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15.いざ、降り星の地へ

 土曜日の授業は、午前中だけ。
 午後からは当然ながら、放課となる。
「ただいまー!」
「おかえりなさーい!」
 いつもなら誰もいないはずの屋敷の奥から返ってくるのは、ばらばらな出迎えの声。
「おじゃましまーす」
 そして気が付くのは、葵たちと一緒に玄関を上がった時のこと。
「あれ? 何か良い匂いするねぇ……」
 奥の台所から漂ってくるのは、煮立つ醤油の柔らかな匂いと、米の炊きあがる甘い匂い。
 そして、廊下を進めば部屋の異変にも気が付いた。
「ねえ。この辺にあったタンスとか、随分片付いてない?」
「ホントだ……。そのうち片付けようと思ってたのに……どうしたの?」
 かつての住人が置いていったままになっていた家具類が、一切合切片付けられている。
 いくら強い力が使えるとはいえ、慣れない家事をしながらの高校生活だ。暇もないし、一人暮しでさしむき困らないとあれば、そんな大仕事を始めるタイミングも見つからない。
 いつかやろうと思いながら、そのまま放っていたはずなのに……。
「使ってないようだったから、奥の農機具なんかとまとめて納屋に片付けさせてもらった」
 一応、中は女子に確かめてもらっている。中が空で明らかに使っていない物だけを選って運んだつもりだが……。
「……勝手にしたら、まずかったか?」
「ううん。助かったよ、ありがとう!」
 良宇の言葉に、はいりは満面の笑みで答えてみせる。
「ご飯、皆さんのぶんも作ってますから、良かったら」
 さらに掛けられたのは、奥から大きな鍋を運んできたキースリンの言葉だ。
 もちろん、午前の授業を終えてお腹を空かせた少女達が、その誘いを断るはずもない。


 昼食のメニューは、ご飯と味噌汁、そして大量のコロッケだ。
「ったく。何、馴染んでるのよ……」
 そう言いながらも、葵の箸は新たなコロッケを取り分けている。普通のコロッケに比べて食感に違和感があるのは、おからを入れて分量を増やしているかららしい。
 もちろん水増ししているからといって、味が落ちているわけではないのは……一同の食べっぷりを見ればよく分かる。
「一緒に生活したら、こうなるよ。だから葵ちゃん達も、今日は泊まる事にしたんでしょ?」
「柚のおばさまから許可も出たからね」
 柚子の家は茶道の家元というだけあってか、葵やローリの家に比べてかなり厳しい。葵たちが柚子の家に泊まるぶんには快く迎えてくれるが、柚子の外泊は余程のことがない限り許可が出ない。
 それが、今日は珍しく許可が下りたのだ。
「で、昼からはどうするの?」
「また話し合い……?」
 柚子の言葉に、一同の箸が自然と止まる。
「……話し合いったって、あなた達が困ってるのはこっちだって理解してるわよ。他にする事はないの?」
 納得が出来ないだけで、理解はしているのだ。必要なのは納得するに足る材料と時間だが……今はそのどちらも、不十分なまま。
 必要なのは理屈ではない。もちろんそれは、話し合いで解決できる類のものではけっしてない。
「でも、皆さんに無理を押しつけて、僕たちだけが遊ぶというのも……」
 掃除も部屋の片付けも、午前中の段階であらかた終わっていた。細かい物の整理はそこで暮らしていくはいりの役目だから、これ以上の力仕事は必要ない。
「だからって、難しい顔してその辺で唸られてても、迷惑なんだけど」
 ローリの言いたいことも分かる。それこそ場の雰囲気を悪くするだけで、いい事などは何もない。
「なら、俺ぁ図書館に行ってくる。ちょっと調べたいこともあるしな。他に行くヤツいるかー?」
 レイジの言葉に数名がぱらぱらと手を上げる。
 十六年の蓄積がある2008年よりも得られる情報は少ないだろうが、『情報が少ない』事を確かめるのも、余裕がある今のうちに確かめておくべきだろう。
「なら、案内するわ」
 ローリが小さく呟いて、コロッケをそっと口に運ぶ。
「だったらあたし、降松に行ってみたいんだけど」
 第一陣の向かう先が決まったところで、次に手を上げたのは晶だ。
「降松ぅ? まあ、いいけど……柚はどうする?」
「うん。じゃあ、行くよ」
 ルーナの誘いに柚子も小さく頷いて、晶への同行の意を明らかにする。
「なら、降松に行きたい人ー!」
 晶の言葉にやはり何名かが手を上げて……。
「ハークくんも降松、行くでしょ?」
 上げなかった輩には、主催者側から強制的に声が掛けられた。
「ボクは華が丘を歩いてみたいんだけど……。朝はずっと良宇くんの片付けを手伝わされてたし」
 そして昨日は、華が丘川から直接華が丘高校に向かったせいで、華が丘の街をゆっくり見て回る暇もなかったのだ。
「華が丘なんか歩いたって面白くないわよ! ほら、ハークくんも行く! 決定!」
 だが、そんなハークの反論空しく、パートナーの一方的な権力によって少年の華が丘観光は阻止されてしまうのだった。

