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○事件編

[4/30 PM9:40 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘2F 22号室]
「これは……」
 目の前に広がる光景を目にし、雅人は息を呑んだ。
 珍しい光景ではない。一人の初老の男が部屋に備え付けの机に着き、そのまま伏せてい
るだけだ。仕事疲れが祟ったか、うたた寝に移行してしまっただけだろう。
 ……机の上が真紅に染まり、老人の顔が苦悶の表情に歪んでさえなければ。
「検死の必要も……ないな」
 老人の命を奪った青銅の刃は、老人の背中を貫いて木製の机の上に突き立っている。心
臓を貫かれて生きている人間など……そうはいない。
「ええ。麻痺性の毒か何かで動きを止められた所で、背後から刃物で一突き……という所
でしょう。ですが、妙ですね……」
 モユをさりげなく庇ったまま呟く雅人に、傍らの男が小さく頷く。男の方も連れの少女
に惨劇を見せないよう、その腕で少女を押しとどめていた。
「ああ。麻痺毒を使うのなら、わざわざ斬り付ける必要はないしな……」
 周辺に争った形跡どころか暴れた形跡すらない 所から、麻痺系の毒を使ったのは間違
いないだろう。暴れる暇すら与えないほど強力な麻痺毒なら、そのまま死に至ってもおか
しくはない。
「物取りにしては、妙すぎる……」
 そこまで言って、雅人はようやく男の事に気がついた。あまりに自然に会話にもって行
かれてしまったので、そのまま知り合いの如く話をしてしまったのだ。
 第一発見者のカナワは管理人を呼びに行っている。ナガレとキリトは外に教授を探しに
行ったままだ。とすれば……。
「君は? ああ、僕は御角雅人。帝都で私立探偵をしている者です」
「そうですか……探偵。奇遇ですね」
 階下へ引き返そうとしつつ、男は呟く。何より少女達をこういった現場に置いておくの
は良い事とは言えないからだ。
「奇遇?」
 雅人の言葉に軽く頷き、
「ええ。僕は黒逸ハルキ、探偵です。こちらの彼女は千海カナン……僕の、助手です」
 男は、自らの名を名乗った。


[4/30 PM9:50 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 ロビー]
「ちきしょう……よりによって、何で『叢雲』が……。せっかくバレないように隠しとい
たのに……何でそれがわざわざ……」
 カナワは苛立たしげにそう叫ぶと、握りしめた拳を壁に叩き付けた。
「『叢雲』って……例の草薙の兄弟剣とかいう、アレか?」
 酒の席でその名は聞いた覚えがある。雅人の問いに顔をしかめつつ答えるカナワ。どう
やら叩き付けた拳が痛かったらしい。
「ああそうだよ。この剣の発掘で、学会には一大センセーションを巻き起こせるはずだっ
たんだ。だが……くそっ!」
 正直、国宝級の大発見という確信すらあったのだ。だが、こんな事件が起こってしまっ
ては、一大センセーションどころの騒ぎではないだろう。
 ……別の意味で。
 この事件に関しては大学の方からも圧力がかかるだろうし、下手すれば剣の発掘そのも
のが闇に葬られかねない。
「……とりあえず、サブリーダーのナガレさんが戻ってくるのを待って、あの人の判断を
仰ごう。モユちゃんもあんなだし……」
 早々に戻ってきたキリトと違い、ナガレは未だにヱニシを探しに行ったまま。山奥の山
荘では携帯電話も圏外だし、連絡の取りようがないのだ。
 モユの方はさすがに気分を悪くしてしまい、1階のカナンの部屋で休んでいた。カナン
が付いてはいるが、暫くは動ける状態ではないだろう。
「……だな」
 カナワは立ち上がると、乱暴な足取りで奥の客室の方へと歩き始める。
「カナワさん、どこへ?」
「ドラマ見るのにいちいち許可がいんのかよ! ナガレさんが戻ってきたら呼んでくれ。
それじゃな!!」
「……それじゃ、僕もデータの整理に行って来ます。発表するにしてもしないにしても、
データだけは整理しておかないといけませんから。今のうちに……」
 そう言い残すと、乱暴に去っていったカナワとは対照的に、キリトも静かにその場を去っ
た。


