-Back-

14.開催前夜 -メガ・ラニカ1xxx-

 王都を無事に離れた少女の元にやってきたのは、ボロボロの甲冑に身を包んだ女騎士だった。
「姫様!」
 魔法という飛び道具が存在するメガ・ラニカの戦闘において、体の動きを阻害する鎧という存在は、ほとんどの場合意味を持たない。
「騎士団長殿! ご無事で……!」
 その数少ない例外の一つが、彼女らアヴァロンの魔法騎士団だ。
 門外不出のホリックの奥義により、羽毛の如き軽さと鉄壁の魔法防御力を備えた甲冑は、体の動きを束縛するどころかより迅め、自動で起動する防御魔法と結界防壁は幾多の魔法を弾き返す。
「申し訳ありません。姫様を御守りすることも出来ず、生き恥を……」
 そんな彼女達の自慢の甲冑も、黒い雷の前では限りなく無力だった。
 ほんの一撃のブレスで壊滅と言っていいほどに追い込まれ、戦線を立て直すのが精一杯で、本来守るべき相手を守ることすら……出来なかったのだ。
「そんな事を言わないでください。私は……あなた達が、生きていてくれただけで嬉しいのです」
 守るべき主の言葉に静かに頭を垂れ、唇を噛み締める。
「悔やんでいるところを悪いが……」
 だが、そんな悔恨の女騎士に掛けられたのは、軽装の革鎧だけをまとった男の声。
「……貴公達が姫様を?」
 見たところ、ごく普通の冒険者だ。とてもあの黒い雷をかいくぐり、王女を助けたようには見えないが……。
 奇跡にせよ何にせよ、事実王女はここにいる。
 実力を認めないわけにはいかなかった。
「ああ。彼女のこと、任せても構わないか?」
「無論だ。しかし、あの黒い竜を何とかせねば……」
 アヴァロンの結界を一撃で滅ぼしたあのブレスがあれば、メガ・ラニカ全土を焼き尽くすのも難しいことではないだろう。
 無論、そんな暴虐を見て見ぬふりをする気はない。
 騎士団の残り戦力全て……いや、アヴァロンの兵たち全ての命を賭してでも、止めなければならない相手だ。
「それは……俺達がやる」
 けれど、呟いたのは男一人。
 腰に提げるのは、長剣がひと振りだけ。
「危のうございます!」
「それは分かっているさ。だが……誰かがやらなければ、どうにもならんだろう」
「なら、私たちも共に……! 団長殿!」
 姫の言葉に、女騎士も静かに首を縦に振ろうとして……。
「貴女はこのメガ・ラニカにとって大切な存在だ。その彼女をどうすれば良いかは……分かっているよな、騎士団長殿」
 男の言葉に、女騎士はその首を動かすことを止めた。
 代わりに伸ばす手は、傍らに立つ姫君に向けてだ。
「団長殿!」
「貧乏くじを引かせるな。冒険者殿」
 細い肢体を無骨な甲冑で抱きとめた女騎士は、その呟きと共に己の腰に手を伸ばし。
 提がる剣を引き抜き、男の元へと放り投げた。
「そういう稼業さ。後悔したことはないよ」
 それを受け取り、己の腰へと。
 ここに至るまでの戦いで、男の剣は刃こぼれどころか半ばから二つに折れていたのだ。
 長さも厚さも今まで使っていたものより小さく、軽い。ただ、封じられたレリックの力は今までのそれとは比較にならぬ。
「魔法騎士団の至宝だ。存分に使ってくれ」
 頷き、男が歩き出すのは今までに来た道だ。
 傍らに並ぶのは、いつの間に現れたか、白銀の髪を優雅に揺らす、剣士の青年。
「冒険者様! どうか、お名前を……」
 その背中に掛けられたのは、女騎士に抱き留められた王女の声。
 ようやく気付いたのだ。
 男達の名を、聞いていないことに。
「……名乗るほどの者じゃないさ。……っと」
 振り返ることもなく、軽く片手を上げた男の背中にぶつかったのは……細く小さな、少女のからだ。
「せめて……ツェーウーの加護を………」
 男の背中にその身を埋め、少女は短く祈りの言葉を捧げる。
 メガ・ラニカの王女、聖都アヴァロンの主と言えど、出来ることなどたったのこれだけ。
「………これだけで、十分過ぎるな」
 神に祈るくらいなら、呪文の一つも唱えた方がマシ。メガ・ラニカ人の多分に漏れぬ性格の男だが……。
 こうして柔らかな少女の身体と言葉を感じられるなら、今日ばかりは神に祈るのも良いものだ……などと思ってしまう。
「……ちょっとぉ。人が死ぬ思いで敵陣から戻ってきたのに、なーにイチャイチャしてるのよ!」
 そんな男二人に掛けられるのは、上空から飛んできた黒衣の少女の叫び声だ。


