[3/13 AM7:05 東欧新遺伝子工学研究所・周辺] 「変だな……」 耐圧の大型腕時計に視線を一瞬だけ移し、ジムは不審げな声を上げた。作戦前にゼロ合 わせした時計は戦闘で発生する凄まじい衝撃にも影響を受けることなく、静かに時を刻み 続けている。 「ええ。遅すぎる」 蘭の言葉に頷き返すジム。 既に作戦開始から30分以上が過ぎていた。時間がモノを言う少数での制圧作戦にして は、いささか時間がかかりすぎている。 いくら後方から通信妨害を掛けているとはいえ、時間が経てば研究所の方も体勢を立て 直す時間が出来るだろうし、もしかしたら援軍が来る可能性も否定できない。 ジム達23傭兵分隊の兵力は少ない。最寄りの軍事基地からも距離があるから戦車は来 ないだろうが……航空機なら可能性はある。降下装備を調えた空挺仕様の強襲装兵でも 持ってこられれば、大半が歩兵で構成された傭兵分隊に勝ち目など無いのだ。 「リリア、回りの状況はどうだ?」 周囲を警戒しながらPSGの弾倉を入れ替えているリリアに怒鳴りながら、ジム。 「『第一種装備眼球』じゃ、回りに敵はいないよ。レーダーは? どうせ漂白されてて使 えやしないんだろうけど」 リリアの言うとおり。研究所周辺数十キロに張り巡らされた電子妨害によって、電磁波 を利用した車載レーダーは完全に効力を失っている。赤外線等を使ったセンサー類は暑く なり始めた砂漠の空気にやられてしまっているし、頼りになるのは自らの視力だけだ。 唯一の救いは、砂漠では数キロどころか数十キロ先までが視界有効範囲に入るという一 点だけ。 「敵はいないと仮定して構わないな。よし。軍規に従い、以降0710から俺達23傭兵 分隊第1班は独自の判断に基づく行動を開始する。蘭は車両に残り周辺警戒と退路確保。 俺とリリアは研究所内に侵入、現状の偵察と状況によっては味方支援を行う!」 ダッシュボードから自らのハンドガンと予備弾倉を取り出すと、ジムは慣れた手つきで 安全装置を解除していた。 [3/13 AM7:12 東欧新遺伝子工学研究所・2階] ガシャン! 2丁のデザートイーグルの弾倉を交換してホルスターに収め直すと、科学者達から『セ カンド』と呼ばれていた青年は空になったマガジンをひょいと投げ捨てた。 次の瞬間には、通路に投げ捨てられたマガジンはマシンガンの一斉掃射を受けて原型を 留めないほどに破壊されている。 通路の向こう側に敵がいるのだ。 「3人……。思ったよりは、少ないか」 相手の主力装備であるマシンガンの掃射音は三つ。 常人なら狭い通路に跳ね返る音に邪魔されて聞き取れるはずもないのだが、彼には何故 か、『分かってしまう』のだ。 「焔の弾丸は3発。ここは温存すべきだな」 その辺に転がっていた死体……敵ではなく、こちらの警備班……を片手で軽く持ち上げ ると、先程のマガジンと同じようにひょいと無造作に放り投げた。 再び、掃射音。 「0.4秒……300……あと、少し」 そして、自らも機銃の弾雨の中へとその姿をさらす。 青年の身体が蜂の巣になろうかというその時。 「タイム・アウト!」 『セカンド』の呟きと共に、3条の鋼鉄の光条のうちの2条が消えた。 秒間数百発の射撃速度を誇る最新式のマシンピストルとはいえ、肝心の弾数は無限では ない。機関部の小型化によって装填数がいくらか増えはしているが、雀の涙ほどの増加装 填数よりも射撃速度の方が遙かに上回っているのだ。 連射による反動が大きい上に一つの弾倉で撃てる時間が極端に短いと来れば、一人の相 手を持久戦で倒す武器には……決して向かない。 「残念。ワタシと戦う時は、もう少し頭を使うべきだったネ」 絶叫を上げるより速く、『セカンド』より放たれたワイヤー付きのブレードが相手の無 防備な喉を切り裂いていた。 [3/13 AM7:15 東欧新遺伝子工学研究所・1階] 「ひどい有様だな……」 グレネードランチャーによって強引にこじ開けられたとおぼしい突入口へと慎重に歩を 進めつつ、ジムはそう呟いた。 ほんの10分ほど前には熾烈な制圧戦が繰り広げられていたのだろう。辺りには10を 越える死体が転がっている。制服で判別すれば、敵も味方もほぼ同数、と言ったところか。 「生きてるヤツはいないみたいだよ。突入組は15人くらいだったはずだから、あと半分 は進めたのかね……」 熱源反応を見ながら、リリア。生命反応などというSFチックな判別手段ではない。熱 源を失った死体の温度は室温に近付くからと、サーモグラフでその辺をざっと眺めただけ だ。 眩しい赤色を示しているのはまだ熱の残るマシンガンの機関部のみ。他は、冷房の程良 く聞いた室温と同じ程度の色に染まっている。 既に、者ではなく、物。 リリアはため息をつき、サーモグラフ機能付きのバイザーを上げる。 「そうか。目標は2階の管制室、地下1階の特殊保管庫、3階の主実験室か……。とりあ えず、手近な2階に行ってみるか……」 コピーの研究所内図をポケットから取り出し、濃い灰色で覆い隠された……赤く染まっ ていた原本を電子処理した……部分に描かれた蛍光ペンのマーキングを確認するジム。 