20.もう一つの選択肢
兎叶邸を訪れた新たな来客に最初に気付いたのは、昼食を終えて縁側にいたレムだった。
「はいりの家に、ナウムさんや月瀬くん以外の男の子とはね……」
艶やかな黒髪を長く伸ばした、線の細い娘だ。もっとも淑やかなのは外見だけで、その表情や仕草にはもっと活発な雰囲気が見て取れていたが。
「ええっと……菫さん、ですか?」
鈍い痛みが抜ける様子は、相変わらずない。だがそれでも、2008年で散々世話になった女性を見分けることくらいは出来た。
もっとも、頭痛で思考と判断力が鈍っていたからこそ、十六年前の彼女をひと目見て判断できたのかもしれなかったが。
「へぇ……未来から来たって言うのは君か。はいり達は?」
少年との面識は、当然ながら菫にはない。
それでも彼女の特定が出来ると言うことは……彼が柚子から話に聞いた、未来からの客人ということなのだろう。
「中でご飯食べてます」
食がどうにも太くならないレムは、ひと足先に喧噪の地を離れたのた。騒がしいのは嫌いではないが、料理の取り合いのとばっちりを食らうのは御免被りたかったのだ。
それに、止まない頭痛にも良くはない。
「あ、菫さん!」
そんなレムと菫のやり取りに気付いたのだろう。昼食もそこそこに、奥の居間から少女達が姿を現わしてくる。
「久しぶりね、みんな。……って、こんなに多いの?」
さしもの菫も、未来からの客人が二十人近い大所帯とは思っていなかったらしい。片手に提げていた土産の包みを、何となくばつが悪そうに後ろ手に廻してみせる。
今日の昼食は冷や麦だ。
もちろんはいりの家にあったものではなく、大神家に届いたお中元の余りを持ってきたものだ。
「なるほどね。で、柚は……。行くの?」
昼食のテーブルの一角を占めて冷や麦をすすりつつ、菫は一同の話を聞いていた。
大まかな話は電話で聞いていたが、電話代も安くはない。詳細は華が丘に戻って直接聞けばいいと、取る物もとりあえず帝都の大学から戻ってきたのである。
「まだ……正直、迷ってます」
「そりゃそうよねぇ……」
相槌を打つ間も冷や麦をすする手は止まらない。色つきの麺が浮いている辺りを選んで取りつつ、知らん顔でひと息にすする。
どうやら新幹線よりは速かろうと朝イチの飛行機に飛び乗ったはいいものの、そこからの乗り継ぎで時間を取られ……結果、ここまで一食も食べる暇がなかったらしい。
「なあ、菫さんってこんな軽い感じの人だっけ?」
レム達の知っている魚沼菫は、もっと落ち着いた大人の女性だったはず。
「聞こえてるわよ、そこ」
とはいえ、目の前の刈谷菫はまだ二十歳を過ぎたばかりの女子大生なのだ。結婚もしていないし、ライスの主という仮面を取れば……2008年の菫も、案外こんな感じなのかもしれなかった。
「菫さんだったら、どうします?」
「行かないわよ」
今度は緑の麺の束を取り、柚子の問いに菫は即答。
その答えに、迷いはない。
「ナウムさんが一緒に行ってくれるってんなら考えても良いけど。柚だって、みんなと離れたくないんでしょ」
菫の言葉に柚子は答えない。
それが、答えだった。
「それにそっちも、本当なら柚をみんなと離したくはない……そう思ってない?」
つゆの付いた箸で指されたのは、同じテーブルで冷や麦をすすっていた良宇達だ。
柚子と同様、菫の問いに答えられる者はない。
本当ならば、それを否定し、連れて行くことこそが正しいと言わなければならないはずなのに……。
その沈黙が、彼らの答え。
「………何か良い方法があるんですか?」
少年達は柚子はこの世界ではいり達と共に過ごして欲しいと思っているし、柚子達もまた、助けを求めに来た少年達の世界を救いたいと思っている。
互いが互いのことを理解し、だからこそどちらも思い切った手段に出られずにいるのだ。
「さすがに昨日の今日で名案なんか思いつかないわよ」
飾りのサクランボを口に運びつつ、菫はため息を一つ。
そんな一同を掻き分けるように、太い手がずいと掲げられた。
「……一つ、提案があるんだが」
良宇だ。
「兎叶の本当の力で、今の時代と僕たちの時代を繋げる……という事は、出来んかの?」
先日、はいりには聞いてみたことだ。歴史を書き換えるというのがどういう事かは良宇にはよく分からないままだったが……少なくとも今の八方塞がりの状況を打開する可能性があるとすれば、この力に頼るのも一つの手だろう
「力技ね……。そんな事、本当に出来るの?」
声が上がるのは、むしろ身内の側からだ。問われたはいりも、困惑の色を隠せないままでいる。
「目の前の歴史を書き換えたことはあるけど……そんな先の事まで、した事ないから……どうなのかなぁって思ってる」
そもそも、使う側のはいり自身が理解しきっていない力なのだ。うかつに使うのもはばかられる物だから、系統立てて試したことも数えるほどしかない。
