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14.ウマヤドノオウジ

 良宇の宣言から、一時間ほどの後。
「けど……ホントに昔に来てるんだな」
 華が丘に一軒だけあるスーパーでカートを押しながら、悟司はしみじみと呟いていた。
「だよねぇ……ライス、ホントに無いんだもんね」
 スーパーの傍ら、見慣れた建物があるはずの場所にあるのは……不動産屋のロゴと、『売地』という文字の記された大きな看板だけ。
「全く。菫さんに聞いて知ってはいたけど……ホントにねぇと、何か変な気分だな」
 その場所に華が丘唯一の喫茶店が出来るのは、今から数年後の事。帝都の大学に進学した菫が、夫と共にこの地に戻ってきてからの事だ。
 それまでのこの土地の経緯はレイジ達の知るよしもなかったが、少なくとも今は新たな主を待っている状態らしい。
「それより、早く買い物済ませて帰らないと。お昼の支度に間に合わないわよ」
 晶の言葉に我に返り、一同はカートを押す手をわずかに速めていく。
 既に時計は十一時を回っていた。料理を作る時間もあるし、あまりのんびりしていては昼ご飯がおやつになってしまう。
「百音、あと何買えばいいんだ?」
「もうおしまいだよ。後はレジで会計すれば……」
 小さなスーパーだから、レジまではあっという間だ。
 昼前と言うことで二台しかないレジはいくらか混雑しており、待機の列が出来ている。
 そこに並べば、後ろにはすぐに買い物カゴを提げた客が列を連ねていく。
 何の気無しに振り返り。
「……あ!」
 そこで、百音は言葉を思わず声を上げていた。


「どうしたんですか? 祐希さん」
 キースリンが声を掛けたのは、傍らを歩いている祐希に向けて。
 昨日もそうだが、商店街を歩いている祐希は明らかに普段の冷静さが欠けていた。視線は泳ぎ、どこか落ち着かない様子で歩を進めている。
 最初は時の迷宮からの追跡を警戒しているのかとも思ったが、視線はどうも追っ手らしきメガ・ラニカ人ではなく、年頃の女性に向かっているようだった。
「いえ……別に……。そうだ、昨日は大丈夫でしたか?」
「はい。はいりさんから濡れタオルを戴きましたので」
 祐希は、明らかに話をすり替えている。
 何となく面白くないが、かといって追求するのも何か違う気がして……キースリンはそのまま話題に乗ってみる。
「そうですか。力になれる事があれば、言ってくださいね」
「そうだ。あの……昨日の事なんですが」
 それに、祐希の振った話題には、キースリンも気になることがなかったわけではない。
「私がお風呂に入れない理由を言えずにいたら、百音さん達、何だか勝手に納得してくれたんです。……どういう事なんでしょう?」
 百音達に自身の正体を黙っているのは、さすがに心苦しい。かといって明かしてしまえば、回りにも累が及ぶ可能性もある。
 板挟みに口を開くことが出来なかったキースリンなのだが、それをどう勘違いしたのか、少女達は「いいよいいよ」と納得してくれたのである。
「もしかして、私の正体が気付かれてしまったんでしょうか?」
「……多分、そういう事じゃあないと思いますよ」
 一体、どう説明すればいいのか。
(保健体育の授業って、そういえば中学で受けたんですよね……)
 女の子のデリケートすぎる問題に、男の子の祐希は頭を抱える事しか出来ずにいる。


