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12.理性と本能

 応接間の畳に敷かれているのは、大量の薄い布団。
 もちろん四畳半や六畳といった大きさではない。隣の床の間まで貫き、ちょっとした旅館の広間ほどのスペースがあるだろう。
 その一角、既に横になっている少年の傍らに腰掛け、真紀乃は小さく話を終えた。
「じゃあ、錬金術部には刀磨も……?」
 ゲートから旅立つ前、先輩達に混じって見えた姿を思い出す。まさかとは思い、声までは掛けなかったのだが……。
「うん。実戦経験なら、魔法庁の人達にも負けてないと思う。………ごめんね。内緒にしてて」
「いや……俺も、ルーニ先生に色々聞いたりしてたから。とりあえず、先輩や刀磨達が大丈夫そうで安心したよ」
 無論、本当に大丈夫かと言われば疑問は拭えない。魔法庁とハルモニア騎士団の精鋭に加え、大魔女が三人だ。錬金術部の実戦経験がどれほどかは分からないが、その圧倒的な数にどこかで抗しきれるのか……。
「………レムレム?」
 だが、そこまで問う事はレムには出来ない。そこにあえて触れないということは、真紀乃自身も案じる気持ちは同じなのだろうから。
 その先に待ち受ける気まずい沈黙を封じたのは、廊下の向こうから来る数人の足音だ。
「子門。兎叶が風呂の支度出来たから、入れって。レムは俺達が見ててやるから」
「はーい。あ、レムレム……」
 布団の回りに腰を下ろすレイジ達に一礼して、真紀乃は彼らと交代で立ち上がり。
「あたしのはいいけど、他のみんなは覗かないでね」
 そう言い残してぱたぱたと奥の風呂場へと走っていく。
「覗かないってば! っていうかみんなの前でそんな事言わないで…………よ…………?!」
 その叫びは、彼方に消えた真紀乃の背中には届かない。
「………レム」
「な……何?」
 そして振り返れば、そこにあるのは暗い気配。
 昼間から感じているプレッシャーとはまた性質を異にする暗い気に、レムはその身を震わせる。
「この際だから、子門とどういう愉快な同棲生活を送ってるのか、白状してもらおうか……っ?」
 長い夜は、まだ始まったばかりだ。


 食事が済めば、後はもうする事はほとんどない。
 風呂は女子が使っているし、今回の旅では誰もが私服と最低限の身の回りの品を持ってきただけで、遊び道具の一つも持ってきてはいないのだ。
 ……そもそも、そんな遊び道具を使う余裕のあるような旅でもなかったはずなのだが。
 しかし、余裕が出来れば良いこともあるし、悪いこともある。
「どうしたんだい、良宇くん」
「ウィルとセイルか……」
 縁側から見上げれば、夜空にあるのは一面の星。
 彼らが都会住まいならば田舎の星空に感嘆の溜息を漏らすところなのだろうが……残念ながら良宇の知っている華が丘の星空も、今見上げるそれとさほど変わらないものだ。
「華が丘は大丈夫かと思ってな」
 わずかだが余裕の出てきた今、心に浮かぶのは、ゲートで起きた大魔女達との戦いのこと。
 そしてそこで別れた、少女のこと。
 味方にははいり達もいるし、強力な治癒術士もいる。
 けれど敵方は、魔法庁や騎士団の精鋭達に加え、メガ・ラニカの誇る大魔女が三人。
「………大丈夫」
「そうだよ。先輩達もいるしね」
「うむ……信じるしかないか………」
 ともかくこうして過去に来た以上、良宇は良宇で出来ることをするしかない。少女の事を心配して彼女が救われるならいくらでもくよくよもするが、そうしたところで彼女の危険が去るわけではないのだ。


