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31.最後の戦い

 目の前に広がるのは、惨憺たる光景だった。
「……………」
 広げられた青いビニールシート。
「……………」
 街指定のビニール袋に無造作に放り込まれた仕出し弁当のから。
「……………」
 流石にアルコールは無かったが、ジュースの空き缶もあちこちに転がっている。
「……ええっと」
 辺りを見回し、祐希は続ける言葉を見つけられずにいる。
 戦いどころか、宴会の跡であった。
 一瞬桜の季節にでも迷い込んでしまったのかとも思ったが、木々を包むのは既に秋の色。むしろ紅葉見物といった様相だが……。
「戦いは……ふみゃっ!?」
 呟きかけた柚子に勢いよく抱き付いて来たのは、華が丘高校の女教師だった。
「柚ちゃん! 久しぶり!!」
「え、ええっと……?」
 大人の女性にそんな事を言われても、一体何が起こったのかすら分からない。
「……はいり。それじゃわかんねぇって」
「そうよ。というか、ちょっと離れなさい」
 だが、力一杯抱きしめに来た女性の腕の中から必死に顔を出してみれば……。
「え……? ルーナちゃんに……ローリちゃん? なんで……? ここって……?」
 そこにいたのは、92年と変わりないルーナとローリの姿。服装は少し大人びているが、顔かたちは柚子の記憶にある、ほんの少し前に別れの挨拶をしたときのままだ。
「ちゃんと2008年よ。色々あってね、これならすぐに分かるかなと思って」
「……ってことは、この女の人が……はいりちゃん?」
「そうだよぅ……」
 外見こそはだいぶ大きくなったが、漂わせる雰囲気や口調は柚子の知っているはいりそのものだった。
 それが何となく嬉しくて、柚子もはいりにきゅっとしがみついてみせる。
「葵先生。こいつぁ一体……?」
「帰りは一番早いタイミングで返ってくると思ってね。ライスのパイだけど、食べる?」
 差し出されたパイを何となく受け取って口に運び……最初のひと口目で、レイジは我に返る。
「そうじゃなくって、大魔女達との戦いは……?」
 目の前の光景は、明らかに戦っていた様子はない。しかも、戦っていたはずの魔法庁の術者と華が丘の生徒達が、仲良くお菓子や弁当を食べていたりする始末。
 命懸けで戦われるよりははるかにマシではあるが……。
「あれだけ儀式をぶちこわしにされたんだ」
 後ろから掛けられた声に、慌ててその場を飛びずさる。
「もう過去からそいつを連れてくるのを待つしかないだろう」
 そこにいたのは、明らかに不満そうな表情をしている大魔女の姿。よく見ればゲート前の祭壇はきれいに片付けられており、小屋の脇に山積みにされていた。
「待つしかないって、俺フツーに死にかけたんだけど……」
「そりゃ、お前が下手な挑発なんかするからだろ。それにクレリックの娘がいなけりゃ、あそこまではやらないよ」
 明らかにリラックスムードの一行の中、陸だけは何故かボロボロだったが……どうやら大魔女やルーナ相手に模擬戦をしていたらしい……それでも優秀な治癒術士が揃っているおかげで、大事には至っていないようだった。
「って事は……」
「お帰り。維志堂くん。……むぐむぐ」
 ようやく姿を見せたのは、大きなケーキを両手に持ったままの太ましい少年だ。
「玖頼先輩! みんな!」
 そして、差し出されたケーキを受け取った良宇の前に姿を見せたのは……。
「維志堂さん。………お帰りなさい」
「お……おう………。ただいま」
 目の前でこちらを見上げる少女の姿に、歪んだ世界で見た少女の儚げな笑顔が重なり合う。
(い……いや、あれは………目の前の遠野とは、ちが……っ!)
 あそこで見たものは夢や幻の類なのだ。目の前にいる撫子とは、全く関係ない話だ。
「ほらほら! 遠野さん、すっごく心配してたんだから。そっと抱き寄せるくらいしたらどうなの?」
「だ……っ! だだだだだ!?」
「え、ええっと、水月さんは一緒に過去に行ってたんじゃ……」
 頭に血が上りきった良宇には、晶の茶々が明らかにおかしいことさえ判断しきれない。
「さて、と。柚。慌てて帰ってきてくれた所を悪いけど、あとひと息、手伝ってもらえる?」
「封印の調整ですか」
 そんな再会を喜び合う一同を眺めながら。葵の面影を残した女性の言葉に、柚子は小さく頷いてみせる。
「そういえば過去の世界で、封印を緩めるのは限界って聞いたんですけど……」
 過去の時点で、既に封印にはわずかな緩みがあったと聞いていた。そこから漏れ出すツェーウーの力で、メガ・ラニカを何とか支えていたのだと。
 そしてそれ以上封印を緩めるのは、そのままツェーウーの復活に繋がってしまう可能性があるとも。
「……あの頃はね。あたし達だって、別に今まで遊んでばっかりいたワケじゃないのよ?」
「調べたのは私と菫さんと葵だけどね」
 さらりと混ぜっ返すローリに、はいりは続ける言葉もない。
「メガ・ラニカの文献には色々と使えそうなものもあったしね。これに柚が加われば……もう少し封印を緩める事は、出来るはず」
 そうすれば、メガ・ラニカの崩壊を完全に止められないまでも、大きくブレーキを掛けることが出来るはず。もちろん、リリやレムを第四結界の代わりにする必要もない。
「とりあえず、理論の検証を頼める? ローリに一応チェックはしてもらったけど、柚子の意見も聞きたいのよ」
「はい。分かりました」
 頷く柚子に、葵は微妙に渋い顔。
「………いや、別に今まで通りでいいのよ? 柚なんだから」
「う………うん」
 とはいえ、見かけは倍近い年の差のある女性である。本物の先生と会話をしているような様子に、柚子もついついその言葉遣いに違和感を感じてしまうのだった。

