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「シトヤ姉様!」
 その姿を見るや、スイはシャルラッハロートの操縦席を飛び出した。
 実の姉ではない。けれど、故郷の神殿で一緒に育てられた。スイが実の家族のように慕
い、それ以上の想いで答えてくれた……たいせつなひと。
「……スイ! 出るな!」
 歌姫の想い一つで全解放された扉から、少女は外へと転がるように。いつもの物静かな
彼女からは想像も出来ない敏捷な動きは、反応の遅れた一龍の静止が追いつくものではな
かった。
 片膝を着いていたシャルラッハロートの胸から半ば転げ落ち、廃墟の地面から起きあが
った少女は愛しい姉の元へ走り出す。
 無事だった。
 やっと逢えた。
 ……姉様。
「スイ……どうしてあなたがここに……」
 一方の姉は、相変わらず壁から顔だけを覗かせたまま。
 長く伸ばしたシルバーブロンドの奥。いつもは見る者を安心させる穏やかな笑顔が浮か
ぶ顔には、今日は軽い驚きが浮かんでいる。
「あのね、私、歌姫になったの! それで、姉様達が心配で……だから、一龍さんに頼ん
で連れてきてもらったの!」
 きっと、シトヤも喜んでくれる。良かったね、って言って、スイを抱きしめてくれる。
そうして、いつものようにシトヤのいいにおいと柔らかい髪が彼女を包んでくれるはず。
 走りながら、スイは姉の名を呼ぶ。
 けれど、それに続く言葉はスイの想像を超えるものだった。
「それ以上、来ないで頂戴」
 強い言葉。
 歌姫としても才のあった女性の声は、スイのものよりもはるかに良く通る。
「……え?」
 歌術など使わずとも、強い意志の込められた声は力を持つ。
 思いも寄らぬ言葉にはやる少女の足が徐々に力を失い……。
「頼むから、来ないで」
 二度目の言葉で、歩む力すらかき消されてしまう。
「ねえ……さま?」
 呆然と経ったままで、スイ。
「……スイ」
 そんな彼女の後ろに立つのは、大きな影。
 一龍の駆る絶対奏甲、シャルラッハロートの姿だ。
 ゆっくりと腕が伸ばされ、姉の言葉に動きを止めた少女をそっと操縦席まで拾い上げる。
「感謝します。英雄様」
「……遅くなった。済まない」
「いえ。私はまだ幸せな方ですわ。オトヒかコアオが来てくれると思って歌っていたので
すけれど、最後にこうしてスイを連れてきてくれたのですから」
 シトヤはいつもの穏やかな笑みを浮かべ、優雅に軽く一礼。
「だから、ありがとうを。一龍様」
 スイは、その会話を理解できなかった。
 え?
 最後?
「……一龍……さん?」
 見上げた一龍に表情はない。
 どうして? 
 シトヤ姉様と3人で後方に戻るんじゃないの?
 どうして……最後なの?
