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9.切り取られた世界の外で

 華が丘山の表参道、長く長く続く階段の中程は、既に戦場となっていた。
「……なんか、苦戦してるっぽくない?」
 ガルムを振り切り、そのまま上空から戦場を見ているのだが……それなりの高さから俯瞰で見ると、現実の戦闘もシミュレーションゲームと変わらないように見えてしまう。
 そして、その晶の基準で判断した戦況は……圧倒的な、苦戦状態。
「晶、ハーク!」
「ん。ファファを援護すればいいのね」
 冬奈の言葉を皆まで聞かず、晶は高度を下げていく。無論、ハークの動きは見るまでもない。
「華校の治癒術使いです! 大丈夫ですかっ!」
 晶達より後方に降りたファファが声を掛けたのは、同じく支援に来たらしい魔法庁の職員だった。腕に腕章が巻かれている辺り、ある程度の地位のある人物なのだろう。
「魔法庁、華が丘支部の宮之内よ! 天候竜のブレスを食らった友軍を支援に来たのだけれど……」
 普通の天候竜はブレスを吐かないと言われている。黒竜は天候竜の変質した存在と言われていたから、性質も同じと踏んだのだろうが……どうやら、その予測は少々甘かったらしい。
「こちらも支援をお手伝いします。怪我人の収容と体勢の立て直しを!」
 宮之内と名乗った女性は軽く頷き、拳銃型のレリックを構えてみせる。
「冬奈ちゃんは……」
「あたしは前に出るよ。陰、あんた達もいるんでしょ!」
 答えながら八角棒を構える冬奈に応じるのは、どこからともなく現われた二匹の猫だ。
「陽もいますよ?」
 白い猫が人の言葉で答えるが、いまさら驚く事もない。
「だったらちょっと手伝って!」
「ったく。猫使い荒いご主人様だね……」
 白猫に並ぶ黒猫が小さくぼやけば、それと同時に二匹の姿が一瞬ブレて……現われるのは少女の姿。
「文句言わない。三味線にするわよ」
 それに律儀に答える冬奈も、先ほど温存した魔法を今度こそ展開する。青白い輝きを身にまとい、竜と戦っている前衛の術者達を援護すべく走り出す。
「…………それ、生々しいんだけど」
「猫への脅し文句にしては残酷すぎません?」
 冬奈に併走する二人の少女は、白猫と黒猫と同じ声で呟きながら、そのスピードを落とさない。


「今だよ! 真紀乃ちゃん!」
 刀磨の声と共に叩き込まれるのは、黒い戦衣に身を包んだ真紀乃の拳の一撃だ。
「でええええええいっ!」
 黒く分厚い外殻に拳が小さく軋みを上げるが、既に相手も錬金術部員の総攻撃を受けて満身創痍。貫いてしまえとばかりに、そのまま次弾の拳を叩き込む。
 その一撃がトドメとなったのだろう。
 黒い竜は断末魔の声を上げながら、夜の闇の中へと吹き散らされていく。
「や、やった………! やりましたよ、佐倉井先輩っ!」
 竜討伐を喜ぶ刀磨とは対照に、美輪や玖頼の表情は硬いまま。
「まあ、この辺りに来てるのは小物っぽいしな……」
「あんまり大物が来られても困るけどねぇ」
 ようやく倒した黒竜は、五メートルほどの大きさだった。普通の天候竜は小さい物でも十メートル。サイズと強さが比例するなら、今の相手は通常の半分ほど……体積比で言えば、四分の一ほどの強さという事になる。
 だが、大きいからといって戦わないわけにもいかない。
「真紀乃!」
「はいっ」
 真紀乃はルーニの言葉に携帯を取りだし、いずこかへとコールする。
「レムレムー! 次、来ても大丈夫だよー!」
 電話の向こうからは、びゅうびゅうという風の音に紛れて「分かった」という叫びが一つ。
 やがて上空で幾度かの瞬きが起こり、強い風が降りてくる。
「さっきの小さいのは!」
 風は地面にぶつかる直前で逆噴射。軽い靴音を一つ立てただけで、軽やかに着地してみせる。
「倒したよ!」
「次は………結構大きいね」
 レムを追撃して天空から降りてくる巨大な影に、真紀乃は拳を構え直す。
 少なくとも十メートルはあるだろう。どうやら、これからが本番という事らしい。
「けどレムくん。凄いね、その刀……」
「なんか、いつもより調子良いみたいでさ。はぁぁああっ!」
 呟き、着地寸前の竜に先制攻撃。放たれた雷は黒竜の長い角を正確に打ち据え、その衝撃に竜は激しい咆哮を放つ。
「こら、レム! 無茶するんじゃないっ!」
「ねえ、ふと思ったんだけど……」
 先制したレムのフォローに玖頼や真紀乃が飛び込んでいく中。サッカーボール型のレリックを起動させつつ、美輪はぽつりと呟いた。
「もし結界の外に黒竜が出てきたら、どうなるんだろ?」
 大魔女の結界がどんな仕掛けになっているかは分からないが、相手はメガ・ラニカの神そのものだ。もしも結界の隙間から染み出した魔力が、ガルムや黒竜として結界の外で実を結んだとしたら……。
 魔法庁の主力も、騎士団も、この結界の中にいるのだ。
「そんな事まで気にする余裕があるのかしら? ミワ」
「ないけど……。っていうかお前も来たんなら少しは見てないで戦えよロベルタ!」
 混ぜっ返すだけで何もしない少女にそう突っ込んでおいて、美輪も自らのレリックと共に戦場に飛び込んでいくのだった。



