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7.冥府からの使者

「何ていうか……やっぱり逃げた方が良かったんじゃない?」
「言わなかったっけ? 作戦が始まったら大魔女達が結界を張るって」
 華が丘山の四方を起点として張られた結界は、かつてハーク達が閉じこめられた白い世界の結界をさらに大規模にしたものだと聞いていた。
 故に、それが一度発動すれば、たとえ天候竜であろうとも結界の外へは出られなくなる。もちろん中にいる晶達も、例外ではない。
「そんなの初めて聞いたよ……。ファファちゃん達は知ってた?」
「あ、わたし、その設営お手伝いしたから……」
 もちろん治癒魔法使いが戦場から下がる気はない。それはそれ以外のメンバー……山の四方で結界の設営準備を手伝った桜子も、セイル達も同じだった。
「晶……あんたって子は………」
 冬奈の視線に気付かないふりをしておいて、晶は辺りを見回すだけだ。
 そんな事を話していると、上空からゆっくりと舞い降りてきた影がある。
「ああ、ファファさん。こんな所にいたのですか」
「大クレリック! 結界は?」
「展開を終えたので、魔法庁の師達に任せてきました。これで町の人への被害は出ないはずですが……」
 結界の展開儀式は大魔女として引き受けたが、もともとは医療系の魔法を得意とする彼女だ。結界の守護者としての戦う力は、それほど優れているわけではない。
 それに、彼女には結界を守るのと同じ……いや、それ以上に大切な役割がある。
「でもそれじゃ、どこに逃げればいいの?」
 ハークの心配事はそこだった。何かあっても逃げ場がなければ、それこそ決死の作戦か、心中ではないか。
「ゲートの扉は開放していますから。怪我をしたり撤退をするなら、そちらに向かってください」
「ゲートの中が避難所なんですね……」
 確か魔法庁の本部も同じ所にあったはず。意外といえば意外な抜け穴の使い方に、少女達も驚きを隠せない。
「あまり使いたい手段ではありませんが……結界に出入り口を作れば、そこから結界を破られかねませんし」
 もともと本部は、儀式が行われている拝殿に次ぐ重要拠点だ。防備も充実しているし、いくら相手が天候竜とは言え、いきなりゲートが破壊されるような事はないだろう。
「私はそちらに向かいますが、ファファさん達はどうします?」
「私は……前線に行こうと思います」
 大魔女のように、後方で負傷者の救護をするのも治癒術士のあり方の一つだろう。けれど、最前線で傷を癒す事が出来れば、それだけ戦闘継続力を高める事が出来る。
 勝つ事ではなく守りきる事がこの戦いの目的なら、その選択にも大きな意味があるはずだった。
「……いいかな? 冬奈ちゃん」
 上目遣いのパートナーの言葉に、冬奈は小さくため息を一つ。
「どうせ、ダメって言ったって行くんでしょ。付き合うわよ」
「えへへ……」
 強い意思の表れを照れ笑いで誤魔化しておいて、ファファは大魔女へと向き直る。
「……それも一つの方法ですね」
 作戦開始前の予測では、黒竜の出現時間は儀式が終わるまでの三十分ほどと見られていた。故に、その時間を耐えきれば、自動的にこちらの勝利となる。
「治癒術者の役目は、癒す事と自分が倒れない事です。……気を付けてくださいね」
「はいっ!」
 まだ空に竜は現われず、戦いが始まった気配もない。
「じゃ、ハークくん。あたし達もどこか行こうか」
「行くって…………」
 大魔女を見送ったところで、ハークは思わず言葉を止める。
「…………三人とも」
 視界の端をよぎったのは、何かの影。
 山育ちのハークだ。山の獣やヤギたちはそれなりに見慣れているし、それを見落とすわけもない。
「………何か、いる」
 そして影の持つシルエットは、山の獣ともヤギとも異なるもの。