「そ、そういうんじゃないってば!」
 リビングに流れたのは、それほど大きくないレムの声。
 二人の暮らすアパートの壁は、特筆するほど厚いわけではない。あまり大きな声で練習すると、単純な話近所迷惑になってしまう。
「ないってば、だとちょっと若すぎないかなぁ?」
 同じように台本をめくっていた真紀乃の言葉に、軽く眉根を寄せ、側にあったボールペンを取り上げる。
「そうだなぁ……。まあ、ちょっと年上なら『ないぞ』の方がいいかもな……」
 前々から気になってはいたのだ。ややコメディ寄りの軽いシーンだから、まあいいかと置いておいたのだが……。
 本番は明日。
「そうだね。じゃ、今度はそっちでやってみよっか?」
 より良い舞台にするために、すべきことは全て済ませておいた方が良いだろう。
「ああ」
 答え、修正した台本を取り上げたところで鳴ったのは……。
 レムの、腹の音。
「……お夕飯にしよっか?」
「だな」
 苦笑する真紀乃に照れくさそうに笑い返し、レムも手伝いをしようと立ち上がる。


 ステップからターン、ターンから再びステップ。
 身長差のある二人だが、ステップの歩幅は不思議と同じ。
 一人は広く。
 一人は狭く。
 その調整を自然と行えるようになるまで、どれだけ足を引っかけ、道場の床に転がったことか。
「こんなもの……かしらね」
 けれど今は、一度も引っかかる事なく踊りきることが出来るようになっていた。
「うん。今の、すっごく良かったと思うよ」
 腕の中の小柄な少女も、にこにことこちらを見上げている。
 月明かり降り注ぐ道場の中、無邪気なそれは驚くほどに愛おしく思えて……。
「………冬奈ちゃん?」
 怪訝そうな少女の言葉に、ようやく意識を取り戻す。
「いよいよ明日か……と思ってね。ファファ、服の準備は……」
「ちゃんと出来てるよぅ。こないだ見たでしょ?」
 ダンスの練習との並行作業ではあったが、課題としていた全ての服は微調整まで終え、今は部室のロッカーに下がっている。
「なら後は、ゆっくり寝るだけね」
 先ほどのステップは課題の服を着た状態でも十分こなせるようになっていたし、後は冬奈の言うとおり、体を休めることに専念すればいいだけだ。
「ねえ、冬奈ちゃん。もっかい……練習しちゃ、ダメ?」
 だが、ファファはそこまでの準備を終えても不安が拭えないらしい。
「…………前日は、あんまり根を詰めない方がいいわよ?」
 武道の大会でも、前日は練習ではなく、気持ちを落ち着け、体力を回復させて万全の状態を作ることに力を注ぐ。
 前日に根を詰めすぎて寝不足になったり無理して怪我でもすれば、それこそ全ての事が水の泡となってしまうからだ。
「でもでも、気になるの……もっかいだけ! ね?」
「仕方ないわねぇ。なら、もう一回だけよ?」
「うん!」
 人気のない四月朔日家の道場。
 冬奈の差し出した手を、ファファがそっと取り上げる。
 だが。
「ファファ、練習はどんな調子だい?」
「あ、パパとママは本番まで見ちゃダメー!」
 道場の入口から顔を覗かせた影に、ファファは大きな声を上げるのだった。


