
もあるが……。
「ああ。だが……もう一人」
「え? ひゃあっ!」
 もう一つの気配は雛子の背後。気配すら感じさせずバックを取られた雛子は慌てて飛び
ずさって木の上に跳躍、穿九郎の後へと身を寄せる。
「貴様も音印を狙っているクチか?」
 穿九郎の黒と対照的な赤いコートに、サイレンサー付きの大型拳銃。今は鞘へと収めて
いるが、鋭い刃の殺気を持つ男だと……穿九郎の直感が告げてくる。
 危険な相手だ。先程の刺客と同格か、あるいはそれ以上に。
「イエ……そういうわけではありませんヨ」
 妙なイントネーションは残っているものの、流暢な日本語だ。
 名前までは思い出せないが、今日のレポートに載っていた人物である事は間違いない。
何度かはWPの傭兵隊ともぶつかっている相手だったはず。
 武器銃火器を自在に使いこなし、たった一人で特殊部隊の一小隊を相手に出来るとすら
あった、赤いコートの工作員。
「けど、それじゃ何でアンタ、気配なんか消してたのよ! 狙ってたんじゃないの!?」
 穿九郎の腕に遮られた後から、雛子が小声で叩き付ける。
 彼女が気配を消していたのは穿九郎と謎の少年の戦いで邪魔をしないためだ。いくら東
条の武闘派学生とはいえ、穿九郎達ほどの技量があるわけではない。
 しかし、目の前の彼ほどの腕前ならわざわざそんな事をする必要はないはず。むしろこ
れだけ戦闘態勢を整えているのなら、加勢に入ってくれてもいいくらいだ。
 そうでなければ……。
「別に。昔の戦友が困っているのを見るのは、忍びないものでしてネ……」
 だが、少なくとも今の彼からは何の殺気を感じることも出来なかった。殺意どころか、
敵意すらない。あるのは何か吹っ切れたような、清々しい気配のみ。
「……そうか」
 彼が何を考えていようとも、音印や彼の周りに敵対する存在ではあるまい。
「ならば、俺は帰るとしよう。貴様は?」
「なら、ワタシもそうしましょうカ……」
 拳銃をコートの内側に仕舞いつつ男は穿九郎に同意。すぐに気配を絶ち、夜の闇へと同
化して姿を消す。
「え? ちょっと、あたしはどうすんのよ!」
 二人の会話に慌てたのは雛子だ。折角遥香の様子を見に来たというのに、このまま帰っ
ては何の意味もない。
「……行きたいのなら行って来い。俺は……いい」
 刺客の言葉ではないが、女の涙は苦手だ。見舞いに入るには、少しタイミングが悪すぎ
る。


[5/16 PM21:18 帝都外縁北 病院の一室]
 こんこん。
 叩かれた窓に、部屋の中の影が首を傾げるのが見えた。
 こんこん。
 再び叩かれてようやく納得したか、窓に近寄り、窓の外の少女を見つけるやからり……
と窓を開く。
「遥香は寝てるのか……。っていうかアンタ、何やってんのよ」
 招かれるや否や。目の前の相手をジト目でにらむ雛子。
 そうなのだ。
 泣き疲れて眠ってしまったらしく、遥香は音印のベッド際に伏せたまま寝息を立ててい
る。この時間に看護婦さんが病室に詰めているはずもなく……。
「何って……病気療養中、なんだが。見て分かれよ」
 窓を開けたのは、意識不明のはずのこの部屋の主だった。
「……アンタ音印じゃない方のネインね!」
 音印ではなく、ネイン。彼の中で戦闘を司る人格である。
「うっせえ。コイツが目ェ覚ましちまうだろ」
「……。遥香がこんなに心配してるのに、何で寝たふりなんてやってるのよ。バカ……」
 そういわれて声のトーンを落とし、ぽそぽそと言い直す雛子。遥香の目を覚まさせてこ
の状況を見せてやりたい、という想いも確かにあるのだが、ネインにも何か事情があるの
かもしれないし……一応、彼の忠告に従っておく。
「出てこねえんだからしょうがねえだろ。俺だって好きでこうやってるわけじゃねえ。ア
イツには幸せになって欲しいんだよ。俺らもな」
 はぁ、とため息をつくと、一旦部屋の中に戻って遥香の肩に掛けられた毛布を直してま
た引き返してくる。
 窓枠に肘をつき、再びため息。
「っつーか、死人に鞭打つのもいい加減にして欲しいんだが……あのクソガキ」
「……は?」
 その言葉の意味を雛子が理解するまでに、しばらくの時間を要した。


