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10.繋がる過去、繋がらぬ過去

 廊下に転がっているそいつに最初に気付いたのは、たまたま廊下を通りがかったウィルだった。
「…………どうしたんだい、ハークくん。泥だらけで悪いけど、手を貸そうか?」
 園芸部の活動の後で泥だらけの手で触るのも悪いと思い、ウィルはとりあえず声を掛けるだけにしておくが……。
「いや……汚れるから、いい」
 答えられるということは、生きているようではあるが……相変わらず転がったまま、ぴくりとも動かない。
「けど、本当に大丈夫かい?」
「ああ。ちょっと、破壊力が強すぎて……」
 意味が分からない。
「破壊力……? 何か必殺技の相手でもしたのかい?」
 ハークが影でそんな戦いを繰り広げているなど、聞いたこともないが……男には人には見せられない隠れた一面があるのだと、思い直す。
「必殺技……そうか。あれ、必殺技なんだ……」
 そう。
 必殺技だ。
 その表現が、ハークとしても一番しっくりくる。
「大丈夫かい? 本当に」
「ああ。これはこれで幸せだから、放っておいて」
 前髪を留めているヘアピンの鈴蘭も、淡いピンクの輝きをほわほわと放っている。確かに、幸せそうな光では……あった。
「? よく分からないけど、お大事に」
 食らって幸せな必殺技と言われても、ウィルには想像することさえ出来なかったが……。
 まあ、本人が幸せそうだからいいのだろう。
 ウィルはそう納得すると、園芸部の機材を取りに行くため、廊下の向こうへと去っていく。


 冬奈が呼んだのは、車の掃除を再開したリリの父親の名前だった。
「何で教えてくれないんですか! リリを助けるための…………」
「気持ちは嬉しいけど……時の迷宮って、みんなが思ってるほど安全な場所じゃないぜ?」
 気を抜けば、迷う程度は当たり前。
 凶暴な魔物も数多くいるし、出た時代が悪ければトラブルに巻き込まれることもある。
 陸達も、ランドとしてこの時代に辿り着けなければ……おそらくは迷宮の中で倒れていたと、今でも掛け値無しにそう思う。
「それくらい、晶から聞いてます」
「なら、なおのことだ」
 陸は言いつつ、掃除の手を止めることはない。それは交渉をそれ以上続ける気がない事を示している。
「ちょっと、それでも親!?」
「冬奈ちゃんっ!?」
「…………親だからだよ。お前らも、親にあんまり心配かけんな」
 いくら娘のためとはいえ、そんな危険な場所に少女たちを向かわせたくはない。
 いや、自らが親になったからこそ、そのために他人の子供達を巻き込む事はさせたくなかった。
「パパ……」
 愛娘の言葉にも、陸の手は止まらないまま。
 辺りを支配するのは、水の音とブラシの音、そして家の前を時折通る車のエンジン音だけだ。
「…………ああもぅ。分かった。分かったが……一つだけ、約束しろ」
 沈黙に耐えられなくなったのは、父親が先。
「何ですか?」
「出発は十月十八日だ。それより前に行くことは、絶対に許さん」
 蛇口を閉めながらの陸の言葉に、一同は言葉を失っていた。
「十八日って……運動会の当日じゃないですか! 遅すぎますよ!」
 そして、配られたプリントにあった、ゲートが封じられる予定の日にして……リリやレム達がこの世界から離れると大魔女達に告げられた日でもあった。
「だが、それが守れないなら教えられないぞ。本気でやる気があるなら、何とかなるだろ」
 同い年だった陸が、ルリを生まれたばかりのリリを守り切れたように。
「………」
 冬奈もファファも、リリさえも、陸の初めて見せる真剣な表情に言葉を続けられないまま。
「…………教えて、ください」
 故に、言葉を最初に紡いだのは、今までずっと黙っていたセイルだった。
「セイルくん……?」
「…………何とか、する」
 言葉は短い。
 けれど、瞳に宿る意思は、揺らがない。
 ただじっと、冬奈を見据え……。
「………分かったわよ」
 やがて、冬奈も小さくため息を一つ。
「よし。なら、中で説明する。入れよ」
 どうやら車の掃除は中止らしい。
 陸は少女たちを家へ招き入れると、白い霧に包まれた彼の地の道のりを、少しずつ思い出していく。


