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[3/13  AM10:00 東欧新遺伝子工学研究所・周辺]
「……」
 誰もが、無言だった。
 普段なら気に入らないことがあればすぐに手と口に出す豪気なリリアですら、無言。
「……ちきしょう」
 いや、やはり最初に言葉を口にしたのは、リリアだった。
「あたし達だって……研究所の連中だってまだいたんだよ! それを……上層部の奴ら…
…くそっ! 何が人道主義だ!」
 足下に転がっているコンクリート片を力任せに蹴飛ばし、一言。一度融解したとはいえ
相手はコンクリートだ。
 だが、それが昨晩の砂を蹴散らすかのように、あっさりと砕け散る。
「保険にしては、やりすぎてるわね。3年前の中東の二の舞を警戒したのでしょうけど…
…」
 傍らの破壊されたコンクリート塊に腰を下ろしている蘭も、リリアを咎めるような事は
しない。それどころか、同じようにコンクリート片を蹴り砕きそうな雰囲気を漂わせてい
る。
 やらないのは単に体力差の問題だろう。
「あ、おやっさん。上の連中、何だって?」
 二人がそんなことを話していると、ジムがのんびりと戻ってきた。
「俺達は調査隊を護衛しつつ、撤退だそうだ。移動開始は研究所の調査の終了予定時間の
1600。それまでは完全待機だと」
「警戒は不要なの?」
「ああ。調査隊直属の警備班がするらしい」
 蘭の質問に答えるジムの口調も淡々としたものだ。二人も彼との付き合いは長いから、
こういう時の彼の機嫌が相当に悪いのを察していた。
「結局……何人残ったの?」
「俺達3人を入れて、10人だ。ヘリの連中を入れればもうちょっと多いがな。今、パイ
ソンが生き残った奴らを集めて再編成してくれてる」
 パイソンは23分隊第3班の指揮官だ。小太りの外見はとても腕利きの傭兵には見えな
いが、狙撃と諜報戦に関しては分隊有数の実力を持つ。今回はジープの運転担当だったの
で、運良く生き残ったのである。
「研究所に突入した連中は全滅……か」
「まあ、あんな爆撃を受けたらな……。研究所に入って生き残ったのは、俺達だけだそう
だ」
 そう。
 ジムとリリアが研究所を脱出したほんの10分の後、研究所は突如襲来した戦車部隊に
よって、猛烈な遠距離砲撃を受けたのだ。
 他ならぬ、リリア達のスポンサーである友軍の手によって。
 二人が奇跡的に生還を果たせたのは、運と蘭のおかげでしかない。
「ホント、運が良かったぞ。噂じゃ、地下には核まであったらしいしな」
 第2制圧目標であった特殊保管庫の話だ。元軍人で傭兵部隊の指揮官というジムのよう
な立場になれば、特にコネなど無くともその程度の噂話は勝手に耳に入ってくる。
「核!? 精密射撃だからって、当たらない保証はないでしょうに!」
 公称では、最新型の照準機構の命中精度は98%。しかし、それがあくまでも期待値で
しかないのは公然の秘密だ。
「ああ。狙いにはちゃんと当たってたらしいが、、流石にな……」
 もし目標から外れていれば……半径数十キロは確実に放射能の嵐に覆われていたことだ
ろう。
 と、今まで黙っていた蘭が、静かに口を開いた。
「けど……核まで準備してたなんて。この研究所、一体何があったのかしらね」
 軍事施設ではないのだから、兵器や脅迫の道具として核を装備していたとは考えにくい。
解体プラントもないようだし、燃料などの平和利用に使われるとも思えない。
「分からん。3階には色々実験資料があったそうだが、地下には核以外何もなかったらし
いしな……」
「……」
 挙動不審な調査班、普段とはあまりにも違う作戦内容、そして、謎だらけの研究所。
 『仕事が終われば事件は他人』が信条の傭兵達と言えど、この一件は後味の悪い記憶と
して残る事となる……。


[3/20 AM11:00 東欧某国・軍事港湾内] 「ジム!」 「何だ、リリアか。今さらジムなんて呼ぶから誰かと思ったぞ」  ジムの軽口には目もくれず。僅かに上がった息を整えると、リリアはジムの胸ぐらを乱 暴に掴み上げた。 「ジム、蘭から聞いたよ。傭兵から足を洗うってホントかい?」  ジムよりもリリアの方が背が高いから、ジムの足は地に着いていない。とは言えそれを 苦しがる素振りも見せず、のんきに返事を返す。 「……ああ。俺もそろそろ年だし、あいつらに年に二回しか会えないってのも辛いんでな。 国に帰って護身術教室のインストラクターでもやるさ」  一応、ジムにも妻子がある。年にほんの数度しか合えないから二人の娘達がいつまで経っ ても自分の顔を覚えてくれない……というのがジムの長年の悩みだったのだ。 「そっか……。そういう事ならしょうがないわね。で、これからどうするの? 飛行機?」  あっさりとジムを絞首刑から解放し、リリアはそう問い掛けた。彼の悩みも良く知って いたから、納得も理解も出来る。 「いや。こないだの件があっただろ? トロゥブレス号って言うんだが、あれの輸送船団 の目的地が俺の国でな。それの護衛の仕事を引き受けてきた。それが本当の最後の仕事だ」  航路は亜細亜方面経由。それほど危険なルートは通らないらしいし、まあ、半ば休暇の ようなものだ。 「日本に何ヶ月か停泊して、国に着くのは十月頃になるらしい。まあ、ちょっと早めのク リスマスってとこだな」 「そう……。それじゃ、ここでお別れね。あたしも蘭も、長い間楽しかったよ」  リリア達はまだ契約期間が残っているから、仕事を抜ける事は出来ない。ジムとの腐れ 縁ももう三年だか四年だかになるが、それもとうとうここまでだ。 「ああ。俺も楽しかったよ」  軽く手を振り、港の奥へと歩み去っていくジム。  ……それが、リリアがジムを見た最後の姿となった。