[4/30 PM10:20 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 露天風呂]
「ふぅ……」
 石造りの浴槽に身を委ね、モユは力無く息をもらした。
 「気分が滅入った時はこれに限る」とカナンに勧められて風呂に来たのはいいが、モユ
はごく普通の一般人である。あんな事があってはそう簡単に立ち直れようはずもない。
「カナンさん、強いなぁ……」
 流石に日本有数の探偵、黒逸ハルキの助手を務めているだけはある。あれだけの惨状を
目の前にしても、彼女がそれほど気分を悪くしたようには見えなかった。
 その彼女は、脱衣所に忘れ物をしたとかで席を外している。
「あたしも……頑張らなくっちゃ」
 言い聞かせるように一人そう呟き、お湯の中で華奢なその手を握るモユ。
 彼女は最後まで、彼女に迫る気配に気づく事はなかった…………。


[4/30 PM10:30 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 森]
「で、一人どころか『二人目』……というわけか?」
 目の前の光景を見、女刑事は呆れたようなため息をもらした。幸か不幸か彼女にとって
『それ』は見慣れた物らしく、眉一つ動かす気配がない。
「探偵が二人も付いていて……情けない」
 オーナーの掛けた電話によって箱根都市警が到着したのは、事件が起こって1時間が過
ぎようかという頃。遅いと文句を言うオーナーに都市警の刑事は、つい数時間前に帝都の
方でまたもや例の連続殺人事件が起こり、そちらの検問に手を取られてしまっていたのだ
……と答えていた。
 その事件は30分ほど前のニュースで報道されていたから、間違いはないのだろう。
「それは僕達探偵に司法権限をくれてから言って下さいよ。事件の推理はしますが……そ
んな所まで我々の手は回りませんよ」
「まあ、いい」
 その場に居合わせているハルキや雅人もいつもの調子。ただ一人、一緒に居合わせてい
る都市警の刑事のみが顔を青くしていた。
「そういえば、どうしてサナエさんが?」
 彼女……錠井サナエは警視庁捜査課の誇る敏腕女刑事である。業界では名探偵として名
高いハルキと同様に有名な人物だから、雅人も知らない顔ではなかった。何度かは、一緒
に仕事をしたこともある。
 ただ……彼女と仕事をした人間達の間では、敏腕ぶりよりもその冷徹冷血ぶりの方が有
名だったのだが……。
「地方へ出張の帰りに渋滞に捕まってな。都市警に泊めてもらおうと思って顔を出したら
……このザマだ」
 そう言って、苦笑。苦笑とは言え、表情がそれほど変わるわけではない。ただただ眉が
僅かに動き、口元がこころもち……歪んだように見えるだけ。
「錠井さん。現場検証、入っていいそうです。白鳥ヱニシの方はもうすぐ結果が出るそう
ですが……どうされます?」
「早い方から済ませてしまおう。白鳥ヱニシの方はこちらに届けて貰うよう言っておいて
くれ。行くぞ」
 現場のデータを収集していた科学班付きの警官の言葉に小さく頷くと、三人は虎縞の
ロープで張られた結界の中へと足を踏み入れた。
「あ、ハルキさん。例の犯人らしき男に襲われたモユさんですが、気づかれたそうですよ。
そちらはどうしましょう……?」
 と、警官は思い出したようにハルキの方に声をかける。
「カナンに任せましょう。女性の刑事さんが来ているのなら……付いていてもらえます
か?」
 モユが襲われたのは自らの失敗だと泣いてはいたが、それでもカナンとて探偵の助手だ。
犯人らしき影とやらは追い払うのみであったが、これ以上の失敗はしないだろう。
「ええ。それはもちろん。重要な参考人ですしね」
「頼みます。では、行きましょうか」
 そして、三人は現場へ足を踏み入れた。
 頭上から転がり落ちてきた大岩に押し潰された、猪熊ナガレの元へと。


