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 上を見上げれば、そこに見えるのはどこまでも青い異世界の空。
 雲一つない……いや、3本だけ、蒼穹を直線に断ち切る白い筋があった。天翔ける絶対
奏甲『フォイアロート・シュバルベ』の残す飛行機雲だ。
 ふと、その紅い機体が煌めきを発する。
 陽光に煌めく反響板からの輝きは、三機とも三度。
「周囲には敵影無し……か」
 対する地上。
 そう小さくつぶやくのは、大きな影だった。
 この数日で教わった、反響板を用いた通信方法を思い出すように言葉を紡ぐ。
 再び輝き。
 今度は三機とも、一度きり。そして、いくらか間隔を開けて、もう三度ばかり繰り返す。
 任務完了、これより帰投する、という合図だ。
「一龍さん」
 下からの声に視線を転ずると、そこには小さな少女がいた。不満そう……というわけで
はないが、何か言いたげな表情を浮かべている。
「ああ」
 一龍と呼ばれた巨漢は傍らの小さな少女に言葉少なに答えると、自らの仕事……荷馬の
飼い葉やり……を再開した。


嘆きし者の葬送曲
「でさぁ。何でアンタがそんな仕事してるワケよ」  一龍に向かって飛んできた第一声が、それだった。 「……悪いのか?」  声を掛けてきたのは、技術者の制服をラフに着こなした女性だ。この一団での通り名は 『シマネ』。それ以上でも、それ以下でもない。ただ、『シマネ』と呼ばれている。 「いや、別に悪かぁないけど……」  はっきりとそう言われ、口ごもるシマネ。 「け、けど、アンタも英雄っしょ? 少しは英雄らしくしときなさいよ。ほら、スイちゃ んもねぇ……」  一応、一龍はこの世界を守るために現れた『英雄のうちの一人』という事になっている。  うちの一人……というのは、『この世界を救いに来た英雄』という存在が探せば割とど こにでもいるからだ。辺境の輸送団でしかないこの一団にも、一龍を含めて5人の英雄と 対になる歌姫がいる。  が、その英雄様がこの数日にやった仕事といえば、荷馬の飼い葉やりとブラシ掛け。後 はパートナーの歌姫と一緒に荷馬車に揺られているか、それらの体調がいいかどうかチェ ックしたくらいだ。  団としては助かるが、何しろ英雄らしくないこと甚だしい。 「え、でも、私、小さい頃からずっとやってましたし……」  それに小声ながら反論するのはスイと呼ばれた少女だ。小柄な体には余るほど大きな農 具を、ようやくといった様子で抱えている様子が微笑ましい。  だが、こんな10に満たない幼い娘であっても、英雄の半身『歌姫』の位を持っている。 一見平和に見えても、それは今が戦時下という異常事態だからこそのこと。 「そうかもしれないけど……」  まあ、つい先週までは神殿に使えて雑用をやっていたような娘だから、彼女としても馬 の飼い葉やりは抵抗もないのかもしれないが。 「でもさぁ」  別に意味なく威張り散らせとまでは言わないが、もう少し威厳というか英雄らしさとい うか、歌姫らしさというか……。 「他に仕事がない」 「あー。まあ、そうだわね」  そう言いかけてトドメとばかりに言い切られれば、シマネにはもう返す言葉というもの がなかった。  実際、一龍とスイには仕事がない。  彼等の絶対奏甲『シャルラッハロート』は飛べないから先のフォイアロートのような偵 察任務には向かないし、敵もいないから戦う必要もない。というかそれ以前に、『シャル ラッハロート』は今シマネの手で改装中だから戦闘も出来ない。  もともとポザネオ島に向かうからと成り行きで付いて来た連中で、正規の団員ですらな いのだ。彼等以外の英雄と歌姫は色々仕事があるからいつも相手してもらうわけにもいか ないし、結局、雑用以外にこれといった仕事がないのが実情だった。 「って、そうなのよ。一龍、アンタちょっと来てよ」 「……仕事か?」  問われた質問に技術者の少女は軽く頷く。  シマネの仕事は技術者の肩書きの通り、絶対奏甲のメンテナンス一般だ。修理から調整、 果ては特注部品の設計から機体改装まで、工房の機密事項を除いては一通りこなす。 「そ。アンタでないと出来ない仕事」  だが、一龍の必要な仕事とは……。  驚いたことに一龍はこの年の若者には珍しく典型的な機械音痴だった。コンピューター はおろか、話によるとビデオのタイマー録画も出来ないらしい。携帯くらいは使えるのか と聞けば、持っていないと答える始末。  もちろん、絶対奏甲のメンテナンスや微調整に至ってははるか遠い世界の話のはずなの に……。 「アンタにメンテしろなんて言わないわよ。それ以外で用があるの」 「……分かった」  そう言われては一龍も断る必要はない。シマネの手に引っ張られるままに、大きな体が 流れていく。 「……ふぅ」  一龍の大きな背中を見送って、スイは小さくため息をつく。 (何だろう……)  何となく、嫌な気分だった。  別段、何が悪いというわけではない。故郷を離れたのは少し寂しくはあるが、旅の生活 は何もかもが新鮮だったからホームシックになるほどではなかった。馬の手入れや細々と した雑用も嫌いじゃないし、一龍と一緒に働くのはむしろ楽しいくらいだ。  周りの人も一龍や歌姫のみんなを始め、優しく接してくれる。  シマネもいい人だ。  ……そう。いい人……だ。 (でも……)  けれど、なぜだろう。  こんな嫌な気分になってしまうのは。  団に所属している他の歌姫に聞いてみたらみんなして笑っていたけれど、それはきっと こんな気分になった事がないからに違いない。 (行ってみよう。やっぱり)  いつまでもこうしているのは嫌だから。  持っていた道具を置き、一龍達の後を追うことに決める。 「みんな、ゴメンね?」  草を食んでいる馬達に小さく呟くと。全てを分かっているのか、彼等は軽くいなないて 彼女を見送ってくれた。  一龍とシマネはすぐに見つけることが出来た。もともと護衛を含めて20人ほどの一団 だ。その上彼女の行くところといえば絶対奏甲のすぐそばと決まっているから、探す必要 もないくらいだった。 (いた……)  荷車の影からそちらを見れば、なにやら真剣に話し込んでいる風の2人が見える。『向 こうの世界』の話か、機体の調整についての話なのだろうけれど……。 (……まただ)  そう思った瞬間、小さく胸が軋んだ。  嫌だった。  他の英雄達ならともかく、一龍に向こうの世界の話をされるのは。  話している言葉は分かる。だが、その中に出てくる単語はスイの理解の範疇を超えるも のだった。それが何かを聞けば、さらに不思議そうな顔をされる始末。  一度、シマネに『しーでぃー』なるモノの説明をしてもらった事がある。楽器の一種の ようで気になったので、歌姫仲間のみんなと聞いてみることにしたのだ。だが、そこにい た誰一人としてどうしてキラキラしている(らしい)板きれから歌が流れてくるのかは分 からなかった。むしろ、それを理解しているシマネの方を不思議に思ったものだ。  そんな理解できない単語でされる会話は、とうてい理解できようはずもなく。  けれど、何より嫌なのは……。  決して話し上手ではない一龍でさえ、それを話すときは嬉しそうにしているという事だ った。 (……何でだろう)  分からない。  一龍のことも、シマネのことも好きなのに。  どうして、2人が並ぶと胸が痛むのか。  2人が元の世界の事を語り合っているとき、耳を塞ぎたいほどの気分になってしまうの か。 「……スイ」 「……え?」  ふと、頭上から声。 「どうした?」 「あ……」  見上げれば、そこには一龍がいた。考えに沈んでいたせいで近寄ってくる巨体に気づか なかったらしい。 「あの、えと……」 「ちょうどよかった。聞きたいことがあったから」 「え?」  答えるより早く、そっと伸ばされた大きな手に軽く腕を取られてしまう。大きな一龍に しては狭い歩幅に遅れないようについて行けば、たどり着いたのは村から預かってきた絶 対奏甲『シャルラッハロート』の前。  土色の巨神は、シマネが大幅にいじっていると言う割には大して変わっていないように 見えた。せいぜい、ヒビの入っていた装甲が新しいのに置き換わっているくらいだ。  村の守り神の新たな姿を見上げていると、上から再びの声。 「名前、なんて言うんだ?」 「名前……ですか?」  首をかしげるスイに、一龍は頷く。 「スイの名前。スイの村のあたりは、漢字に似た文字を使うと聞いたから」 「ああ、えと、はい」  スイの住んでいた地方は、共通語の他に独特の文字を使う。古代の英雄が残した文字な のだというが、何せ古代から伝わっている文字なので真偽のほどは定かではない。たぶん 一龍はその事を言っているのだろう。  差し出された小さな木片に、渡された木炭で自分の名前を書き込んだ。  『翠』と。 「これでいいですか?」 「ああ」  スイから板を受け取ると、一龍もその板に何かを書き付けた。ただし、こちらはたった の一動作。 「これで頼む」 「はぁ……。まんまっつーか、まんまね」 「何ですか?」  ため息をつくシマネに問いかけると、シマネは呆れたというか、なにやら脱力気味の笑 みを浮かべた。 「コレ。あんた達の機体を区別するマークをどうするかって聞いたら、これでいいって」  シマネがスイに見せた木切れには、二つの文字が描かれている。1つはスイの書いた 『翠』という文字。  残るは…… 「こっちは……イチ?」  『一』の一文字。 「一龍の一に、スイちゃんの翠って、奏甲に迷子札でも付ける気?」  左右に居並ぶ絶対奏甲の肩を見れば、そこには各機ごとに全く違うマークが誇らしげに 描かれてある。スイには分からなかったけれど、向こうの世界では洒落た意匠なのだろう。 ……多分。  けれど……。 「分かりやすいと思うんだが……どうだ?」  翠という字なら、スイにも分かる。もちろん一龍の一という字も。それに、少し困った 風に問うてくる一龍を見ていると何だかおかしくなってきた。 「一龍さんらしいです」 「そうか。なら、これでいい」  くすくすと笑顔で答えるスイにはシマネも反論することができず……。  結局、一龍とスイのシャルラッハロートには双の肩に一と翠の二文字がマーキングされ ることとなった。
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