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[?/? 天の刻(AM 14:05) 『鏡の森』]
 森の中をさまよう男が聞いたのは、少女の物らしき悲鳴だった。
 久方ぶりに聞いた人の声だ。どうやら絶体絶命らしいその声にまずはそんな呑気な感想を懐
き、その数秒後には「これで助かった」という安堵感、さらに間を置かず、「助けないと!」
という使命感へと変わる。
 慣れぬ森の中を、男は背広姿で疾駆。ただ、都会育ちの彼にとっては疾駆のつもりでも、森
の民から見れば這うような速度でしかなかったのだが……それでも必死に走った。
 走ること数分。
 はあはあと上がってしまった息を……体力に自信がある男だったが、慣れぬ森の中を走るの
は相当な重労働だったのだ……整えつつ、男は目の前の茂みを半ばまでかき分けた。半分まで
しかかき分けなかったのは、様子見を含めた意味もある。
 目の前に広がっているのは、異質な光景だった。
 四人の少女が、熊に襲われていた。2m強と熊にしては小さめだが、全体的に小柄な少女達
と見比べればそれでも圧倒的に大きい。一人は恐怖の感情からか硬直し、うちの二人は熊を押
さえつけるようにしがみついている。
 それに対する最後の一人は、何と6歳くらいの幼児だ。身長に倍するほどの重そうな双刃の
剣を構え、熊に戦いを挑もうとしているではないか。
 助けなければ!
 男はそんな使命感に駆られ、ポケットに手を突っ込んだ。
 硬い感触を得、僅かな躊躇の後に引き抜く。
 手の中にあったのは、一丁の拳銃。
 男の知らない類の銃だったが、オートマチック式拳銃そのものの使い方は分かる。
[ハワイの射撃場で習って以来……当てられるか? この、僕に!]
 御角雅人はそう呟き、引き金に指をかけた。


[?/? 天の刻(AM 14:10) 『鏡の森』]
 深い森の中。
 三発の乾いた銃声が、響き渡った。


[?/? 天の刻(AM 14:10) 『鏡の森』]
 響いたのは、三つの乾いた音。
 次に響いたのは、何かが倒れる、重い音。
「な……何!?」
 三発の衝撃を食らって倒れ込んだ熊から身軽に離れつつ、ルルが叫ぶ。
「ら、ラヴィ、撃ってないよ! ラヴィ、火薬銃なんて持ってないもん!」
 この面子の中では唯一射撃能力を持ち合わせるラヴィが、慌ててそう弁解した。が、ラヴィ
は肝心の銃火器を呼んでいないのだから撃てようはずもない。それに、そもそも疑う者もいな
かったのだが。
 そこに、声。
[あんたら、大丈夫か!]
 茂みの中から現れたのは人間の男だった。ルル達の見たこともない様式の服を着、聞いたこ
ともない言葉で喋っている。
「な、何、この人……」
 手に持っている小さな棒から火薬の匂いが立ち上っているところを見ると、どうやらその棒
は鉄砲らしい。いずれにせよ、この世界で使われている火薬式銃とは似て異なる形だ。
[言葉が通じないのかな……。まいねーむいずまさとみかど。……んー。私の名前は御角雅人
です。もしもーし。分かりますか?]
 当然、男の言葉は分からなかった。途中から調子の異なる言葉に変わった事から、2種類の
言葉を喋ったのだろう……という事は予想が付いたが、だからといって会話の内容が分かるわ
けではない。
[ゾッド、ワかる。ゾッド、ナマエ、ゾッドイう]
 意外にも、男の会話に理解を示したらしいのは熊の方だった。むっくりと体を起こすと、拳
銃で撃たれた跡を軽く掻きながら日本語でそう返す。
 たどたどしくも力強い言葉は、拳銃によるダメージを全く受けていない証拠だ。
[ど、動物が喋った!? っつーか、効いてないのか!?]
[ゾッド、コトバ、いつもにナラった]
「……ねえ、この人、なに?」
 何にせよ、ルルやルーティアには話の内容はさっぱり分からなかった。熊と話す人間を奇妙
に思うわけではないが、ルルたち森の民も分からないような言葉で動物と話されるのは、ルル
としてはあまり気分のいいものではない。
「ん〜。悪い風を持ってるわけじゃないみたいだけど……」
 とりあえず男を取り巻く風を視、ルーティア。
 男の放つ風は穏やかで、少なくとも敵意を感じさせるものではない。風が多少混乱している
のは言葉が通じないせいで、先程の銃撃はこちらを助けてくれるつもりだったのだろう。
[僕、英語と日本語しか分からないんだけど……困ったな]
 そこに掛けられた、言葉。
[……あの、とりあえず日本語か英語でお願いします。今からここの言葉の翻訳術を展開しま
すので……]
 先程立ちすくんでいた少女……メイが放ったのは、何と『日本語』であった。