「ねぇ……どうしてなの? 姉様! 一龍さん!」
「そうだ。オトヒとコアオも英雄様と巡り会えたの。今頃、黄金の工房から英雄様と共に
こちらへ向かっているはず。良かったら会ってあげて?」
 スイの問いかけにシトヤは答えない。穏やかな……戦場には不釣り合いなほどに穏やか
な声で、言葉を紡ぎ上げる。
「姉様……? そうだ。シロネ姉様は?」
 そう。ポザネオに向かった姉は4人。長姉であるシトヤはここに、オトヒとコアオは英
雄と巡り会えたのなら……2番目の姉であるシロネはどうなったのだろう。
「一龍様。スイの事、宜しくお願いします」
 しかし、それにも答えは与えられなかった。
「それと……」
「……ああ」
 こちらに顔しか見せぬ女性の言葉が終わるより早く、一龍も短く答える。
 諾、と。
 まるで、全てを分かっているかのように。
「感謝します」
 対する女性も穏やかに笑い、再び一礼。
「……やだ」
 その声と共にシャルラッハロートはゆっくりと斧を構えた。
「……やだ。やめて……」
 姿勢は腰を低く。居合いのように斧を腰へと構え、一撃で振り抜けるようにと。隙が大
きく命中精度もけして高くないが、威力はひたすらに大きい。
 避ける事を考えない相手に放つには申し分のない一打だ。間違いなく、相手は痛みを感
じるよりも迅くこの世から姿を消す事が出来る。
 狙いは真正面。影はただ一つを除いて、ない。
「外さぬ。怖ければ、目を瞑っていろ」
 鋼の騎士の前に立つ女性は、一龍の言葉に軽く首を振った。
「スイ……」
 静かに呟き、ゆっくりと首に付けられた『声帯』を外して傍らへと置く。
 死を目の前にしてなお、そして『声帯』を外してもなお女性の声は良く通り、聞くもの
の心を和ませる力があった。
 いや、だからこそ……か。
「ありがとうね。私が狂う前に、こうして会いに来てくれて……」
「……やだ。ねえ、一龍さん。やめてよ……」
 その言葉に、シャルラッハロートの体に力が籠もる。
 スイとて本当は分かっているのだ。
 もう、そうするしか手段はないという事を。
「姉様も……きっと、お医者様が何とかしてくれるよ……だから……ねえ」
 嘘だった。
 いかな医術をもってしても、彼女を助ける術はもう残されていない。
 そうなった、その時から。
 けれど、それを知ってなお、スイは叫ぶ。
 叫ぶしかなかった。
「それから、貴方達に、オトヒとコアオとその英雄様達に、黄金の歌姫の祝福があります
よう……」
 そして。
「一龍様ぁっ!」
 英雄の意志と歌姫の悲痛な叫びに応じ、土色の巨神は己の限界をはるかに超える動きを、
絶対破壊の一打を放った。
 鋼鉄の斬撃が。そこから巻き起こる衝撃波の奔流が。
 大地を、そしてシトヤを巻き込み……。
 それは、この世界からシトヤという存在を消し去るには十分過ぎるほどの一撃で……。


 彼等は、強い幻糸の流れを感じていた。  悲痛な幻糸の乱れ。  エモノのオト。  犯し、砕き、蹂躙すべき相手の放つオト。  八本の脚を器用に操り、多くの兄弟達と共に音の源へと急ぐ。早く行かなければ、他の 兄弟達にエモノを横取りされてしまうからだ。  幸いな事に、エモノの周りには兄弟のオトはない。自分たちに刃向かう固い大きなモノ も動き出す気配はなかった。多分、寿命がやってきたのだ。彼等は戦いの中で、固い大き いモノの寿命がとても短い事を学んでいる。  寿命の尽きた固いモノに入っている小さいモノは卵を産めないのが残念だけれど、そい つらを踏みにじるのもそれなりに面白くはあった。  だから襲う。  ふと、違和感を感じた。  固いモノの中に、二つのオトを感じたのだ。  一つはいつもの踏みにじるべき小さいモノ。  けれど、もう一つは……  彼は歓声を上げた。  『苗床』だ!  固いモノを蹂躙し、小さなモノを踏みにじり、さらに犯す事まで出来る。  三重の喜びに、金属を軋み合わせるような歓声を上げる。  まず、固いモノだ。それから中身を引きずり出し、踏みにじって蹂躙してやろう。最後 に泣き叫ぶ相手を……。  そんな事を考えながらゆっくりと腕を振りかざすと、固いモノの中から静かな声が聞こ えた。 「……やめろ」  ぞくり。  普段なら哀願と取れる言葉のはずなのに、彼の全身に怖気が走った。  幻糸の流れではない。彼等の体を害す歌声を、固いモノの中にいる奴らは使えないはず だから。  けれど……。 「……やめろと言っている」  圧力すら伴う静かな声に圧され、傍らにいた兄弟の1人がわずか、身を退いた。  ……強がりだ。 「……やめろ。押さえきれる自信がないのだ」  そうだ。そうに決まっている。  この固いモノを引きはがせば、この不快な声も哀願を伴った快い叫び声に変わるに違い ない。  そう考え直し、再び破壊のための腕を振りかざす。  そして。 「……」  次の瞬間、知覚するよりも迅く飛んできた桁外れに重い一撃に……。  彼の意識は、永遠に途絶えた。
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