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[5/15 AM 10:25 駿河湾内某所 海上]
 富士山を望む駿河湾、沿岸。
 そこに一機の飛行艇が舞い降りた。パイロットを含めて4人も乗ってしまえば一杯にな
る小さな機体の乗員は、今の所ふたり。
「やれやれ……ミス・ウィアナも人使いが荒い。日本に帰ってくるなり、これだもんな…
…」
 その内の一人である男は、ファイルに挟まれた地図を見ながらそう呟いた。狭い機内で
は地図を広げるスペースもないから、必要な部分だけコピーしてファイリングしてあるの
だ。
 地図は普通の地図。機密を守るため、マーカーなどは書き込みは一切描かれていない。
目的の場所の名前と位置は、パイロットと彼の頭の中だけに記録されていた。
 対するパイロットの方は全くの無言。ただ淡々と目的を遂行するためだけに、操縦桿を
握っている。
「それにしても、こんな所に研究所があるとはね……」
 苦笑した男はポケットから取り出した携帯のアンテナ数を確認すると、番号を押しはじ
めた。海上での携帯電話の使用は禁止されているはずなのだが、守る気はあまりないよう
だ。
 電話は3コールで繋がった。
『巌守だ』
「もしもし。私、御角雅人と申します。ウィアナ……」
『WPの輩とつるむつもりはない。帰れ』
 出てきた相手は男。声の調子から雅人と同世代くらいに聞こえるが、にべもない。
 がちゃん。
 速攻で切られるが、雅人も慣れたもの。悪びれる風もなく、再び同じ番号をプッシュす
る。プライベートなら発進履歴からリダイヤルを仕掛けるところだが、仕事中の電話は記
録の残る電話の掛け方は出来ない。
「帝都沖合に出現した『守護神』の事でお電話……」
『既に準備中だ。情報など不要』
 がちゃん。
 三度、かけ直す。
「その情報ですが……」
 がちゃん。
 またまた、かけ直す。
「進路に誤差が……」
 がちゃん。
 やっぱり、かけ直す。
 しゃべりかけて切られ、またかけ直すの応酬がしばらくの間、続いた。
「で、引き取りに来たんですが……」
『君もいい加減しつこいな。……分かった。入りたまえ』
 ようやく相手が応じてくれたのは、かれこれ15回目のかけ直しの時。
「何しろ、探偵ですから」
 巧妙に周囲の岩盤に偽装された入り口がゆっくりと開いていくのを、雅人は静かな面も
ちで見守っていた。

土曜日(裏) ―もう一つの帝都大決戦―
[5/15 AM 10:32 帝都飛び地一区 新帝都国際空港 ロビー] 「はい、どうぞ。宮之内蘭さん」  入国審査のゲートを通り、蘭は小さく息を吐いた。  何しろ日本は久しぶり。ウィタニアに留学してからはそのままウェルド・プライマリィ に転がり込んでしまったため、数えるほどしか帰っていないのだ。何となしの安心感から、 普段は感じていなかった疲れもどっとあふれ出してくる。  殉職した上司、ジム・レイノルドの葬儀から三日が過ぎていた。「一人で大丈夫」と気 丈に答えたレイノルド婦人に見送られ、蘭、リリア、パイソンの三人は合衆国を後にした のだ。 「それじゃ、パイソンはここでお別れだね」  フェンスの手前と此方に別れ、挨拶の言葉。  パイソンだけはここで別の便に乗り換え、新たな戦場に赴くことが決まっていた。フェ ンスの手前……入国審査を受けてゲートをくぐったのは久々に里帰りをすることになった 蘭と、それに付き合うリリアの二人だけだ。 「おう。お前らも元気でな」  軽く手を振り、パイソンは人混みの中に消えた。あまり大柄な男ではないから、すぐに 見えなくなってしまう。  次に会うのはどの戦場なのか……それとも……。  ジムの葬儀に出たおかげで冷静な蘭も今一ついつもの考え方が出来なくなっているよう だ。軽く頭を振り、悪い予感を追い払う。 「さて、と。乗り換えまではあと2時間……とりあえず、お茶漬けでも食べようかしら」  空港の売店のメニューを思い出し、呟く。 「お茶漬け? なんだいそりゃ」  日本に来るのはほとんど初めてのリリアはお茶漬けが何かを知らないらしい。お茶漬け とは何かを延々説明しながら、二人は国内線のロビーへのんびりと歩き始める。  だから、それには全く気が付かなかった。  もちろん、既に別の場所に行ってしまったパイソンも気が付くことはなかった。 「日本へはどういう目的で?」  入国カウンターに並んだ、一人の男の事など。 「目的……デスか?」  しばしの間を置き、男は答える。 「戦争……とでも言っておきましょうか」 「ははは。サバイバルゲームですか」  その返答を外国人一流のジョークと取ったか、カウンターの係はおかしそうに笑った。 青年のまとっている赤いコートを、軍流れのミリタリールックだと思ったのだろう。 「まあ、どちらにせよようこそ日本へ。シグマ・ウィンチェスターさん」  笑顔の男からパスポートを受け取ると、青年は悠然と日本の地に降り立った。 『さて、これからが『始まり』でス……』 『そう。ゼロとナイン、そして草薙……。我らに仇なす者の殲滅、成就せし時はこの時ぞ ……』 [5/15 AM 10:37 駿河湾内某所 巌守研究所 地下秘密基地]  消えていた意識が戻ってきたのは、突然だった。 「東条やお前だけではなく、あの予言者まで動く事態だったとはな……。そうだ。俺も出 る。ああ。こちらの方は任せてもらおう……」  耳に届いてきたのは、張りのある若い声。