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○発端編

 月が、光る。
 皓々と、あくまでも白く。
 ……ぉぉぉぉぉぉぉぉん……
 獣の、吼え声。
 仄暗き闇に覆われた森に、静かに響く。
 ……ぉぉぉぉぉぉぉぉん……
 月の白さを感じているのか。
 それとも。
 ……ぉぉぉぉぉぉぉぉん……
 まだ見ぬ、血の色に輝く紅き月を感じて……


月曜日・冤罪探偵ハルキ番外編 ―伝説英雄のif―
[4/30 PM6:30 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 駐車場] 「やれやれ……」  借り物の4WDのサイドブレーキを引き上げると、御角雅人はそんなため息を吐いた。 「こんな事なら、宿なんか頼むんじゃなかったな」  アイドリングを続けるエンジンを止め、もう一息。  まさか、仕事がこれほどに早く終わるとは予想だにしていなかったのだ。  最近巷を賑わせている連続殺人事件と日本近海で起きたトロゥブレス号沈没事件のおか げで、帝都に通じる『箱根横断道路』は深夜になると交通規制が行われている。そして雅 人は、探偵という職業の都合上、世の中の表沙汰に出来ない品物を扱う事も多い。運び屋 や工作員などをやっているつもりはないのだが……腕のいい彼のこと、ついついそういう 仕事にも巻き込まれてしまうのだ。  そういうわけで、その鬱陶しい交通規制をやり過ごすため、こうやって町外れの安い宿 を取っておいたのだが……。  フロントパネルのデジタル時計はまだ6時半。  そして、横断道の規制が始まるのは午後8時。正直、2時間もあれば帝都の自宅まで余 裕で帰れるというのに……。 『交通情報です。箱根山岳横断道で7台の車による玉突き事故がありました。これにより、 横断道は現在17キロの渋滞。完全復旧は3時間後とあり、渋滞が緩和される様子は今の 所見られません。交通局は帝都の外出禁止令との兼ね合いも併せ……』 「……まあ、オーナーの顔も当分見てないし、泊まっていくか」  エンジンを切ってもまだ付いていたカーラジオから流れてきたそのニュースに、雅人は 自分の判断が正しかった事を悟っていた。 [4/30 PM6:40 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 ロビー] 「そうですか。渋滞で……。雅人さんも大変ですね」 「明日も朝から別の仕事だというのに、大変だよ。全く」  顔なじみのオーナーをそんな話を交わしながらチェックインを済ませると、雅人は大き なロビーをぐるりと見回した。 「オーナー、お客さんはこれで全部?」  オバト山荘の不釣り合いな程に大きなロビーは、山荘の規模にふさわしい程度の賑わい を見せている。  男女のカップルが一組と、数名の団体。カップルの方は20半ばに見える青年と10代 後半くらいの少女との組み合わせで、やや年が離れているように見えた。まあ、この程度 の年齢差など、さして珍しいものでもないが。 団体の方は4人の男女が何やら大量の機材や荷物を1階と2階のそれぞれの部屋に運び 込んでいるようだ。段ボールに書かれている「要再調査」とか「北里研究所行き」、「土器・ 組み立て済み」などという極太マジックの文字を見ると、どこかの研究員か何かなのだろ う。 「ああ。最近はこの辺にも熊が出るとか出ないとかで、お客さん減っちゃってね……。こ の辺の奴等はこっちが手を出さない限り大人しい連中なんだけど。とりあえず今日はあと 一組、カップルの男女が部屋にいるだけ……だね」 「へぇ。どんな? 何か、珍しい組み合わせみたいだけど」  オーナーの言外の言葉を感じ、思わず身を乗り出してしまう雅人。 「2mを越えるようなでっかい兄ちゃんと、すごい美人の姉ちゃんの二人組で……ありゃ、 多分外人さんだろうな」  その二人組は予約もなしにふらりとこの宿にやってきたのだ。楽器か何かが入っている のだろうか、巨大な革ケースを背負った巨漢と、春だというのに分厚いコートを羽織った 美貌の女性。  言葉に不慣れな外国人らしく口数は少なかったが、前金で払われた紙幣は正規の物だっ たし、裏社会の住人にありがちな無意識のうちに警戒している雰囲気もなかった。  今思えば、長年の勘など信じずに、ちゃんとパスポートで確認を取っておけば良かった のかも知れない。