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6.赤と青の戦士

 白い世界を飛び出せば、目の前に広がるのは生い茂る木々。
「ここ……は?」
 木々の向こうに広がっている、青く輝くそれは……。
「川………?」
 全く見覚えがない場所というわけではない。
「……華が丘川じゃないか?」
 そう。
 華が丘の西側に位置する、遠久山との境界あたりを流れる二級河川だ。事実、流れの彼方には新幹線の高架も見える。
「何でこんな所に出口があるんじゃ……?」
「それは分からないけど……。後ろから声が!」
 こんな場所にゲートがあるなどという情報は、かつての資料にも書かれてはいなかったが……当面の問題はそこではない。背後に覗く洞窟の奥から聞こえてくるのは、耳をつんざく異様な叫び。
 奥の闇から姿を見せるのは、ずるりとぬめりつく砂色の触手。
 そんな異形を目にしてなお、洞窟の前で拳を構えるのは……良宇だった。
「美春、クレリック、下がっとれ!」
 女子達を背中にかばうように立ち、拳に意識を集中させる。
 着スペルなどという間怠っこしい選択肢は、良宇の中にない。そんな機能を使いこなせないというのが正しいのだが、幸いなことに即座の起動を要求される強化系の魔法は、着スペルより自力詠唱の方が利点が多い。
 短い呪文を叩き付けるように叫び、同時に携帯から下がる腕甲型のストラップを握りしめる。
「ハーク、援護頼む!」
「無茶しないでよ!」
 翼を拡げたハークの姿は、既に空の上。その声と同時に闇の中から現われるのは、砂色の巨大な頭部だ。
「でぇいっ!」
 その頭部目掛けてハークは黒翼を羽ばたかせ、風の刃を放ってみせるが……。
「………ごめん。やっぱり逃げた方が良いかも」
 増幅の魔法も重ねて放った風の刃も、固くひび割れた砂色の表皮を浅く削るだけで、牽制程度の意味しか持ってはいない。
「…………むぅ」
 そして、良宇も腕甲を構えたきり。
 相手の触腕は、正面から見ただけでも十を超える。そんな相手に突撃して何とかなると思うほど、良宇も無謀ではない。
「ハーク。さっきのはもうないんか」
「そんなに砂獅子に追い掛けられるなんて思ってるわけないだろ……品切れだよ」
 ハークとしては、一度逃げ切れば何とかなると思っていたのだ。砂獅子がわざわざ華が丘まで追い掛けてくるなど、想定の範囲外だった。
「く……っ!」
 その戦列に加わろうと、レムも自身のストラップを握りしめるが……魔力を込めようとした瞬間、膝の力ががくりと抜ける。
「ソーアくん、無理しないで!」
「だ、大丈夫………っ」
 この場にいるメンバーの中で、攻撃に使える魔法を持つのはレムと良宇、ハークだけだ。さらに言えば触手の範囲外から攻撃が可能なのは……ハークの風が通じない以上、双刀を使えるレム一人。
 だが、キュウキと化した以前の感覚とは全く違う異様な感覚に背中がぞわりと総毛立ち、レムの身体には立ち上がる力さえ入らないまま。
「良宇くん! とにかく、今はレムくん連れて逃げ………」
 ハークの言葉は、続かない。
 いや、続いたかどうかも分からなかった。
 現われた異形の巨躯と、天と、地と。
 三つを一直線に貫く、雷光の轟きに掻き消されて……。


 境内の裏から見えるのは、巨大な翼を拡げ、青い空へと戻っていく天候竜の後ろ姿だった。
「い、今のって…………」
 皆、息は上がりきったまま。今天候竜が戻ってくれば間違いなく逃げられないだろうが、既に指先ほどの大きさになっている晴天竜が戻ってくる気配は今のところないように見えた。
「大丈夫か?」
 そんな中、ただ一人平然としているのは、天候竜を腕一本で投げ飛ばした長身の女性だけ。
「は……はい、ありがとうございます」
「旅行者か? 見たところ、学生のようだが」
「はい。大学はまだ夏休みなので、魔法都市を見物に……」
 それは、平日に行動していても補導されないようにと初めから打ち合わせていた事だった。もっとも、高校一年の彼らの嘘がどこまで通じるかは疑問の残る所だったが……。
「……そうか。晴竜は目が合えば襲ってくる。大概は威嚇だけだが、あまり空は見上げない方が良い」
 悟司が大学生と名乗ったところで女性はわずかに眉をひそめるが……。
 幸いにも、それ以上の追求をしてくる事はなかった。
「晴竜? 晴天竜じゃないんですか?」
「他の街ではそう言うのか? この街では晴竜と呼ぶが……」
「へぇ……」
 女性から改めてそう言われ、レイジは調べた資料に晴竜と晴天竜の二種類の記述があったことを思い出す。それまではさして気にしていなかったが、2008年に近付くにつれて晴天竜という表記が増えていたような気もする。
「どうしましたの? 冬奈さん」
 そんな中。
 いつもなら真っ先に礼を言いに行くだろう冬奈が、動きを止めている事に気が付いた。
「あれ……冬奈ちゃんのママだよ」
 以前見せてもらった四月朔日家のアルバムと同じ姿だ。そもそも、天候竜を投げられるほどの武術の使い手など、狭い華が丘にそういるものではない。
「ってことは、この赤ちゃんは…………」
 ファファの腕の中でくぅくぅと寝息を立てている小さな姿に、キースリンはわずかに言葉を濁し。
「………冬奈ちゃんじゃ、ないのかな」
 その疑問を、ファファはやんわりと肯定するのだった。