 それから、一時間の後。

「なら、始めましょうか」
「先生。ホントにいいんですか? 俺達がこんな所にいて」
 結界の調整を司るのは、はいり達の役目である。
 そしてその舞台となる華が丘八幡宮の社殿……その脇にいるのは、よりにもよって八朔達だ。
「せっかくここまで関わってきたんだから、最期まで見届ける権利くらいあるって言って良いと思うのよ。それとも……全部終わった後に話だけ聞く?」
「………いや、そりゃ、残りますけどね」
 特に八朔は、便利な魔法が使えるわけでも、強力なレリックが使えるわけでもない。回復魔法は少々覚えたが、それも保健委員の補助が出来る程度で、実戦にはとても向かないだろう。
 だがそれでも、この戦いの行く末を見届けることくらいは……出来るはず。
「なら柚。全員に通達をお願い。これで、この山から携帯を持ってるみんなに指示が出せるから」
 その言葉と共に柚子に渡されたのは、葵の携帯電話だ。通話状態になっているそれは、この作戦に従事している百人近いメンバーの携帯に彼女の声を送ることが出来るように設定されている。
「……すごいねぇ、2008年って」
 スピーカーの向こうには、この山で作戦指示を待っている多くの魔法使い達がいるなど……生まれて初めて携帯に触れる柚子には想像も付かない。
「では……これから、ツェーウーの封印の再調整作業の説明を行います」


「作戦中、ツェーウーのマナの影響を受けた天候竜が凶暴化した状態で現出……それも、複数の天候竜が襲ってくる可能性が非常に高いです」
「複数……? 天候竜って、一匹だけじゃないのか?」
 天の気とマナが混じり合って生まれる天候竜は、一つの魔法世界に一匹存在するのが限界と言われている。
 そもそも天候竜はマナの沈静化する夜には現われないというのが魔法都市の常識と言われているが……。
「そんだけマナが有り余った状態になるんだろ。厳しいな」
 天候竜というよりは、高密度のマナと蚩尤の悪意をベースに生み出される蚩尤の眷属といった所が正しいのだろう。夜でそれなら、マナの活性化する昼間なら、一体どれだけの天候竜が現われるのか……見当も付かない。
「ルーニ先生。錬金術で天候竜は倒せますか?」
「そんなのやってみないと分からんがな。……まあ、いつもの変態どもよりはマシなんじゃないか?」
 少なくとも魔力で生み出された怪物相手なら、手加減をする必要がない。


「皆さんにお願いしたいのは、私たちが封印の再調整作業を終えるまで、その天候竜を迎撃、もしくは足止めしてもらう事です」
 メガ・ラニカ常駐が基本の騎士団には、流石にそれほど多くの携帯電話は配備されていない。ただその代わり、どの携帯にもスピーカーフォンの機能が付いており、数名の団員が一つの携帯から指示を聞けるようになっていた。
「団長。部隊配置、終了しました。いつでも行けます」
「よし。ならば、周囲に動きがあるまで待機! 天候竜は宙から湧いて出るぞ! 警戒を怠るな!」
 その指示を受け、団員は自らの部署へと小走りに戻っていく。
 魔物退治は騎士団の独壇場だ。慣れない魔法都市での駐留だったが、撤収間際に団員達にも十分な活躍の場を与えてやることが出来る。
「久しいな、フラン。よもやこうして肩を並べて戦う事になろうとは……」
 そしてその戦列の中には、銀の仮面の剣士の姿と。
「私ゃもう二度とあんた達と一緒に戦いたくなかったよ」
 メガ・ラニカの大魔女の姿も並んでいる。


「黒くなった天候竜は、とても凶暴です。大変だとは思いますが……この作業が無事に終われば、メガ・ラニカの崩壊に強力なブレーキを掛ける事が出来るはずです」
 騎士団達のようにスピーカーから柚子の指示を聞いていたルーナは、傍らの男にぽつりと質問を投げかけてみた。
「陸。お前、役に立つの?」
「うわおまえなにを直球で……!」
 先刻の模擬戦では、ルーナや大ブランオート相手に全戦全敗。さらに言えば、骨折や打撲は数え切れないほど。
「あたしや月瀬は色々戦ったことあるけどさ。どうなのかなーと」
 正直なところ、戦力になるとは思えなかった。
「とりあえずアダマンタイマイくらいなら、何とか……」
「……へぇ。ならまあ、足手まといには……」
「…………メガ・ラニカにいた頃に」
 続く言葉に、ため息を一つ。
「……それって十六年ブランクがあるって事だよな」
「無理…………するな」
「……まあ、ルリくらいは守ってみせますよ、月瀬さん」
 そう言いながら笑っているが、その様子はいかにも頼りない。
「頼むぜ。今回もお前よりルリの方が大切なんだからな」
 前線も大事だが、それを支える魔法使い……特に高位の治癒術使いは、守りの要だ。
 今回の戦いでは大魔女も加わっているが、もちろん彼女一人でこの大人数をフォローしきれるわけがない。ルリやリリ達若き治癒魔法使いにも縦横の働きが期待されていた。
 もちろん、それを護る役目にも、だ。
「ルリ、回復役は頼むな!」
「うん。任せといて!」


「すみませんが……」
 柚子はそう、言葉を結び。
「よろしくお願いいたしまひゅ!」
「噛んだ……」
「噛んだ……」
「噛んだ……」
「ふぇぇ…………っ。な、なら、作戦、開始します!」
 携帯から聞こえてきた総ツッコミに涙目になりながら、作戦開始を宣言するのだった。


 華が丘の一番長い夜が、始まる。


続劇

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