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29.黒竜

 放課後。
 はいりの家にやってきた柚子の荷物は、小さな鞄が一つだけ。
「柚ちゃん。荷物……それだけでいいの?」
 しかも柚子の様子から、さして重いものが入っているようにも思えない。せいぜい筆記用具の類や、日記などのノートが数冊……と言ったところだろうか。
「うん。後は、水月さんに持ってもらってるから……」
 着替えの類は晶のポーチに預かってもらっているが、それもたいした量ではない。むしろ、他の女子達から預かっている着替えの方が多いくらいだ。
「向こうに着いたら、一緒に買物に行こうね?」
「……うん」
 女子達から掛けられる言葉に、柚子は小さく頷いてみせる。
「けど、こんな所にゲートの裏口があるなんてね……」
 一同が辿り着いたのは、華が丘山の裏側だ。鬱蒼と生い茂った小さな森の奥に、まだ発見されていないゲートが静かに口を開けている。
「……2008年まで見つからないはずないだろうから、こっちから封印しといた方がいいでしょうね」
 もしこのゲートが2008年までに発見されてしまえば、その時点で歴史が変わってしまうことになる。そうなれば、それまでの苦労は全て水の泡だ。
「だねぇ……。なら柚ちゃん。悪いんだけど……」
「うん」
 柚子を含む四人がはいりを囲み、腕環のはまった右手をゆっくりと挙げてみせる。通常の封印ではない。より強固なはいりの力で、ゲートを封印するつもりなのだ。
 その瞬間に、それは来た。
「…………くっ!?」
 灰色の曇り空から降り注ぐのは、思わず膝を折るほどの昏い意思。
 携帯からぶら下がるストラップがじわりと熱を持ち、レムの胸の奥にジリジリと焦げ付く想いを奔らせていく。
「レム!?」
「オレはいいから! 空……見ろ!」
 そしてレムの指す方角を見上げれば……。
「やっぱり来たか……」
 そこにあるのは、灰色の翼を拡げた重装の竜。
 曇天の空と同じ色の分厚い甲殻を備えた、曇天竜……いや、この時代の呼称に従うならば、曇竜だ。
 そいつは紅く輝く瞳でじろりと大地を見据え。
「天候竜が……黒く、染まっていく……?」
 それは、初めて見る光景だった。
 いや、正確には……かつて舞台劇で、一度だけ見たことのある光景だ。
「黒化……本当に、するのかよ……」
 かつて見た黒化現象は、華高祭の舞台劇で使った演出の一つだった。その時は幻術を駆使して起こしたそれが……今は、現実のものとして少年達の目の前で起きている。
「……ルーナレイアさん。ツェーウーの封印って、ちょっとだけ緩んでるんだよな?」
 ゆっくりと立ち上がるレムの問いに、ルーナは小さく頷いてみせる。
「多分……その辺りのツェーウーから漏れ出た感情が、オレの感じてたプレッシャーの正体なんだと思う」
 華が丘を覆うマナは、ツェーウー……蚩尤の封印から漏れ出した力だ。ならば、そのマナにツェーウーの感情が微量ながらも混ぜ込まれているとしたら。
 そしてその微量な感情が、マナと天の気で構成された天候竜の中に溜まり続けていくとしたら……。
「じゃあ、その感情が限界まで溜まった先が……あれって事か」
 曇竜の重殻はその色を灰色からより重い黒へと。
 黒く染まった剛翼は、その大きさをひと回り大きく、鋭く。
 瞳に宿る意思は、血の如き紅い……憎悪の色だ。
「理由なんざ後で良い! お前ら、柚達が変身を終えるまで、ちょっと時間稼ぐぞ!」
 既に周囲の四人は変身を終え、はいりの力の解放を待つばかり。だがそれが終わるまで、少女達は完全に無防備なままだ。
 既に天候竜の視線は、自身とけっして相容れぬ力を備えた少女達の元へ。
「そう言う事……ッ! ああぁあぁぁぁぁっ!」
 黒竜が一歩を踏み出したところで、レムは自身のレリックを解放する。
 両手に収まるのは、歪んだ世界で使っていたひと振りの太刀ではない。片手にひと振りずつ握る、双の刃だ。
「レムレム!」
「コイツらの方が、ツェーウーの苛つきに苛立ってる! 一撃叩き付けた方が、スッキリするってよ!」
 大きな振りかぶりから叩き付ければ、放たれるのは雷撃と、疾風の渦。
 全力で叩き付けられたそれが、短くも激しい戦闘の鏑矢となった。


