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24.後夜祭三重唱

 華校祭は一日限りのイベントだ。
 日が沈む頃には、閉会式……といっても、放送が流れるだけだが……も終わり、クラスの片付けもあらかた終わっている。
 校庭の特設ステージや他のイベント施設も撤去され、昼間の喧噪を思い起こさせるものは、ただ一つ残された生徒会のテントと、校庭の中央に組み上げられた櫓だけだ。
「後夜祭に参加する生徒は、生徒会役員からジュースをもらってくださーい! 後夜祭は自由参加ですから、ジュースだけもらって帰ってもOKでーす!」
 拡声魔法で響き渡る執行部員の声に、やがて重なるのはぱちぱちという炎の爆ぜる音。
 華が丘高校で普段行われるキャンプファイアーの類は、大半が精巧に作られた幻覚魔法なのだが……今日この日ばかりは、本物の炎が焚かれていた。
「やっと、終わったねぇ……」
 校庭の一角、燃え上がる炎を眺めながら……呟いたのは、リリだった。
 爆弾騒ぎに和喫茶、占い、そして最後の舞台劇。
 運動部所属のリリは劇の裏方をやる程度でもっぱら見て回るばかりだったが、それでも十分に忙しかった。文化部を掛け持ちで所属しているレイジやファファ達は、それこそ目の回るような忙しさだったことだろう。
「セイルくんも、お疲れさま」
「…………かんぱい」
 差し出したジュースの缶に、傍らの少年は言葉少なに缶を触れあわせてくる。
 かち、という少々雰囲気のない音ではあったが、それでも少女たちは穏やかに微笑み合う。
「…………リリさん」
 優しく燃える炎に照らされる中、セイルはポケットに手を突っ込むと、握った拳を取り出してきた。
 そのまま無言で突き出した先にいるのは、彼のパートナー。
「くれるの?」
 頷くセイルにそっと手を伸ばし、拳の中身を受け止めれば……。
「ストラップ……?」
 リリの手の中にあるのは、小さな宝珠がぶら下がるストラップだった。魔法でも封じられているのか、表面には小さな文字がいくつか刻み込まれている。
「誕生日………だから」
 奇しくも今日は、リリの十六歳の誕生日。帰ったらもちろん家族でのパーティーが待っているのだが、ひと足早く……というわけだ。
「ありがと! 大切にするね!」
「ちゃんと……付けてて、ね」
「分かってるって。これでいい?」
 早速それを自身の携帯にぶら下げるリリの姿に、セイルはこっくりと頷いてみせる。
 携帯とストラップを繋ぐ紐も、強化の魔法が封じられたものだ。少々乱暴に扱っても、千切れることはないはずだった。
「それから…………」
 そして。
「ん?」
「……………好き、です」
 唐突な言葉に、リリは動きを止めたまま。
 セイルもまた、じっと黙り、リリの様子を見守っている。
 ぱちぱちと爆ぜる炎の音だけが、しばらく響き……。
「ええっと、それは…………ライクじゃなくて、ラブって事で受け取っても……いいのかな?」
 セイルの英語の成績を思い出し、この問い掛けでちゃんと通じるか、一瞬不安になるものの……。
「ダメ、ですか?」
「全然ダメじゃないよ。ボクも………セイルくんのこと、好きだから」
 返ってきた答えに、リリも幸せそうに微笑んだ。
 穏やかに燃える炎は、優しく少年達を照らし出している。