「何だよ、百音………」
 突拍子もない声を上げた百音の口を押えて辺りの視線を誤魔化しながら、レイジは百音の耳元にそう問いかける。
「あら? どなた?」
 百音が声を上げたのは、背後に立っていた主婦を見た瞬間だ。
 スーパーのカゴを提げて子供を連れた女性は、どこにでもいるごく普通の主婦に見えた。強いて気になるといえばお腹が大きい所だが、別にお腹に子供がいて不自然な年というわけでもない。
(おい、この人達って……まさか)
(う……うん………)
 だが、女性も脇の子供も、彼らにとっては思わず声を上げるに相応しい理由を持つ者だった。
 特に百音にとっては。
「あの……お子さん、可愛らしいですね。お名前は?」
 取り繕うような百音の言葉で、足元に子供がいきなり現われたから驚いたのだと理解したのだろう。女性は穏やかに微笑み、足元の子供に優しく声を掛けてみせる。
「何て言うのかな? お名前は?」
「みはりゅ……しおん!」
 母親の声でわずかに安心したのだろう。母親の足に隠れるようにしがみついていた男の子は、舌っ足らずな声でそう名乗ってみせる。
「みはりゅ………!」
 自身の名字でそこまで破壊力のある一撃を食らったのは、さすがに生まれて初めてだった。
「どうしたの?」
「い、いえ……可愛いなぁと」
 内心その場に卒倒するか、十六年前の幼い兄に抱き付いてしまいたくなる衝動を必死に押えつつ、百音は引きつった表情で何とか微笑みの形を作ってみせる。
「ありあとー!」
 だが。
「…………むぎゅー」
 次の瞬間、卒倒しそうになるのは逆ベクトルの方向だった。
「ちょ、ちょっとレイジくん、何やってるの!?」
 相手がレイジなら、百音の言葉に容赦はない。しかも幼い兄のほっぺをぎゅーと引っ張っていれば、なおさらだ。
「え、あ、いや……つい………気が付いたら……」
 何を言っているのかレイジ自身も分からなかった。
 頭がどうにかなりそうだったが、それでも小さい紫音のほっぺをぎゅーと引っ張っていたのは紛れもない事実。
「ふぇぇ……っ!」
「いやちょっとおま、こら、泣きやんでくれってば!」
「もぅ……ほら、怖いお兄ちゃんが酷いコトしちゃったねー。……すみません。この人、一人っ子で子供との付き合い方が苦手っぽくて……」
 しどろもどろのレイジに代わり、百音がそっと抱き寄せれば、泣き出した紫音も少しずつその泣き声を治まらせていく。
 流石に引きつった顔の過去の百音の母親と、ようやく泣きやんだ紫音に謝り倒し……。
 レジの列へと戻った二人を待っていたのは、晶の難しい顔。
「ねえ、ホリンくん。今日って何月何日だっけ……?」
「9月26日だけど……?」
 先ほどの騒ぎを怒られるのかとも思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「そっか……。今、四ヶ月くらいか………」
 だが、その日付に晶は難しい顔を崩さないまま。
 そして。
「ねえ、三人とも、ちょっと……」
 本当の問題は、その後に来た。


 華が丘のスーパーは、さして大きな建物ではない。混雑していると言っても店の規模に比例してという話であって、数人分も待てばレジの順番などあっという間に回ってくる。
 バーコード式ではない、手打ちのレジを物珍しげに眺めながら、告げられた額に財布から紙幣を取り出して……。
 百音とレイジが帰ってきたのは、そんなときだ。
「………だからお客さん。これ、何?」
 店員の質問の意味を、戻ってきた百音もレイジも理解できずにいるままだ。
「何って……一万円」
 店員の手にあるのは、紛う事なき一万円札。買い出しの品はきちんと計算しながら買っていったから、足りないことはないはずだ。
「一万円って……福沢諭吉ですよね?」
「福沢諭吉は分かってるよ。だから、これは何なんだい」
 その言葉と共に店員の手の中の万札が、ひらりと裏返る。
 描かれているのは細身の鳥の図柄。平等院の鳳凰像だ。
「…………げ」
 そこで、悟司はようやく理解した。
「何だ? 悟司」
「いや……一万円札って、何年か前にデザインが変わってるんだった」
 小学生や中学生の頃に一万円を目にする機会など、滅多にない。お年玉で祖父母や羽振りの良い親戚が大盤振る舞いでくれる程度だが……そんな舞い上がった状態で、図案のことまで考えが及ぶはずもない。
「そういえば、メガ・ラニカに行く前に見たのとデザインが違うような……」
 百音がメガ・ラニカに渡ったのは中学生になってすぐのこと。小学校の時のおぼろげな記憶では、一万円札の裏側は鳳凰ではなく、もっと分かりやすい鳥だったような……。
「……どういう事だ?」
「未来に発行されるはずのお札だから、この時代じゃ……」
 使えない、ということだ。
 もっとも、偽札と言われないだけマシかもしれなかったが。
「何でそういうめんどくさいコトするんだよ地上人は!」
 メガ・ラニカの貨幣など、この数百年の間デザインが変わった事すらない。偽造識別の魔法が徹底された彼の地では、偽造貨幣を造る暇と技術があるなら細工物の一つでも作った方が、余程安全かつ効率的にお金が稼げるのである。
「地上人って、君らメガ・ラニカの人? メガ・ラニカのお金は残念だけどこっちじゃ使えないよ」
 どうやら会話の内容で、メガ・ラニカからの留学生が間違って彼の地の通貨を使おうとしていた、と思ってくれたらしい。
 素直に謝れば何とかなると思った、その時だ。
「ああ、すいません。お金、払います。これでいいですよね?」
 人垣を掻き分け、店員の前に突き出されたのは、細く長い少女の手。
「冬奈ちゃん!?」
 その手の先に握られているのは、やはり一万円と書かれた日本の紙幣だ。
「使えますよね?」
 そこに描かれた額面と意匠に、店員は先ほどと同じような微妙な困惑を浮かべたまま。
「そりゃ使えるけど……珍しいね、聖徳太子なんて」
 92年のこの時代でも、発行が終了して何年も経つ紙幣だ。見ないわけではないが、こんな年若い少女が持っているのはさすがに珍しい。
「なんだい。パートナーがいるなら、しっかり面倒見といてくれよ?」
 有効な一万円なら、会計を止める必要はない。店員は冬奈の聖徳太子を受け取って、92年でも通用する紙幣と硬貨でお釣りを返してくれるのだった。


続劇

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