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 それから一週間の後。仲間のもとに戻った一龍を最初に待ちかまえていたのは、固く握
られた拳だった。
「バカかてめぇは!」
 避ける間もなく頬に一撃。
「何で、子供の前で人を殺した! スイちゃんはまだちっちゃいんだぞ。それに、聞けば
そいつはあの子の姉ちゃんだったっていうじゃねえか!」
 叫びと共に、反対側の頬にももう一撃入る。
「……痛ぅ……何てツラしてやがる」
 ただ、顔をしかめたのは一龍ではなく殴った方だった。フォイアロート・シュヴァルベ
3人組のうちの1人だ。
 確か、名をツルギ。
 子供好きな性格のようで、スイに何かと話しかけているのは一龍もよく知っていた。
「……ツルギ」
 殴られた両頬を痛がる様子もなく、一龍はようやく口を開いた。
「お前、動物を飼った事はあるか?」
「はぁ? 何だよ、唐突に……」
 一龍の当を得ない言葉に、ツルギは首を傾げる。
「飼った事はあるか?」
「……ねぇよ。ウチはアパートだったからな」
「そうか……」
 不機嫌そうなツルギの言葉にそう答えたきり、一龍も黙ってしまう。
 周囲に降りるのは、重苦しい沈黙だけ。
「って、ペットと今回の件と何の関係があんだよ!」
「……こちらに来るまでは、獣医をやっていた」
 見習いだったが、と付け加え、一龍は言葉を続けた。
「よく、子供が病気の犬を抱えてきてな。学校に行ってる間にそいつは息を引き取るんだ」
 あたりは先ほどまでとは別種の沈黙に包まれている。普段は喋れないのかと思うほどに
無口な一龍がこれだけ喋るのは珍しかったし、何より彼の雰囲気に呑まれているというの
もあった。
「学校が終わってな。家に帰る前に、子供はまっさきにウチに寄るんだ。ゴンはもう治っ
たかって聞いてくる。死んだって説明しても、子供は信じない。今度はどこに連れてった
の? って聞いてくるんだ」
「……」
「ようやく納得すれば、今度はお別れが出来なかったって泣く」
 その口調からは、子供の事を辛がっている様子も、嫌がっている様子もない。ただ、だ
からといって認めている風でもなかったけれど。
「だから、俺は学校に行ってる間でも、間際には子供を呼ぶ事にした」
「お前……」
「おかげで、学校からはよく苦情の電話を受けたが……」
 一龍はそう言っても苦笑する事さえなく。ただ、全てを淡々と語るのみ。
「あの子の姉ちゃんと動物を一緒にする気か!?」
 だんっ!
 唐突に、沈黙が打ち砕かれた。
 激昂したツルギではない。
 淡々と、静寂を守っていた一龍の手によって。
「……訂正しろ」
「ンだと……」
 一龍の甲冑のように太い腕で壁に押しつけられつつ、ツルギはうめく。けしてツルギは
小柄な方ではないが、一龍に比べるとそれでも小さく見える。
「ペットは動物じゃない。家族だ」
 押し殺したような呟きと共に、ツルギを締め上げる腕に一層の力が籠もった。
 一瞬だけ見えた激しい怒りは既に無く、いつもの沈黙の表情の下へ隠されている。が、
それ故に底知れぬ雰囲気を漂わせていたのもまた、事実。
「お前ら」
 と、その雰囲気を破ったのは新たな声だった。
「隊長……」
「……ウチは犬を飼ってた。3頭とも可愛がってたんだが、どいつも俺のいないウチにさ
っさと逝きやがってな。ま、一龍の気持ちも分からんでもない」
 そう言いながら軽く一龍の腕を取り、引く。さして力が込められた様子もないのに、一
龍の手がツルギの襟から離れて落ちた。
「はぁ……馬鹿力が」
「シマネがカンカンだったぞ。新品のシャルラッハをこれでもかってほどにボロボロにし
やがったって。ちょっと行って謝ってこい」
「……ああ」
 苦笑する隊長に一礼して、一龍はハンガーの方へと姿を消す。
「ツルギ」
「ああ……分かってるよ、隊長」
 そんな無駄に大きな一龍の背中を見送りながら、ツルギは腹立たしそうに小さく吐き捨
てた。
 彼とて歌姫に認められ、英雄となった男の1人。けして愚かでも単純なだけでもない。
「だから悔しいんじゃねえか。俺はよぉ」


