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[5/12 PM 8:30 合衆国某都市 町外れのホテル]
 合衆国の片田舎、小さなホテルの、そのさらに小さなバー。
「シグマが……いた?」
 ジムの葬儀が終わった後、私……宮之内蘭はそこのカウンターでそんな声を上げていた。
 ちらりとこちらに抗議の視線を投げたウェイターにやや気まずい思いをしながら、もう一度、
小さな声で言い直す。
「ん? 知らなかったのか? 参列者の中にいたぞ。リリアはともかく、ランはとっくに知っ
てると思ったが……」
 そう言った小太りの男の名は、パイソンという。私の傭兵仲間で、二月ほど前にジムが傭兵
を引退するまで、彼の片腕だった男だ。
 様々な情報に鋭い彼がそう言うのだから、そうなのだろう。情報戦から人の顔を覚えるよう
な事まで、こと情報に関する事であればパイソンの右に出る者はそういない。
 だが、その言葉に異論を挟んだのは、この場にいたもう一人、リリアだった。
「そんな……嘘だろ? あいつ、こないだの熱砂作戦で死んだはずだぜ……」
 !?
 この間の熱砂作戦!?
 私はリリアの行動報告も代筆したけれど、そんな事を聞いた覚えは全くない。彼女達と別行
動をしたのは研究所の突入場面だけだったから、そこで出会ったのだろうか……。
 そんな私の視線に気付いたのだろう。リリアは相当に気まずそうにぼそりと答える。
「……いたんだよ。敵の陣営にな。研究所に突入した連中を壊滅させたのが、ヤツだ」
 なるほど。やはり、報告書で出てきた『凄腕の傭兵』というのがシグマの事だったのか。け
れど、相手の名前まで分かっているのであれば……それを報告するのは常識、いや、義務だ。
 緻密な戦術と戦略が交差する近代戦でも、シグマのような『強力な一個人の活躍』が1万の
兵を圧倒し、戦略の常識をぶちこわすケースは……非常識ながら、ある。その傾向は『受験戦
国時代』となり、特異な力を持った『能力者』が幅を利かせる現代ではさらに強くなった。
 強力な個人は徹底してマークし、そんな常識の通用しない場面をできる限り排除する。これ
が、現代戦略において戦略を戦略として運用するための、最重要課題だ。
 リリアだってそれは分かっているはずなのに。
「報告書書くとき、ジムもあなたもそんな事一言も言わなかったじゃない。何で言わなかった
の……?」
「言えるはずないだろ。ンな事……」
 くいっとグラスのアルコールをあおりながら、リリア。酒の種類は興味がないから分からな
いが、リリアの飲む酒だ。相当に強い酒なのだろう。
「だって……。あんた、シグマ・ウィンチェスターと付き合ってたじゃないか……」
 空になったグラスをカウンターにことんと不景気に起き、リリアは寂しげにそう呟いた。

金曜日 ―果たされぬ約束(前編)―
[6/15 Notice Chapter <the first person of RAN>]  そう。  私がシグマ・ウィンチェスターと出会ったのは、ある雨の日のことだった。  場所はドイツ、ヒェッツガルデン。  私の勤めていたウェルド・プライマリィ社の実験工場だけがある、地図にも載っていない小 さな村だ。  降りしきる雨の中、私が彼に言った最初の一言は、 「いいわよ。うちに来なさいな」  だった。  私の名誉のためにあらかじめ言っておくが、私は見ず知らずの男性を家に泊めるような軽い 女ではない。それどころか、男性と付き合った経験というのも……(いささか恥ずかしながら) ない。  だが、カードを落としてしまったという彼の第一声が久しぶりに聞く日本語だった事や、朝 起きたら飼っていた猫が冷たくなっていた事。栄転とはいえ、ウィタニアの本社からこんな田 舎町にやってきた内面のストレス……何しろ、図書館もないのだ。この村は……いろいろあっ たのだろう。  とにかく、その言葉がごく普通に口から出た。  そして、濡れ鼠の青年も、 「はい。宜しくお願いしまス」  とだけ、静かに答えた。 [8/10 Notice Chapter <the first person of RAN>]  シグマがうちに来て、二月が過ぎた。  とは言え、別に同棲とか、共同生活というよう色っぽいものではない。当然ヒモでもなく、 居候というのとも少し違っていた気がする。  単に、私の持っていた『空間』の使わない一部を彼がたまたま使っていただけ。そう。ふら りと迷い込んできた野良猫に一夜の寝床を貸すような感覚……そんな表現が一番しっくりくる かもしれない。  シグマは本当に野良猫のような少年(年齢は聞いていないから本当に少年かは知らないのだ が)だった。  ぶらぶらしているかと思えば、どこかから拾ってきたスクラップの山を持ち込んで一晩中 取っ組み合っている。時折ふらりと姿を消して一週間ばかり姿を見せないかと思うと、朝起き たらいつものように居間のソファで寝ていたりする時もあった。  それでいて、不思議と私やアパートの住人達に迷惑は掛けない。せいぜい、日本風の風呂で もやろうとしたのか、風呂場を水浸しにする程度だ。それだって自分で片づけているから、私 に迷惑がかかるわけではない。  家賃や光熱費を入れる気配こそなかったが、時折冷蔵庫の物で作ってくれている夕食と、部 屋が妙に整頓されるようになった事を考えればその程度は気にもならなかった。  飄々と。  