「時間稼ぎで良い! とにかく、足止めする事だけ考えろ!」
 双刀の破壊に続くのは、人型のメカニックとそれに平行する四発の弾丸だ。
 どちらも直撃コースではない。大地に降りた黒竜の視界を阻むかのように、顔の回りを飛び回っているだけだ。
「今のうちに!」
 悟司の声に駆け出すのは、ルーナとセイル。共にストラップやペンダントからレリックを起動させ、わずかな視線のやり取りで左右に散開する。
 セイルは右。
 ルーナは左へと。
「でぇぇぇぇぇぇいっ!」
 目の前で飛び回る障害を払おうと一歩を踏み出した黒竜の足を、左右同時に打ち据える。
 そして。
 両足を打たれて悲鳴を上げる黒竜の眼前に舞い降りたのは、フリルをひらめかせる細身の姿。
「ハルモニィ……じゃない?」
 現われたのは、2008年を縦横に駆ける魔法のお菓子屋さんではない。若干違う意匠を持った、小柄な少女だ。
(まあ、当たり前か……)
 考えてみれば、不思議でも何でもない。
 ハルモニィが現われたのは2008年になってから。1992年のこの時代にいるはずがない。
「スゥイート・パティシエール! あいつ、産休取るとか言ってなかったか!?」
「色々あってちょっと復活っ!」
 唯一その名を知るルーナにウインクを一つ飛ばしておいて、先代魔法のお菓子屋さんはひと抱えはあるホイッパーを振りかぶる。
「え、ええっと…………」
 本物のパティシエールから教えられた魔法は、どれも高い練度を必要とするものばかりだった。
 悟司に手伝ってもらって練習はしてはみたものの、所詮は付け焼き刃。もともと呪文が得意でない百音が、反射的に口を突いて出せるようなものではない。
「………食らいなさい!」
 結局放たれた一撃は、頭部直撃の重打撃。
 要するに、ホイッパーで頭をぶん殴るだけだった。
「…………ちょっと見ない間に、えらく戦闘スタイルが変わったなあいつ」
 むしろ自分のハンマーを貸した方が良かったんじゃないかなどとも思ってしまうが、ラッシュでの足止めが有効なこの瞬間にいきなり出来る作戦でもない。
 レリックの強度を信じて、二発目の打撃を振りかぶるパティシエールは放っておくことにする。
「………母さん」
「母さん言うな! つか手ぇ止めてるんじゃねえよ馬鹿息子!」
 反対側からの声に怒鳴り返したその瞬間、ルーナを覆うのは黒い影。
 死角から横殴りに叩き付けられてきた、重殻に覆われた黒竜の巨大な竜尾である。
「レイジ!」
「おうっ!」
 力任せに飛んできた重い衝撃が、ルーナの小さな身体を吹き飛ばし………。


 大きく空へと打ち上げられた身体をふわりと受け止めたのは、穏やかに巡る柔らかな風。
「大丈夫!?」
 ルーナの身体を包むように広がるのは、ハークの背から生える黒い翼だ。そこから生み出された風が、彼女が大地に叩き付けられる事を防いだのである。
「ああ。直撃じゃなかったみたいだけど………」
 それにしても、ダメージが小さい。あそこまで大きな竜尾の打撃を受けたなら、かすっただけでも骨の二、三本は折れていてもおかしくないはずなのに。
「……ありゃ、ローゼか!」
「知ってるの!?」
 黒竜の回りにいるのは、尻尾の隙を見てルーナと入れ替わりに切り込んだ冬奈と、細剣をかざしたマスク・ド・ローゼ。
 どうやら竜の目の前に薔薇の嵐を巻き起こし、視界を封じてくれたらしいが……。
「っていうか何で薔薇仮面がいるんだよ! ここ2008年じゃねえぞ!」
「私は困っている女性のためなら、どこにでも現われるさ!」
 そこまで堂々と言い放たれれば、言われた側は納得するしかない。
「レイジ、大丈夫か!」
「おう……。……つか、さすがにあんだけ大きいもんを動かすと、キツいな……」
 そして何やら小さな機械を構えたレイジが、荒い息を吐いている。
 竜の尻尾が直撃コースからそれたのは、どうやらレイジが魔法を使ったかららしい。手持ちのそれは、恐らく魔法を手助けする機械なのだろう。
「母さん!」
 無論、レイジのそれは一撃を逸らしただけだ。残念ながら、黒竜を追い払えるに足るダメージを与えたわけではない。
 もちろんそれがなければ、今頃ルーナは無事では済まなかっただろうが……。
「だから、母さん言うなって言ってるだろうが! 産まねえぞセイル!」
 その戦線に復帰するべく、ルーナは己のハンマーを構え直し、冬奈達のもとへと駆け出していく。


