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 それが振り下ろされるまで、ほんの一秒とかからなかった。
 絶対奏甲と互角に戦う奇声蟲の一撃だ。人の中でも極端に脆弱な幼い娘など、触れた瞬
間に砕け散ってしまうに違いない。爪が食い込み、地面を貫き通すよりも先に、少女の小
さな身体は死という結末を迎えているだろう。
 スイも、そいつも、そう思った。
 ぐしゃり。
 だから、その音が響いた後、スイは自分の体が何ら痛みを訴えず、それどころか自分の
意識がしっかりしているのを不思議に思ったのだ。
「……え?」
 固く閉じていた瞳を開け、奇声蟲の方を恐る恐る見上げてみる。
「……うそ」
 貫かれていた。
 スイの前に立つ、巨大な何かが。
 逆光になってそれが何かは分からないはずなのに、スイにはそれが何かはっきりと分か
った。
 けど、それは……この場には決しているはずのない……。
「けど、どうして……」
「シャルラッハロートの腕を1本壊した。結構大変だったぞ」
「そ、そんな事じゃなくて……」
 貫かれたまま、一龍は後のスイに小さく答える。
「シトヤに、約束したからな……」
 何があってもスイを護ると。
「一龍さん……で、でも、ケガ……」
「何ともない」
 奇声蟲の爪に貫かれているはずの一龍の声は、不思議と平静だった。いつもと変わらぬ、
ややぶっきらぼうな、穏やかな声。
「な、何ともなくないです! だって、そんな大ケガ! 死んじゃ……死んじゃう!」
 半ば半狂乱になって叫びつつ、スイは必死に思った。
 守らないと。
 護らないと。
 一龍さんを。
 姉様を。
 みんなを。
 もう、誰も死なせたくない……。
 大切な人を……。
 思い、願い、祈りは自然と声となった。
「私に……力を貸してぇぇっ!」
 守るための力を。
 大事な人を失わないための力を。
 請い、願う相手の名を呼ぶ必要はなかった。
 それは自然と身につけた姉の声帯を通し、ちゃんと届いていたから。
 大地を揺るがす衝撃と、振り下ろされた大斧の一撃として!
「一翠!」
 舞い降りたのは胸部装甲と片腕を失った、一龍よりもさらに巨大な姿。
 土色のシャルラッハロート。
 一龍の名と翠の名を受け継いだ、彼女の村の守り神。
 主もないまま駆けつけた彼は、満身創痍になりながらも主を守るために惜しみなく力を
放つ。砕き、圧倒した。
 たった一匹の『衛兵』が現代に蘇った鋼の守護神に敵うはずもなく……その一撃をもっ
て、彼ら最後の戦いは終りを告げた。


「一龍……さん」
 スイは、目の前に立ちつくす巨身に小さく言葉を紡いだ。
 奇声蟲は駆けつけた一翠の名を持つシャルラッハロートによって倒され、他に敵のいる
気配はない。
 けれど、目の前の男はその場に立ちつくしたまま。
「一龍さんっ!」
「……ああ」
 強く呼びかけ、ようやく返ってきた返答に小さく安堵する。
「……助かった」
 そう言って巨大な奇声蟲の脚を投げ捨て、一龍の方も軽くため息。
「……え?」
 がらん、というどこか間の抜けた音と共に打ち捨てられた脚に、スイは思わず首を傾げ
た。
 今の脚、一龍さんの体を貫いてたんじゃないの?