[?/? 天の刻(AM 14:30) 『鏡の森』]
 ゾッドと雅人を加えた一行は、森の中をさらに奥へと進み始めた。
「そうか……それは、悪かったな」
 がさがさと草をかき分けながら、雅人は一緒に草をかき分けているゾッドに頭を下げる。行
軍中にルルやルーティア達から話の顛末を聞き、自分の早合点にようやく気付かされたのだ。
「キにするな。ゾッド、ダイジョウブ」
 そう言うゾッドは本当に無傷である。一応倒れていたゾッドを心配に思った雅人も銃弾の当
たった跡も触らせてもらったのだが、毛の数本がはじけ飛んだだけでしかなかった。本当に当
たったのかどうかすら疑わしいほどだ。
「それにしても、ここが異世界とはね……。道理で変な格好の人はいるし、言葉が通じないは
ずだ」
 だが、雅人が何より驚いたのはその一点だった。
 ここは異世界(適当な世界名がないらしく、メイは『狭間』と表現した)であり、少なくと
も地球上ではないらしい。
「失礼ね。あたし達から見れば、おじさんの方が変な格好なんだから」
「おじ……」
 つい言ってしまった感想にルーティアから痛烈な反撃を叩き付けられ、雅人は口をつぐんだ。
まあ、見る限りルーティアは子供らしいし、子供の言うこと……と割り切るしかない。異世界
人の齢の取り方については考えない事にした。
「けど、メイ。この奥に行ってホントにいいの? ルル、長からこっちの方には入らないよう
に言われてるんだけど……」
 雅人が黙ってしまうと、次に口を開いたのはルルだった。
 道の指示をしているメイも先程のルーティアと同じく、『長』から「なるべく立ち入らない
ように」と言われている方言われている方へどんどんどんどん足を踏み入れていくのである。
 門番をエスケープしたことで怒られるのはどうでもいいが、立入禁止の場所に人を入れたこ
とで怒られるのは面白くない。
「ええ、大丈夫よ。ちょっと『鏡』を使わせて貰うだけだから」
「……ちょっと、それって!」
 さらりと流したメイに、ルルは絶句した。
 『鏡』は彼女たち鏡の森のウッドロウに伝えられている唯一にして最大の秘宝だ。鏡の森の
ウッドロウが人間の森への立ち入りを殊に厳しくしているのも、半分以上はこの『鏡』を守る
為だとルルは教えられている。
 もちろん、その辺の連中がおいそれと使って良いような物ではない。
「大丈夫よ。もともと『鏡』は私やラヴィが扱うべき物だから。ここのウッドロウさんに預かっ
て貰ってるのは確かだけど」
 あまりにもアッサリと明かされたウッドロウの秘密に、ルルは言葉を失う。
「何の話ですか?」
「えっと、『鏡』のお話です」
 新たな固有名詞の出現に、話に入ってきた雅人は首をひねる。
「『鏡』?」
「あ、ヴァイスさん達が出てきた所だね?」
 さらに入ってきたルーティアの言葉に、もうルルは呆れるしかなかった。
「ルーティアまで知ってるの……『鏡』の事」
「うん。メイちゃん達がソルフェージュに来るようになるずっと前に、一度ね。今日はそれを
久しぶりに見たくなったから、遊びに来たんだけど……まずかった?」
 全く悪びれる様子もないルーティアだ。もっとも彼女は『鏡』がルル達の秘宝という事を知
らないのだから、しょうがないといえばしょうがないのだが。
「…………はぁ」
 森の全能者であるはずのウッドロウも、セキュリティに関してはガタガタじゃない。
 もう、ため息しか出なかった。


[?/? 天の刻(AM 14:40) 『鏡の森』]
「ねえ、ルーティアちゃん。君、さっきヴァイスって言ったかい?」
 相変わらず森を進みながら、雅人はゾッドの背中に乗って休憩しているルーティアに声を掛
けた。
「ん。それがどうかしたの?」
 ゾッドの背中は厚く、大きい。硬いと思われていた毛は必要なときだけ強度が増す構造らし
く、普段は柔らかくて気持ちよかった。
「ヴァイスって、もしかして……リーシェっていうお姉さん連れてなかった? バカでっかい
箱だか何だか持ってて」
 つい先日に解決した事件で行方不明になったままの、巨漢と美女の様相を簡潔に話してみる。
日本人特有の表現には首をひねっていたが、概ねの所でルーティアは首を縦に振っていた。
「うん。多分、マサトのいうヴァイスさんとリーシェ姉ちゃんの事だと思うよ。おっきな剣持っ
てたし。何日かしたら、『鏡』をくぐってまたどっか行っちゃったけど……」
 要するに、その時もルーティアは居合わせたという事だ。二人から見えない角度で、さりげ
にため息をつくルル。
「そうか……リーシェさん、何か普通の人と違う雰囲気だなぁ……って思ったけど、そうか。
異世界人か……」
 ゾッドとラヴィの二人は話題についていけないので、適当な雑談をして勝手に盛り上がって
いる。
 そんな中、雅人とルーティアの話に顔を青ざめさせているメイに気付く者は、誰もいなかっ
た。


