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[4/20 PM5:50 日本領海近海 護衛艦トロゥブレス号左舷ジェットへリポート甲板]
「くっ……」
 手近に浮かんでいた木切れにしがみついたまま、ジムは目の前の沈みかけた腕に必死に手を
伸ばした。
 だが、その手がこちらを掴み返す事は、ない。
「くそっ……」
 ゾッドが破れてから。
 巨大なイカによって護衛艦トロゥブレス号が打ち砕かれるまで、ほんの五分と掛からなかっ
たのだ。艦載砲や魚雷を主とする重火器もほとんど役に立たず、合金製の装甲版でよろわれた
強固な船体も易々と引き裂かれ、海兵達は海に投げ出された。
 何とか浮かんでいるジムの視界にも、浮かんでいる者は数えるほどしかいない。しかし、そ
の浮かんでいる者達も、一人、また一人と波の間へと姿を消していく。
 必死に戦い、疲れ果てた末の結末である。体力的というより、精神的なダメージの方が大き
い。かく言うジムも、既に腕の感覚は既に相当怪しいのだ。
「こういう時……運が良けりゃ、天の助けが来るもんだけどな……」
 意外にもジムは敬虔なキリスト教信者だ。食事前のお祈りは欠かさないし、各種の祭り事は
きちんと祝う。
 だから、こういう時くらい助けてくれよ神様……。そう思っても、罰は当たらないだろう。

 そして、その思いに『神』は答えた。

 激しい振動。
 真っ二つに割れる海原と……
 そこから出現した、巨大な海中戦艦の姿として!
「往くぞ! 大穿神ィィンッ!」
 −オォォォォォォォッ!−
 海原と蒼穹を揺るがす咆吼が、ジムを、巨大海獣を、激しく打ちすえる!
 巨大で重量のある物体が回転する重く高らかなタービン音と堅く弾力のある物体が激しく穿
たれる音、そして巨大海獣の絶叫が交錯し……
「……モービー・ディック……。ジュール・ヴェルヌの次はハーマン・メルヴィルかよ……冗
談じゃ、ないぞ……」
 目の前に繰り広げられるあまりにも現実離れした光景にそんな感想を呟くと、ジムの意識は
深い海の底へと沈んでいった。


[4/20 PM6:00 日本領海近海 万能戦艦『大穿神』甲板]
 鉄鋲や溶接痕の縦横に走る鋼鉄の甲板に、思い切り場違いな声が響き渡る。
「生命反応サーチ完了。半径350m以内に人間クラスの生命反応はないよ」
 女の子……いや、子供と言って差し支えのないような明るい声だ。伝える内容こそ場に沿っ
たものだが、今一つ違和感を拭えない。
「そうか……生き残りはこの男だけか。一歩遅かったようだな……くそっ」
 一方、それに答えるのは青年の声。今まで海の中を捜索していたのだろう。筋肉質で細身の
身体からは、海水がしたたり落ちている。
 青年……巌守穿九郎の元に不可解な電話が入ってきたのは8時間ほど前のこと。
−トロゥブレス号、もうすぐ沈んじゃうよ−
 短い文故に逆探知も出来ず、嘘か誠かとも知れぬ情報を頼りに自らの『大穿神』を駆って急
ぎ来てみれば……数日後には合流予定だった護衛艦はこの有様だ。
「AMC。例の怪物のトレースはどうだ?」
 甲板に備えられた巨大な螺旋の矛を頼もしげに見遣り、男は呟く。いかな巨大な敵といえど、
大穿神の誇る必殺の穿撃を直撃で受けたのだ。無事で済むとは思えない。
 そう問いかける青年の声に応じ、甲板に何かの姿が現れた。一抱えもあるボールのような物
を持っている、小さな女の子だ。
 潮風に髪も服もなびかないところを見ると、どうやら船体のどこかから投影された立体映像
らしい。
「『フォース』の事? あんなの、完全に補足範囲外だよぅ。いっくらプロトナインが『ばん
のーせんかん』って言っても、所詮は戦艦なんだから」