しかも日本語だ。相手の方の声が聞こえない 所をみると、どうやら電話をしているらしい。 (電話……という事は、ここはまだ、あの世ではないようだな……)  実際にあの世に電話があるかどうか、男は知らない。だが、戦争はないだろう……戦い を暗示させる言葉を口にしていたから……と、思う。  僅かに身をよじり、五体の全てが揃っているのを確かめる。  無精ひげがやや伸びすぎているようだが、それ以外に身体に欠落はない。  次に確認するのは、記憶だ。 (俺の名前は……ジム・レイノルド。家族構成……妻と、娘が二人……。所属……合衆国 軍第23傭兵分隊……元。それから、誕生日は……)  一通りの個人情報を思い出し、記憶の無事も確認。最後に、現在に至るまでの状況を思 い出してみる。 (第23分隊を抜けた俺は、護衛艦の搭乗任務を引き受けて……それから……)  同時に現在の状況との誤差を瞬時に理解し、がばりとベッドから身を起こした。 「あのクラーケンと……モービー・ディックは!」  そう。ジムの乗っていた護衛艦トロゥブレス号は30mに及ばんとする超巨大イカの襲 撃を受け、沈没してしまったのだ。  その声に気付いたのか、部屋の向こうから鋭い声が叩き付けられた。 「……気が付いたようだな。ジム・レイノルド」  声の主は先程の電話の男。細身の長身に、足下まである長いコート……いや、黒くはあ るが、造りは間違いなく白衣……をまとっている。ぱっと見れば日本人のようだが、平和 慣れした日本人には滅多に見ない鋭い視線、本物の戦場をくぐり抜けてきた戦士の目はど こか別の人種を感じさせた。 「あんたは……?」  ジムの首には軍時代からの識別票が下げてあるから、名前が分かるのは不思議でも何で もない。 「俺は巌守穿九郎。それから……」 「御角雅人です。あなたが眠っている3週間の間、個人情報の調査をさせて戴きました。 よろしく」  穿九郎の傍らにいたのは、黒いジャケットをラフに着こなした青年だ。こちらも穿九郎 ほどではないが、いくらかの修羅場をくぐりぬけたような雰囲気を持っていた。  組織付きのエージェントか、トラブル専門の私立探偵といった風体だ。 「3週間か……。それで、ここはどこなんだ? 日本ではあるようだが……」  個人情報を調べられた事はこの状況ではさほど不快ではなかった。かえって説明の手間 が省けると言うものだ。おかげでこちらが遠慮なく質問を切り出すことが出来る。  だが、穿九郎の返答は冷ややかなものだった。 「詳しい事は俺も知らん。御角雅人が説明してくれるだろう」  ガラス張りになっている一方の壁際……どうやら、この部屋は艦橋の様な構造になって いるらしい……まで歩むと、壁に拳を叩き付ける。それと同時に穿九郎を囲むように柵が 迫り上がり、柵に囲まれた部分が沈んでいく。 「それから御角雅人、あの女予言者に伝えておけ。今回の件はお前達WPに協力するわけ ではない、とな!」  ぉぉぉぉん!  エレベーターの向こうから聞こえた穿九郎の声に雅人が答える間もなく、地面が激しく 揺れた。思わずベッドから飛び出したジムの目に映ったのは……。  巨大な海中戦艦の姿。  3週間前、気を失う最期の一瞬に彼が見た、海を割る巨大な影の姿だ。 「あれは……モービー・ディック! 穿九郎君だったのか……」 「ではミスター・レイノルド。我々も行きましょうか。事態は一刻を争いますから」  振動が収まってから。出撃していく巨大戦艦を呆然と見送っていたジムに、雅人は静か に声を掛けた。 「行く? どこへ? 急ぎなのか?」 「ええ。気が付いて早々に悪いのですが、あなたには仕事を依頼したいと……僕の依頼主 がね」  その言葉にジムは苦笑。現在の状況も目の前の男が何者なのかも分からないというのに、 仕事を引き受けるも何もあったものではない。 「俺は傭兵を引退したって……そこまでは調べなかったか?」  とりあえずそう言って牽制してみる。実際、トロゥブレスの仕事をラストにするつもり だったから、引退したというのも間違いではないのだが。 「状況を聞けば、貴方は必ず引き受けてくれると依頼主が言っていましたよ」  だが、雅人の方も負けてはいない。 「まあ、いいだろう。どうせ、ここを出るには君の手を借りなければならないようだしな。 この3週間の状況も聞かせてくれるんだろう?」  と、そこに三人目の声が響き渡った。 「その話、俺も聞かせて貰えるのだろうな」 「穿九郎さん! 大穿神で出たのではなかったのですか!?」  再びせり上がってきたエレベーターの上で腕を組む、巌守穿九郎だ。 「大穿神には自動航行機能が付いている。俺がいなくとも、帝都までたどり着くなど造作 もない」  それよりも大事なのはジムに話すべき情報だ、と暗に示し、穿九郎はこちらを睨み据え る。先に宣言したとおり、雅人やそのバックにいる組織のことを信用しきっているわけで はないのだろう。 「その気性、大胆にして慎重……なるほど、ミス・ウィアナの言ったとおりの方ですね」  臨機応変な動きが要求される今回の作戦では、彼の行動は全て雅人に一任されている。 何を話したとしてもクライアントに咎められる事はない。 「いいでしょう。お話ししますよ。僕の知っている全てを、ね」  そして、三人は飛び立った。  一路、新帝都国際空港へと。
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