[Notice Chapter]  時は、僅かに遡る。 「ここは……」  『セカンド』は軽く頭を振り、あたりをゆっくりと見回した。衝撃で鈍い痛みの残って いた頭も、見回し終わる頃には回復している。 「そうか……グレネードを弾き返されたのだったナ……」  痛みさえ無くなれば後の事は早い。ここに至るまでの状況から今の状況まで、凄まじい 早さで情報が整理されていく。  研究所の二階に侵入してきた傭兵どもを撃退した事。最後に遅れて現れた二人を倒そう として撃ち込んだ榴弾が弾き返された事。遅延信管が作動したグレネードは『セカンド』 のすぐ近くで爆発し、戦闘で脆くなっていた床を粉々に打ち砕いた事。  そして、今いるこの場所が地下一階の特別保管庫だという事。 「状況は悪化しているようダな……」  どうやら火事でも起きているらしく、周囲の温度は地階にしてはかなり高い。階上から 炸裂音や重い衝撃が伝わってくるのは、どこかから砲撃を受けているからだろう。  相手も歩兵による制圧を諦め、砲撃による殲滅戦に切り替えたらしい。 「全く、容赦のない事ですネ……」  新鋭戦車の大口径滑腔砲が容赦なく叩き込む超長距離砲撃の前には、鉄筋コンクリート 製のこんな研究所などひとたまりもないだろう。  だが、死に対する恐怖はなかった。  否。 「No……あの日から……」  あの日……父が軍を裏切った日から、自分の生命など終わっていたな……自らの述懐に 珍しく苦笑を浮かべ、男は一人ごちる。 <ならば、我にその命……我に貰えぬか?>  そんな『セカンド』の考えを読んだかのように、静かな声が響き渡った。 「何者だ」  視線を遣れば、侵入してきた炎の中に浮かぶ……影。  室内に響き渡るマシンガンの音を正確に聞き分ける程の青年の感知力が及ばなかったの か。だが『それ』は、ゆらゆらと揺れる陽炎の中に獣の如きその姿を紛れもなく佇ませて いる。 <No4と同じく『守護神』の名を関されぬ失敗作とは言え、計画に連なる者であれば聞 いた事もあろう。我が、『殲滅守護神』の名を> 「『ザッパー』……。アナタに対する命令は受領済みでス」  命令が与えられたのは、彼がここに配属されてから一番最初の事。手持ちの荷物を自室 にほどくどころか、配属書を受領された次の瞬間だった。  『起動を確認した場合、標的を速やかに殲滅すべし。この場合、研究所職員・命令受領 者の生死、損傷、損害、他のあらゆる全ての命令も考慮しないものとする』  たとえ『セカンド』が死のうとも、いや、研究所の全てが灰燼に帰そうとも滅ぼせ、と いう事だ。その他に下された、あらゆる状況に優先して。 「幸いここには……」  片手で構えたグレネードの先には、ラジエイション・マークの施された巨大な木箱が一 つ。あと数分もすれば周囲の炎で箱が焼け落ち、内に秘められた破壊の神が姿を現すだろ う。  グレネードの炎か、火災の炎か。早いか遅いか。破壊神が姿を現すのは既に時間の問題 であって、単にそれだけの違いでしかない。  だが、炎の向こうの影は、呆れたような嘆息を洩らすのみ。 <我に『核』は通じぬ……。何なら、試してみるか?> 「NO……やめておきまショウ。ワタシはともかく、アナタを殺せそうにはナい」  燃え上がる炎の中、『セカンド』は構えていたグレネードランチャーをそう言って下ろ した。  実際そうなのだろう。凄まじい敵意や殺意といったものは感じても、『ザッパー』の口 調に嘘を付いている気配は見られない。  自信ではなく、確信。  失敗作と称された彼ですら、常人を遙かに凌駕する力を与えられているのだ。『守護神』 ……その中でも最強の名を冠された個体がいかな力を持っているのか、想像も付かない。 <我の勝ち、だな> 「Yes……」  その時、階上から激しい振動が伝わってきた。  ここは地下だ。階上が崩れれば、この地下とて無事では済むまい。  『ザッパー』以外は。 <さて。汝はこれからどうする? 既にこの部屋も限界だが……>  火事や砲撃のおかげで階上へ続く階段は崩れ、いくつかある部屋のうちでも残されてい るのはこの特別保管庫以外はいくらもない。 「命令が遂行できないのは少し残念ですガ……。別に惜しい命でもありませンしね」  ふらふらとし始めた頭を軽く振り、『セカンド』はそう答えた。閉鎖された空間で炎が 燃えているため、酸素濃度が低下しているのだ。  いかな『セカンド』とて、生物的な法則には縛られる。酸素がなくなれば死ぬし、一酸 化炭素を吸っては生きていられないのだ。 <なれば、あのNo4と同じように、汝の命……我が戴こう。構わぬか?>  助燃要素が少なくなったため勢いの衰えつつある炎の中、『ザッパー』の貌が見えた。  やや、熊に似ている。しかし、普通の熊にあるような穏やかな雰囲気はなく、ただただ 破壊衝動に覆われた瞳があるだけだ。  そして。 「Yes。ご随意に……」  『セカンド』……シグマ・ウィンチェスターの意識は、深い深い暗闇の中へと堕ちていっ た。
第3話 終劇
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