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 華が丘高校へと至る、長い長い坂の途中。
 中腹ほどの所にある広場に集まるのは、数人の大人達だ。
 ある者は苛立ちを内に秘め、またある者は泣き崩れそうになる膝を必死に押し留め。そしてまたある者は、厳しい表情を崩さぬまま。
 抱く想いはそれぞれだが……ただ一つ共通しているのは、その意思の全てが輪の中央に在る少年と少女に向けられたものという事だ。
「ならば、良いな? 二人とも」
「…………ああ」
 メガ・ラニカの法衣に身を包む男の言葉に、中央の少年は頷きを一つ。
 そっと手を伸ばし、傍らの少女の手を優しく握りしめれば、少女も小さく頷いてみせる。
「では、処罰を執り行う。瑠璃呉陸、ルリ・クレリック……この二名を、彼らの体感時間で一年間の、時の迷宮への追放処分とする」
 執行官の重い言葉に、傍らに立っていたメガ・ラニカの礼服姿の男が一礼し、広場の隅に建てられている小屋の扉を静かに開く。
「お主らが一年を過ごしたなら、帰ってくる事を許そう」
「要するに、俺達の子供が生まれるまで……帰ってくるなって事だろ」
 少年の問いに、執行官は答えない。ただ沈黙を持って、その場に立つだけだ。
「なら……行くぞ、ルリ」
 陸は身重のパートナーの手を労るようにそっと引き。
 踏み出すのは、小屋の中に広がる異空間。
 時の迷宮と呼ばれる、未踏の地平。
「……気を付けろよ。陸」
 そんな少年と少女の背中に届くのは、押し殺すような男の低い声。
「行ってくる。親父、お袋」
 短いが重い男の声に、少年は小さく手を挙げて。
 彼の父親は無言でその背中を見送り。
 彼の母親は、その場に力なく崩れ落ちるのだった。


 広がるのは、白い世界。
 空を覆うのは白い霧。
 大地を包むのは、白い靄。
 乱反射する輝きに視界そのものは拓けているものの、辺り一面同じ白では、ともすれば平衡感覚さえ失ってしまいそうになるほどだ。
「大変なことになったな、二人とも」
 そんな中、唯一の目印となるのは……二人に付き添って迷宮の内までやってきた男の持つ、誘導の灯りだけ。
「おじさんは……どこまで付いてきてくれるんですか?」
 まさか、この一年をずっと付き添ってくれるわけでもないだろう。かといって、四方を白に囲まれたこんな所でいきなり放り出されても、困惑するしかないのだが。
「まあ、君らから見れば、おじさんだな。もう三人目も出来たしな……」
「そうなんですか?」
 苦笑する男に、ルリは小さく首を傾げてみせる。
「ああ。来年の春くらいに生まれると言われたよ」
 穏やかに微笑み、子供が宿ったことを告げる妻の様子を思い出す。
 上の二人は女の子だった。そろそろ男の子が欲しい所だが……まあ、元気に育ってくれるなら、男でも女でもどちらでも構わない。
 そんな事を考えて、やがて思いを巡らせるのは若い少年達のこれからの運命について。
 かたや男のように、祝福を受け。
 かたや二人のように、処罰を受ける。
 もちろん二人のした事は、何らかの処罰を与えてしかるべきものだし、メガ・ラニカからの初の留学生という立場を考えれば、軽率なのも違いない。……けれど、いくら何でも一年間の追放刑とは度が過ぎる気がする。
 それも、危険極まりない時の迷宮へ、だ。
「おじさん……?」
「すまない。少し、考え事をしていてね……」
 少年達からほんの少し視線を逸らし、男は不器用に笑ってみせる。顔が引きつっているような気もしたが、幸いなことに目の前の二人は気付いていないようだった。
 やがて、男は足を止め。
「さて。私が案内を許されているのは、ここまでだ。大変だろうが……二人なら、きっと何とかなるさ」
「……はい」
 過酷な旅になるだろう。それも、少年達や男の想像を絶するほどの。
 だが、しがないゲートの案内人である男に出来ることは……驚くほどに、何もない。
「あと、これを……」
 だからこそ、男はポケットに忍ばせていたそれを、少年と少女の二人にそっと握らせていた。
「……これは?」
 手のひらに収まるほどのそれは、小さなケースのようだった。中に小さな針が浮かび、ゆらゆらと揺らめきながら一定の方向を指している。
「時の迷宮で、方向を指し示す指針さ。こういうモノを渡しちゃいけないとは、言われていないしな」
 本来なら、管理局の重要な備品だ。
 それを二つもなくしたとなれば、どのくらいの始末書で事足りるだろうか……と、思考の隅で思いつつ。反面、少々の始末書で二人の助けとなれるなら、それで構わないという思いも、また抱きつつ。
「ありがとうございます………えっと」
「ソーアでいい」
「ありがとうございます、ソーアさん!」
 おじさんと呼ばれなかったことに苦笑しつつ、ソーアは歩き出す二人の手向けにと、ゆっくりと誘導灯を振ってみせるのだった。
「旅の無事を祈っているよ。二人とも!」


 これが、物語の序章。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリックの物語。

 二人の物語は、ここで一旦筆を置くことになる。

 本編の始まりはこの十六年の後。
 2008年10月初頭。
 明かされた真実に揺れる少年と少女たち。そして、体育祭の準備を控えたある日から始まる……。


華が丘冒険活劇
リリック/レリック

#7 わたしたちにできること


1.踊る会議と踊らぬ剣と


 朝靄を切り裂くのは、重い木刀の軌跡。
 裏庭に響く風切り音は、普通の木刀の立てるそれとは明らかに違う。真剣を実際に使うことを前提とした、真剣並みの重量を備えた鍛錬用の木刀だ。
「やってるわね……」
 道場の裏に現れた冬奈は、その様子に足を止め……。
「……どうかしたの? 冬奈さん」
「何でもないわ。稽古の邪魔して悪かったわね、レム」
 そう呟くなり、きびすを返そうとする。
「組み手の相手なら、するけど?」
 冬奈が下げているのは、彼女の使う八角棒のレリックだ。徒手空拳の相手では稽古にならないと、刀ではあるが同じ武器使いであるレムに相手を求めに来たのだろう。
 もちろんレムも、一人で稽古するよりは、相手がいた方が俄然張り合いが出るのだが……。
「いい。何か雑念があるみたいだし……そんなので組み合ったら、怪我するから」
「………何を」
 レムの反論には、ほんのわずかなラグがある。
 そのラグこそが、彼女の言葉を完全には否定できぬ証。
「まあ、程々の所で道場に戻ってきなさいよ。真紀乃も来てるし、朝ご飯、食べていくんでしょ?」
 レリックをストラップに戻し、冬奈はそのまま道場へと戻っていく。
 残されたのは、無言のレムがただ一人。
 朝靄の中に響くのは……。
「………っ!」
 ばしり、という紫電の走る音。
「治まれ………大丈夫だってば…………っ! オレは、大丈夫……だから……っ!」
 ほんのわずかに膝を折り。レムはポケットの上から小さな膨らみを押え、必死にそう念じるばかり。


 玉入れ、騎馬戦、徒競走。
 黒板に次々と記されていくのは、体育祭の競技の名前。
 華が丘の体育祭まで既に二週間を切っている。文化祭ほど準備に時間のかからないイベントとはいえ、それでも二週前ともなればそれなりの準備が必要になるのだ。
「というわけで、体育祭の準備なんだけどよ。まず出場競技、決めてくぞー」
 玉入れの所に己の名前をがつがつと書き込みながら、華が丘高校一年B組の委員長はクラスメイトに向けてやる気なくそう言い放つ。
 なぜか顔に大きな青あざが出来ていたが、それに突っ込む者は誰もいない。
「あーっ! レイジ! テメ、何でいきなり自分の名前書いてるんだよ!」
「そりゃおめぇ、司会進行の特権だろうが。いいっすよね、先生」
 少し離れた所で委員長の進行を眺めていた担任の女教師は、軽く肩をすくめるだけ。
「悔しかったら書記やれよ副委員長」
 売り言葉に買い言葉。
 呼ばれたレムは大股で前に出てレイジからチョークをもぎ取ると、やはり全力で己の名を書き記した。
「お前も玉入れかよ!」
「俺に持久力とか運動能力とか求めるなよ!」
 堂々と言い放ち、レイジの後ろで腕を組む。
 体育祭の原則は、全員参加の競技以外に一人最低一競技参加。
 無論、玉入れも立派な自由参加競技である。
 そんな面倒なルールから逃げきってしまえば、後は踊る会議を眺めるだけのポジションだ。悠々自適である。
「っつーわけで、後は早いもん勝ちな」
 言った瞬間まず手が挙がったのは、二人。
「百メートル走!」
「百メートル走!」
「ハニエと……………百音か」
「…………」
 レイジの言葉には、わずかな間。
 そう呼ばれた百音にも、わずかな間。
 その沈黙の理由を、その場にいた誰もが知っている。
 おそらくレイジの青タンも、そこに結びついているだろう事も。
 ほんの一瞬前までおかしなテンションで盛り上がっていたはずの教室に響くのは、レムの書き記す黒板の音だけだ。
「じゃ、女子百の定員、残り三人なー。次は!」
 あえてのレムの大声に、クラスは再び活気付く。
「ファファ……あんた、大丈夫なの?」
 そんな中、席に着いたファファに掛けられたのは、パートナーからの小さな声だ。
「……冬奈ちゃん。わたし、別に運動が苦手なわけじゃないんだよ?」
 パートナーの気持ちは分かるが、それは間違いではない。
 ファファは苦笑しつつ、他に何か出られそうな競技があればと黒板に再び視線を戻していく。


 市立華が丘高校は、日本で唯一の魔法科を持つ学校である。
 それは華が丘そのものが高密度のマナに覆われた、魔法都市であるが故の事だ。
 さらに言えば、魔法科……そして、魔法科以外の生徒の大半も魔法を使える事情から、華が丘の体育祭には幾分か変わった競技がエントリーされる事がある。
「はいはーい! 障害物二人三脚、あたし出る!」
 元気よく挙がった手に、一年A組の教室に走ったのは、ざわりという動揺だ。
「………いいんですか? 水月さん」
 障害物二人三脚はその名の通り、障害物かつ二人三脚という複合競技の……はずだ。
 はずだというのは、クラス委員長兼体育祭の実行委員である祐希にも、細かい情報が伝わってきていないからだ。いわゆる当日発表のサプライズ競技に近い性質があるものだが、公表されているその名だけでもその地雷さ加減は容易く予想が付く。
「大丈夫だって」
 そんな地雷を軽く流す晶に、祐希もそれ以上告げる言葉がない。
「じゃ、キースリンさん。お願いします」
「はい。なら、晶さんと……ハークさん………っと」
 黒板担当のキースリンは黒板に晶の名前を書き記し……。
「ってちょっと! なんでボクの名前まで……!」
 その傍らにさも当然とばかりに記された名前に、名前の主は思わず悲鳴を上げていた。
「え? でも、ハークさんが一緒ではないのですか?」
 二人三脚という競技そのものは、体育祭の準備委員会で説明があった。メガ・ラニカにはない競技だが、二人ひと組でゴールを目指すスポーツという事は彼女も何となく理解できている。
「だってボク、もう男子百と借り物競走に出る事になってるでしょ!」
 どちらも注目度はそれほど高くないし、面倒な競技でもない。目立たない競技を適当にこなして、後は体操服の女の子達と遊ぶだけだと思っていたのに……!
「別に全部の競技に出てもらっても構いませんけど。ローゼリオンくんみたいに」
 クラス内で問題がなければ、参加競技に制限はないのだ。
 もちろん、男子百メートルからサプライズ競技まで、全ての競技への参加を望んだウィルの申し出は……主に文化系男子からの圧倒的歓迎を持って受け入れられていた。
「あんな体力バ…………」
「どうしたんだい? ハークくん」
「…………いや、体力自慢の人と一緒にされても」
 穏やかに微笑むウィルと目が合い、何となく言い直してみる。
「ならハークくんはあたしと一緒に走るのが不満なの!? 毎晩あんなに息ぴったりのプレイしてるのに!」
「ちょっ! そんな誤解を招くようなこと言わないでよ!」
 いつものようにゲームの話なのだが、辺りのざわつきはハークの意見など受け入れるはずもないだろう。
 人間、面白い展開のほうがいいに決まっているからだ。
「なら、決まりですわね」
「………なんか、容赦ないですね。キースリンさん」
 騒ぎの合間にさりげなく玉入れの所にキースリンの名前が記されているのに気付き、記録係を任されたもう一人の副委員長は苦笑を浮かべるしかないのだった。


