14.大潰走
ゲートに至る森の入口。周囲を潜んでいた騎士達に囲まれ、晶達は動くに動けずにいる。
「ちょっと、話が違うじゃない!」
悟司が斥候に出ているはずではなかったのか。
敵陣に動きがあれば……通話ではない、とにかく携帯を鳴らすことで第一波の警戒を促すはずではなかったのか。
「…………ごめん」
晶の悲鳴に似た言葉に応じるように現れたのは、連行された悟司の姿。
「悟司くん! はいり先生……葵……先生?」
「ついでに、あたしもいるけどね」
「ルーナレイアさん………!」
陸の同級生なら、はいり達にとっても同級生だ。そしてその中には、ルーナレイアや治癒魔法の使い手であるローリやルリも含まれている。
「………レイジくん! 携帯、圏外になってる!」
ファファの言葉に慌ててポケットのそれを確かめれば、アンテナピクトの代わりにあるのは無情な『圏外』の文字だ。
「ンだと!? 魔法携帯だぞ!」
魔法携帯はマナが高密度に漂う華が丘でも、マナによる電波干渉を受けないはず。そのはずなのに……。
(そういう結界かよ……ぬかった……)
そうは言いつつも、思考の冷静な部分では既に原因を予想済み。
視覚や聴覚、電気や電磁波を阻害する結界があるくらいだ。電波のように振る舞うマナに干渉する結界のひとつやふたつ、あっても何ら不思議ではない。
「どうするのよ!」
「とにかく、逃げるしかねえだろ! 戦える奴は戦えねぇ奴をフォロー! 全員、何とかして逃げ切るぞっ!」
レイジの叫びに、少年達は撤退を開始。
「端から捕縛しろ! ただし子供だ、怪我はさせるなよ!」
それに応じたギースの叫びで、ハルモニア騎士団も動き出す。地獄の腹痛からようやく立ち直ったとはいえ、本調子とは流石に言い難いが……それでも厳しい訓練をくぐり抜けた精鋭達の動きには一糸の乱れも見当たらない。
乱戦が、始まった。
首から外したペンダントに軽く意識を集中させれば、それは巨大な戦鎚へと変わる。
「あの子はいないのね。まあ、暴走したら大変な事になるし……賢明と言うべきかしら」
「レムレムを暴走なんか…………させないって言ってますよね!」
ルーナの前に立つのは真紀乃。既に人型のレリックを起動させ、いつでも相手の動きに応じる構えだ。
だが、その少女の前に立つ姿が一つ。
「真紀乃さん…………僕が、行く」
真紀乃のレリックは、遠隔操作による中距離戦向けのレリックだ。白兵に重きを置くルーナのレリックとは、あまり相性が良くないはずだ。
「けど、あの人………!」
セイルの小さな背中に、真紀乃は言葉を紡ぎきれない。
目の前の彼女は、セイルの実の母親ではないのか。家族をこんな形で戦わせて、良いものなのか。
「いいわよ、二人同時で。そのくらいじゃないとハンデにならないでしょ?」
戦鎚を肩に負うルーナレイアは、面倒くさそうに鼻を鳴らすだけ。
「一人俺に譲れ、ルーナ」
そんな女の傍らに立つのは、やはり身ほどもある大剣を肩に負った青年だ。
「あんたと共闘? やぁよ」
「ンだと……!」
戦場の後方。
「皆さん、早く逃げてください」
祐希の言葉に思考時間無しで頷いたのは、晶とハークの二人だった。
「分かった。ファファちゃんはあっち、ハークくんはそっちで、リリは向こうね」
「うん」
既にハークは黒い翼を展開し、いつでも飛び出せる構えだ。さすがに森の中での機動性を考えたのか、展開する翼はいつもの半分ほどだったが。
「ちょっと、二人とも!?」
そんな晶達の行動に悲鳴を上げたのは、リリとファファ。
「逃げるって……みんな、戦ってるんだよ!?」
冬奈もセイルも、最前線で戦っている。なら、パートナーとして彼女たちにも何かできる事があるはずではないのか。
「あたしらがいても足手まといになるだけよ。なら、逃げまくって向こうの手数を少しでも減らすくらいしかする事ないでしょ」
言い切り、晶もその身をふわりと浮き上がらせる。携帯から次の着スペルが鳴り響けば、こちらに近寄ってきた騎士の一人が唐突に倒れ込む。
どうやら足元の岩を磁化させ、軍靴を吸い付けてバランスを崩したらしい。
「なら………」
「僕は飛べませんから。気にしないで下さい」
ファファや晶とは違い、祐希は飛行魔法を持ち合わせていない。彼に合わせれば、容易く騎士達に追いつかれてしまう。
「じゃ、お先!」
晶に続き、ハークも飛翔。やはり片手に携帯を持っているから、周囲の撹乱くらいはするつもりなのだろう。
「あたしも!」
「ハニエさんも、早く」
