25.絶望の白き世界
周囲を見渡せば、あるのは一面の白。
時の迷宮の中ではないだろう。向こうは白い霧のように漂う何かが、この世界の中には見当たらない。
「レイジくん!」
「百音! 悟司も一緒か!」
遠くから駆け寄ってくる百音達も、ちゃんと見える。影が見当たらないから光源は分からないが、少なくとも視界は確保できているということだ。
「レイジ。これが何か……分かる?」
「………華高祭で先輩達が作った迷路と似たようなもんだとは思うけどよ」
文化祭で二年の先輩達が作った迷路は魔法で空間をねじ曲げて、二年の教室ふた部屋を広大な迷宮に仕立て上げていた。
恐らく原理は似たようなものなのだろうが。
「あんなお遊びと一緒におしでないよ」
そんな声と共に姿を見せたのは……。
「ばーば……」
「月瀬さん………」
メガ・ラニカの大魔女と、白衣の男。
「やべ……っ!」
大魔女だけでも厄介なのに、月瀬はルーナレイアの相棒だ。しかもこちらで十分以上の戦力となるのは、後衛専門の悟司だけ。
レイジは慌てて用意していたエピックを起動させるが……。
「召喚系のエピックは使えないよ。諦めな」
大魔女の言葉に舌打ちをひとつして、携帯をポケットへと放り込む。
「…………っ」
そして、同じように携帯を取り出そうとしていた百音の手を押えたのは、悟司だった。
「百音。ダメだ」
「だって……!」
相手はフランで、しかも悟司は十発の銀弾を起動させたすぐ後だ。勝てる見込みは限りなく薄いが……ハルモニィの力を借りれば、万の一つの確率も千に一つ程度までは引き上げられるかもしれない。
「レイジも、月瀬さんもいる」
悟司の言いたいことは分かる。
ハルモニィの正体は、半身である悟司と、流派の秘伝を知る家族以外に知られてはならないのだ。もしそれを知られれば……。
「でも、これが最後の……」
呟く百音の手を握る手に、わずかに力がこもり……百音は、言葉を詰まらせる。
「……最後じゃない。この先も、ずっと続くんだ」
「二人とも、ぼさっとしてんじゃねえ!」
そしてレイジの声を受け、悟司は静かに立ち上がる。
手元にあるのは、弾丸のうちの五発。
「やれやれ。これじゃ悪役じゃないか」
悲壮感さえ漂わせる三人に大魔女が向けるのは、呆れたような苦笑い。
「これじゃも何も……!」
「何もなんだい? 私たちがしているのは、この世界を守ることだよ。それを邪魔しているのはおまえ達じゃないか」
大魔女達は、長い長い時を掛けてメガ・ラニカの崩壊を止めるための方策を求めてきたのだ。
「人を二人も犠牲にして……世界の平和ですか!」
「人二人の命を取るために、残り全部の命を危険にさらすのかい」
「他に方法が……っ!」
百音の言葉に答えたのは、長い長いため息だ。
「あればやってるって、何度も言っただろう。この方法に辿り着く事さえ、私の師匠やそのまた師匠が……何百年もの時を掛けてるんだよ」
そもそも誰も犠牲になる方法がないのなら、既にそれを果たしている。だが、ここでメガ・ラニカが滅びれば、今までの全てが無駄になってしまうのだ。
「これ以上は、邪魔をさせるわけにはいかないね!」
大魔女の言葉に、月瀬の周囲に浮かぶのは十発の弾丸だ。ミスリルの輝きを放つそれは、待機状態にある今でさえ一分の乱れもありはしない。
「ちぃっ!」
応戦に飛び出した悟司の五発の弾丸を正確無比な動きで叩き落とし。
威力をわずかに減じた五発と、残る五発が、少年達の元へと叩き付けられる。
「リリさん……!」
「怖かったよぅ、セイルくん」
ぱたぱたと駆け寄ってきた小さな身体を、リリは愛おしそうに抱きしめていた。
儀式から逃げ出して気付いてみれば、いきなりワケの分からない白い世界にひとりぼっちだったのだ。
「イチャイチャは逃げ切れてからしなさいってば!」
セイルの後から付いてきたらしい晶の苦笑いに、リリはしぶしぶ立ち上がる。
ただ、まだ先ほどまでの混乱が残っているのか、小さなセイルの手は握ったままだ。
「とはいえ、これでどうやって出たらいいのかしら?」
前後左右上方下方、全てが真っ白いだけである。聞き耳を立ててみても、視界を強化してみても、どこまで行っても白いだけ。
「……ボクに聞かないでよ」
ちなみに上空も、どこまで行っても白かった。試しに飛んでもみたが、途中で足元の晶達が小さくなりすぎて、慌てて降りてきたほどだ。
「維志堂くん。さっきみたいに結界壊したり出来ないの?」
「壁がありゃ、壊せるかもしれんが……あれだって、オレ一人でやったわけじゃないしな」
仮にさっきのメンバーが揃っていたとしても、肝心の壊すべき壁がない。床も一応は叩いてみたが、詰まっている手応えが返ってきただけで、砕くことは出来そうになかった。
「まずはそこか……」
「これも役に立たないわよねぇ……」
ランドからもらった魔法のコンパスは、真っ直ぐ定まった位置を指している。