「………なあ、真紀乃さん」
 子門家のリビングに箸と茶碗を並べながら、レムはパートナーの名を呼んだ。
「なに? レムレム」
 呼ばれた真紀乃はボコボコと沸騰する大鍋に素麺の束を放り込み、中身がくっつかないように菜箸でかき混ぜている。
「真紀乃さんちの実家に、オセーボとかオチューゲンって送った方がいいのかな?」
「ん? いいよー。別に気なんか使わなくて」
 問われる言葉に真紀乃は苦笑。
 吹きこぼれかけた大鍋にコップの水を半分ほど流し込み、一本ほどつまみ上げて口に運ぶ。
「それにウチの家族、Webチャットで会ったことあるでしょー?」
 程良い硬さである事を確かめて、中の素麺をザルへと引き上げていく。使ったお湯は洗い物に使えるし、その前に麺が足りなければ茹で足しに使うことも出来るから、いきなりひっくり返したりはしない。
「あれは……絵だろ? やっぱり、実際に会わない……と……」
 そんな時。
 リビングから響くのは、ばちりという乾いた音だ。
「レムレム……っ!?」
 振り返れば、瞳に映るのは紫の光。
 紫電の、雷光。
「ちょっと………今日は、早くないっ!?」
 慌ててリビングに駆け出して。腕に紫電が絡みつくのも厭わずレムの肩を掴むなり、取るのは大きく投げの構え。教え込まれた四月朔日の技は、走る雷に意識を乱されようと、体がしっかり答えてくれる。
 そして、レムの瞳は……真紀乃に投げ飛ばされようかというのに、虚ろなまま。
「でえええええええいっ!」
 リビングの窓は暑いからと開けっ放しにしてある。
 そこに向けて、真紀乃はレムの細身の体を思い切り放り投げた。


 畳敷きの広間に並ぶのは、三組の和膳。
 その最も上座に位置する席で呟いたのは、和装の老女だった。
「八朔さん。明日のことですが……」
 張りのある声は、小さいながらも良く通る。もちろん、向かい合って座る二人に届かせることなどわけもない。
「えっと………やっぱり、法要には……」
 九月二十八日の日曜は、華が丘高校の文化祭当日であり……八朔の叔母がこの世からいなくなって、十六年が過ぎた事を記す法要が行われる日でもあった。
 もちろん、八朔は祖母から、文化祭に参加しても良いとは言われていたのだが……。
「構いません。ウィルさんと、楽しんでおいでなさい」
「いいんですか?」
 やはり法要に参加しろと言われるのではないか……その可能性は、ずっと心の中に小さなしこりとして残っていたのだが。
「貴重な三年間です。それを無理に連れ出しても、柚子さんは喜ばないでしょう。いずれ会ったとき、私が叱られてしまいます」
 彼女はその貴重な三年の一年目で、この世界から姿を消した。
 甥っ子を同じ目に遭わせてしまっては、いずれ相まみえたとき……彼女に会わせる顔がない。
「……そんなこと、言わないでくださいよ。縁起でもない」
「その代わり、私は見には行けませんが。ウィルさん、八朔のこと、よろしくお願いしますよ?」
「任せてください」
 老女の言葉にウィルは穏やかに微笑み。
 八朔も、無言で頭を下げるのだった。


 降り立ったのは、芝生の庭。
 目の前にあるのは……紫電をまとう、少年の姿。
 だが、いつの間に実体化させたのか双の刃を背中に背負い、長身の身をたわませて四肢で構えるそいつは……明らかに少女の知っている『彼』ではない。
「また出てきて……!」
 初めてそいつと戦ったのは、真紀乃が錬金術部の遠征から帰ってきた、その日の晩。
 以前の発動は、三日前。
 その前は五日前、さらにその前は、八日の間を開けていたはず。
 そいつが少女に向けるのは……いつもの彼の穏やかな笑顔ではなく。獣の……いや、獣ですらない、破壊の感情。
 悪意と、殺意。
「!」
 咆哮と共に、それは来た。
 ギリギリでの回避はしない。そいつの周囲に走る紫電は、今はもう十分な殺傷力を持つレベルにまで増幅されているからだ。
 直撃どころか、かすっただけでも致命傷になりかねない。
「そんなの……当たらないって言ってるでしょ! ガイオー!」
 叫びと共に放たれた流星は、そいつを正面から打ち据える。
 だが、背中から引き抜いた双の刃が、アッパー気味に打ち込まれた小型メカニックへと打ち込まれ、その一撃を弾き返す。
 不壊の特性を持つレリックだ。この程度で壊れはしないが……いくら不壊といえど、それを凌ぐ破壊を叩きつけられれば、遠くない先に限界は来る。
「明日は華校祭なんだよ……! 早く、いつものレムレムに……戻ってよ!」
 短期決戦で決着のつく相手ではない。
 大量の魔力を必要とするサポートとの連携は発動させぬまま、真紀乃は強く拳を握りしめる。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai