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22.真昼、黒きハルモニィ

 現われたのは、細身の影。
 肩に小さなフクロウを留まらせ、屋根の上から挑発的な視線でハルモニィを見下ろしている。
「あなたが………もう一人の、魔女っ子……?」
 フクロウはもちろん、百音の知る祖母の使い魔。
 そして、対する少女は……。
「フラン様から、あまりにもぐぅたらでだらしないから活を入れてくれって頼まれてね」
 百音のよく知る相手。
 鷺原悟司のパートナーにして、レイジ・ホリンのかつてのガールフレンド。
「マヒル……ちゃん………」
 だがその呼び名を聞いた瞬間、マヒルの表情は苛立ちを含んだそれへと一瞬で切り替わる。
「ちゃんなんて呼ばないでよ。アンタに勝って、レイジも悟司も魔女の称号も、全部もらうことにするんだから……そのつもりでいてね? ハルモニィ!」
 手にしたストレートの携帯に揺れるのは、スティックチョコレートを模した細身の長杖。
 その起動と共に少女の身体を輝きが包み込み、現われたのは……。
「黒い……ハルモニィ……?」
 ハルモニィの口から漏れた言葉を、少女は否と両断する。
「あたしはドミナンス。……スパイシー・ドミナンスよ!」
 調和ではなく、求めるのは支配。
 その名を冠す黒い魔女っ子は、白い魔女っ子のように甘くはないのだ。


 華が丘高校の中庭に咲き乱れるのは、夏の花。
 色とりどりのそれを優雅に愛でながら、少年の頭に浮かぶのは次の季節への構想だ。
「柚子先生。この辺りはどうしましょうか?」
「そうね……。ローゼリオンくんはどうしたらいいと思う?」
 秋の段取りは夏休みの間に大半を終えてある。次に迎えるべきは、寒く長い冬の先……新たな季節の始まりだ。
「やはり春咲きなら、新入生を迎えるために明るいチューリップやアネモネあたりでしょう。それと……」
 ウィルの言いたい事を理解したのだろう。柚子は穏やかに微笑むと、先に彼の提言への回答を先行で口にする。
「……薔薇については任せるわ」
 その言葉に、少年は穏やかな笑み一つ。
「そうだ。それと、茶道部のお茶会に使えるような花も選んでおいてちょうだいね」
「それはちゃんと。村雨部長や玖頼新部長の期待を裏切るわけにもいきませんし」
 すぐ先に控えた文化祭で園芸部が臨むのは、茶道部や料理部と合同の喫茶店だ。既に選定を終えたその花々は、文化祭で引退となる茶道部の先代部長の最後と来期の部長の最初を飾るに相応しい働きをしてくれるはずだった。
 そんな事を話していると、中庭の入口から一人の生徒が走ってくる。
「大神先生」
「どうしたの? 八朔ちゃん」
 女教師にそう呼ばれた瞬間、八朔は心底嫌そうな表情を浮かべてみせた。
「……八朔ちゃんはやめてくださいよ。ンな事言ったら、柚子叔母さんって言いますよ」
「………ごめん、大神くん。それで何?」
 大神柚子は彼の叔母にあたる。柚子叔母さんでももちろん問題はないのだが、彼女の年齢からすればそれは非常にデリケートな問題なのであった。
「八朔くんもとうとう茶道部に入る気に?」
「茶道部も園芸部も部員しっかりいるだろ。……じゃなくって、飛鷹先生が職員会議ですって」
 なぜ普通科の八朔が魔法科の飛鷹の使いっ走りをしているのかはよく分からなかったが……たまたま飛鷹の目に止まる所にいたのだろう。
 飛鷹とは、そういう男だ。
「忘れてた。じゃ、ウィルくん。後は任せたわよ。八朔ちゃんは使って良いから!」
 もう一度八朔に嫌な顔をさせておいて、柚子は中庭から本館へぱたぱたと駆けていく。
「……なら八朔くん、良かったらちょっと手伝ってくれないかな?」
「………イヤだって言っても手伝わせるんだろ?」
 八朔ちゃんという呼び名を聞かれている時点で、既に八朔の負けは決まっているのだ。
 ウィルの言葉に静かに頷き、八朔はウィルについて歩き出す。


 調理室の扉が小さく開き、そこから覗かせたのは……開いた隙間にはとても収まりきりそうにない、巨大な姿だった。
「ごめんください」
「はい?」
 見上げんばかりの巨漢にも、受け答えに出た女生徒は動じる気配はない。
「茶道部の使いのモンです。頼んでたリストを取りに来たんですが……」
 月末の文化祭で使う、喫茶店のメニューのリストだ。茶道部と合同でやるから和菓子という依頼はしていたのだが、お菓子の詳細は全て料理部に任せてあった。
 とはいえ料理部ではお茶と合うかどうか判断が付きかねたため、最終決定は茶道部で……という事になっていたのだ。
「はい、聞いてます。こちらですね?」
 渡されたのは、大きめの封筒だった。中をちらりと見れば、リストらしき紙と数枚の写真が入っているのが見える。
「ありがとうございます」
 呟き、見下ろせば、そこにあるのは少女の顔。
「………」
「………」
 少女の側も、ただ無言で少年の顔を見上げているだけ。
「…………ちょっと、どうしたの良宇くん」
「お………おう」
 我に返ったのは、調理台で作業をしていたハークに声を掛けられたから。
「撫子ちゃんもどうしたの? ぼうっとしちゃって」
「あ……はい。すみません」
 ハークにしては珍しくムッとした様子に、撫子もぱたぱたと元の調理台へと戻っていく。
「そ……それじゃ、失礼します」
 あの撫子との間は何だったのか。
 それが何か分からないまま、良宇も茶道部の部室へと戻っていく。

 わずかな明かりに照らされた道場に響き渡るのは、宙を切り裂く拳の音。 
 それに連なるのは、やはり大気を打ち据える蹴打の音と、それに追従した布の張り詰める小気味よいぱん、という音だ。
「ったく……アキラの馬鹿……」
 合気柔術ではあるが、相手がいなければ投げ技の訓練というわけにもいかない。蹴りを使う機会など稽古の中でもほとんどないが、一人で練習するときにはどうしても放つ機会が多くなる。
「……荒れてるわねぇ」
 がらんとした道場に響くのは、少女の声。
 否、猫の声。
「陰……何よ。おやつならないわよ」
 メガ・ラニカから来た魔法生物だ。人語を話す生物は珍しくはあるが、全くいないというわけではない。
 そんな珍しい一匹なのだろうが……なぜ四月朔日道場に居座っているのかは、よく分からない。
「別にいらないわよ。ちょっと前にもらったし」
「……あげたっけ?」
 ここ最近で陰におやつを渡した覚えなどなかった。買ってきたおやつを勝手に食べた可能性はあるが、少なくとも冬奈の中に食べられた覚えはない。
「まあいいわ。そのぶんの忠告。……道、踏み外したでしょ?」
 そう言い残し、黒猫は入ってきたときと同じく、ふらりと道場の外へと消えていく。
「………踏み外してなんか、ない」
 言われた意味が分からない。
「踏み外してなんか………」
 分からない。
 分からないが……。
 苛立つ脳裏に浮かぶのは、パートナーではなく、穏やかに微笑む少女の顔だ。


「でね、冬奈ちゃんが…………」
 そう言いかけて、ファファはそれ以上の言葉を紡がない。
「………ごめん」
 代わりに出るのは、謝罪の言葉。
「何じゃ?」
 だが、その話を黙って聞いていた良宇は、ファファの謝罪の意味が分からない。
「ううん。わたし、冬奈ちゃんの話ばっかりしてて……」
 帰ってから良宇と話した内容を思い出せば、夕食の話題か、冬奈の話題ばかり。友達の話は前から多かったが、それはアキラや百音などほぼ均等で、ここまで冬奈一人に偏った事はない。
 ないはずだった。
「仲の良い友達が出来たんじゃ。悪いことじゃない」
「うぅ、そうなんだけど……」
 何となくのばつの悪さを隠せないファファに差し出されたのは、良宇の大きな手。
 小さな頭をぐしぐしと撫でて、少年はぽつりと言葉を口にする。
「………悪いのは、オレの方じゃ」
 ファファの話を聞いている間、彼が心に浮かべていたのは……目の前のパートナーではなかった。
 こちらをじっと見上げる、黒髪の……。
「何か言った? 良宇くん」
「………何でもない」
 少年もめずらしく少女の問いにぼけた答えをして、改めてファファの話に耳を傾けるのだった。


 リビングでお茶を飲んでいた百音に掛けられたのは、遅い風呂を済ませてきたパートナーの言葉。
「なあ。あれから怒られたりしなかったか?」
「大丈夫だよ。ありがとね、レイジくん」
 実際は怒られるどころではない騒ぎがあったのだが……。
「また何か面倒ごとか……?」
 それを百音の表情から読み取ったらしい。自身もキッチンから持ってきたコップにお茶を注ぎ、百音の脇に腰を下ろす。
 隣でも向かいでもない角の席は、彼女に遠くも近くもない、程良い距離だ。
「………大丈夫だよ。心配してくれて、ありがと」
「それ以上は話せねぇ……か」
「……ごめんね」
 魔女見習いの修行規則は、かつて彼女の正体を知ってしまった時に教えられていた。本来なら、パートナーにすら教えてはならない秘中の秘だったのだと。
「百音が悪いんじゃねえ。悪いのは、その修行の制度だろ」
 呟く百音に軽く笑みを浮かべ、コップのお茶をくいと飲み干してみせる。
(でも、パートナーに相談できてた覚えがあるのは、何でだろ……)
 それがレイジなのかは分からない。
 そもそも、パートナーにも言ってはならないはずの禁忌の内容を、パートナーに相談できるはずがないのだから。


続劇

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