 レムからひととおりの状況を白状させておいて。
「2008年の兎叶先生達が大丈夫かは、確かに心配だな……」
 祐希達の話題も、いつしか後を任せてきたはいり達の話へと変わっていた。
 はいり達が実際に強力な力を持っていることは、昼間それを目にしたレムや良宇達から聞いている。
 だが、その力の要であろう四重の腕環を、未来のはいりは持っていない。残る三人は持っているのだろうが、それが大魔女と戦うために十分な力かどうかは分からないままだ。
「心配してどうにかなることでもねぇが、こっちに追っ手が来る気配がないって事は……ひとまずは上手くやってんだろうな」
 2008年と1992年を隔てるのは、時間の壁を無意味とする時の迷宮だ。翌日だろうが一年後だろうが、追っ手を繰り出されればそれまでなのだが……いかなる追っ手もこの時代に来ている様子はない。
「ですね。今は良い方向に進んでいると考えるしかありませんね……」
 良い方向で考えればはいり達が食い止めに成功したとなるが、単に追跡部隊がこの時節に辿り着けていないだけ、と考えることも出来る。
 もちろん祐希も、そんな事を望んでいるわけではないが……。
「みんな、女子のお風呂、終わったよー」
 難しい顔をしていると、柔らかな声が男子達の寝床に顔を覗かせてきた。
 百音だ。
「ホリンさん、鷺原さん、森永さん。レムレムの看病、ありがとうございました!」
 続いて顔を覗かせた真紀乃はそのまま応接間に入ってくると、風呂に入る前にいた定位置にちょこんと腰を下ろしてみせる。
「ど……どってことねえよ」
 ぼそりと呟くレイジに、真紀乃も百音も不思議そうな顔。
「レムレム! 今日は寝ずの看病するからね!」
 レムの体調も、悪いとは言え起き上がれなくなるほどではない。レリックが暴走しようとする気配もないし、その辺りを鑑みれば状況そのものは良い部類に入るだろうが……。
「しなくていいってば! っていうか、真紀乃さんもみんなの部屋でちゃんと寝てよ!」
「羨ましいなオイ!」
「ならレイジくん達も一緒に寝る?」
 やっかみ混じりの茶々をさらに混ぜ返す百音の言葉に、さすがのレイジも返す言葉を失ってしまう。
「ど、どうしたの、レイジくん」
「いや…………冗談、だよな」
「冗談に決まってるでしょ……」
 さりげなく真顔のレイジに、百音は苦笑。
 いくら他のみんなと一緒とはいえ、そんな事が出来るはずもない。
「そうだ。キースリンさんは?」
 廊下を隔てた女子の寝床からは、晶やリリの声が聞こえてくる。だが……。
「キースリンさんなら今日は体調が悪いから、身体だけ拭くって言ってましたよ?」
「え? そうなんですか? 大丈夫かな……」
 恐らく今日は『そういうことに』したのだろう。百音達も疑いなくそれを信じてくれているあたり、正体がバレたわけではなさそうだが……。
「だ、大丈夫だよ……。そういうのじゃないから」
「……察しろよ、森永」
 微妙な表情の百音と、やはり微妙な表情の悟司……女兄弟がいる故に理解できるのだろう……の言葉で、それは間違いないと理解する。
「じゃ、早く入っちゃってね」
 ばつの悪そうな表情の祐希にそう言い残し、真紀乃と百音は自分達の部屋へと戻っていく。
「………悟司」
 そんな二人がいなくなったのを確かめて、ようやく口を開いたのはレイジだった。
「ん?」
「お前……」
 テント合宿の時や帰省の時は、そこまで気にはしていなかった。
 セミナーハウスの時は性別が入れ替わっていた。
 けれど、今は……。
 そんな事を言っている場合ではないのは分かる。
 けれど………なのだ。
「百音を襲ったことは?」
「あるわけないだろっていうかなにそのガチな質問」
 しかも思いっきり真顔だった。
「………お前、本当に大丈夫か?」
「レイジこそ大丈夫なの……?」
 頭が、と付けるのを何とか我慢して、代わりに悟司はため息を一つ。
 気持ちはまあ、わからないでもない。そしてそれを真顔で口に出せるレイジを羨ましくも…………あまり、思わなかったが。
「なあ、レム」
「オレを引き合いに出すなよ。オレもねえよ」
 相変わらず布団に横になったまま、先ほど散々な目にあったレムも渋い顔でため息を一つ。
「じゃあ、祐希はハルモニアの部屋に乗り込んだりしてるだろ?」
「起こしに行くことはありますけど、ホリン君の想像してるようなことはありませんよ」
 そもそもキースリンは大切な相手だが、そういった対象ではないのだ。
 だが。
「寝起きのハルモニアさんを……」
「…………お、起こしにだと……?」
 もちろん祐希の抱くキースリンに対するイメージと、他の男子がキースリンに抱くイメージには決定的な差があるわけで……。
「みんなー。お風呂入らないなら、先に入っちゃう………どうしたの、みんなして」
 廊下から顔を覗かせてきたハークが見たものは、布団の塊をボコボコにしている少年達の姿。
「いや、ちょっと男として……」
「どうしても許せない事ってあるだろ、ハーク」
「そんな、真顔で言われても……」
 もちろんその詳細を語られたハークが、布団の塊をボコボコにする一同に加わることになったのは、言うまでもない。


続劇

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