[5/16 PM21:20 帝都中央部 移動中の車内]
「ええ。構いませんよ。いえ、貴方に動かれたら逆にこの世は終わっちゃいますから……
はい。それでは」
 仕事用携帯の通話終了ボタンを押して会話を終えると、ウィアナはどさり、と後部シー
トへ身を預けた。
「『この戦いで、帝都に現れた守護神は全て滅びる』……か」
 ぽつりと呟く言葉に、隣のシートに座っていたローラが返事を寄越す。
「予言ですわね、先日の戦いの」
 霙堂での会議の後だ。二人の泊まっているホテルは外縁北ではなく南にあるから、車が
着くにはもう少し時間がかかる。道が少し混んでいれば……縦貫鉄道あたりを使う方が早
い。
「そ」
 急ぐ仕事がないことと、こうして休息が取れるということ。もちろん確実に目的地に着
くメリットもある。だからこそ、彼女たちは自動車を使っているのだ。
「結果はどうでしたの?」
 言ってみてから、ローラは苦笑。
「……失礼。聞くまでもありませんでしたわね」
 ウィアナの予言の的中率は100%を誇る。全ての望んだ未来を自由に見通せるわけでは
ないが、少なくとも予言した未来が外れる事はない。
 それが彼女の『能力』。絶対未来予知という、S級すらはるかに越える超常の力。この
能力を持つからこそ、パナフランシスは機関の長として組織に君臨していられるのだ。
 ローラの言葉にええ、と否定する気配もなく頷いておいて、ウィアナは気怠げに続けた。
「あの時帝都にいた『守護神』は、全てこの世から消え去ったわ。そう、『守護神』は…
…ね」


[5/16 PM21:25 帝都外縁北 古書店『霙堂』]
 霙堂でのプレゼンが終わり、30分ほどが過ぎていた。
「可南さん……」
「何ですか?」
 会場だった居間にいるのは資料を片付けている雅人と、手伝ってくれているカナンのみ。
ほとんどの連中は帰ってしまった。主人代理である霙は本の整理に店へ戻っており、カナ
ンを連れてきたハルキも店の方。どうやら気になる本でもあったらしい。
「愛沙ちゃん達、心配してるよ。こないだのサッカー部の同期会も来なかったでしょ」
 内部の機器がようやく冷えたプロジェクターをケースに仕舞いながら、雅人は世間話の
ように口を開いた。
 カナンからの返事はない。もっとも、大学生くらいの娘が5つは離れているだろう男
から一流芸能人の名前をダシにして話題を振られたところで、普通は答えようもない所だ
ろうけれど……。むしろ引かれるのがオチだろう。
 だが、意外にも少しの間をおいて、ぽそっとした声が返ってきた。
「……いつからバレてました? 真人先輩」
 真人と雅人。
 まさととまさと。
 文字にすれば大きな違いだが、言葉にすれば僅かなイントネーション。その僅かな違い
を完璧に発音し、カナンはばつの悪そうな表情を浮かべて続けた。
「バレてたって……それ、気付かれてないつもりだったのか?」
 真人とは、御門雅人の本名である。
 最近はアパートの表札も御門で通しているから、彼の本名を知っているのは学生時代の
友人や家族など、ごく内々の人間に限られる。最近知り合いになったハルキやカナンは絶
対に知らないはずの名前だ。
 逆に言えば、目の前のカナンが雅人の知っている『千海可南』という少女と同一人物な
ら、知っていて当然の名前という事になる。
 そして……その予測はどうやら当たっていたらしい。
「あまりにもあからさまに可南だったから、逆に声を掛けづらかったんだが……」
 『千海可南』という少女は雅人の高校時代の2つ後輩にあたる。先程話題に出てきた未
織愛沙も件の『千海可南』と同級だ。
「……さいですか」
「君がハルキさんの所にいる理由は聞かないけど……せめて、サッカー部のみんなに顔く
らい見せたらどうだい?」
 高校を卒業した彼女は当時いた神奈川地区から帝都に上京し、そして行方不明になった。
以来、雅人や愛沙、当時同じサッカー部にいた同期生達、果ては他校のサッカー部員の手
まで借りて八方手を尽くして探したのだが……そう。雅人が探偵になった理由こそが、彼
女を捜すことだったのだから……今まで、何の手がかりも見つかっていない。
 公式には。
「……真人先輩、知ってるんでしょ? あたしの事情……」
「……そりゃ、まあ……少しはね」
 口を濁すが、それは嘘だった。
 彼は探偵だ。今までも彼女の情報を得る機会は何度となくあったし、彼女が失踪する原
因になった理由もほぼ完全な事情を把握する事ができている。
 だが、彼女の事を追おうとする度に、他の深い情報と同じく何らかの妨害や圧力をかけ
られていたのだ。
「あたしはハルキに護られてるから、まだ生きてられるんです。愛沙ちゃんや先輩達にま
で迷惑かけられないから……」
 そこまで言われれば、それ以上何も言えない。ウィアナからも止められていたし……。
「とりあえず、この件が落ち着くまでは内緒にしといてもらません? 色々ワガママ言っ
ちゃって悪いですけど……これが終わったら、同窓会に顔、出しますから……」
「ん、分かった。同窓会の時は電話するよ」
 小さな声で、お願いします、と言った少女の言葉を最後に、二人は黙々と作業を再開し
た。
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