ホウキを呼び出して戦場を離れていくリリを見守りながら、祐希はファファへと言葉を掛ける。
「う………うん。それじゃ、森永くんも気を付けてね!」
そして、ファファも見送って……。
祐希も走り出しながら、この場をどう切り抜けるべきか思考を開始する。
「お爺さまは来ていないか………」
騎士達の中に、見慣れた銀髪の姿は無い。もちろん頃合いを見計らって木々の上から現れる可能性は否定できないが……。
登場するとなれば、先ほどの遭遇場面が山場だったろう。少なくとも、この乱戦が続く間は満足のいく登場場面は取れそうにない。
「だが、油断は出来ないな……」
もちろん、その裏をかいて……という可能性も十分あったのだが。
「その通り。ここでの油断は、命取りというものだ」
「貴方は……」
ウィルの前に姿を見せたのは、他の騎士達とは明らかに違う風格の持ち主だ。
随伴の騎士を連れた男は、騎士団長か、それに近しい類の者だろう。
「私の、父です」
傍らに現れたキースリンの言葉に、なるほどと頷いてみせる。
「ローゼリオン家のウィリアムくんだろう? エドワード殿からは色々聞いているよ」
「………祖父をご存じで?」
少なくとも今のローゼリオン家は、そこまで名門の貴族というわけではない。社交界での付き合いはそれほどないし、付き合いがあるなら狭い社交界のこと、ウィルも面識くらいはあるはずだったが……。
「リンに求婚したときに買った薔薇は、君の家の薔薇だったのだよ。おかげで素晴らしい妻と娘達を得ることが出来た」
穏やかに呟くその言葉に、ローゼリオン家の名を知る意味を理解する。
「ありがとうございます」
獅子の薔薇は、ローゼリオンの誇りに等しい。男の言葉は、ウィルからすれば貴族としての付き合いがある事以上に喜ばしいことだった。
それが愛の告白に使われたというなら、なおさらだ。
「礼を言うのはこちらの方だ。…………だからこそ、君たちを通すわけにはいかない」
故に、ギースは剣を抜く。
身をもって危険と知っている時の迷宮に、恩人の孫や愛娘達を向かわせないために。
「ウィルさん」
「ああ。あの二人を抑えておけば、時間が稼げるのだろう? ……任せておきたまえ」
そう言ってウィルが取ったのは、平手……徒手の構え。
「マーヴァ。抜かるなよ? ウチの娘は………」
「……こんな所でまで親バカは止めてください」
「あれを見てもか?」
キースリンが喚び出したそれは、淡く輝く光の剣。
マーヴァもハルモニア家に仕える者だ。それが何かは、見た瞬間に理解する。
「………承知です。こちらも、本気で行きます」
呟き、腰へと剣を戻す。代わりに首から下がるペンダントを握りしめ、それを短剣の姿へと解き放つ。そこからさらに伸びるのは、魔力を帯びた光の刃。
不壊の魔法を付与されたレリックとはいえ、その魔法の限界を超える力を受ければ、絶対に壊れないというわけではない。ただ、草薙の力がどれほどの物かは分からないにせよ……普通の剣よりは持ちこたえてくれるのは確かだろう。
「それでいい。昔の女の前で、強くなった所を見せてやれ!」
ギースが抜くのもまたレリックの剣。刀身からゆらりと立ち上る陽炎が、彼が本気であることを示している。
「…………その話は、もう勘弁してくださいよ」
向こうで戦っている元パートナーをちらりと見遣り、マーヴァはため息を吐くしかない。
「なんかマーヴァくんが見てるよ、葵ちゃん」
「……ほっときなさいよ」
はいりの言葉にそちらの側を見ないようにしながら、葵も小さくため息を吐く。
「さてと。なら、ちょっとみんなで頭……冷やしてもらおうかしらね」
感じる視線を力に換えて、華が丘高校一年B組の担任教師が構えたのは魔術書型のレリックだ。リリックを増幅させる効果があるというその力は、いつもそれを見ている生徒達が一番よく知っていた。
「ちっ! 総員、撤退! 撤退ーーっ!」
圏外結界程度でもこれだ。ここで葵に大きな魔法を撃たれては、本当に一撃で終わってしまう。
「せめて圏外結界に気付いておけば良かったのでしょうね。………ホリンくん!」
「レイジ!」
葵の声と共にレイジの周囲を覆うのは、結界魔法の障壁だ。中で叫んでいるレイジの声が冬奈に聞こえてこない辺り、単純に内と外を隔てる性質を持った結界なのだろう。
冬奈や他の所で戦っているメンバーにまでそれを使わないのは、葵の余裕といった所か。
「冬奈」
そして冬奈に掛けられたのは、足元からの小さな声。
見れば、そこにいるのは……一匹の黒い猫。
「陰! アンタまで……まさか!」