 遙か天空から大地と巨獣を打ち据えたのは、一条の雷光だ。
「ソーアくん……?」
 このメンバーの中で雷の魔法を使えるのは彼だけのはず。
「違うってば……」
 だが彼はその場に膝を落としたまま、レリックさえも発動させられずにいる。
「大丈夫?」
 そんな彼女たちに掛けられたのは、弾けるような元気な声だ。
「え……?」
 目の前に音もなく飛び降りてきたのは、赤い戦衣をまとう小柄な少女。それに続くように上空から長柄のホウキが降りてきて、青い法衣の少女がこちらは優雅に足を付く。
 柔らかく巻かれた銀髪を揺らしつつ、持っていた魔術書をゆっくりとめくれば……周囲に立ち籠めるのは強い魔力。
「そこの君! 隙を作るから、力一杯撃ち込んで!」
「お……おう!」
 先行した赤い少女が向かう先は、眼前にある砂獅子だ。雷の一撃に半狂乱になった触手の襲撃を片っ端から避けながら、彼女が速さを緩めることはない。
 本体の脇を駆け抜ければ、全ての触手は少女へと殺到。
「今っ!」
 彼女の抜けた後に残るのは、一直線の空白だ。
「おおおおおおおおおおおっ!」
 その間隙を真っ直ぐに駆け抜けて、良宇は腕甲を握り込み、渾身の一撃を力任せに叩き込む。
 辺りに響き渡るのは、巨大な獣の耳をつんざく絶叫と……。


 冬奈の母から告げられたのは、誰もが予想していたひと言だった。
「残念だが、華が丘にホテルや旅館はないぞ」
 1992年前後の華が丘は、空前の魔法ブームだった時代である。その頃なら、宿泊施設のひとつやふたつあってもおかしくない気はしたものの………。
 そこは、良くも悪くも華が丘だった、という事なのだろう。
「……ふむ。なら、ウチの道場に泊まっていくか?」
「いいんですか?」
 レイジの言葉に、冬奈の母は静かに頷いてみせる。
「門下生もいるし、大家族だからな。五人や六人増えたところでさして変わらんよ」
 その辺りの話は四月朔日道場の関係者である冬奈もファファも知っていた。当時の方が、住み込みの門下生の数は多かったとさえ聞いている。
「あ、でも、お金が……」
「ははは。学生の貧乏旅行で金を取ろうとまでは言わないさ。もちろん、相応の代価はいただくがな」
「代価……?」
 その言葉の意味は、冬奈やファファにとってはおなじみのもの。
「働け、って事ですよね?」
「ああ。朝は少し早いが……そのぶん日の高い時間を楽しめると思えば悪くないだろう?」
 ファファから小さな冬奈を受け取りつつ、四月朔日道場の主は穏やかに笑っている。どこまでレイジ達の素性を見抜いているのかは分からないが……少なくとも、家出少年達を警察に突き出す事は考えていないらしい。
「……どうする?」
 四月朔日道場の早い朝が『少し』どころではないのは、周知の事実。冬奈たちや道場通いをしている真紀乃は平気だろうが、他のメンバーには少々キツい気がしないでもない。
「とりあえず、宿がないのは確かだしな……。最悪、女子だけでも寝床を何とかした方が良いだろ」
 だが、朝が早かろうがどうなろうが、寝場所がないよりは遙かにマシだ。夏の夜だから風邪をひくようなことはないだろうが、このままでは野宿という選択肢しかない。
「なら、みんな先に道場に行ってて」
「おめぇはどうすんだ? 悟司」
 過去の世界で、頼れる知り合いなどいるはずがない。むしろ、知っていれば知っているほど、接触した時に状況が悪くなると言って良い。
 冬奈の母親の件は、例外中の例外なのだ。
「俺は先に待ち合わせ場所に行ってくるよ。……道場の場所、変わってないよね?」
「そっちの件もあったな……。なら、そっちは任せるぜ」
 もちろん、全員で先に華が丘高校に行くという手もあった。
 だがここで別れるのも場所の確認などでややこしい事態になるのは見えていたし、ましてや四月朔日道場の場所を知っていると言えば冬奈の母に怪しまれてしまう。
 後でレイジ達も華が丘高校へ行くにしても、他のメンバーとのすれ違いの可能性を減らせるなら、悟司の先行には十分以上の意味があるのだった。
「道場の場所は変わってないけど、後で商店街辺りまで迎えに行くわ。そうしないと怪しまれるから」
 ようやくショックから抜け出しつつある冬奈の言葉に頷けば、短いミーティングは終了だ。
「どうするね?」
 そして、一同は悟司を残し、四月朔日道場へと移動を開始するのだった。


続劇

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