 華が丘から降松まで、ルートは十六年後と変わらない。
 電車が例によって接続が悪いため、南北を繋ぐバスに頼るしかないのだ。
「レムレム、大丈夫?」
 華が丘と降松を繋ぐバイパスをゆっくりと南に進めば、やがてマナの境界線を越える。
 華が丘高校の第四結界によって強制的に狭められたそこを過ぎれば、もうメガ・ラニカの魔法は使えない領域だ。
「ああ。やっぱりマナが影響してるのかな……境界を越えたら、だいぶ落ち着いた気がする」
 ずっと頭を押さえつけるようにあった重いプレッシャーは、雲を散らすように晴れていた。心なしか、視界さえクリアになったように思えるほどだ。
「ルーナレイアさん達は何か分かりません?」
「未来の状況が分からんから、何とも言えないな」
 感応力の高い魔法使いはマナの密度を自身の感覚で感じられるというし、武術を極めた使い手は相手の迫力や気合といったものをやはり感覚で感じるという。
 恐らくはそういったものが過剰に現われた結果なのだろうが……。それもルーナの知識と経験で導き出した答えであって、正しい答えかどうかは分からない。
 そんなやり取りをしていると、ふと気が付いた。
「そういえばお前ら、名前は聞いたけどさ。名字は?」
「…………名字?」
 問われ、反対側の席に座っていたリリが首を傾げる。
「そうそう。あたしだったらブランオートとか、柚だったら大神とか。まさか十六年後の地上には、名字はなくなってるとか言わないよな?」
 少年達が来たのは、十六年後の世界から。たった十六年で名字が消えるような大改革が起こるなら、メガ・ラニカの前にまずはその世界を救わなければならないだろう。
「お前は?」
 まず問うたのは、リリの隣に座る小さな少年だ。
「セイル・げ…………むぐぐ」
 セイルはそれに答えようとして、速攻で隣のリリに口を塞がれる。
「どした」
「な、なくなってはいませんけど………。ええっと、禁則事項です!」
「なんだそりゃ」
 禁則事項と言うからには、言えないのだろう。
 だが、言えない意味が分からない。
「過去に来てるから、名字は名乗っちゃダメなんです!」
 けれど、リリの余りの剣幕に、さしものルーナも引いておくことにする。
 もともと少し気になっただけで、どうしても知りたいわけではないのだ。名前で区別は付くし、それで困ることも起きはしない。
「……そんなもんか。まあ、あたしの子供とかいたら気まずいしなぁ」
 目の前にほぼ同い年の子供が現われて「お母さん」と呼ばれても、リアクションに困ってしまう。
 その上名字が変わってでもいたら、相手がある程度絞れてしまうわけで……。そういう意味では、確かに名字に関しては禁則事項というのも、分からないでもない。
「……………うん」
「で、ですよねぇ……」
 目の前の少年の名は、セイル=月瀬=ブランオート。
 よもやルーナが笑っていった事態がど真ん中ストレートで起きているなどと、誰も言えようはずがない。


 街行きのバスが通るのは、建設途中の巨大な建物の脇。
「うわぁ……ホントに、モールって作りかけなんだ……」
 十六年後にはショッピングモールとして市街の中心となっているそこも、今は鉄骨と足場に覆われた何かでしかない。
「来年オープンするって言ってたけど、ちゃんと出来るのかなぁ……」
 建設途中のモールを過ぎ、バスはさらに降松の市街を走り抜けていく。もちろんモール前の停留所など、停車することさえないままだ。
「じゃあ、ゲーセンとかは……?」
「降松の駅前にちょっとあるわよ。遠久山に行けばもっとあるけど」
「へぇぇ……」
 遠久山と言われても、晶達の中に浮かぶのはシャッター街と薄暗がりのアーケードだ。たまに行くことはあるが、やはり降松のモールの方が遊ぶ場所も買物する場所も整っているイメージがある。
「へぇ……なんだ」
 現在のこの近辺の中心街は、降松よりもむしろ隣町の遠久山なのだ。モールとそれに伴う商業区の成立によって、商圏の中心部が遠久山から降松へとシフトしていくのだが……それをまだ見ていない葵と、シフトした後の時代に育った晶では、どうしてもイメージを重ね合わせることが出来ないまま。
「おもちゃ屋さんは……」
「それも確か駅前に……って、ホントに遊ぶ気なのね」
 真紀乃の質問に半ば呆れつつも、その割りきりを大したものだと思いもする。もちろん、悪い意味でではない。
「いいじゃない。悩んでるだけじゃ、答えなんて出ないし」
 それは、いかなる逆境にも絶望を見いださない彼女の親友と、同じ考え方だったのだから。


続劇

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