そして、淡々と。  静かで、穏やかな日々が続いた。  万事がそんな風だから、たまに彼や私の買ってきた食事を一緒に食べるときでも、会話らし い会話は起こらなかった。もちろん話をしないわけではないが、天気の事や見ているTV番組 の話など、話すのは無難な話題ばかり。  彼は私がこんなドイツの田舎町で何をやっているのかなど聞かなかったし、私も彼が何をし ているのか聞かなかった。シグマに興味が全くないわけではなかったが、迷い込んできた野良 猫に今までの経歴を問うても意味などない……野良猫も、一夜の宿の主が何者なのか詮索など しない……そう、お互いに思っていたのだろう。  と、思う。  そう。『あの日』までは。 [10/5 PM 2:30 ウェルド・プライマリィ社ヒェッツガルデン実験工場 支社長室 <the first person of RAN>] 「……出向、ですか?」  重厚なデスクの上に無造作に投げ出された一枚の紙に目を通すなり、私は目の前の女性にそ う問いかけた。  彼女こそ、私の大学の友人にしてこの軍需企業ウェルド・プライマリィ社の『会長』。私が こうして片田舎の実験工場で新型兵器のテストパイロットをしているのも、彼女の誘いがあっ たからこその事だ。 「そう。蘭には急なんだけど、明後日には中東に入っててもらいたいのよね」  紙は出向の辞令だった。中東まで、一週間ばかり出張をするようにと英語ならではの明快な 内容で書いてある。  そこで私は首を傾げた。  中東には私の仕事に関連する施設などなかったはずだ。新しくできたという話も聞かないし、 出向の意図が分からない。 「って、もしかして休みには予定があったかしら? デートとか」  さらに、私は首を傾げた。 「聞いてるわよ。年下の彼氏と同棲してるんですって? 蘭もそういうコトするようになった かぁ。うんうん」  納得。  会長は優秀な女性だ。目の覚めるような美しい金髪に、時折子供っぽい面も垣間見せる、涼 やかな蒼い瞳。米国タイム誌の表紙を飾るほどの美貌に、欧州のMITとも称されるウィタニ ア王立工大を飛び級で卒業するほどの頭脳まで持ち合わせている。  が、こういう風に誤解しやすい性格なのが玉に瑕。口を開けばこうしてすぐにボロが出る。 「同棲……ああ、シグマは違うわよ。ただの同居人」 「シグマ? ……へぇ、シグマって言うんだ。今度紹介してよ」  ……。  毎度のことなので、放っておく事にする。 「ま、いいわ。本題に戻すわね。今回の任務は強襲装兵の実戦テスト。OK?」  実戦テスト。兵器を実際の戦場に投入してみて、欠点や改良点を導き出す手法だ。テストと 称した別の『仕事』の場合もあるが……いわゆる、企業間抗争というヤツだ……まあ、社内の 裏事情を身内が語るのはやめておこう。  だが、それでも私は納得出来なかった。  私達の開発している機体の完成度はまだまだ低い。機体調整に本社へ出張するならともかく、 いきなり実戦テストとは……。  会長も私の表情に気付いたらしい。この辺は相当に優秀なのだ。 「……別にあんたの所の『キャメロット』出せなんて言わないわよ。あなたにテストしてもら いたいのは『ランスロット』の方。『ランスロット』は知ってるわね?」  ようやく納得出来た。  本社の開発プロジェクト2課は軍事用機器の開発グループだ。テストパイロットも軍から出 向してきた正規の軍人が務めている。  そのため、内部の『仕事』に彼等は用いられない。要するに、軍人が使えないから、私のよ うな軍とは関係ない純粋な社員が抜擢されたのだ。 「新構想の近接槍を使うとかいう2課の新型機? そう、完成したの……」  確か、ランスロットの開発はキャメロットよりも後だったはず。機体の根本的なスペックが 違うからという事を差し引いても、少しだけ悔しい。 「ご名答。何か台場の方もメガ・ダイバー出すとか言ってたから、ついでに色々見てきなさい な」 [10/5 PM 8:30 ヒェッツガルデン市街 アパート『楡の木亭』 蘭の部屋 <the first person of RAN>]  準備時間という事で会長からもらった昼からの休暇。私は早速荷物の支度をしようと部屋へ 戻っていた。  遊びの旅行ではないから、荷物は少ない。スーツは着ていくとして、仕事で着る作業服を2 着。後は洗面用具に下着、簡単な身の回りのものを少々。それだけを詰め込むというわけでも なく詰め、余裕だらけの旅行鞄を閉じる。  ほんの小一時間ほどで支度が済むと、丁度良くシグマが帰ってきた。 「そういうわけで、一週間ほど出掛けてくるけど……シグマ、合い鍵は持っていたわよね」  簡単に出張のことを話し、確認。  私は渡した覚えがないが、シグマはこの部屋の合い鍵を持っている。こういう場面もあるし、 そちらの方が私としても都合がいいので放ってあるのだが。 「おや、奇遇ですネ。ワタシも一週間ほど出掛けてきますので。合い鍵はお返ししておきましょ うか?」  合い鍵など渡されても困る。同じ鍵が二つあっても、単純に持て余すだけだ。シグマが持っ ていた方がよっぽど役に立つ。 「別にいいわ。もし帰ったのが夜だったら、勝手に上がって頂戴」 「ええ。分かりまシタ」  シグマは軽く頷くと、いつもの古ぼけたコートのポケットに鍵をしまい込んだ。
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