だが、目指すべき方向が分からなければ、方角が分かっても意味がない。
「残念ながら、端はないよ。そういう魔法だからね」
そんな一同の元に唐突に現れたのは、大魔女の名を持つ老女だった。
「大ブランオート……」
「……お婆さま」
彼女たちは結界世界に出入りする術を持っているのだろう。どこからともなく現れた老女に続くように姿を見せたのは……。
「兎叶先生、近原先生……」
はいりと、ローリ。
「さて。その子を渡してもらおうか」
ゆっくりと手を伸ばす大魔女の前に立ちふさがるのは、彼女を除く四人の姿。
「先生……前に言いましたよね。今の私たちに出来ることはない……って」
今は、だ。
常に何も出来ないのなら、あえてその言葉を付ける意味はどこにもないはずだ。
「……なら、今はどうなんですか!」
「…………ごめんね。まだ、あたし達に出来ることはないの」
だが、晶の問い掛けにもはいりはそう呟くだけ。
「近原先生……前に言うたよな。大人の尻ぬぐいをさせるようで悪い、って」
それは、自分達の行いに問題があったと分かっている証。自覚がなければ、後悔に繋がるそんな言葉を言う必要はないはずだ。
「オレ達に出来ることは、これじゃ! 先生は……その手伝いも、してくれんのか!」
そしてローリも、良宇の問い掛けに無言を貫くまま。
「次が最後通告だ。その子を、渡しな」
リリと晶の前に立つのは、セイルと良宇。
そして……
「ハークくん!?」
ハーキマー・マクケロッグ。
「……女の子を守るくらいなら、ボクでも出来るよ。男を守れって言われたら、逃げるけど」
呟き白い世界を黒く染めるのは、背中のバックから広がる黒い翼だ。
白い世界に、淡く白い輝きが灯る。それは、ゆらゆらと柔らかな輝きを放った後……ふいと揺らいでかき消える。
「ファファちゃん……レムレムの具合は?」
白い世界でレムを最初に見つけたのは、真紀乃だった。そこに治癒魔法を使えるファファが合流できたのは、ある意味幸いといえただろう。
「………ごめんね。わたしの魔法じゃ、やっぱり」
ギプスで固定していたのが幸いしたのか、先ほどの騒ぎでもレムの骨折が悪化した様子はない。
「もう少し、わたしの魔法が使えたら……」
もっと強力な治癒魔法が使えれば、おそらくレムの足も即座に治せるのだろう。だが、今のファファのレベルでは、歩ける程度に治すだけでも数時間の集中的な治療が必要になる。
周囲の動きが分からない今、それだけ同じ場所に留まるのは……得策ではない。
「そっか………。なら!」
「ちょっと、真紀乃さん!? 何を!」
歩けないレムの前に背中を見せてしゃがみ込み、真紀乃は彼の身体へと少しずつ近寄ってくる。
「何をって………歩けないなら、背負って連れて行くしかないじゃないですか!」
歩けないなら、背負うしかない。
ある意味、当たり前の結論だった。
だが。
「その子は、置いていってもらいましょうか」
白い世界に静かに流れる声は、強い芯を持つ老女の言葉。
「大クレリック……」
「わたしもいるんだけどね」
その脇から姿を見せた少女は、持っていたペンダントトップをくるりと回し……巨大な戦鎚を構えてみせる。
「……何度も言いましたよね。レムレムは……渡しません!」
背負っていたレムをファファに預け、真紀乃が構えるのは両の拳だ。
周囲には既に人型の小型メカを控えさせ、完全な戦闘状態に突入する。
ファファもレムも、戦える状態ではない。二対一……それも、相手はどちらも遙かに各上という最悪の状況だが、それでも真紀乃に下がるという選択肢はない。
「なら、もう交渉は決裂って事でいい? 話し合いって…………苦手なのよね!」
巨大なハンマーを自らの両手の如く振り上げて、朱月の魔女は戦闘を開始する。
白い世界に呑み込まれてなお、二人の戦いが止むことはない。
「ほぅ……なかなか腕を上げたではないか! マスク・ド・ローゼ!」
「まだまだ……貴方には及ぶものではありませんよ!」
フェイント、幻術、続けざまの高速移動からのステップ。持てる全てを叩き付けてなお、ローゼの剣は相手の身体をかすめもしない。
だが、その圧倒的に不利な状況であっても、薔薇の剣士の口元に浮かぶのは穏やかな笑み。
「ローゼ!」
相手の斬撃を弾いて間合を取れば、飛んできたのは聞き慣れた声。
「八朔か。……苦戦しているようだね」
ちらりと見れば、視界の向こうではキースリンと冬奈が戦っているではないか。
だが、相手は……。
(ハルモニア卿と雀原先生か……厳しいな、あれは)
ギース率いるハルモニア騎士団は王宮であくびをしているような式典騎士団ではない。時には魔物や古龍とさえ戦う、歴戦の猛者達だ。
そして葵も、華が丘高校で最強の一角を占める魔法使いの一人。
「よそ見している暇があるのかな、ローゼ!」
「………くっ!」
突き込まれた剣にマントの裾を切り裂かれながら、ローゼは自らの相手に向けて意識を集中させざるをえない。
続劇
|