「じゃが、それが成功すれば、大神はこの時代にいられるし、メガ・ラニカも滅びずに済む……」
「……試してみる価値は……あるって事か」
○
「いい? なら、行くわよ」
はいりを囲んで四方に立つのは、葵、菫、柚、ローリの四人の娘。それぞれが一重の腕環を右手に填めて、肘を支点に軽やかに打ち鳴らす。
響き渡るのは、世界を振るわす澄んだ鈴の音。
放たれたその音こそが、腕環でありながらその神器が『鈴』と呼ばれる所以でもある。
清冽な鈴の音が響き渡れば、四人の娘達がまとうのは、それぞれの色の戦闘衣。メガ・ラニカとも地上とも違うシルエットを持つそれには、コスプレのような軽薄さなど微塵もない。むしろ魔術師達が儀式でまとう長衣の如き、厳粛ささえ漂わせている。
「ルーナレイアさん。こういうのって、私たちの前でやっても大丈夫なんですか?」
「そもそもメガ・ラニカの魔法じゃないからな。そういう制約はないって言ってた」
そしてさらに響くのは、四方からの鈴の音。
清冽な音にさらなる鈴の音が重なり、世界に音が充ち満ちていく。
やがて、高まる音は限界を超え。
中央に立つ少女が四重の腕環を高らかに鳴らせば、決壊するのは音の洪水だ。
四重の腕環の支配者が望み、四方の腕環の主がそれを認めた時にだけ現われる、本当の力。
世界そのもの、歴史さえ書き換える、メガ・ラニカの魔とは理を異にする力。
具現化した力の形は、白い法衣と、身ほどもある大剣だ。
「じゃ、ちょっと簡単なところから試してみるね」
超絶の力が備わっている割には、はいりの口調はいつもとさして変わりない。
だがそう呟いた瞬間、目の前に生まれたのは……。
不思議な形をした、木製の器具だった
「これ、納屋に片付けた……」
昨日の朝の大掃除で良宇達が納屋に片付けた、何だかよく分からない農機具らしきものだ。もちろんはいりがその位置を知っているはずはないのに。
「召喚……? でも、呪文も魔法陣も使わずに……?」
召喚魔法は、喚び出す対象との契約と、それを履行するための魔法陣が必要なはず。壁紙エピックや呪符は魔法陣を書く手間を省くためのものだし、逆を言えばそれらのいずれかがなければ召喚魔法が発動することはない。
「エピックじゃないよ。そこの歴史を、瞬間的に書き換えただけ」
呟いた瞬間、農機具は煙のように掻き消えた。
世界の歴史では、その農具は今の瞬間まで『目の前にあった』事になっていたのだろう。そして次の瞬間『目の前から消えた』歴史に書き換えられたことで、目の前から姿を消したのだ。
「書き換えるって……じゃあ、やろうと思ったら街一つ消したりとか……?」
誰かがそんな物騒なことを口にした瞬間、周囲の空気が一瞬で切り替わった。
世界の色はわずかに薄暗く。
「え……?」
差し込む日差しも、九月のそれとは違う、もっとぼやけたイメージを感じさせてくる。
「え、いや、ちょっと……!」
彩度の落ちた世界で、はいりは大剣を大きく振りかぶり。
「でぇぇいっ!」
薙いだのは、ただ一度。
「…………」
空を切った斬撃は、風すら起こしはしないのに。
巻き起こるのは、大破壊。
「いや、ちょ! 何やってんすか!」
辺りに並ぶ田園地帯を点在する建物ごと薙ぎ砕き、留まらぬ破壊は華が丘の端からはるか彼方……新幹線の高架を吹き飛ばし、なおも止まる気配はない。
「大丈夫だよ。世界をちょっとずらしてるから、現実の世界にダメージは及んでない」
どうやら先日のゲートでの戦いで大魔女達が使った、白い世界に似たものらしい。はいりの言葉を裏付けるかのように、次の瞬間には破壊し尽くされた世界はもとの彩度を取り戻し……もちろん、目の前はいつもの平穏な華が丘だ。
破壊の跡など、どこにもない。
「これが……はいり先生の力……」
先日の華が丘川のゲートを塞ぐとき、ローリは魔法陣を使っていた。
それが、呪文も魔法陣も使わずにこれである。これで本気を出せば一体どれほどのことが出来るのか……。
「………というか、これだけの力があるなら、メガ・ラニカって普通に救えるんじゃ……」
さらに言えば、それである。
「出来なくはないと思うけど……ツェーウーとは違う力だから、たぶんマナはなくなっちゃうと思うよ」
大剣を羽根の如く軽やかに振り、はいりは首を傾げてみせた。
桁外れの力だが、万能というわけではない。歴史を書き換える力にも限界はあるし、それが出来るならツェーウーも封印で済ませてはいない。
「そっか……」
「なら……いい?」
だが、これほどの力だ。試してみるだけの価値は……あるかもしれない。
「………行くよ!」
そして、はいりの剣から放たれた光の渦が、世界そのものを書き換えて………。
続劇
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