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23.窮奇再臨

 華が丘山の長い長い坂の中程にあるのは、猫の額ほどの狭い広場だ。
 そこにある小さな小屋が地上と異世界を繋ぐ扉となっている事を知る者は、あまりいない。
 そんな扉から姿を見せたのは、二人の女性だ。
 一人は片手に案内人を示す灯火を持ち、もう一人は辺りを懐かしげに見回している。
「やあ、雀原君……いや、今はユミルテミル君か」
 そんな女性達を迎えるように現われたのは、女性と同じ灯火を持った男だった。
「葵で良いですよ、イリュウドさん。はいりは真面目にやってますか?」
「……ひどいなぁ、葵ちゃん」
 かつての同僚に苦笑して、はいりはゲートの扉を閉める。
 葵がいた頃は駆け出し案内人だった彼女も、今ではゲートの責任者。イリュウドが姿を見せたのはかつての部下の顔を見たかっただけで、別に用事があるわけではないのだ。
「まあ見ての通りだよ。ユミルテミル君は元気かい?」
「旦那は騎士団の演習です。まあ、それなりに仲良くやってますよ」
 結婚式で一度だけ見た細身の青年を思い出す。
 もともとは彼女のパートナーだったというから、彼女の気性の荒さは知っているだろうに。
「ならはいり、先に柚の家に行ってるわよ」
 出張が終わってメガ・ラニカに戻ったら、一度一緒に呑まないか連絡を取ってみよう。
 葵の背中に手を振りながら、男はそんな事を考えてしまうのだった。

 手に取ったのは、ホットのブラックコーヒーだ。
「またコーヒーなんですか?」
「だって、大人はみんなコーヒーだろ!」
 会計済みのシールを貼ったそれを受け取ると、刀磨はその場でタブを開け、ふーふーとやりながら口を付けた。
 マナーの良い行為ではないが、誰も来ない時間帯の田舎のコンビニだからこその光景でもある。
「いえ、割とみんな、砂糖とミルクは多めに入れてたような気が……」
「あれ? 森永さん、そういうの詳しいんですか?」
 たまたま来ていた真紀乃に問われ、そう口走った自身の言葉にはたと気付く。
「そんなことないですが……何ででしょう?」
 カフェなど生まれてこの方、数えるほどしか行った事がない。降松のモールにはカフェもあるが、わざわざ一人で入るほどコーヒーが好きというわけではないし……。
(母さんのイメージが強いのかな……?)
 だが、最近はパートナーの影響もあって、コーヒーよりも紅茶の多い森永家だ。もっともその紅茶にも、彼の母親は砂糖とミルクをたっぷり入れるタイプなのだが。
 そんな事を考えていると、コンビニが揺れた。
「何だっ!?」
 地震ではない。
 震源は大地ではなく、頭上……即ち大気から。
「あれ……何……?」
 慌ててコンビニを飛び出してみれば、頭上を一直線に駆け抜けていくのは……。
「鳥…………?」
 ゆうに十メートルを超える、天候竜に等しい大きさを持つ巨大な鳥だ。かつてメガ・ラニカへの旅行で見た飛竜にも似ているが、ディテールは鱗と甲殻に覆われた飛竜のそれではなく、雷をまとう羽毛らしきものに覆われている。
「いや、あれは………」
 再び来るのは、やはり天空からの衝撃だ。
 巨大な雷鳥の、咆哮である。
「ソーアさん!?」
 三度目の咆哮にレムは思わず膝を折り、その場に小さくうずくまる。
「レム!」
「大丈夫ですか、ソーア君!」
 咆哮は確かに凄まじいが、むしろ物理的な衝撃を持っているぶん、精神的に掛る負荷はそれほどでもない。
「大丈夫……。つか、何だったんだ、今の……」
 耳をつんざく叫びの中、心の中に浮かぶのは……。
「キュウキ、って……」
 名とも現象ともつかぬ、その言葉。
 四度目の咆哮に指先に触れた何かを必死に握りしめ、心を乱すその衝撃を必死に我慢してみせる。
「オレ……何で、こんな物を………?」
 手の中にあるのは、メガ・ラニカに来る少し前に手に入れた太刀型のレリックだった。
 だが、手のひらが白くなるまで握りしめたそれも、今の彼には落ち着くどころか、違和感を強めさせるだけでしかない。
「キュウキ………」
 その名を口にし、太刀を元の姿に戻せば……無意識のうちに描いた構えは片手持ち。無論、両手持ちを前提にした太刀は片手だけでは重すぎる。だがそれを理解していてなお、残る左手が取っていたのは……鏡合わせの空手の構え。
 それは即ち、二刀流の……。
「ちょっと、ソーアさん!」
「子門さん!」
 駆け出したレムにつられるように走り出した真紀乃に、祐希も強い声を掛ける。
「あたしも行きます! なんだか、追い掛けなきゃいけないような気がして………」
 追い掛けなければ、どこかへ消えてしまいそうで。
 走る背中に叫んだ声は……。
「…………レムレム!」