[4/30 PM10:35 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 森]
「被害者は猪熊ナガレ、35歳。条南大学考古学部白鳥研究室所属、地位は助教授。死因
は転がってきた岩による圧死……死亡推定時間は壊れた腕時計からの推定で10時。白鳥
ヱニシよりは30分ほど後か……」
 ついさっき書かれたばかりの現場状況の詳細を見ながら、サナエは酷い有様となったナ
ガレ『だったもの』を見遣った。教授を捜しに出たところで落石に出くわしたのだろう…
…哀れなものだ。
 とは言え、いくら大きな岩といっても簡単に圧死させられる事など有り得ない。漫画じゃ
有るまいし、転がってくる間に避ける暇は十分にあったはずだ。
 最初に小さな岩に頭でも打たれて動けなくなった所に、本命の大岩が転がってきたのだ
ろう……と、現場詳細を書いた科学班の男は予想を立てていた。
「だが、圧死にしては損傷が酷いな。死んだ後、野犬にでも襲われたか……」
 あるいは、熊か。ぼやいていたオーナーの言葉を思い出し、雅人は聞こえぬほどの声で
呟く。
「地盤は脆いか。ふむ……」
 そう言い、崖の土を軽く蹴ってみるハルキ。その軽い一撃に、崖土は呆気なく崩れ落ち
ていく。彼の見立て通り、丈夫な地形ではないらしい。
 確かにこれなら、崖上にあった岩が転がり落ちてもおかしくはあるまい。
「ああ。麻痺毒で殺されたらしい白鳥ヱニシの件や、風呂で襲われた草原モユの件はとも
かく……この件に限っては、事故だな」


[4/30 PM10:50 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 崖]
「貴様……」
 男は革ケースから取り出した『それ』を取り落とした。
 『それ』は、長い、長い剣。
 狩る者。即ち、今の彼の立場を示す、力の証。
「だが、今は狩られる者……か」
 短く自嘲気味に呟き、ふらりとその巨躯を傾がせる。
 出血しているのだ。
 胸を穿つ傷は、深い。常人ならば既に事切れていてもおかしくはないだろう。現代の常
識をはるかに越えた修行の結果が、彼の命を繋ぎ止めているのだ。
−うぅぅぅぅぅ……−
 そんな男の目の前にいるのは、巨大な影。
 闇の奥に秘められた瞳は凶暴さに満ち……否、殺意や悪意と呼ばれる物に満たされてい
た。食欲を満たすために狩るとか、自らの支配領域を侵されたから排除するとかいった、
生物の本能的な雰囲気は微塵も感じられない。
 感じられるのは、赤き『意志』の光。
 ただただ自らの欲望を満たすが為、破壊し、殺す。
 それが、『彼』だった。
「俺は……負けん。『Z』……貴様などにな!」
 足元に転がった大剣を拾って振り上げる、男。
−おぉぉぉぉぉぉぉっ!……−
 そして。
 影からの凄まじい一撃を受け、男はそのまま深い谷川へと転がり落ちていった。


[4/30 PM11:00 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 ロビー]
「ねぇ。うちのヴァイス、知らない?」
 ふらりと姿を見せた女性に、そこにいた男達は息を呑んだ。
 オーナーの言っていた『美人の凄い姉ちゃん』。それが、多分この女性だろう。
 奇妙に大きな帽子を被っている以外は、派手というか奇抜というか何というか……とも
かく、凄いとしか言いようのない格好だ。美人は物凄い美人なのだが、確かに『美人の凄
い姉ちゃん』としか形容しようがない。
「ヴァイス……という事は、君が25号室にヴァイス・ルイナーと同室のリーンシェラー・
ルイナー嬢だな。今から行こうと思っていたのだ」
 オーナーから借りた宿泊客名簿をめくり、サナエは美女・リーンシェラーへ無機的な声
を掛けた。ここの紅一点であるサナエは、リーンシェラーの様子を見ても眉一つ動かす気
配はない。
「……あによ。忙しいんだから、さっさとしてよね」
 腰に手を当て、あからさまに不快そうな表情を浮かべるリーンシェラー。どうやらその
派手な外見そのままに、相当気の短い性格なのだろう。
 ……本人としては、これでも相当にセーブしているつもりだったのだが。
「今日の9時半頃、何をしていた? あくまでも形式的なものだから、答えたくなければ
別に答えなくても構わないが……」
 丁度サナエはその時間のアリバイというやつを客達に聞いて回るところだったのだ。寝
込んでいるオーナーとモユ、モユに付いているカナンの三人を除いた一同は既に集まって
おり、残るは彼らだけだった。
「? ……くじはん? ああ、時間ね」
 どうやら日本語に慣れておらず、理解までにやや時間がかかったらしい。んー、とリー
ンシェラーは小さく首を傾げ、
「若い男女が二人っきりで部屋にいて、何をしてたか聞きたいの? この世界の人間は…
…ヤボねぇ」
 ニヤリと笑う。
「…………分かった。行っていい」
 ……彼らがヴァイスが崖から落ちたらしい痕跡を見つけるのは、もう少し後の事となる。