外国旅行者を泊めるときは旅券の確認を取れ……と組合でも言われてい ることだったし……。 「って雅人さん。それ、悪い癖ですよ」  と。ふと我に返ったオーナーに睨まれ、雅人は苦笑を浮かべた。 「はは、仕事柄……ね」  目に付いた相手の過去や素性を思わす詮索してしまうのは、いわゆる職業病というヤツ だ。一般生活を送る上ではあまり誉められたものではないそんな詮索癖も、彼の仕事…… 探偵……の上では欠かすことの出来ない重要な資質の一つであったりする。 「そうか。それで全部……ね」 [4/30 PM7:30 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 食堂] 「へぇ、古代文明の研究をねぇ……」  食堂で研究員達の話に混ぜてもらいながら、雅人は注いでもらった烏龍茶を口へと運ん だ。別に酒がダメなわけではないのだが、明日も早朝から仕事だ。飲みすぎて二日酔いに でもなったら笑い話にもならない。 「ええ。今回は出雲で大規模な発掘作業がありましてね。明日の朝、帝都の研究室に戻る んですよ」  雅人が予想したとおり、例の一団はさる大学の研究員だった。研究室の室長である白鳥 ヱニシ教授のもと、総勢4名で発掘旅行を行っていたのだ。  本来なら今日中に帝都にある大学の研究室に戻る予定だったのだが、雅人と同じく渋滞 に引っかかってしまったのだという。 「出雲の発掘作業……というと、アレですか。例のイズモタケルの陵墓とか言われてる」 「おや? ご存じですか」 「ええ。割とそういうのは好きなものでね」  雅人はこういう雑学知識には割と強い。職業柄という事もあるが、半分以上は自分自身 の趣味だ。特に日本神話系は嫌いではなかったので、さらに自信があった。つい先程も頼 んでいた古本屋から探していた古書が届いたと連絡があったばかりである。 「何か、大発見があったとか……」  定期購読している雑誌で読んだ知識を引っ張り出し、話を続ける雅人。好奇心が意味も なく強いのは探偵の悪い癖だ。 「ははは。流石にそこまでは公には出来ませんよ」  話していた男……猪熊ナガレと名乗った……は慎重派らしい。発掘隊では教授を補佐す る助教授の立場にいる男らしく、その辺は流石にしっかりしていた。  だが、ナガレの代わりに隣でビールを飲んでいた男が口を開く。 「草薙の剣、って知ってますか?」 「カナワくん!」  カナワと呼ばれた男はナガレの叱責にも悪びれる様子もなく、苦笑を浮かべるのみ。 「いいじゃないスか。教授もいないことですし」  カナワはナガレと違い、そういう細かい事を気にしないタイプのようだ。ビールをコッ プ半分でそれほど酔うわけでもないだろうに、既に語る口調が雄弁になっている。 「むぅ……。なら、あまりご口外されないようお願いしますね。一応、機密事項なもので ……。それから、カナワ君もビールは程々にな。後で機材を運ばないとならんのだから」 「ええ。その辺は慣れてますから。お約束しますよ」  秘密保持は信用商売である探偵の絶対条件だ。手に入れた情報をダラダラと流していた ら、信用そのものに深刻な傷が付いてしまう。  先程の男女の連れが向こうで食事をしている以外には人影は見あたらないから、雅人さ え黙っていれば秘密は守られることになる。向こうは向こうで盛り上がっているようだか ら(女の子の方が青年に盛んに話しかけているようにも見えたが)、余程大声で話さない 限り聞き取れなどしないだろう。 「ったく、固い事言っちゃってさ。んで、何だっけ……そうそう。『草薙の剣』ってご存 じです?」  渋い顔を浮かべるナガレを放っておいて、雅人に再び話を振ってくるカナワ。 「まあ、人並み程度には」  草薙の剣。天叢雲とも呼ばれているが、いわゆる三種の神器の一つだ。  神世の時代、三大神の一柱であるスサノオ神が八俣の大蛇と呼ばれる巨大な怪蛇を退治 した事がある。天叢雲はその怪蛇の尻尾から現れた剣で、後に日本武尊(ヤマトタケルノ ミコト)に伝えられ、その際に天叢雲という名から草薙の剣へ名を改めたという。  現在は熱田神宮に祭ってあるのが本物だとか、いやいや本物は安徳天皇が入水して以来 ずっと海の底に沈んだままだとか何とか言われているが、何分はるかな昔のこと。真相は 何一つとして分かっていない。 「あれの……」 「カナワ君!」  