[?/? 天の刻(AM 15:30) 『鏡の森』内『銀鏡の池』]
 一行の目の前に広がったのは、広い池だった。
 『銀鏡の池』と呼ばれるその池は、清浄に透き通った水を満々と湛えている。
 その池の真ん中に、小さな島があった。
「あれが、『鏡』?」
 雅人が指すのは、その島である。小さな島の真ん中に、一枚の鏡がぽつんと置かれているの
だ。
 彼の見た感じ、銅鏡に近い意匠をしている。緩やかに降り注ぐ木漏れ日を受けているのにそ
の光に反射して輝かない所を見ると、彼の常識にはない特殊な材質で作られているのだろう。
 何しろ異世界だ。今さらその程度の事、驚くにもあたらない。
「ええ。あれが『鏡』。この『狭間』と異世界を繋ぐゲートです」
「って事は、僕もそのゲートの影響で?」
 まるで本物のファンタジーだな。
 そう言いかけて、雅人は言葉を打ち切った。
 ファンタジーに付き物の、何やら非常に嫌な予感が頭の中をよぎったからだ。
「ええ。多分、マサトさんやゾディアック……じゃなかった、ゾッドくん達はその発動に巻き
込まれたんだと思いますよ」
 メイの言葉にゾッドがちらりと視線を送るが、それ以上のことはしない。
「で、率直に聞くが……僕は元の世界に帰れるのか? まさか、変な宝物を集めるとか、魔王
を倒さないと帰れないとか言うんじゃ……」
 雅人が気になったのはそこだった。
 異世界『狭間』、獣人であるメイとゾッド、エルフのような種族『ウッドロウ』のルル。ラ
ヴィは戦士のようだし、ルーティアは精霊を使うという。極めつけは、飛行機事故で異世界に
紛れ込んだ間抜けな探偵、御角雅人。
 ここまで王道ファンタジーのような展開なのだ。ついでに魔王の一人や二人を倒してくれ、
などと言われても全くおかしい状況ではない。
「……魔王はもう30年くらい前に『聖剣』が封印してるわ。予言じゃあと300年くらいは
出てこないらしいから、大丈夫よ」
「……いるのかよオイ」
 その30年前だか300年後だかに呼び出されたのではなくて良かった……と、半ば本気で
思う雅人。
「大丈夫だってマサトさん。ヴァイスさんならともかく、マサトさんに魔王やっつけてくれな
んて言わないから。マサトさん、弱そうだもん」
 ルーティアのフォローになっているのかなっていないのか全く分からない発言に、メイは雅
人を安心させるような笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。今ラヴィが門を開けてますから。すぐ、帰れますよ」


[?/? 天の刻(AM 15:40) 『鏡の森』内『銀鏡の池』]
 『それ』は唐突に開いた。
 黒い光の珠。言われれば、光を弾かぬ『鏡』本体と似ていると気付くかも知れないだろう。
「これに飛び込むんですか? 僕は」
 『鏡』を通って地球に帰るのは雅人だけだ。もう一人の来訪者、ゾッドはここに残るという。
 その考えを、雅人も正しいと思う。喋る熊など、今のあくせくした地球へ戻ってもロクな事
がないに決まっている。出来る事なら、少なくとも300年くらいは平和そうな『狭間』でルー
ティア達とのんびり暮らした方がいい。
「ええ。大丈夫ですよ。私達も家に帰るときはこれを使うんですから」
 と言うことは、メイ達も異世界人という事なのだろうか。
 まあ、この『鏡』を自在に操れる連中だ。今さらその程度の事で驚く雅人でもない。
「……そうですか。それでは、短い間でしたがお世話になりました」
 池から小島に続く細い道を半ばまで歩いたところに、メイが追いついてきた。
[あ、雅人さん。一つだけ、質問があるんですが……]
[何ですか?]
 首を傾げる雅人に、メイは『英語』で問いかける。
 僅かな不安の交じった、小さな声で。
[貴方はWP機関と『Z』、本当はどちらのエージェントだったんです?]
[……? 僕はしながい私立探偵ですよ]
 それだけ言うと、雅人はメイの返事も聞かず、輝く闇の中へひらりと身を躍らせた。
 思ったよりも穏やかな流れの中、意識が薄れ、そして……。