 そして。
「残ったのは…………やっぱりこれか」
 踊る会議の果ての果て。一年B組の黒板に残る空白は、あと二つ。
 紅白対抗男女混合魔法障害物リレー。
 男女各一名。
 競技順番は閉会式の一つ前。
 文句なしの、大トリレースである。
「あれでしょ? 毎年すんごいハードな障害が出てくるって」
 内容は当然ながらサプライズだが、毎年毎年炎の壁だの踊る波だの、華が丘高校の魔法技術の粋が凝らされる事でも知られている。
 毎年新聞部が開くアンケートでは、最も出たい競技と最も出たくない競技の双方のトップに君臨し続ける、華が丘高校の悪ノリここに極まれりと言っても過言ではない一大競技だ。
「誰かやりたい奴いるか? 男女一名ずつ!」
 無論、そんなトラウマ必定の競技に出たい者など、いるはずもない。
 既にクラス全員の名前は既に黒板に記されており、『生徒は自由競技に最低一つに参加』という原則は満たされていた。
「誰もいねぇか。なら推薦にすっぞ」
 レイジの言葉に、一同はわずかにざわめいて。
「オレが行こう」
 そんな不穏な空気を切り裂いて立ち上がったのは、クラス一の巨漢であった。
 辺りを見回すが、反論の意見など出るはずもない。
「なら男子は良宇で決まりか。女子は誰かやりたい奴、いるか?」
「はいっ!」
 そして続いて響くのは、幼くすらある少女の声だ。
「ファファ……大丈夫なの?」
 立ち上がる少女に掛けられるのは、先ほどと同じく彼女のパートナーの不安げな声。
「ハニエか……どう思います、先生」
 良宇は体力に任せて、多少の困難は打ち払うだろう。
 しかし、小さなファファでは、いかにも……。
「問題ないでしょう。ハニエさんなら」
 だが、葵の出した答えは是。
 適当に合わせたのでも、二つ返事で答えたわけでもない。
 ファファならばと、明確な意思を持っての回答だ。
「ならいいか……。旦那は文句ないか?」
「誰が旦那よ!」
「自覚あるんじゃねえか。いいのか?」
 旦那と呼ばれただけでパートナーとも冬奈とも呼ばれていないことに答えた後でようやく気付き、冬奈は分かりやすく眉をしかめてみせる。
「ファファがやりたいって言ってるんだから、大丈夫でしょ」
 華が丘高校の魔法競技だ。危険ではあるが、それなりの対策は取った上での暴挙だろう。
 ならば、何かある可能性は限りなく低いはず。
「ならハニエ。保健委員と兼任で大変だとは思うけど、頑張れよ」
「はいっ!」
 体育祭のメンバー決定終了を告げたのは、元気の良いファファの返事だった。


続劇

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