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8.

 途切れたのは、繋がっていた視覚。
 最後に網膜に映し出されたのは、闇の中でもぎらりと輝く鋭い歯列だった。
「痛っ……」
「大丈夫かね?」
 ギースの言葉に、祐希は閉じたままの目を目蓋の上から軽く押さえてみせる。
「はい。……ですが、一体やられました」
 偵察に出していた人形の一体が、黒い犬に噛み潰されたのだ。
 魔力の温存と効果範囲を少しでも拡げるため、位置を固定した後は視覚以外の感覚を遮断していたのが幸いした。もしいつも通りに触覚まで完全にリンクさせていれば、噛み付かれた痛みとショックで気絶程度では済まなかったかもしれない。
「何なんですか? あの黒い犬は」
 作戦のタイムテーブルに照らし合わせれば、既に蚩尤の封印は緩め始められているはず。このタイミングで出てきたのだから、蚩尤の眷属の一種と見るのが妥当だろうが……。
「恐らく、ガルムだな」
「ガルム?」
 以前、神話関係の本で聞いた名だ。確かそこでは、地獄の猟犬と言われていたはずだが。
「メガ・ラニカでもたまに出る犬型の魔物だよ。魔法生物だと言われていたが……ツェーウーの悪意の欠片だったのか」
 魔法生物自体、古代のキメラの研究から生まれた生物群というだけで、明確な分類がされているわけではないのだ。その中に蚩尤の眷属が混じっていたとしても、不思議でも何でもない。
「……黒竜の前触れ、という事ですか?」
 ガルムを蚩尤の眷属とすれば、蚩尤の封印は順調に緩められているということだ。ということは、さらに封印が緩められていけば、いずれはガルム以上の……本来予測された相手が、姿を見せる事になる。
「……総員に駆除を最優先に伝えろ。こんな雑魚に邪魔されて本命の竜に踏みつぶされては、浮かばれんぞ」
 祐希の言葉に小さく頷き、ギースは伝令魔法を使える騎士に、そう指示を飛ばすのだった。


 犬の形をした悪意の突撃を正面から受け止めたのは、目には見えない壁だった。
 悪意の凝縮した存在ゆえ、ガルムが頭からぶつかっても脳震盪を起こすような事はない。だが、生まれた隙は、光刃の一撃を叩き込むには十分なもの。
 あっさりと両断された影は、元の闇へと吹き散らされていく。
「うーん……」
 周囲から鋭い悪意が消えたのを確かめて、小さく首を傾げるのは、魔法の壁を生み出した張本人だった。
「どうしました? レイジさん」
「いや、なんつーかよ、加減が難しいなと思ってな」
 本来、判で押したように同じ効果が出るのが壁紙エピックの特徴だ。召喚魔法や転移魔法の多くがその性質を備えているが……空間を操る魔法は、起動時に注ぎ込む魔力を調節する事で、その効果をある程度コントロールする事が出来る。
「今のじゃダメなのか?」
 空間魔法で足止めをして、その隙に良宇やキースリンが攻撃を叩き込む。先ほどのコンビネーションは、良宇が見ても上手くいっていたように見えたのだが……。
「消耗がでけえんだよ。あんなのポコポコ出してちゃ、すぐ魔力が空っぽになっちまう」
 先ほど出した壁は、レイジ達が通れるドアほどの大きさがあった。けれど、中型犬ほどの相手を受け止めるなら、その大きさは三分の一もあれば事足りる。
 もっと言えば、頭を叩き付けさせるだけで良いのだから、位置取りを上手く取れば手のひらほどの大きさがあれば十分なのだ。
「そうだ。ハルモニアは相手に手加減するとき、どうしてんだ?」
「どうしてる、と言われても………。水波能女なら、お願いすれば加減してくれますし……」
「………だよなぁ」
 同じエピックでも、召喚魔法と空間魔法では使い方に天と地ほどの差がある。喚びだした天馬に加減してもらうのは簡単だが、練り込んだ魔力に反応するだけの結界魔法では、そうはいかない。
「とにかく、数こなして体で覚えるしかねえか」
 そんな時間も余裕もないが……今は出来そうな事からやっていくしかない。
「良宇、レイジ、来るぞ!」
 マーヴァの声に木々の向こうを確かめれば、そこにあるのは悪意を漲らせた瞳を持つ、四つ足の獣の群れ。
「距離良し……サイズよし………なら、このくらいでどうでいっ!」
 そう叫んだレイジが放つのは、横に長い竿状の結界だ。
 ガルム達の足元ではない。それよりも、もう少しだけ上の位置。
「よっしゃ!」
 結界に気付くこと無く突っ込んできた獣の群れは、その竿にしたたかに胸のあたりを打ち付けて。前へ向かうはずだったベクトルを、そのまま斜め上へと強制的に切り替えさせられる。
 要するに、つんのめって前へと放り出されたのだ。
「……なるほど。このくれぇでいいのか」
 地面を転がるガルム達を騎士達が闇に還していく様子を見遣りつつ、レイジは手の中の携帯を握り直す。