 燃える炎が祝福の輝きに見える者達がいる反面。
 それが地獄の業火にしか見えぬ者達も、また、この場に居合わせていた。
「炎って、何で燃えてるんだろうな……」
 景気よく燃え上がれば燃え上がるほど、少年の気分は滅入ってくる。
「だよな……。いっそのこと、全部焼き尽くしちまえばいいのにな……」
 もちろん、世界の全てを焼けなどとは言わない。
 主に焼いて欲しいのは、本日の自分の愚行ひととおりを端から……だった。
「地獄の炎って、あんな感じなのかな……」
「地獄でこんなに景気よく燃えられてもなぁ……」
 その場の空気だけが、重い。
 あまり炎の近くにいては他の連中に迷惑だろうと、二人は少し離れた所で炎を見ているのだが……そこに生まれる影の具合が、より少年達の陰鬱さを増幅させている。
 暗い気持ちに重さがあるなら、間違いなく二人とも地の底にまで沈み込んでいるに違いなかった。
「ンだよ。レイジもレムも、そんな死体みたいな顔しやがって」
「………聞かないでくれ」
「………同じく」
 さすがに見かねたか、声を掛けてきた八朔を、二人は揃って暗い表情で見上げるだけ。
「まあ………あんま、気にするなよ?」
 かたや肝心の本番に舞台に立つことが出来ず、かたやその舞台を最後の最後でほっぽり出し………まあ、沈む気持ちも分からないでもない。
「そういや、良宇知らね? 軽音部の奴らが探してたんだけど」
 フォローにもならないひと言でお茶を濁しておいて、八朔が問うたのはそんな事。
「何で俺に聞いてくるんだよ……」
「お前、パートナーだろ」
 携帯を鳴らしても圏外と言われる以上、後は自力で探すしかない。もちろんパートナーが何もかも知っているとは思わないが、普通の生徒達よりは近い所にいるはずだ。
 ウィルの秘密を知る、八朔のように。
「………良宇は取り込み中だ。探さないでやってくれ」
 一応、良宇が何に巻き込まれているかは知っていた。
 だが現在、彼がどこにいるのかまでは分からない。
「取り込み中ねぇ……。ま、いいや。なら、軽音部の奴らにはそう言ってくるな。助かった!」
 沈み込む二人には今は何を言ってもフォローにならないと思ったのだろう。八朔はそれだけ言うと、生徒会のテントのほうへと走り去っていく。


「冬奈達も、後夜祭まで残ってれば良かったのにね」
「ファファちゃんが限界みたいだったから、仕方ないよ」
 徹夜まではしていないらしいが……いつもの勉強をこなしながら二人分の衣装を作り、クラスの劇でも裏方をこなしていたのだ。その作業量は想像するしかないが、集団でお菓子作りをしていたハーク達を遙かに凌ぐ事は間違いないだろう。
「晶ちゃんは大丈夫?」
 ハークがふと問うたのは、パートナーに対してだ。
 和喫茶にミスコン、ゲーム研の助っ人。そして最後の舞台でも出ずっぱりと、今日一日の活動量はおそらく校内でも屈指の………。
「何が?」
 むしろ、疲労を見せるどころか余裕そうだった。
「………聞いたボクがバカだったよ」
 このまま徹夜でゲームも余裕でこなしそうなテンションに、ため息を一つ。
「そうだ、晶ちゃん。忘れてたんだけど……」
 燃え上がる炎をぼんやりと眺めながら。
 ふとハークが思い出したのは、頭に留められた小さなそれのこと。
「何?」
「何って、このヘアピンだよ」
 もともとは性別逆転事件の時、悪い魔法でも掛かっていないか葵に調べてもらおうと晶から借りていた物だったのだが……返すタイミングを逃し、そのままになっていたものだ。
「いいわよ。似合うんだし、付けとけばいいじゃない」
 背後の鉄棒に身をもたせかけ、晶はそう呟いてジュースをひと口。
「付けとけばってこれ、晶ちゃんにボクがあげたものなんだけど……」
 悪い魔法は掛かっていないと言う話だったし、もうハークが持っているべき理由はない。
「何よ。あたしのプレゼントが受け取れないっての?」
「何が悲しくて自分で買ってプレゼントした物を自分で付けとかないといけないんだよ」
 これではプレゼント交換会の罰ゲームだ。自分が欲しかったものならまあそれも悪くないが、ハークとしては特にヘアピンが欲しかったわけではない。
「ぐちぐちぐちぐちと……あたしがいいって言ってるんだから、いいの!」
 ハークの前髪に留められた鈴蘭のヘアピンは、晶の言葉に困ったような薄紫の光をぼんやりと放っている。