[5/9 PM 0:05 ウィタニア・パナフランシス旧王制共和国 ウィタニア王立病院] 『まず、ウィタニア行き735便の続報をお伝えします。現地病院に収容された35名のうち、 軽傷だった5名が退院……』  目を覚ました雅人が耳にしたのは、懐かしい『日本語』だった。  流れるニュースが自分の巻き込まれた航空事故だと気付くより先、新たなニュースが流れ込 んでくる。 『次は、帝都連続猟奇殺人事件の最後の一件、箱根連続殺人事件の続報です。事件の証拠品を 帝都に運んでいたトラックが事故に遭い、証拠品の大半が焼失した模様です。移送を担当した 現地警察は……』  自分が旅立つ直前に関わった事件だと判断は出来るものの、意識の完全覚醒までには至らな い。 「僕は…………?」  天井は漂白剤で染め上げたような、白。消毒くさい独特の匂いが漂っているところをみると、 どうやらここは病院らしい。  首を僅かに傾けると、ガラス窓の向こうが見えた。 「夢……か?」  窓の向こうに見える光景は日本の物ではない。どこがどう違うとは具体的に言えないが、 『場』の雰囲気が違うのだ。  外国、それも欧州あたりの雰囲気。  そういえば、ウィタニアには日本人が多いから日本語放送があるのだと何かの資料で読んだ 気がする。アメリカと同様、日本語の放送局があるのだ。 「まさか!」  そこに至って、ようやく意識が覚醒した。  ベッドから起きあがると同時、走った激痛に身体を折り曲げる。 「無理しちゃダメよ。貴方の身体、先生の見立てではあと三日は絶対安静だそうだから」  そんな彼に差し伸べられる、繊細な細い腕。あくまでも細く、白い。その腕の主は、繊手の 主にふさわしい美しい女性だ。 「……ミス・ウィアナ・パナフランシス?」  雅人は女性の顔に見覚えがあった。  ウィアナ・パナフランシス。かつてウィタニア・パナフランシス王国と呼ばれた王制国家を 解体し、共和制度を持つ国として蘇らせた名君ワーゼ6世の第一子。ワーゼ6世が退位した今 は、国の象徴でしかないとは言え旧王制共和国の女王として外交の任についている。  そして、今回の雅人の仕事のクライアントでもあった。 「申し訳ありません。遅くなりまして……」  今日が何日かは分からないが、出発した5月7日から最低でも数日は経っているはず。時間 はきっちり守る彼だが、仮に雅人が時間にルーズな性格であったとしても空前の大遅刻だ。 「いえ。それなりに急ぎだけれど、この程度なら問題ないわ。時間も稼げたし……」  そう言っておいて、体調は悪いだろうけれど話だけでも良いかしら、と切り出すウィアナ。 無論、雅人の方も異存はない。 「僕の仕事……一体、どんな内容なんですか?」 「秘密結社『Z』って、ご存じ?」  雅人も名前だけは聞いたことがあった。  世の中のありとあらゆる手段を駆使し、『最強』である事を求める組織だという。  それ以上の情報は、秘密結社らしく不明だ。 「……そんなの、僕のような私立探偵の出る幕じゃありませんよ。大英帝国に電話して、00 7でも雇った方が良くありませんか?」  その言葉に、ウィアナはくすくすと笑みをこぼした。流石に現役の女王だけあって、笑い方 も優雅だ。 「別にスパイをしろなんて言ってるわけじゃないわよ。ただ、地球観光のガイドを頼みたいだ け」 「ガイド? 異世界人の、ですか?」  先程のジョークが受けた事に気をよくしたのか、雅人はまたもや軽いジョークを飛ばしてみ る。  だが、今度のジョークはウィアナの笑いを買うことは出来なかった。ウィアナが浮かべたの はジョークに対する賞賛ではなく、少し感心したような笑み。 「察しがいいわね。察しの良い方って好きよ」  呆気にとられている雅人を差し置いて、個室の外へと声を掛ける。 「入ってらっしゃい」  入ってきたのは、一組の男女だ。2mに達する巨漢と、足下までのマントをまとった艶めか しい女性の二人組。 「この二人の行動のサポートをして欲しいの。いちお、独自行動って約束だったんだけど、やっ ぱりこちらの風習は慣れないみたいでね」  一度だけ見たことのある美女と、写真の中だけで見た男を見、雅人は呆然とその名を呟いた。 「リーシェさん……それに、ヴァイスさん。生きていたんですね、やっぱり……」
第5話 終劇
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C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai