18.譲れない最終決戦
『新人君。それだけ強い力なんだ。無理矢理押さえたりせずに、有効に使ってみてはどうかね?』
掛けられたのは、そんな言葉。
『大丈夫な方法があるだろう』
与えられたのは、そんな提案。
ならば。
『味方の居ない所で一人で戦えば、誰にも迷惑を掛けずに済む』
至ったのは、そんな結論。
故に、少年は行動に移したのだ。
身体の内に宿る精霊の怒りと苛立ちを、そのまま戦力として有効に活用できるだろう方向へ。
(オレは……間違ってたのか……?)
間違っていたとは思わない。
戦術としては、正しかったはずだ。
けれど少年のそれには、誤算が一つ。
追い掛けてきた、少女のことだ。
単身で周囲を薙ぎ払おうとした少年に必死で声を掛け、自陣に連れ戻そうとした、自らのパートナー。
(つか、真紀乃さんと戦う気なんかないのに……!)
暴走する刃に封じられた雷と暴風の意思は、レムが外界に向けて声を出すことを許さず、目の前に映る全てを敵と認識する。
彼に出来たのは、戦うフィールドを彼女に合わせることと、致命となる一撃を、ほんの少し反らすことくらい。
だが、それだけだ。
剣の……キュウキの意思は相も変わらず目に映る全てを敵と認め、その力を縦横に振るい続けている。
(みんなと戦う気だって……ないって言ってるのに!)
それは、吹き飛ばした手水舎の向こう。
学校生活を共にしてきた友人達も……同じ事だ。
ゆらりと風にたなびくのは、翼を模したマント。
両腕を覆うのは、鉤爪に似た手甲だ。
「あれ……レムなのか、ホントに……」
鳥を象ったらしい仮面から、その奥の表情を伺う術はない。
確かに身長や体格から見れば、レムに近いものがあるが……逆を言えば、判断の材料となるのはそれだけだ。
「………です」
悟司や真紀乃の会話に、ヒトガタのそいつが反応する様子はない。表情も見えないため、聞いているのかいないのかさえ分からない。
「………ファファ、心読まないの!」
「あぅぅ……」
そんな中。口の中で小さく呪文を転がそうとしたファファの唇に当てられたのは、冬奈の指。
かつて天候竜に意思疎通の魔法を掛けようとしたときの事を、冬奈は忘れてはいない。しかも今回は、天候竜などよりもはるかに蚩尤の悪意に近しい存在なのだ。
そんな相手の心を読んで、無事で済むはずがない。
「とりあえず、誰か呼んで……」
「ダメです!」
「……だな。大魔女のやり口は分かってるだろ」
八朔の言葉を、真紀乃とレイジは同時に否定。
この戦いでは共闘することになったが、リリやレムにしようとしていた事を忘れたわけではないのだ。メガ・ラニカの安定を一番に考える彼女たちがこの事象をどう判断するかなど……考えるまでもなかった。
「………なら」
目の前のヒトガタが漂わせる力は、魔法にそこまで造詣のない八朔でさえ分かるほどに強い。恐らくは、この戦いで目にしてきたどの魔物よりも……。
「あたし達で、何とかあいつをレムから引き剥がすしかないって事でしょ……」
結局の所は、それなのだ。
「………出来るの? ボク達に」
「ま、出来なくてもやるしかないって事よ」
そうしなければ、レムは救えない。
救えなければ、今まで黒竜達と戦ったことも、過去に戻ったことも、そこに至るまでに戦った全てが……無駄になってしまうのだ。
「とにかくまずは散らばりましょう! ソーア君の魔法がまるまる使えるなら、範囲の攻撃もありえ………」
祐希の指示に、一同が距離を取ろうとした瞬間。
手水舎の跡に立っていたヒトガタのそいつが。
消えた。
「速………!」
祐希達には追い切れない。戦闘経験の多い者、反応速度と動体視力に優れた者でさえ、捕らえきれたのはその残像だけ。
その動きを捕らえ切れたのは、この場でたった二人。
「え………」
振りかぶる鉤爪の眼前に居た……ヒトガタの標的となったハルモニィと。
「ハルモニィっ!」
その彼女を庇った、悟司だけだ。
目の前に広がるのは、赤い飛沫。
振り抜かれたのは、鳥に似た鉤爪。
「悟司………くん…………?」
少年の崩れ落ちる体の動きは、ストップモーションのようにぎこちなく。
スローモーションのように、ゆっくりと。
どさり、と石畳を打つ音も、少女の耳には冗談のように軽く響き。