 暗がりから力なく炎を眺めている少年達の元にやってきたのは、一人の少女。
「レムレムみっけ!」
 びしりと少年達の片方を指し、高らかに声を上げてみせる。
「真紀乃さん………」
「ほら。そんな暗い顔しててもしょうがないですよ! あっちにもっと明るいところありますから、一緒に行きましょう!」
 元気よく手を伸ばすが……その手も、背後に輝く炎も、今の少年にとっては眩しすぎた。
「いや、オレは……」
 なにせ舞台劇の肝心な場面で、全く活躍できなかったのだ。それだけならまだしも、最後のカーテンコールにはしっかり引きずり出されているという……何というか、色々と上塗りだった。
 しばらくは、こうして闇の中で落ち込んでいたい……。
「とにかく、来るっ!」
 ……というレムの考えを全力でスルーして、真紀乃は落ち込んでいるパートナーの腕を強引に取り上げた。
「あ、おい………っ」
「ホリンさん。すいません、レムレム、持っていきますね!」
 もともと細身で体重も軽いレムだ。鍛えている真紀乃に引きずられるようにして、炎のほうへと連れ去られていった。
「おう。しっかりなー」
「オレはモノ扱いかよ!」
 レムの微妙にずれたツッコミも、やがて炎と喧噪の中へと消えていく。
 その光を眩しそうに眺め、レイジはため息を一つ。
 レムは真紀乃と共に行ってしまった。
 良宇も、今頃は告白をされている頃だろう。
 悟司はあれ以来顔を見せないし、百音に至っては……。
 手持ちぶさたに携帯を取り出してはみるものの、電話をしたところで答えてくれそうな顔が思い浮かばない。
 携帯をポケットに戻し、再び顔を上げたところに……。
「…………百音」
 その少女は、いた。


 炎を眺めながら落ち込んでいるのは、件の二人組だけではなかった。
「ローゼリオンさん。女の子の所に行かなくていいの?」
 力なく膝を抱え、悟司が呟いたのは傍らでのんびりと炎を眺めている少年に向けて。
「私が花を差し出さずとも、幸せそうにしている女性しかいないのなら……落ち込んでいる友人の側にいるのも、たまにはいいさ」
「………ありがと」
 振り上げた拳は、まだじんとくる痛みを残したまま。
 それが気持ちから来るものか、単純に物理的に痛いだけなのかは……悟司自身も、分からずにいる。
 レイジの積極的な姿勢を、どうこう言うつもりはない。むしろ自分にはないものだと、見習おうとさえ思っていたの……だが……。
 彼を殴った拳は、百音のためだったのか。
 それとも、自身の嫉妬から来たものなのか。
 はたまた、監督という責を放り棄てた怒りから来たのか。
 紡ぐ相手もいないまま、思考はぐるぐると回るだけ。
 ただ、より速さを増し、時に自ら崩れそうになる思考を自らの内に押し留められているのが、傍らにいる友人の存在だという事だけは……間違いのない、事実。
「ったく。良宇の奴、どこに行ったんだろうな?」
 二人黙って炎を眺めていれば、やがてもう一人、少年がやって来た。
「いなかったのかい?」
 八朔は、このままウィルを連れ去ってしまうのだろうか……。
 一瞬そんな事を思ってしまうものの、八朔もウィルの隣に無遠慮に腰を下ろすだけ。
「ああ。軽音部から、ボーカルの応援を頼まれてたらしいんだけど……」
「良宇くんの声なら、良い歌になりそうだね」
 良宇の歌の腕前は知らないが、軽音部から声が掛かるということは、相応の力量はあるのだろう。あの低い声でゆったりとしたブルースなどが歌えるのなら、この穏やかな炎の祭により一層の花を加えることは間違いないはずだ。
「でも、ボーカルがいなかったらインストにしかならないよね」
 呟く悟司に、ウィルは首を捻る。
「……何だ、ウィル」
「いや。茶道部部長の不手際は、私たち部員がフォローするのも務めかな……と思ってね」
 ウィルの顔に浮かぶのは、笑み。
 それもいつもの穏やかなそれではなく……晶がハークをオモチャにする時に浮かべるそれと、同じ物だ。
「何か、すげぇ嫌な予感がするのは気のせいか……?」
 言い終わるより早く、八朔の腕をウィルの左手が引き上げる。
 そして右手は、傍らに座っていた悟司を引き上げていた。
「さあ、行くよ、二人とも!」
「って、僕はそもそも茶道部じゃ……!」


