7. それから五分ほどが過ぎた。 「……ごめん。こんなに早く巻かれるとは思わなかった」 ようやく追い付いてきた少女と老犬に、レアルは残念そうに呟く。 橋下街は本当の意味での迷宮だった。しかも、案内された昼間とは街の顔が全く違う。通ってきた道だけなら何とか分かるが、立体的に配置された裏道や隠し通路になるとお手上げだ。 そこを迷い無く全力疾走できる相手となど、はなから勝負にならない。 「しょうがないよ。向こうはこの街を一番よく知ってる人だもん」 エミュはレアルの肩を軽く叩くと、たっと駆け出した。 「ポク、先に行くね。やっと見つけたんだもん。早く連れて帰って、イルシャナ様達を安心させてあげたいし」 「そうだね。エミュも、気流に気を付けて!」 「ありがと!」 七歩の加速で跳躍し、それと同時に背中の翼を解き放つ。夜のビッグブリッジに、紅い炎の翼が優雅に舞い上がった。 橋下街の乱気流に呑み込まれて軽くバランスを崩しかけるが、それを気合でねじ伏せて羽ばたきを一つ。 「では、儂等も行くとしよう」 「はい!」 闇夜を翔ける炎の翼を追うように、老犬と少年も疾走を再開した。 「この辺まで来れば大丈夫か」 路地裏を抜けた狭い広場でスピードを緩め、ヒューロ達はようやく一息ついた。 ここはビッグブリッジの最縁部。ヒューロ達が降りてきた階段のある側の真反対の位置になる。 構造材とそれに組み込まれた住居に囲まれて、容易には辿り着けない場所だ。ここなら、少々の事では見つからないはず。 「あれ? ヒューロじゃないか。どうしたんだ?」 だが、そこに掛けられたのは飄々とした声。 三人の追跡者の声ではない。 「ギル? 帰ってたんだ」 夜目にも鮮やかな金色の髪と、頭一つ飛び出た長身。 ガイドギルドの同僚、ギルである。 青年がこんな場所にいる事に少し驚くが、ガイドギルドの一員ならここを知っていてもおかしくはない。 「帰ってすぐに仕事だけどな。そっちこそ、俺がいない間になんかいい思いしてるみたいじゃないか」 いつもどおりの笑みを浮かべる青年に、話したかった用件を思い出す。 「……そうだ。ギル、前に案内してた、黒マントの三人組って覚えてる?」 「覚えてるもなにも、その連中の案内をしてるところさ。連れが一人いなくなっちまったらしくてな……その子を探してる」 見れば、広場の隅には長身の女と中背の男の姿がある。今日はマントを付けていないが、恐らくはあの二人がガイドギルドに来ていた黒マントなのだろう。 「その子、色々あってウチで預かってたんだ。あの子だよ」 「そうか。なんか、迷惑かけたみたいだな」 ギルもナンナの事が分かったのか、苦笑を浮かべるだけ。こんな夜遅くにこんな辺鄙な場所いるだけで、何があったかはだいたい理解してくれたらしい。 「……ヒューロ」 「ん? どした?」 そう問おうとして、ヒューロはナンナの異変に気が付いた。 気の強い彼女が、ヒューロの腕を取ってなお、小刻みに震えている。 「……思い出したの」 「何を?」 ギルの連れの二人組も、ナンナの姿を認めたらしく、こちらにゆっくりと歩いてくる。 「あたしがスクメギから連れ出された時の事」 背を丸めた男の表情は愉快そうに歪み。 長身の女の表情は、貼り付いたように動かない。 「あの冷たい表情。忘れはしない……」 それは、記憶の底から引き上げられてきた映像。血に染まった大理石の広間で、こちらに伸ばされた手が持っていた、表情。 そして、あの戦いで幾度となく対峙した、恐るべき無貌。 「貴方達、赤の一族ね」 強く放ったナンナの言葉には、明らかな嫌悪の意志が籠められていた。 「おや。封印が解けてたのか。ガドぉ、お前封印解いちゃったのか?」 ガドと呼ばれた猫背の男は、からかうようなギルに嘲りの混じった笑いを返す。 「そんな面倒ごと誰がするかよ。おおかたクローディアスがヘマかましたんだろ?」 気付けば、その手には燃えさかる炎の杖が握られている。ほんの数瞬前まで、その手には何も握られていなかったはずなのに。 「ヒューロ、逃げて!」 呑気な会話の中に明らかな殺意を感じ取り、ナンナは思わず叫びを上げた。 「え? でも、ギルは……」 ヒューロの知るギルは、ガイドギルドの重鎮だ。五年もの間、ヒューロ達と生活を共にしてきた友人でもある。 そんな彼に敵意を感じろと言われて、にわかに信じられるものではない。 「心配しましたよ。ナンナズ」 長身の女がすいとナンナに手を伸ばし、その身をゆっくりと抱き留めた。衣擦れの音さえしない無音の動きで、女はナンナとヒューロのつながりをすっと断ち切っていく。 「いいから逃げて!」 「……え? でも、ナンナは……」 既にナンナは女の腕の中。ヒューロだけなら逃げられるが、女を振り払わないと、ナンナはもう逃げられない。 「あたしはどうにでもなるから! 今の貴方じゃ、連中に殺されるだけだわ!」 「……はぁ?」 逃げての次は、殺される。 あまりに唐突に出てくる単語に、ヒューロは首を傾げるだけだ。 「ギル、この子っていつもこんな事ばっか言うのか?」 対するギルも、苦笑を浮かべるしかない。 「らしいなぁ。俺もそれが面倒だから、彼女の意識を封印したままにしといたんだが」 そこで、ヒューロもようやく気が付いた。 「……ギル?」 彼の周りを取り巻く歯車が、少しずつ狂い始めていた事に。 「まあ、なんだ」 理解した時には、ギルの大きな両手がヒューロの胸をどんと突き、ビッグブリッジの外へと押し出している。 「ナンナズの言う事は、別に冗談ってワケじゃないんだがな」 無数の剣歯を環状に生やした、異形の掌底を胸に受け。 友と思っていた男からの突然の死の宣告に、少年の意識はゆっくりと暗転した。 ギルデンスターン。 それはヒューロの友に非ず。 少年の思考の外に住む、禍の民。 赤の後継者。 その魔の手から、少年は少女を救う事が出来るのか? Excite NaTS "EXTRA" セルジラ・ブルー 03話 たたかう少年少女 「我らは、力のためには手段を厭わぬ……オーバーイメージ!」 登場人物 ・ヒューロ・セーヴル ビッグブリッジのガイドギルドの一員。 フェレット種の少年。 ・ナンナ 銀髪褐色肌の謎の少女。追われている。 わりと正体バレバレなのは、気にしない方向で。 ・ギル ヒューロの同僚。子安声。ラッセ。 ・ジニー ヒューロの同僚。ネコ娘。 ・レアル ・エミュ・フーリュイ ・ロッドガッツ ・ルティカ・ルアナ ココからやってきた冒険者。ナンナを探している。 ・ギルデンスターン ・ガートルード ・クローディアス ナンナを連れ去った一団。 ・フォルミカ グルーヴェで暗躍する赤の後継者。 使いっ走り。 |