 大神家の夕食は早い。
 家族一同、何もなければ十八時には夕食の時間となる。それは家長たる老女の生活パターンに合わせたもので、居候たる八朔達は基本的に、その長年続く時間割に合わせることが求められていた。
「あの、お婆さま。ちょっとお願いが……」
 その席で小さく呟いたのは、八朔だ。
「何ですか、八朔さん」
 老いてなお凜とした張りのある声に、孫はわずかに身を引くが……。
「柚子叔母さんの写真を……一枚もらえませんか?」
 それは、レイジ達から頼まれたこと。
 仮に過去に戻っても、柚子の顔が分からなければ探しようがない。だから大神家にあるだろう柚子の写真を一枚借りてきて欲しいと、そう頼まれたのだ。
「何に使うんです?」
「それは……すみません。まだ、言えないんですが」
 敵は大魔女。そして、そこに繋がるはいりや菫たちも、今は警戒の対象だ。
 殊に八朔の祖母は、柚子の繋がりではいり達とも近しい間柄にある。今この瞬間にだけは、身内であろうと情報が漏れるわけにはいかなかった。
「ウィリアムさんも教えられないのですか?」
 次に老女が問うたのは、八朔の隣で夕食を食べているパートナーの少年だ。
「申し訳ありません。友の命を救うため、としか」
「お友達の命……ですか」
「はい」
 小さく目配せする八朔に気付かないふりをして、ウィルはいつものように穏やかに、祖母を見据えたまま。
 嘘ではない。
 もちろん、それが真実の全て……というわけでもなかったが。
「…………なるほど」
 その真っ直ぐな瞳に、老女は少しだけ眩しそうに目を細め。
「何をするのかは分かりませんが、お友達の命が掛かっているほどの大事ならば仕方ありませんね」
 そう言いつつも、老女がそれ以上動く様子はない。
 それどころか、安堵の表情を見せる八朔とウィルに、寂しそうに小さなため息を吐くだけだ。
「ただ、貸してあげたいのはやまやまなのですが……私の部屋にも、柚子さんの写真は一枚も残っていないのですよ」
 言われてみれば、八朔も柚子の写真を一度も見たことがない。仏壇にも、写真の一枚くらい置かれていても良さそうなものなのに……それすらも、ないのだ。
「そう、ですか」
「ごめんなさいね。力になれなくて」
 静かに呟く老女に、二人の少年はそれ以上声を掛けることも出来ずにいる。


 華が丘で唯一のカフェの閉店時間は、それなりに遅い。夕方にはテラスのそこここにランプが灯され、昼間とはまた違う雰囲気でのサービスを提供してくれる。
「ええ、そう。十八日に」
 そんなオープンテラスの一角で携帯を開くのは、リリの家に向かっていた冬奈達と合流した晶だった。
「遅いのは分かってるわよ。けど、それが道を教えてもらう条件だったんだから、仕方ないじゃない」
 相手は図書館で調べ物をしているレイジか、百音だろう。物言いの勢いからすれば、おそらくはレイジで間違いない。
「………やれやれ」
「どうだった?」
「向こうも調べ物、難航してるって。92年の華が丘の細かい情報とか、ほとんど集まってないみたい」
 当時は華が丘とメガ・ラニカの合併や魔法ブームで、華が丘が最も混乱していた時期だ。記録はあっても散逸していたり、そもそも記録をする暇がなかったりと、新聞の構成にも混乱が見て取れるほど……らしい。
「とりあえず、決行はチャンスがあれば流動的に……って事になったわ」
 もちろん陸との約束もあるから、原則は十八日だが……それ以前にチャンスがあれば、臨機応変に動くことになる。かつて天候竜と戦ったときと、基本は同じだ。
 特にあの時よりも少ない今の数なら、メールや電話のやり取りで十分に何とかなるはずだった。
「で、ハークくん。何読んでるの?」
「メガ・ラニカの幻獣図鑑だよ」
 傍らに出していた携帯の着スペル……ごく小さな範囲で風を操る魔法だ……を解きながら、ハークは晶の問いに短く答えてみせる。
「へぇ……。あ、これ、こないだ遭った奴じゃない! ……へぇ。砂獅子って言うんだ……」
 砂色の花弁に、地面を進むための無数の触腕。同種には薔薇獅子と呼ばれるもっと派手な色の種もあるらしいが……いずれにしても、二度と遭いたい相手ではない。
「何も分かってないよりは、分かってたほうが逃げやすいでしょ?」
 もちろん、弱点を調べているわけではない。基本的な習性や、出会ったときの対処策である。
 ハークとしては戦う必要のない怪物は無事に回避できればいいのであって、戦う事ははなから思考の中に入れていない。
「意外と、考えてるのねぇ……」
「晶ちゃんが行き当たりばったりすぎるんだよ……」
 だから、周囲に迷惑が掛からないよう、彼女の通話中にハークが風の魔法で結界を張らなければならないのだ。


続劇

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