 後夜祭の炎を弾くのは、教室にはめ込まれたガラス窓。
 片付けも全て終え、魔法科一年の教室に先刻までの舞台準備の喧噪はどこにもない。
「祐希さん……」
 月光と炎の輝きだけを受ける魔法科の教室で、パートナーの名を口にしたのはキースリンだった。
「何ですか? 改まって」
 教室にいるのはキースリンと祐希だけ。他の皆は後夜祭に出ているか、もう遅いからと家への帰途についている。
「はい。お返事の事……なんですが」
「いいですよ、そんなに慌てなくて」
 待つと言ったのは祐希自身だ。それに今日は、一日中の騒ぎでキースリンも疲れているはずだった。
 そんな状態で、無理に答えを聞こうなどとは思っていない。
「いえ。気持ちが決まっている間に、答えておきたいですから……」
 並ぶ椅子と机の間。
 キースリンはすっと背を伸ばし……。
「……………ごめんなさい」


「百音……」
 口にしたのは、少女の名前。
「レイジくん………」
 そしてまた、少女も少年の名を口にする。
 だが。
「どうしたんだ?」
 少女の顔は炎を受けているというのに青く、眼鏡を外した表情からはいつもの溢れんばかりの生気がごっそりと欠け落ちているように見えた。
 落ち込み、判断が鈍っていようと分かる。
「…………………」
 けれど、レイジの問いに百音は泣きそうな表情を見せ、そのまま走り去っていくだけだ。
「百音……っ!」
 手を伸ばし、立ち上がる頃には……。
 探し求める少女は、炎の喧噪の中に消えている。


「………そう、ですか」
 キースリンの言葉に、不思議とショックはなかった。
 ある程度は予測できていたことだし……もっと突き詰めれば、キースリンと祐希は男と男の関係なのだから、当たり前といえば当たり前なのだ。
「あ、いえ……そういう意味ではなくて……」
「構いませんよ。でも、パートナーとしては……」
 慌てて言葉を続けるキースリンに、祐希は苦笑い。
 後の心配事は、パートナーとしてちゃんと付き合ってくれるかどうかだが……今のキースリンの様子を見る限り、そこに関しては心配ないようにも思えた。
「ですから、そういう意味じゃなくって………!」
 だが、寂しそうに微笑む祐希に、キースリンは床を蹴り。
「キースリン……さん………?」
 祐希の胸元に当たるのは、柔らかな感触。
 背中に回されたのは、細くしなやかな両の腕。
 美しく長い黒髪から漂う涼やかな香りが、祐希の鼻孔を柔らかくくすぐってくる。
 ……抱きしめられていると気付いたのは、その感触を感じてからのこと。
「見ないで、ください。……恥ずかしいんですから」
「………はい」
 誰もいない教室。
 パートナーの少女に抱きしめられたまま、少年はそう答えることしか出来ずにいる。
「私も、祐希さんのことが、好きです」
 紡いだ言葉は、先ほどの謝罪を否定し、祐希の想いを肯定するものだ。
「けれど私は、いずれはハルモニア家を継がなければなりません。ですから……」
 キースリンが女装をしているのは、ハルモニアの一族の事情に巻き込まれないため。逆を言えば、その事情に対応できるだけの立場に落ち着いた時……キースリンは男に戻ることになる。
「薬、飲みます」
 決意の言葉に、祐希からの言葉はない。
「ですから、女の子のままではいられません」
 細い少女の腕の中。
「それでも………好きと言って、くださいますか?」
 祐希が紡いだのは……。

「はい」

 かつて言えなかった、後悔の言葉。
 少年の腕に抱きしめられた少女は、優しい言葉にふわりと華やかな笑みを浮かべ……。

 それに重なるのは、穏やかなリズムに乗る、調子外れの三重唱だ。


続劇

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