部隊を分けるとすれば、優先順位の高い方に数を振り分けるだろう。今後の脱出経路の 事もあるし、単純に数の多い2階の方が生き残っている確率が高い。 「了解」 下ろしていたPSGを構え直すと、リリアの先導で二人は2階に向かう廊下を歩き始め た。 [3/13 AM7:30 東欧新遺伝子工学研究所・周辺] 広い砂原に、風が流れた。 「ふぅ……」 最大レンジで付けっぱなしのレーダーサイトから視線を外し、蘭は軽く背を伸ばした。 仕事には一点の妥協も許さない彼女でも、ずっと同じ姿勢を続けていては肩も凝る。 しかもレーダーは作戦開始時からの強力なジャミングでほとんど役に立っていない有様 だ。 「あら?」 と、その沈黙したままだったレーダーの隅に、突如としていくつかの影が映った。 「この場所からすれば友軍のヘリね……」 数も位置も最初の作戦予定通りである。影そのものに問題はない。 「でも……」 問題は、今になって何故ヘリコプターの姿が現れたのか、という事だ。 ヘリコプターが姿を見せたと言うことは、ジャミングが解除されたという事を意味する。 ジャミングを行っていたのは後方の支援部隊だから、そちらに何かあったのかとも思える が……。 「私達は、無事」 少なくとも研究所の手勢ではないだろう。前線よりも装備の揃っている後方部隊を叩け るほどの戦力があれば当面の敵である自分達をまず潰すだろうし、単に逃げるのであれば 探査妨害も兼ねるジャミングを潰す必要は全くない。 「という事は……」 ジャミングが無くなったのなら連絡を取る事も可能なはずだ。後方と連絡を取るべく、 蘭は通信機を取る。 だが、いくら声を掛けても後方からの応答はない。それどころか、レーダーの端に映っ ていた友軍ヘリの群が一斉に撤退を始めたではないか。 だとすれば、考えられることは一つ。 敵の援軍だ。 「親父さん達を呼び戻した方が良さそうね」 蘭は二人に連絡を取るべく、一度は置いた通信機を再び手に取った。 [3/13 AM7:32 東欧新遺伝子工学研究所・階段] 「ん? 蘭、どした! 通信が回復したのか!?」 唐突に灯った受信ランプと小さな声で流れ始めた肉声に、ジムは大声で怒鳴り返す。 「ああ、そうだ。敵さんと遭遇してな。上に行った連中はやられたと見て間違いない」 ジムのその言葉に蘭が返事をするかしないかの時、廊下に出ていたリリアがこちらに飛 び込んできた。 次の瞬間、凄まじい爆音が廊下に響き渡り、真っ黒い煙が二人のもとまで流れ込んでく る。 「リリア、相手は? やったか?」 蘭との通信を一旦うち切り、素早く問う。リリアの厳しい表情で状況の半分は分かって いたが、詳しい情報があるに越したことはない。 「……シグマだった……」 「はぁ?」 まだ爆音で遠くなっている耳を押さえつつ、返ってきた意外な答えにジムは呆然と答え る。 「シグマって……あの、シグマ・ウィンチェスターか?」 トンマな返事にリリアの方まで呆然としてしまう。多分、今グレネードを放り込まれた ら、間違いなく死ぬ。 「他にいる?」 ジムの知る限り、その名前を持っているのはたった一人。 「生きてたのか……。てっきり3年前のあの事件で死んだと思ってたが……」 「けど、あいつなら分かるわ。多分、ウチの連中の7割はあいつのせいね……」 シグマ・ウィンチェスターの想像を絶する戦闘技術はジムもリリアも十分過ぎるほどに 知っていた。23傭兵分隊の連中の実力を信じないわけではないのだが、あの青年を相手 に勝てるとも思えない。 「で、どうなった?」 そんな非常識な相手にリリア一人で勝てるとも思えなかったが、彼女もジムの片腕をつ とめる傭兵の一人だ。実力だけならそうそう引けを取ることはないだろう。 「あいつがグレネードを使うのは知ってたから打ち返してやったけど……多分、まだ死ん でない……」 「打ち返したって、お前……」 リリアの使うPSG−1は世界最高クラスの狙撃能力と連射性能を併せ持つスナイパー ライフルだ。SWATにも制式採用されようかというこの銃の狙撃性能……300m先の 500円硬貨を打ち抜くと言われる……をもってすれば、確かに飛んでくるグレネード弾 に弾丸をかすらせて弾き返す事も不可能ではなさそうだが……。 ここにも非常識なヤツが一人いた事を確認し、ジムはため息をつく。 「で、おやっさん。蘭のヤツ、何だって?」 「……分からん」 ジムはリリアの尻の下で砕けた電子部品を覗かせている通信機(だったもの)を見遣り、 ため息と共に一言。 「が、ジャミングが消えたことといい、どうやら戻った方が良さそうだな」 それに、通信機が無くなってしまったのも痛い。外の現状が分からないままでうろつく には、先程の男のような連中がいるこの研究所は危険すぎる。 「同感。それに……」 ようやく黒煙の晴れた廊下の先を横顔だけ出して一瞥し、リリアも頷く。 「進めなくなっちゃったしね」 彼女の目の前に広がっているのは、グレネードの爆発で階下へと崩れ落ちた無惨な廊下 の姿だった。 |