 女の子の言うとおり、この艦は純然たる戦闘艦である。普通の戦艦よりも高い性能を持つと
はいえ、索敵能力に関しては特化された本職の艦に及ぶものではない。
「……そうか」
 その辺の事は分かっているのだろう。短く答えた青年に、女の子は先程よりも強い調子で言
葉を続ける。
「それから、エイムの名前は、『エイム・C』。そんな型式番号で呼ばないでよね」
「……なら、エイム。俺も言いたい事が一つあるんだが」
 何やら怒りを漂わせている青年の声に、エイムは小さく首を傾げた。
「ん? なーに? 『フォース』の追撃戦ならやんないよ。空飛んでも、この子の水中機動力
じゃどーせおっつかないもん」
 空を飛べば確かに追いつくのは不可能ではない。だが、相手は海中にいるのだ。この艦は潜
水能力も備えているが、ジェット水流を自在に操って海中を移動する大王イカの化け物を追え
るほどの機動力は持っていない。
「いや。進路はこのまま、基地に向かっていい」
「じゃ、何?」
 エイムには何が青年を怒らせたのか、さっぱり分からない。
「『大穿神』は爺様の作った俺の相棒だ。そんな昔の名前で呼ぶんじゃない!」


[Notice Chapter] (見つけた……)  『それ』は、母なる海原の奥深くで静かな声を放った。『それ』の半身を穿った巨大戦艦に 対する怨嗟ではなく、歓喜の声を。 (我に滅びをもたらす物……)  目の前にあるのは、一本の金属製の物体。  剣だ。 (だが、我は汝らに滅ぼされはせぬ……)  ゆっくりと触腕の一本を延ばし、サイズ比で言えばマッチ棒ほどの物体をそっと取り上げよ うとする、『それ』。  正直な所、先程の『ゾディアック』や海中戦艦に与えられた傷は既に再生を始めており、怒 りを感じる事などないのだ。  だが。  深海の闇を切り裂く、閃光。 (汝、我……『ザッパー』を拒むか!)  ズタズタにされた触腕を引き戻しつつ、『それ』は怒りの籠もった叫び声を上げる。剣から 放たれた輝きが、再生したばかりの『それ』の触腕を切り裂いたのだ。 (剣……。否……『ゾディアック』の意志か……)  本能から生み出される怒りにまかせ。残った一方の触腕を振り上げると、一片の遠慮もない まま一気に振り下ろす。  もともと青銅で打たれていたらしい剣だ。巨大な触腕はほんの一瞬だけ輝きに受け止められ るものの、強引に押し切られてあっけなく砕け散る。 (剣聖特性も持たぬ者が……小賢しい!)  そして、苛立たしげな舌打ち。  無論、ただの文学的修辞だ。今の状態の『それ』は、舌どころか、言葉を放つ器官すら持っ ていないのだから。 (『ナイン』の匂いがする水中戦艦……『ゾディアック』……そして、『ナイン』!)  『それ』の細長い脳裏に、いくつかの単語と映像が生まれ、消えた。 (足りない……)  そう。まだ、足りない。 (力を得ねば……。今度こそ忌々しきあやつらを制すだけの、力と智慧を……)  再び闇に閉ざされた深海の中、『それ』はゆっくりとジェット水流の吐息を吐き、行動を開 始した。  目指すは、決戦都市……  帝都。
[4/21 AM10:38 帝都外縁南 東条学園北校舎2F 壱年参組] 「くしゅんっ!」  ゆるゆると日差しの差し込んでくる教室に、小さなクシャミの声が響いた。 「……だいじょぶ? 結城さん。こないだから風邪っぽいみたいだけど……」  そのクシャミに気遣い、彼女……結城いつもの隣の席に座っているクラスメイトの少女がこ ちらに声を掛けてくる。少女が覚えている数少ないクラスメイトの名前の中に、その名はあっ た。  確か、伊月遙香とか言ったはずだ。 「……ええ。昨日、寝間着で外にいたから」  嘘だった。  