 棍を構えた冬奈の視界を覆うのは、黒い影。
 それは、襲いかかってきた影の獣ではない。
 獣と、少女の間。
 ばさりと広がる巨大なそれが、迫り来る獣を一撃の下に弾き返したのだ。
「冬奈ちゃん! 飛んで!」
 鋭く飛んだ声の意味を反射的に理解して。口の中に転がすのは先ほどの着スペルの続きではなく、いつも使っている魔法の呪文。握りしめていた棍に魔力を注ぎ込めば、八角の棒はその内に秘められた力を解き放ち、冬奈の体を夜の空へと引き揚げていく。
「冬奈ちゃん! 大丈夫?」
 一瞬で辺りの木よりも高く飛び上がれば、傍らに文字通り飛んでくるのは、白い翼を拡げたファファだった。
「ああ………あの黒いの、ハークの魔法か……」
 作れば良かったのは一瞬の隙だ。目的を果たすために攻めを重んじるか、守りを重んじるかという意識の差だが……少なくとも先ほどの一瞬は、ハークの判断に分があったらしい。
 少なくともそのおかげで、冬奈は切り札の一つを温存する事が出来た。冬奈を包む青白い光は既に消え、髪の色もいつもの黒に戻っている。
「って晶! 何やってんのよ!」
 だが、地上を見ればハークがもう一度防御の魔法を解き放ち、ガルムの第二波の襲撃を弾き飛ばしているではないか。
「晶ちゃん!」
 ファファの声でようやく我に返ったのか、晶も自らの魔法を起動させ、慌ててこちらに飛んでくる。
 三度目の襲撃を弾き返して、それを追ってくるのは黒い翼を防御から飛翔に切り替えたハークだ。
「晶ちゃん、どうしたの? ぼーっとして」
 いつもの晶なら、ハークの行動の半歩先を読み、一度目の翼の起動と同時に空に退避し終えているはず。そして殿のハークに、遅いと文句を言っているはずだが……。
「な……何でもないわよ!」
 まさか、いまさらガルムに恐れをなしたわけでもあるまい。かつて時の迷宮に迷い込み、二人っきりで怪物に対峙した時でさえ……取り乱さなかった晶なのだ。
「…………もしかして、惚れた?」
「………バカ」
 ハークの言葉にぷいとそっぽを向き、晶は飛行魔法の速度をほんの少し上げてみせる。
 四つ足のガルム達は空を飛ぶ事が出来ない。
 その悔しそうな吠え声を後に、四人はその場を後にするのだった。


「これで……おしまいですっ!」
 振り抜かれた黒い拳が、闇と悪意で構成された体を打ち砕く。
 それが闇に還った事を確かめて、真紀乃は握っていた拳をわずかに緩めてみせる。
「前座は終了って事か……」
 見回せば、他の錬金術部の面々も、それぞれの相手を下しているところだった。
 周囲にそれ以上の悪意は感じない。近辺に生まれたガルムは、あらかた討伐できたようだが……。
「レムレム、大丈夫ですか?」
「ああ。もうその辺の感覚、麻痺してるっぽい」
 今のところ、風と雷もレムの意思以上に放たれる気配はなかった。もちろん戦闘の高揚感が無いわけではないが、それに振り回されるまでには至っていない。
 そんな中、誰かが空に向かって声を放つ。
「あれ!」
 月明かりに照らされた夜の空。
 澄み渡るそこに生まれるのは、黒い淀み。
 もちろん、視覚的に澱んでいるわけではない。だが、人としての感覚が、生物としての本能が、その一点が澱んでいると少年達の心に伝えてくれる。
 淀みはやがて澱となり、その濃度を加速度的に高めていき……。
「あれが………」
 広がるのは翼。
 伸びるのは尾。
 そして、開くのは顎。
 誰かの口から自然と漏れたのは、竜、という畏敬の銘だ。
 月明かり輝く空に浮かぶ巨大なシルエットは、紛う事なき天候の化身。
「え……? 二匹……?」
 それが、二匹。
「お、思ったほどの数じゃな……」
 だが、誰かが安堵の声を漏らすその合間。白紙に染み出すインクの如く、夜の闇に新たな淀みが浮かび上がり。
「……まだ増えてるよ」
 現われた竜の周囲には飛行魔法を使える術者達が取り憑き、竜達の気を引くように誘導を始めていく。だが、その誘導をする端から、黒い淀みはゆっくりと現れ続けている。
「あんなに出てくるなら、少しは放っておけば……」
「いきなり社殿にブレス吐かれるわけにもいかんだろ」
 社殿のはいり達は、儀式を行っている間は無防備だと聞いている。黒い天候竜がメガ・ラニカの古龍のようにブレスを吐くかどうかは分からないが、もしもそのブレスが社殿を直撃すれば作戦はそこで失敗……そして、この最悪の状況から覆す方法も未来永劫失われてしまうのだ。
「そういうこと。適当に暴れてるのは放っておいて良いから、まずは近くに落ちた奴を倒しに行くぞ!」
 目測で一番近くに降りた竜は、裏参道の中程あたりにいる。
 走り出す美輪に、他のメンバーも慌てて走り出す。


続劇

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