崩れ落ちた体から広がっていく赤い液体の流れだけが、それが正しい速さである事を伝えてくれる。
「悟司……っ!?」
辺りの時が戻ったのは、誰かの叫びが聞こえてからだ。
「ハニエ! 水月!」
「分かってる!」
治癒魔法を使える保健委員達が慌てて駆け寄り、魔法の詠唱を開始する。展開までにわずかに時間のかかる着スペルではなく、直接の呪文詠唱だ。
「あ…………」
そして。
「無事で………よか……………」
ハルモニィを見上げる少年の瞳は、いつもの色。
「……………った………」
この半年、銀の弾丸を必死に追い続けた結果だろう。彼の動体視力だけが一同の中でただ一人、風の動きを追いきって、その攻撃にも対処しきる事が出来たのだ。
「あ………あ、あ………」
ただ一つの誤算は、彼が防御の魔法を持っていなかったこと。
それがないからこそ、力任せにハルモニィに体当たりを仕掛け、彼女の盾になることしか出来なかったのだ。
「あ……ああ………あああああ………っ!」
攻撃を終えたヒトガタは既にその場を離れ、手水舎の跡まで退いている。
怒りなのか、喜びなのか。仮面に浮かぶ文様からは、その表情も、感情もうかがい知ることは出来ないまま。
「ああああああああああああああああああああああああっ!」
叫びの瞬間、大気が爆ぜた。
跳躍魔法を地面と水平に放っての急加速。十歩の距離を一歩で詰めて、ヒトガタに振り下ろされるのはハルモニィの二本のロッド。
右の一撃を受けられても、左の一撃が来る。
左が受けられたときには、既に右が準備を終えている。
上段、下段、左右、突きの打ち込み。あらゆる方位からの攻撃を叩き付けてなお、ヒトガタのガードが崩れる気配はない。
「っ!」
体内の呼気の全てを吐き出してしまえば、乱撃に生まれるのは一瞬の隙。
ひと呼吸で息を吸い込み、次の乱打を作り出そうとしたときには……既にヒトガタの姿は上方に。
無論、ひとかどの武芸を得た者であれば、回避の動きで隙が生まれるのは百も承知。
「逃がしませんわ!」
故に大地と良宇の肩を蹴り、先読みをして空中で剣を構える事も出来る。
「………天照!」
空へと逃げかけたヒトガタに下されるのは、陽光の輝きを秘めた光の剣の乱舞だった。空中でありながら周囲に散らばる光の欠片を踏み込んで、キースリンは突進と斬撃を終わることなく叩き込んでいく。
視えるのは、崩れ落ちる親友。
「悟……司………?」
広がっていく血の量が、かすり傷などではないことを示している。すぐにファファ達が治療を開始したようだが……。
「こら、お前……何やってんだよ!」
ハルモニィの攻撃を受け止めているのも、飛び上がってキースリンの乱舞を浴びるのも、レムの意思ではない。
周囲に立ち籠めるもやもやとした感情は、苛立ちと焦り。
そして、その全てに対する怒り。
ヒトガタの動きは既にレムの反応速度を上回り、その動きに牽制を掛けることさえ出来ずにいる。
「やめろって……やめろって言ってるだろ!」
辺りに向かって意思の限りに叫んでみるが、反応はない。
「くそ、何とか言えってんだ………!」
だが。
そんな混濁する感情の世界で、レムが認識したのは一つの姿。
巨大な翼を拡げた、黄金の鳥。
雷と風をまとって存在するそれは……。
「お前が………キュウキ、なのか?」
過去の世界。そこから繋がる、別の歴史で見た雷の鳥。
そいつはレムの問いに答えることもなく、ゆっくりと翼を拡げ……。
悟司の傷口を包むのは、三つの癒しの光だった。
晶とリリ、そして祐希。
「ファファちゃん……どうしよう。血が、止まらないよ……」
三重の治癒の魔法を掛けてなお、その傷口がふさがっていく気配はない。
もともと彼女たちの使う治癒魔法は、ちょっとした擦り傷や打撲程度に効果を発揮するものだ。ここまで深い傷を相手に使うべき物ではない。
「うん……!」
そして治癒魔法の使える生徒の中で、より強力な治癒魔法を覚えているのは……ファファ一人。
自らの長杖型のレリックを取り出し、より強い魔力を得るべく、組み付けられたトリガーを引き絞る。
「…………え?」
だが、響く音はカートリッジの装填される頼もしい機械音ではなく、いかにも頼りない空撃ちの音だけだ。
(カートリッジが……弾切れ……!?)