 前線で戦うセイル達のもとへと向かおうとしたキースリンを止めたのは、祐希の細い腕だった。
「キースリンさん、今出ても……」
「でも……!」
 何か言いかけたキースリンに、祐希は小さく首を振ってみせる。
 キースリンの魔法は、複数の召喚魔法を組み合わせる事でその真価を発揮する。だが時を越えたことで召喚魔法が効果を発揮しない今、キースリンが使える力は無いに等しい。
(せめて、草薙だけでも……)
 力の起点となる光の剣があれば、せめてセイルやルーナ達のフォローは出来るのに……。
 それさえ出来ないことに、少女騎士は小さく唇を噛むしか出来ずにいる。
「ホリン君! さっきの魔法、もう一回行けますか?」
「無茶言うんじゃねえ。アレで限界だ」
 設置した空間の向きを一方的に制御する、レイジの切り札だ。本来なら黒竜の足あたりに設置して転ばせようとしていたのだが、とっさの回避策として竜の尻尾をそらす為に使ってしまった。
 ルーナを救えたのだから後悔はしていないが、膨大な魔力を一瞬で消費してしまった事は、少々悔しくもある。
「なら、これなら……どうですか?」
 そう言って祐希がレイジの肩に触れれば、肩で息をしていたレイジのそれがすっと収まっていく。
「……すまねえ。もう一回くらいなら、何とかやってみせらぁ」
 どうやら祐希の体力を、レイジへと移してくれたらしい。
 以前は一度使えば倒れていた気がしたが、微調整が効くようになっているのだろう。とはいえ、消費したレイジの力は祐希の予想以上だったらしく、彼にも二度目を使う体力は残っていそうにない。
「森永くん、魔法を……」
「構いません。僕の体力より、ハニエさん達は怪我人が出たときに備えていてください」
 ファファが使える治癒魔法は、リリや晶のそれよりもはるかに強い。出番がないに越したことはないが、回復に時間の掛る体力に力を割くよりは、その非常時に備えるべきだろう。
「だあぁああぁぁっ!」
「ダメだ、抜かれたっ! レイジ!」
 そんな前線に響くのは、悟司の悲痛な叫び。
 セイル達の攻撃を強引に跳ねとばし、大地を進む黒竜が目指すのは五人の少女の元。先日は一瞬で終わらせた変身に時間が掛っているのは……彼女たちの中に、いまだ何らかの迷いがあるからなのだろう。
「四月朔日! こないだのアレ、二重掛けで行くぞ!」
 ならば、レイジ達に出来ることはそれまでの時間を稼ぐことだけだ。大画面の液晶ディスプレイをぐるりと回し、手のひらの内に壁紙に描かれた魔術図形を握り込む。
「不幸結界なんて天候竜に効くの!?」
「知るか! ともかくやっぞ!」
 レイジの言葉に冬奈も携帯を畳み込み、こちらもエピック発動の構えを取る。
 それを待ちかまえていたのか、それともただ竜の持つ悪運か。
 周囲に響き渡るのは、黒竜の放つ咆哮だ。
「ひゃぁっ!」
 不意打ちのそれに、冬奈は携帯を取り落とし。
 慌てて拾おうとするその一瞬に、黒竜は再びはいり達の元へと暴走を開始する。
「っ!」
 レイジも冬奈も間に合わぬ。
 セイル達は弾かれ、リリ達の治療を受けている。
 真紀乃とローゼ、悟司達の足止めは、力任せに押し進む黒竜には既に通じる状態にない。
 故に。
「キースリンさん!」
 少女は、そこに立つ。
「お願い………力を貸して…………!」
 それは、神の剣と聞かされていた。
 ただのレリックではない。レリックを召喚する技術が生まれる遙か以前から召喚に応じて姿を顕わし、自ら仕える者を選ぶ神器の一つだと。
 ならば。
「………草薙っ!」
 叫びと共に手の内に伝わるのは……使い慣れた、柄の手応え。
 空間を繋ぐ鞘代わりの陣から意思を籠めて引き抜けば、放たれるのは黄金の光。
 抜刀。
 そして、斬撃。
 柄から伸びた光の刃が迫り来る黒竜にカウンター気味の一撃を叩き込んで、さしもの黒竜も悲鳴に似た絶叫を響かせる。
「レイジ!」
 その隙に携帯を構え直した冬奈が、黒く染まった天候竜を中心に最大出力で魔法陣を展開する。
「おう!」
 それと同じ位置、同じ大きさに展開されるのは、空間を支配するレイジ最大の切り札だ。
 空間内の力の強さと向きを自在に操るそれは、前へと踏み出そうとする天候竜の力を斜め上へと書き換えて。
「下がれっ!」
 辺りに響き渡るのは、その場に派手な横転をしてみせた天候竜の転倒音。
「お待たせ!」
 それと同時、ゲートから駆けてくるのは白い法衣をまとったはいり達だ。


「みんなは先にゲートへ!」
 一同をゲートの中へと誘導し、最後に残ったのは柚子だった。
「……柚ちゃん」
「みんなも……頑張ってね!」
「柚こそ、泣くんじゃないわよ」
「はいりちゃんも……またね」
 そう。
「うん。またね」
 またね、だ。
 永遠の別れではない。至るべき道が同じなら、十六年の後、再び相まみえることが出来るだろう。
「柚のこと、頼んだわよ」
「……はい。ありがとうございます」
 少女達に向かって一礼し、2008年からの来訪者達はゲートの奥へと消えていく。
「さて……と」
 残ったのは、五人の少女。
 背後のゲートがはいりの意思で封じられたことを確かめて、街へ向けて走り出す。
「なら、あの竜を追うわよ。みんな!」
 動けるようになった少女達を相手にするのは分が悪いと悟ったのだろう。天候竜が向かったのは、華が丘の市街地だ。


続劇

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