本当は、いつも通りトロゥブレス号に向かってテレポートしたら海の真ん中に出てしまった のである。だが、いくら特異体質の多い東条学園といえど、そんな事を言えようはずもない。 「そっか。何か暖かかったり寒かったりするから、気を付けないとね……って、あれ?」 「? どうかしたの?」  広げたままの数学のノートをひっくり返して何かを探し始めた遙香に、今度はいつもの方か ら声を掛けてみた。普段なら声など掛けはしないいつもなのだが、流石に話の途中で別のリア クションをされると好奇心の一つも沸く。 「うん。わたしの消しゴム、どこ行ったかなって思って。机の上に置いといたんだけど……」  次の授業の宿題を写している途中だったから、ペンケースに仕舞ったはずはないのだが…… 「消しゴムって……これ?」  と、自分の足下に落ちていた小さな四角いモノを拾い上げ、目の前の少女に問いかけるいつ も。  まだ真新しいそれは、間違いなく遙香が昨日購買で買ってきた消しゴムだ。 「あ、そうそう。それそれ。んー。いつ落としたのかな」  その時、地面が揺れた。  別に地震というわけではない。天災ではなく、多分……否、間違いなく人為的なものだ。 「待ちなさい! 村雨っ!」 「いや、だから誤解だってば緒方さん……」  少し後、廊下を駆け抜ける二つの声と、それに僅かに遅れて通り過ぎる、白と黒、二つの人 影。さらにやや遅れて巻き起こった軽い衝撃波が、鉄筋構造の校舎を揺らす。 「あ、村雨先輩だ……」  黒い影の方には見覚えがあったのだろう。ワンテンポずれて、遙香が呟く。  彼女の呟きの中に僅かな憧憬が籠められていたのをいつもは聞き逃さなかったが、別に言っ てどうなるわけでも無し。めんどうくさいので放っておいた。  が、別の言葉を呟き、適当に遙香に合わせておく。 「攻科か……」  攻科。文字通り、『攻』的な『科』、である。  受験戦国時代……他人から詰め込まれた学力だけではなく、自らの獲得した強靱な体力や精 神力、文字通りの危険を切り抜ける戦闘能力が重要な『特性』と見なされるこの時代。『攻科』 はまさにこの争乱の時代を純然たる『戦闘能力』で切り抜けるべく、学業を修めている異能の 学生集団だ。  先程通り過ぎた二人……名を、緒方雛子と村雨音印という……も、その『攻科』生徒の一人。 遙香達のあずかり知らぬ事情でトラブルがあって、その辺がついでに破壊されているのだろう。 遙香も入学したての頃は戸惑ったものだが、慣れてしまいさえすれば何と言うこともない。  消防や警察のサイレンのようなものだ。 「っていうか、慣れないとやってけないしねぇ。こんな学校」  消しゴムがひとりでに落ちる可能性などその辺にゴロゴロしていた事を思い出し、遙香は一 人納得する。 「……ちょっと気分が悪くなったから、帰るね」  しかし、いつもの方はまだ慣れていないらしい。この学校、戦闘の余波がストレスとなって 学校を辞める生徒も多い。いつもの反応は、この私立東条学園の新年度にはごくごく普通に見 られる光景だ。  無論、この事が東条を特異な生徒ばかりが集まる変人校に仕立て上げている最大の原因なの は言うまでもない。 「あ、うん。先生には言っとくから」  とりあえず消しゴムだけを受け取り、遙香はそう答えた。いつもの掌は普通より僅かに温か い。余波のこともだが、風邪を引きかけでもあるのだろう。 「よろしく」  そしていつもは鞄を手に、3時限目開始のチャイムの鳴り始めた校舎を後にした。 「くしゅんっ!」  最後に、一つのクシャミを残して。
第4話 終劇
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