良宇がその場に突き立てたのは、五メートルの大太刀だ。
「行くぞレイジ! 支援頼む!」
大太刀は機動力のある相手には不利だと判断したのだろう。代わりに両の拳を覆う白い腕甲をがつんと一度打ち合わせ、その具合を確かめてみせる。
「待て! あいつの動きをもうちっと見極めてから……」
「待ってられるか!」
「待てって言ってんだよ!」
唇を噛み、レイジは珍しく言い返した良宇に言葉を叩き付ける。
親友を傷付けられたのだ。怒りがないはずがない。
だがハルモニィの想像以上の激昂に、レイジの思考はいつもの落ち着きを取り戻している。
(天候竜みてぇに、待って倒せる相手なら楽なのによ……)
キュウキの持つマナは、一時期はメガ・ラニカを支える力の一部としても目を付けられていたほどだ。発動の引き金は蚩尤の封印解除だったとしても、完全に目覚めている今、蚩尤の再封印で元に戻るとは考えづらい。
単体の魔力切れを狙うにしても、相手のキャパシティ次第では、それこそ地雷を踏みに行くようなものだ。
「きゃあああああっ!」
そんな戦場に響くのは、キースリンの叫び声。
彼女の足場となっていた光の欠片も吹き荒れる暴風の前に散らされて。たたみかけられた風の一撃に、少女の体はあっさりと吹き飛ばされてしまう。
「キースリンさん!」
石畳に叩き付けられる寸前、ハークの黒い翼と風が何とかキースリンを受け止めるが……。
「って、強い………っ! うわぁあっ!」
狂気すら孕んだ暴風の前では、マナの起こす風は大渦の前の水滴に等しい。あっさりとその奔流に巻き込まれ、くるくると宙を舞うだけだ。
「もう我慢できるか! 行くぞ!」
「………くそっ! 仕方ねえか!」
走り出す良宇に、レイジも歯噛みをしつつ携帯の画面を立ち上げて、その画面を手の内へ。
高速で動く相手なら、カウンターも足止めも十分に機能するはずだ。唯一の問題はスピードに追いつけないことだが……コンビネーションで戦えるならば、それを補う術は戦いながら見えてくるはず。
「レイジくん、良宇くん」
だが、その二人を押し留めたのは、白い仮面の剣士だった。
「私が先に出るよ。その間に君たちは作戦を。………まだ、思いついていないんだろう?」
「あの薔薇獅子は向こうに呼び出されてるじゃねえか。他に何かあるのか……?」
戦っている間に作戦を練り上げればいいと思っていたのは確かだ。
けれどウィルの切り札は、先ほどエドワードが喚び出していた召喚獣のはず。召喚獣は他人が呼び出している間は使えないから、今のウィルこそ切り札に頼れないはずだ。
マスク・ド・ローゼの剣の腕は知っているが……。
「ローゼ・リオンではないよ。本当の切り札は……最後まで取っておくものさ!」
高らかなその叫びと共に吹き荒れるのは、薔薇の嵐。
いつもの赤い薔薇ではない。月光を弾き、より美しく妖しく輝くのは、透き通るほどに白い薔薇。
きぃん、と響く金属質の高音は、幾重にも張られた封印の鎖を断ち切る音か。
やがて、白薔薇の嵐は夢幻の如く掻き消えて。
「それは………」
そこに立つのは、白い細身の甲冑をまとう剣士の姿。
仮面ではない。勇ましき獅子を模したその兜は、まさしく『薔薇の獅子』であった。
「なら、あたしも出た方が良いわよね」
呟き、薔薇の騎士に並ぶのは冬奈。
ゆらりと立ち上る光は、今度こそ彼女の額に角の形として結晶し。青白く発光する長い髪には、まるで脈動するかのように鋭い紫電が駆け抜けていく。
「レディと一緒に戦えるとは、勇気百倍だね」
「そりゃどうも。ま、一分ほどのお付き合いだろうけどね」
どちらの魔法も、持続時間はそれほど長くない。
本来なら追い込みで効果を発揮するタイプの技だったが……相手の特性を見極めるための戦いなら、全力で戦わなければ意味がない。そのためならば、この選択にも十分な意味があるはずだ。
「八朔。私のリミットも六十秒……ちゃんと計っておいてくれよ?」
彼の魔法の正体を、八朔は聞いているのだろう。
頷く少年は携帯からストップウォッチのアプリを起動させ、既にカウントを始めている。
「ならば、マスク・ド・ローゼ………参る!」
続劇
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