足元の喋る黒猫に今回の計画を話した覚えはない。警戒していたというより、単に忘れていただけなのだが……。
まさか、彼女さえも大魔女やはいり達の協力者だというのか。
「……召喚獣がンなことしたら、契約違反じゃない。それより、助けてあげましょっか?」
問い掛けと共に、ニヤリと笑う黒い猫。
猫の表情を見分ける術を冬奈は心得ていなかったが……確かにその時、陰は微笑んだような気がしたのだ。それも、随分とタチの悪い性質の笑みを。
「……見返りは?」
この状況の打開となれば、並大抵の代価では済まないはずだ。あえてこちらから口にすることはせず、向こうの出方を待つ姿勢。
「召喚獣が欲しがるものなんて、一つでしょ」
冬奈の問いに陰は答えない。ただ、冬奈の力量を見定めるかのように……こちらを見上げているだけだ。
「分かったわよ」
時間もない。
手数もない。
そして力は、もっと足りない。
「……あんたの好きなグミキャンディ三ヶ月分!」
「バカにしてんの?」
冬奈としては精一杯の条件に、黒猫の目が糸の如く細められていく。
「なら、半年分!」
「乗った!」
今度は即答。
「いや……それで、いいの?」
もちろん、冬奈の財政からすれば地味に厳しい負担ではあるのだが……。まあしてくれるというのだから、それに越したことはないはずだ。
街を越えて海を渡り。
まとう風を振り払えば、降り立ったのは小高い山の上だった。
「結構……飛べるもんなんだな」
華が丘高校に置かれていた『第四結界』が壊れてから、マナの使える限界領域……『境界』が広がったのは知っていた。
だが、降松の市街はおろか、その先にある加佐登島まで広がっていたのは意外な誤算。しかも、飛行魔法が使えるレベルまで、マナの密度が増えているのだ。
「悪ぃな。変なところに付き合わせちまって」
「いや。それよりお前、無理すんなよ?」
「してねぇよ」
双刀をストラップに戻したレムに、代わりに松葉杖を手渡してやる。
「なあ、ここって……セミナーハウスの?」
「ああ。双空を作ったのが、ここに祭られてる神様らしいんだ」
八朔の肩を借りつつ体勢を整えたレムがひょこひょこと進んでいく先にあるのは、小さな社だ。社と申し訳程度の鳥居があるだけのそこは、夏に見たときと何一つ変わらないまま。
「へぇ……」
珍しく華が丘の流儀に従い、手を合わせるレムに……八朔も無言で手を合わせてみせる。
刀を打ったと言うことは、鍛冶の神様か何かなのだろう。そんな神様にお願いしていいものかどうかは分からなかったが、ゲート進入作戦を繰り広げているパートナー達の無事を祈っておく。
まあ、ウィルも西洋剣とはいえ同じ剣の使い手だから、気が向けば加護の一つも与えてくれるだろう。
目を開ければ、隣のレムもちょうど祈りを終えたところ。
「何て言ったんだ?」
「……ありがとうって、な」
詳しい話はよく分からないが、レムの双刀は厄災を及ぼす刀だと聞かされていた。いつかはレムの身体を蝕み、その身を滅ぼすのだと。
そんな刀を受け取って、恨み言の一つどころか感謝の気持ちが出てくるなど……八朔には想像も付かない。
「気に入ってんだよ」
ポケットの上から携帯とストラップを軽く叩いてみせるレムに、八朔は苦笑いを浮かべるだけだ。
「俺にゃ、ちょっとわかんねえな」
「つまんねえ人生だなぁ……」
「うっせえ………と、すまん」
そこで気付いたのは、ポケットの携帯の振動だった。相手先を見れば………。
「……ハニエ? どした」
降松まで空を飛んできたとはいえ、真紀乃の家の前で別れてから相応の時間が過ぎている。とっくにゲートに突入したとばかり思っていたのだが……。
人数が多いときの為に考えられていた、分断作戦でも適用したのだろうか。
だが、電話の向こうのファファの悲鳴に、八朔の表情は次第に厳しく変わっていく。
「罠にはまった………? 分断されて、逃げてるって……マジかよ!」
魔法携帯さえ圏外となる結界の外に逃げきった所で、ようやく八朔達と連絡が取れたらしい。
そんな八朔の傍らで炸裂するのは、超圧縮された空気の破裂音。
「ああ、すまん。そっちにレムが行った」
気圧差で起こる耳鳴りに顔をしかめつつ、八朔は海の広がる瀬戸内の空をぼんやりと見上げた。
雷光をまとう小さな嵐は、愚直なまでに真っ直ぐな軌道で飛翔する。
「たぶん………あっという間に着くと思う」
それが目指す先は、勿論……。
続劇
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