[4/30 PM11:15 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 崖]
「まさか。熊が無意味に人を襲うなどありませんよ。子連れで気の立っている母熊や、手
負いならともかく……そんな形跡はないですからね」
 半ば乾き掛けた血溜まりの間に点在する足跡を子細に確かめ、キリトはふぅ、とため息
を付いた。山に詳しいオーナーはこんな事件のおかげで寝込んでしまったから、動物に詳
しいというキリトが現場検証に付いてきていたのだ。一時期は獣医を目指したこともあっ
たらしい。
「そうか……。血液型が一致しているかどうかが分からないから、本当にヴァイス氏が殺
されたのかどうかは断定出来ないが……」
 ヴァイスが殺されたらしい場所に落ちていたのは、例の巨大な革ケースだけだった。他
には手がかりらしいものは何が落ちているわけでもなかったし、血痕の照合をしようにも
ヴァイスの血液型が分からない。調査の結果で人間の血液という事だけは分かっていたか
ら、行方不明になっているヴァイスが死者扱いにされているだけだ。
 リーンシェラーは当然ながらそれを信じる様子もなく、まだ森の方を探し回っている。
「それにしても……剣、落石、水死、熊……か。後は、焼死でもあれば文句ナシだな」
 ぽつりと呟いたのは、一行に着いてきていたカナワ。
「おい! カナワ、そんな事言うもんじゃない!」
 そのカナワの言葉を聞いて一番最初に反応したのはキリトだった。不謹慎な言葉をいさ
めるというには、やけに勢いがある。
「どういうことだ?」
 カナワの言葉の意味も、キリトが過剰に反応したわけも、他の一行にはさっぱり分から
ない。
 その時だった。
「錠井さん! 火事です! 森が、火事なんですっ!」
 森の向こうから、一人の警官が走ってきたのは。


[5/1 AM3:20 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 森]
「やっと消えたか……」
 ようやく引き上げていくポンプ車の一団を見送りつつ、雅人は疲れたように呟いた。
 直接の消火活動をしたわけではないが、手伝える事はいくらでもある。そのお陰で洒落
たジャケットは煤だらけだったが……そんなもの、人の命には替えられない。
「ちゃんとした現場検証は明日になってからだそうだ。被害状況は現在の所、負傷者は三
名、行方不明が一人……」
 負傷者は消火作業中に火傷した消防隊員が二人と、初期消化中に怪我した警官が一名。
 行方不明者は……リーンシェラー・ルイナー。
「やっぱり、火事でしたね」
 そんな、疲れ切っている雅人とサナエに掛けられたのは、一つの声だった。
「これで事件はお終いですよ……多分」
「カナワ君……だったね。何故それが分かる」
 隈素カナワ。お軽い彼も、流石に今は消火活動の手伝いで泥だらけになっている。
 だが、その顔は笑み。
 お世辞にも明るい笑みではない。うちに暗い情念を秘めた、醜悪な笑み。
「知りませんか? 日本武尊の伝説を……」
「?」
 警視庁の誇る敏腕女刑事と一流探偵にすら分からぬ事に気付いていて、面白くてたまら
ない……といった風体だ。
「イズモタケルを偽物の剣に刃を立てて試合って殺し、九州のクマソタケルを殺し、弟橘
媛を入水させ、焼き討ちに遭いつつもそれを払い、最後は山神の化身した落石に打たれて
死ぬ、伝説の英雄の神話を……」
「それって……まさか!」
 呆然と洩らす雅人の隣で、サナエも息を呑んだ。どうやらカナワの言いたいことに気付
いたらしい。
「そう。この事故……いや、事件は、連続見立て殺人なのですよ!」
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