今度の声は、反対側からだった。 「キリト君もうるさいなぁ。どうせすぐ公開されることなんだから、別にいいじゃないか。 それに、発見したのはこの僕だよ? 手柄は教授に取られちゃうにしても、このくらいの 決定権は僕にあってもいいと思うんだけどねぇ」  その一言でキリトを黙らせておいて、カナワはさらに話を続ける。 「それじゃ、草薙には兄弟たる剣がある、という話は?」  べらべらと機密を喋っているらしいカナワには、ナガレからもキリトからも冷たい視線 が注がれていた。当然、酒の入っているカナワは気付いていないようだったが……。 「兄弟剣ですか? 草薙の剣……天叢雲というのは、八俣大蛇の尻尾から出てきた剣なの では?」 「ははは。そんなものはただの伝説ですよ。ねぇ、猪熊チーフ」  見るからに不機嫌なキリトは答えてくれないと踏んだのだろう。カナワは反対側のナガ レに声を掛けた。まだ彼の方が取り付く島がありそうと踏んだらしい。 「ウチの研究室では、草薙は時の朝廷の『誰か』が出雲地方を平定した時、出雲より献上 された品の一つ……というのが最も有力な説になっています」  苦々しさを感じさせない口調で、至極簡単な説明をするナガレ。ただ、口調の端々には カナワに対する不機嫌さが微妙に漂っていたが。 「なるほど……」  出雲地方は古来から冶金技術の発達してきた土地だ。そこから時の権力者に献上された 剣の内の一振りが天叢雲だったと言われれば、なるほどそうかと……思わないでもない。 少なくとも、巨大な怪蛇の尻尾から神が取り出した剣……などという荒唐無稽な話よりは よっぽど現実味のある説だろう。 「実は、それが……」 「「カナワ君!」」 「おっと。流石にこれ以上は……言えませんけどね」  あまりにあからさまな敵意の籠もった二人分の視線を受け、ようやくカナワはその話に ピリオドを打った。 [4/30 PM9:30 帝都極西部・直上都市『箱根』近辺 オバト山荘 ロビー] 「あの……すみません」 「はい?」  掛けられた声に、雅人は読んでいた古書から軽く瞳を上げた。  読んでいた本は先程バイク便で届けられたばかりのもの。来週辺りに入っている仕事に 必要な古書で、出来るだけ早く目を通しておく必要があったのだ。 「えと……研究室の方?」  先程荷物を搬入していた4人の男女の中の一人だ。まだ若い娘である。 「はい。草原モユと言います」  多分、大学を卒業したてか、まだ在籍しているのだろう。それほどの若さでこういう発 掘メンバーに抜擢されるのだから、余程優秀な人材に違いない。 「あれ……? 確か、あのおっきい人の話じゃ、発掘チームは4人って聞いたけど……」  よく考えてみれば、荷物を搬入していたのは4人。それに教授を加えれば、4人の発掘 チームとしては1人余る計算になる。 「ナガレさんですか? ええ。発掘チームは4人でしたよ。キリトさんは大学の研究室の 方でバックアップでしたから。うちは特殊な資料が多いですから、お手伝いの学生さんだ けじゃ限界があるんですよ」 「なるほど。で、そのモユさんが僕に何の用かな?」 「あ、そうだった……。えと、うちの白鳥を知りませんか? これから明日の事について のミーティングする事になってたんですけど……来る気配がないんですよ」  白鳥ヱニシはどんなに遅くとも集合時間の5分前には集まっているような老人である。 そのヱニシが連絡もなしに遅れてくるような事など……モユだけでなく、他のメンバーに とっても信じられない事だった。 「白鳥って、教授さんの事? 見てないなぁ」  雅人は9時頃にバイク便で古書が届いてから、ずっとロビーで古書を読んでいたのだ。 難解な古語に集中していて回りはあまり気にしていなかったが、少なくともそういう老人 は見た覚えがない。 「自分の部屋にいるんじゃないの?」 「そっちの方はカナワさんが見に行ってくれてるんですが……怒られてないといいんです けど……」  どうやら余程気難しい男なのだろう。教授というのは得てしてそんなものなのだろうか ……とも思うが、そんなにたくさんの教授と知り合いではないから、良くは分からない。 「うわぁぁぁぁぁぁっ!」  そんな事を話していると。  階上から、男の悲鳴が響き渡ってきた。
続劇
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