 ばらされた細かい部品を組み立て終わり、シマネは軽く息を吐いた。
「そっか。寂しくなるね」
 傍らのスイにそう言い、組み上げた部品を目の前のシャルラッハロートの肩へと接続す
る。数ヶ所をボルト止めしようと思って、後ろへと手を伸ばす。
「スイちゃん、3番って書いてあるレンチ取って。手前の赤いテープ巻いてあるヤツ」
「あ、はい」
 赤いテープが意外と丁寧に巻かれた工具を手渡し、スイ。
 第1次ポザネオ攻防戦……シトヤを喪った戦いから既に一週間が過ぎていた。スイの姉
達が所属する騎士団に世話になっていた一龍とスイがシマネ達と合流できたのは、本当に
つい先ほどの事だ。
「けどアンタ達も大変ねぇ……。改装したばっかのシャルを全壊させる大バカとか、軍人
さんとか……一緒にいられる人を選べないんだから。スイちゃん、よろしく」
 そう言われて、スイは口の中で短いメロディを軽く口ずさんだ。スイの力持つ歌声に活
性化された幻糸の流れが光の筋を成し、直ったばかりの箇所をゆるゆると巡っていく。
「よし。ここは修理終わり、っと」
 シマネは優秀な技術者だが、歌姫ではない。そのため、修復された箇所の調整と確認に
はどうしてもアーカイアの歌姫の手助けが必要になる。
「で、何だっけ? トロンメルの軍が出かけるって話だっけ?」
 いきなり大破させられたシャルラッハロートの修理が一段落し、機材の詰まった箱の上
にひょいと腰を下ろした。
 ついでに話も戻す。
「そうですよ」
 機体が大破し、戦闘に参加できなかった一週間。一龍とスイは何も遊んでいたわけでは
ない。
 スイは生き残った2人の姉と再会し、この世を去ったもう2人の姉の弔いを果たす事が
出来たし、一龍も彼女達の英雄からこちらの世界の状況をもう少し詳しく学ぶ事が出来た。
 そして、海上から蟲の包囲網を作るために姉達が艦上の人になったのは今朝の事。スイ
も共に戦いたかったが、軍の海戦用奏甲に余分はなく、動かぬシャルラッハロートしか持
たぬ身では、望んでもついて行く事は叶わなかった。
「ホント。せめて、3人一緒にいられれば良かったのにね」
「けど、姉様達も歌姫ですから……」
 再会の約束はした。英雄達も歌姫は必ず護ると誓ってくれた。
 しかし、本当にそれが叶うかは……分からない。
 目指す場所が戦場である限りは。
 あるいは、シトヤやシロネのように……。
「そうだ。この際だから言うんだけどさ、スイちゃん」
 と、スイの方へ身を乗り出し、シマネは口を開いた。
「はい?」
「あんた、もうちっと甘えたりとかさ、してもいいと思うんだ」
 スイは優しく、頭もいい。スイくらいの年の頃はバカばっかりやっていた自分たちとは
ずいぶんと違う。
 けれど、だからこそ心配なのだ。
 幼くとも賢く、人の心が読めてしまうが故に。
「……はぁ。けど、一龍さんの所でも、姉様の所でも、もうたくさん泣きましたから。…
…ありがとうございます」
「……ならいいんだけど」
 一龍と2人きりでいる時のスイや彼女の姉の事をよく知らないシマネはそう言うしかな
い。答えながらも、釈然としない気持ちだけが軽くわだかまる。
「そうだ。この際だから言っちゃいますけど……シマネさん」
「ん? 何?」
 珍しいスイからの切り出しに、シマネは首を傾げた。
「私、ちょっとシマネさんが苦手でした」
 ……苦笑。
 思い当たるフシはたくさんあった。
「だろうねぇ。あたし、ちょくちょく一龍を捕まえてたからね」
 苦笑いを浮かべつつも、そう言ってくれたスイが少しだけ嬉しくもある。何があったの
かは知らないが、会ったばかりの頃はスイはこんな事は絶対に言わなかっただろうから。
「そんな……いえ、そうですけど」
 否定しつつの肯定に、再び苦笑。
「大丈夫。別にスイちゃんから取ったりしないって。っていうかあたし、工房にちゃんと
彼氏いるし」
 シマネの好みはもっと細身の男だ。贅沢を言えば、顔と声が良くて自分と機械で互角に
渡り合える相手がいい。その点、今の彼は申し分ない相手だった。
 何にせよ、でかくて黙っていてオマケに機械音痴とくる輩は、戦友としてならともかく
恋人としては対象外だ。出来れば、修理や調整に付き合って貰うのも遠慮したい。
「はぁ……」
 技術者の娘の言葉の意味をよく理解していない様子のスイだったが、ふと顔を上げると
ぱっと立ち上がった。
「あ、一龍さん」
 そのままタラップを降り、ぱたぱたと駆けだしていく。
 一龍のもとに元気よく走り寄る彼女は年相応で、姉の死を受け入れた理知的な少女の面
影はほとんどない。
 ふと、そんな後ろ姿がどこか儚げな気がして。
「……一龍。アンタ、しっかり護ってやんなよ」
 シマネはぽつり、そんな事を呟いていた。


 それは、奇声蟲たちとの最終決戦。二人が闇蒼の姫の城への先遣隊として出撃する、一
週間前の事であった。
< Before Story / おまけ江 >



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