 瑠璃呉家と月瀬家は、少なくともせいるが物心付いてからは、ずっと隣同士である。
 故に父親が仕事で留守にする時は瑠璃呉の家で過ごす事が多かったし、そんな事情もあってせいるが母親がいない事を寂しいと思った事もなかった。
「それじゃ、せいるくん、ルーニちゃん。また後でね!」
「……………またね」
 その挨拶は、ルーニが来てからも変わる事はない。
「なあ、せいる。お前さ……」
「………?」
「………何でもない」
 そう言いかけて玄関に入ろうとしたルーニを押し止めたのは、小さな手。
「…………待って」
 セイルの手は先行するルーニの肩を押えたまま。
 視線はその先……部屋の奥にある。
「気配」
 呟いたひと言で、ルーニもその意味を理解する。
「は? だって親父さん、出かけるって言ってただろ」
 月瀬家の住人は、せいるとルーニ、父親の三人だけ。
 そして父親はゲートの調査で留守にしている。だからこそリリは「また明日」ではなく「また後で」と言ったのだから。
「………………先に、行く」
 せいるが取り出したのは短剣のレリックだ。父親から聞いた話では、母親が使っていた物なのだという。
 それを正面から見られないよう後ろ手に構え、ゆっくりと部屋の奥へと進んでいけば……。
「………ルーナレイア、さん?」
 リビングにいたのは、先日から瑠璃呉の家に遊びに来ている彼女の母の友人だった。
「よう、月瀬の子供。上がってるよ」
 昨日の夕飯もリリの家で一緒に食べたから、面識が全くないわけではない。だが、勝手に上がり込むのはさすがに常識を疑ってしまう。
 そしてリビングにいたのはもう一人。
「ローリ……?」
「せめてローリさんと呼びなさいよ」
 ルーニがその名を呼んだのは、月瀬の同僚である銀髪の女性。
 小柄な彼女はせいるやルーニとさほど背の高さも変わらないが、隣のリリの両親達とは同級生なのだと聞いていた。
「………何で、ここに?」
 仕事の都合で泊まる事や、瑠璃呉の家の都合が付かない時、せいるの面倒を見に来てくれた事も何度かあった。
 だが、今日はローリも月瀬と一緒に調査に出ているはず。
「ちょっと待機任務があってね。ルーナはついでよ」
 ローリがそう呟いた瞬間、脇に置いてあった携帯がちりちりと簡素なコール音をかき鳴らす。
 三コール目で出たそれと、二、三言のやり取りをかわすなり……いつも静かなローリが、ほんのわずかに眉根を寄せる。
「…………キュウキが? 分かった」
 それで終話だ。
 ぱたんと折り畳み式の携帯を閉じ、連なる動作で立ち上がる。
 既に携帯は腰のベルトポーチに放り込まれており、椅子に掛っていた上着をワンアクションで取り上げて、迷うことなく玄関へ。
「出てくるわ。……せいるくん、今日はお父さん、遅くなるかもしれないから」
 そしてローリは月瀬家を後にして……。
「やれやれ。忙しないねぇ」
 残されたのは、せいるとルーニ、そしてルーナの三人だけだ。
「どした、月瀬の子供」
 ちらりと寄せられる視線に、感じるのは違和感。
 月瀬の子供。
 当たり前だ。月瀬せいるは、月瀬浪斗の息子なのだから。
 だが、ルーナが口にすれば、それはせいるにとって圧倒的な違和感となる。それが何故かは分からない。けれどそれは、筆舌に尽くしがたい感覚となってせいるの心を襲うのだ。
 故に。
 せいるは。
 ルーナレイアを。
「……………母さん」
 生まれて一度も口にした事のないその呼称で、呼んでみせた。


続劇

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