 世界を切り取る結界の中で華が丘とメガ・ラニカの主力部隊が戦っている頃。
 丸い月の浮かぶ夜空に小さなため息がもれたのを、少女の人工聴覚は聞き逃さなかった。
「どうしました、雪穂さん」
 少女の傍らに浮かぶのは、形容しがたい巨大な物体。
 いびつな球体型のボディに申し訳程度の小さな手足が生えた、一軒家ほどの大きさの何か、である。
「いえ。本編もだけど、客演でも出番ないなぁって……」
 ため息の主は、謎の物体の中。もちろん食べられているわけでは決して無く、中でそれを操縦しているのだ。
「いいじゃない、雪穂。スポットなんだから」
 ダウナー気味の少女を慰めるのは、巨大な物体の頭頂部に乗っている少年だ。左手で頭頂部から生える木の根らしきものを掴み、右手には長大な槍状の武器を構えている。
「もぅ、真ってば……」
「……来たよ!」
 そんな雪穂の言葉を遮り、真は右手の槍を構え直す。
 少年の目の前。夜の闇から浮かび上がるようにその実体を現わすのは……全長十メートルは優に超える、巨大な黒い竜。
 結界を越えて発現した蚩尤の魔力によってこの世に生み出された、怒りと狂気の化身。
「皐月さん、お願いします! 家獣!」
 雪穂の叫びに巨大な物体……家獣も竜の如き咆哮を上げ、まだ動き出せずにいる竜に掴みかかっていく。その頭上でも、槍を射撃形態へと変形させた真が援護の射撃を始めていた。
「了解しました。行きます……っ!」
 それに遅れる事ほんのわずか。ロベルタのメイドも、自らの操る巨大な異形を操り、黒竜との戦闘へと突入していく。


 交戦の始まった華が丘の空を見上げ、男は傍らの老人にぽつりと呟いた。
「すんませんね、バンブルビー先生。お手間取らせてしまって」
 傍らの老人は、華が丘高校魔法科の教科主任。十六年前に魔法科が設立された当時から科の教鞭を執る、いわば魔法科の生き字引だ。
「我々にはこのくらいしか出来ませんからな、飛鷹先生」
 華が丘の夜空を一面幻術で覆い、さらに上空で行われている戦火の一切と轟音を覆い隠す。魔法の対象から外された飛鷹の目には映る戦火も、他の華が丘の住人にはいつもの穏やかな夜空としか感じられないはずだ。
 いずれにしても、並の魔術師の力量で出来る事ではない。
「いや、このくらいってレベルじゃない気もしますが……」
 これだけ強力な魔法が使える術者が、華が丘……いや、メガ・ラニカ全土でも何人いるか……。そう考えようとして、飛鷹はその思考をあっさりと切り替えた。
「……ガルムも、ちょっとは出てくるか」
 打ち合わせた両手。その指し示す先で結実するのは、ひと抱えもある氷塊だ。その内には中型犬ほどの黒い犬が封じ込められており……。
 中の獣が闇に消えたところで、氷の塊はあっさりと砕け散る。
「それにしても、さすが大魔女の結界ですな。小さな魔力はほとんど漏らしていない……」
 天候竜クラスの強い魔力は、力押しで抜け出てくることがある。けれどより厄介なガルム達は、彼の感知の魔法を使っても、結界の外にはほとんど現われていなかった。
「ですね。それに大神のメールだと、儀式は順調に進んでるみたいですし……」
 従う物理法則が微妙に異なるからか、携帯の電波は魔法の壁を越えてくる。真紀乃やレムがいるから平気だとは思うが……念のために八朔と面識のない錬金術部の生徒達にもメールを転送してやりながら、飛鷹はいまだ魔法携帯を持たぬ老爺に結界内の次第を告げておく。
「はて? 大神は、儀式の様子を外から判別できるほど魔法の成績は良くなかったような……」
「…………誰だよあいつに連絡役任せたの」
 本当に大丈夫なんだろうか。
 一抹の不安を抱きながらも、今の飛鷹に出来るのは、儀式が本当に順調に進むように祈る事と……現われたガルムを倒すことだけだ。


続劇

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