「どうかしたか?」
 落ち着いて見れば、一龍の足元には一滴の血も落ちていない。さらに、捨てられた脚の
先端には何か分厚い金属の塊がくっついている。
 あれは……スイが吹っ飛ばしたシャルラッハロートの胸部ハッチだ。
 おそらく一龍はそれを盾にしてスイをかばってくれたのだろう。
「……無事……だったんですね」
「ああ。スイが助けてくれたからな……スイ?」
 足にしがみついてきたスイに、一龍は小さく声を上げる。
「一龍さん……」
 再び何か言おうとした一龍だが、押し殺したようなスイの声に口をつぐんだ。
 今は多分、口を開くべき時ではない。
「ごめんなさい。あんなひどい事言っちゃって……」
 一龍が何を考えているのかは分からない。
「姉様が助からないって、ああするしかないって、私も分かってたのに……」
 けれど、信じたいと思った。
「一龍さん……あの……」
 あんな言葉を投げつけられ、絶対奏甲も動かぬというのに……自分を助けに来てくれた、
この人を。
 でも……。
「ハルフェアまでなんて言いません。シマネさんか、姉様達のいる所まで……」
 もう、おしまい。
 信じるべきだった人にあんなひどい言葉を投げつけてしまったのだ。もう、自分にはこ
の人の歌姫でいる資格なんかない。
 きっと、助かった歌姫の中にはもっと一龍に相応しい人がいるはず。
「そうだな」
 そう、一龍は答えた。
(嫌……)
 嫌だった。
 そう言った一龍ではなく、自分自身に。どこかで、一龍が許してくれるのではないか? 
と思っていた自分と、離れたくないと思っている未練がましい自分とに。
 自己嫌悪しつつ、それでもしがみついていた一龍の足から離れようとし……。
「シトヤの事と、スイが歌姫になった事、報告に行かないとな」
 太い腕にそっと背中を抱かれ、スイは動きを止めた。
「え……?」
 嘘……。
「だ、だって、私、一龍さんにあんなひどい事言っちゃったんですよ? それに、さっき
も勝手に出ちゃったりして、一龍さんを危ない目に……」
「気にするな」
 さっきは俺も悪かった、と言って、一龍はスイの小さな身体をひょいと抱え上げた。胸
元まで片腕で引き上げて、そっとスイの重心を自分の体の方に寄せる。
「い、一龍さん……?」
「少し、このままにさせてくれ」
 胸元にしがみつくような形になったスイに少し暗い声で呟く。
「シトヤの事を思い出すと、まだ震えが止まらんのだ。こうしていると、落ち着く……」
「あ……」
 そう。
 一龍だって、人を殺して平気でいられるわけじゃないんだ。
 怖くて、恐ろしくて、誰かの温もりが欲しくて……震えて。
「……はい」
 スイはそっと答え、一龍の太い首に柔らかな腕を回した。
 その細い腕に、静かに涙が伝わっていく……。


 それからしばらくして。 「……動かんか」 「そうですね……」  歌えど願えどまるっきり反応のないシャルラッハロートに、スイと一龍はほとほと困り 果てていた。  通信は効かないし信号弾も持っていないから、他の機体と連絡を取る術がない。それに、 あった所で信号弾は敵をおびき寄せる可能性もあるからうかつに使わない方がいいと、シ マネ達から念を押されていた。  一龍の強行突破で片腕をもぎ取られ、スイの叫びで胸部装甲も吹っ飛んでしまった今の 機体では、蟲たちと戦うどころか身を守る事もおぼつかない。 そんなこんなで途方に暮 れていると、後方から絶対奏甲が近づいてくる反応が聞こえてきた。  数は2つ。 「そこの機体! この辺で逃げ遅れた女の人を見なかった? シトヤっていう歌姫候補な んだけど……」  そう言って停止したのは、プルファよりも騎士らしきラインを持つ重装の絶対奏甲。そ れに続いて、一龍のものより洗練されたラインを持つシャルラッハロートも音もなく停止 した。  ちなみに、声は女の声だ。  一龍は知らなかったが、スイはその声に聞き覚えがあった。 「……姉様? オトヒ姉様!?」 「スイ!? うっそ、なんでアンタがここに!?」  びっくりしたようなスイの声に耳ざとく反応したのは、声を掛けた重装機の方。 「じゃ、コアオ姉様ももしかして……?」 「ええ。けど、どうしたの? 貴女は村にいたんじゃ……?」  シャルラッハロートの方からも重装機側よりはいくらか落ち着いた声が聞こえてくる。 「あたしらは相棒に無理言ってさ、シトヤ姉様を捜しに来たんだ。スイ、姉様を見なかっ た? 確か、この辺で別れたんだけど……」  無理矢理機体に乗り込んでくる辺り姉妹ともそっくりだな、と一龍は思ったが、いつも のように口には出さなかった。
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