「………レムレム?」
 風と雷は、その力の発動を止め。
 少年は真紀乃の言葉に応じ、何事もなかったかのように立ち上がってみせた。
「大丈夫?」
「………ああ………。なんか、大丈夫っぽい………」
 今までには無かった感覚だ。全身を駆け巡る強烈な破壊の感情が、ある一瞬を境にぴたりと止まってしまったのである。
 自身でも、暴走をしないように必死に自らの意思を押さえ込んではいた。だがいつもの経験からすれば、それで衝動の幾らかを押さえる事は出来ても、ここまで完璧に止める事など出来た事がないはずなのに……。
「ホントに? さっきの悲鳴、すごかったよ?」
「何て言うか……さっきみたいな感覚はあるんだけど……よく分かんないっていうか……」
 全身にちりちりと何かが奔る感覚は、たまにある。けれど、それだけなのだ。
「怒りのエネルギーが強すぎて、人間の感覚では感じ取れなくなっているのではないかね? 例えば音なら、可聴音を超えた時のような……」
 犬笛のようなものだ。人間の耳に聞こえる音よりも高い音を出すそれは、人の耳には聞こえないが確かに音を出している。
 それと同じように、強い負の感情は心を傷付け壊してしまうが、その度合いがあまりにも桁外れだった場合……人の心は傷付く事さえできず、そのまま素通りさせてしまうのではないか。
「ああ……言われてみれば、そんな感じかも……」
「……ふむ。問題ないならいいが、限界を超えた状態なのは変わりないだろうしな。バランスを崩さないよう、気を付けたまえ」
 非可聴音も桁外れすぎる感情も、感じられないだけで確かにそこには存在している。そこからわずかに……感じ取れる程度に……下がってしまえば、そこに待ち構えているのは感知できる最大出力の負の感情と、それを引き金とした暴走だ。
「いや、そんなの、どうやって気を付けろと……」
 気を付けろと言われて気を付けられる物でもないが、白衣の上級生の仮説からすれば、微妙な状況なのは間違いないらしい。
「それはまあ…………………だな」
「だなってちゃんと説明してくださいよ京本先輩!」
 だが。
「え、ええっと……とりあえず、ですね」
 そんな一同の中、小さく手を上げたのは、話の輪の隅にいた撫子だった。
「その黒いワンちゃん達を何とかするのが先かと思うんですけど……」
 言われ、気付く。
 月光の下。あちこちに澱む闇の中。
 そこからゆっくりと抜け出してくるのは、犬とも狼ともつかぬ姿をした、黒い魔物。
「わああっ! なんだこいつら!」
 目が合った瞬間、牙を剥きだして飛びかかってきたそいつらに力任せに竹刀を叩き付けながら、刀磨はいきなり一杯一杯だ。
「ってかこんな可愛くないの、ワンちゃんなんかじゃありませんよっ!」
 真紀乃も慌てて自らの核金をまとい、襲い来るそいつらを叩き落とす事に、意識を集中させるのだった。


 夜の闇を抜けて現われたのは、三匹の異形。
 小型の狼か中型犬ほどの大きさを持つ、四つ足の獣である。
「ちょっとぉ。これも、蚩尤の魔物って奴?」
 ツェーウーの魔力を受けて空に生まれると言われていたのは、巨大な竜。
 だが、ツェーウーの魔力で生まれる生物は、本当にそれだけなのか? 天候竜として形を得るに至らなかった力の欠片は、本当に欠片のままなのか……。
 その答えが、おそらくはこれなのだろう。
「よく分かんないけど……」
 だが、その出自などどうでもいい。分かりやすい殺気を撒き散らすそいつらが、ハーク達にとって脅威である事に違いはないのだから。
 不安げに暗い明滅を繰り返す鈴蘭の髪飾りをそっとポケットにしまい込み、ハークが代わりに取り出したのは自身の携帯だ。
「他の所でも始まってるみたいね」
 参道や森の向こうから聞こえてくるのは、解き放たれた魔法の爆発音や剣戟の音。取り出した六尺の八角棒をぐるりと一度回し、冬奈もそれを構えてみせる。
「…………とりあえず、こいつらを何とかしないとどうにもならないみたいね」
 飛行能力は持っていないようだから、飛んで逃げれば何とかなるだろう。この場にいる四人は飛行魔法を使えるから、まずは逃げの一手で良い。
 ただ、飛び上がる瞬間に生まれる隙を狙われれば、体勢を崩されて一巻の終わりだろうけれど……。
(さて……と)
 四人の中で近接戦が出来るのは、冬奈だけ。対する相手は、闇の中からさらに三匹の増援が加わっている。
(今のままじゃ、ちょっと厳しいかしらね)
 さすがの冬奈も野犬と手合わせした経験はない。
 リーチが長く一対多数に有利な棍だが、間合より内側の格闘戦に持ち込まれれば長いリーチはそのままハンデとなってしまう。特に低い体勢から足元を取られれば、そのまま数に押し切られてしまうことは想像に難くない。
「……ハーク。二人は任せたわよ」
 冬奈の八角棒から流れ出るのは、ファファさえ聞いた事のない奇妙な抑揚の旋律だ。
 同時に彼女の周囲を青白い輝きが包み、黒く長い髪がゆっくりとその明度を上げていく。
 それを脅威と感じたか、少女達を取り囲む影の犬達が、鋭い咆哮と共に一斉に襲いかかってくる!


続劇

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